WALKER’S 

歩く男の日日

2008年 四国の旅 索引

2008-10-04 | 08年四国の旅

2008年四国の旅 索引
  1日目  1~ 3
  2日目  4~10 ①
  3日目 11~13 ②
  4日目 14~19
  5日目 20~21 ③
  6日目 22~23
  7日目       ④
  8日目 24~26
  9日目 27
 10日目 28~30
 11日目 31~35
 12日目 36    ⑤
 13日目 37
 14日目 
 15日目 38
 16日目 
 17日目 39~40
 18日目       ⑥
 19日目 41~43
 20日目       ⑦⑧
 21日目 44~45
 22日目 46~49 ⑨
 23日目 50~53
 24日目 54~59
 25日目 60~62 ⑩⑪
 26日目 63~64 ⑫
 27日目 65    ⑬⑭
 28日目 66    ⑮⑯
 29日目 67~75
 30日目 76~78 ⑰⑱
 31日目 79~83 ⑲
 32日目 84~88
 33日目       ⑳


四国歩きの総括 2

2008-09-09 | 08年四国の旅

3 歩く

  33日間の歩行距離  1266.2km
         歩行時間  207時間46分
         平均時速        6.09km
  1日の平均歩行距離       38.37km
      平均歩行時間         6時間19分

  初日に歩いた距離が極端に短いので、38kmになりましたが、それを除いた32日間の平均をとると、39.5km、6時間28分になります。歩行時間を基準にして考えれば、そんなに無理のない適当な計画だといえます。でもそれはあくまで平均での話で、相当無理をした日も何日か含まれています。今回忘れられないきつかった行程は、3日目、20日目、28日目の3日間でした。3日目は予定していた短絡路が通行不能になっていたし、20日目は予定していた宿がとれなかった、それに加えて両日ともものすごく暑かった。思ったような歩きは全然できなかったけれど、何とか予定時間には宿に入ることができたし、足を痛めることもなかった。それで変な自信ができて油断したのが28日目、箸蔵寺のあとの雲辺寺は、今まで登ったどの雲辺寺より険しいものになっていた。
 足の痛みに関しては、牟岐町と松山市で雨に降られたときに、マメができたり足がしびれたりしたけれど、翌日まで持ち越すような痛みにはならなかった。それ以外ではほとんど気になるような痛みは、筋肉も筋も関節もマメにも現れることはなかった。過去5回に比べても、痛んだ回数や期間は最も少なかったかもしれない。雨さえ降らなければ、一度も痛まず歩き通すことができたかもしれない、それは今回の事前の練習が一番よくできたことによるものかもしれません。それでも、完全に痛みを避けることができないのですから、本当に歩くということは容易ではない。でも、その緊張感があるからこそ、また挑戦しようという意欲が湧いて来るとも言えるのです。
 歩く速さに関しては、本文で幾度も書き続けてきたけれど、速ければいいというものではないことは十分承知しているつもりだし、そのことを自慢する気も全くありません。それは一つの目安に過ぎない。明るく元気にしっかりと歩きたい、それができているかの一番分かりやすい目安として、利用しているだけのこと。今回は昨年に比べて、速かった区間が遅かった区間より3つくらい多かった。全体としては昨年よりちょっとだけ良かったということになるのですが、ぼくの希望としては、速かった区間はどうでもよくて、遅かった区間をゼロにするのだけが目標で、それが30ヶ所以上あったので、ちょっと残念な結果でした。暑さや雨、風以外にも栄養や水分、塩分の取り方など反省すべきところがいっぱい出てきたので、次回に生かすことができればと思っています。

4 別格20ヶ所

  今回何といっても良かったのが、別格20ヶ所を巡ったことでした。巡っていなかったら、もうほとんど初めて歩く道がなくて、今回のようなワクワク感やドキドキ感はなかったかもしれません。慣れた道は迷う心配がなくていいのですが、慣れすぎてちょっとつまらないという感じがないでもない。道をはずしたのは3番慈眼寺と20番大瀧寺だけだったけれど、初めての道は正しい道を歩いていても迷っているような感じにつきまとわれるのが何とも言えない。確証のもてない緊張感がおもしろみにもなってくる。
 別格は最初で最後にするつもりだったのですが、まだ歩けていない道が残ってしまったので、何年か後にまた歩きたいという気になってきました。歩き残したのは、7番出石寺、13番仙龍寺、16番萩原寺、18番海岸寺へのもう一つの道。


2008年四国歩きの総括

2008-09-07 | 08年四国の旅

 花曼茶羅が完成しました。台紙は108ヶ所を巡っているときには買えなかった、しわになったり折れ曲がってしまうのが怖かった。帰ってからでも通信販売で買えると思っていたら、甘かった。別格の遍路用品は売っていたけど花曼茶羅だけはなかった。仕方がないので青春18切符を使って、19番香西寺までこれだけのために戻ってきた。交通費2300円、台紙1000円、額装は一番高いものを選んだので、12000円。でもその価格以上のものがこの1枚に込められている。一つ一つのシールを眺めればその札所までの険しかった山道やその途中であった人、納経所で親切にして貰ったことなどが止めどなく思い出される。

1 費用
      3食付きの宿   1軒  6500円
      2食付きの宿   4軒 22500円
      夕食付きの宿  7軒  35475円
      素泊まりの宿  20軒 69870円

      宿泊費合計      134345円
      食料飲料費       16639円
      交通費          7370円
      納経費          5700円
      お賽銭            1070円
      ドイツ館          400円
      坂の上の雲ミュージアム   400円

      合計         165924円

  昨年は13万円で収めたのですが、今回は別格も巡って4泊多くなり、食事付きで泊まった宿が8軒も多くなったので、これだけの費用になってしまいました。予定した宿に泊まれなくて少し余分にかかったこともあったのですが、食費の方で少し押さえられたので、全体としてはほぼ予定通りの値段になりました。こうして見ると、素泊まりの平均が3500円を切ったというのは、ちょっとした驚きです。最初の頃は何も知らなくて平気で5000円以上の宿に泊まっていた、かなり調べて経験も積んだ3回目でも平均は3790円だった。でも、本当なら今回も3500円を切れていなかった。5軒くらいの宿で本来の値段より安くして貰った。今回は本当にいろんなお接待を頂いた。

 2 お接待
        ぼくは普通のお遍路さんに比べて、圧倒的にお接待(宿屋以外)を頂く回数が少ない。30日で2~3回です。それはぼくが遍路装束を身につけていないから。お遍路だと気づかない人も多い、宿屋でもお遍路だと思われなかったこともあるくらいです。それに歩くのが速いので、呼び止める間も与えないという感じなのかもしれません。今回頂いたお接待も宿屋以外では6回、大山寺の納経所で頂いたお茶とどらやき、井戸寺で休んでるときに頂いたおにぎり、椿堂の納経所で頂いたおせんべい、三好市池田町の郵便局で頂いたお茶とお菓子、おへんろ交流サロンで頂いたお茶とキャンディー、大瀧寺の納経所で頂いたキャンディー。考えてみればいつも止まっているときだ、やはり歩いているときに呼び止められるようなスピードではないらしい。 反対に宿屋で頂いたお接待は普通の人より多かったかもしれない。        
 夕食   5軒=民宿徳増、山本旅館、民宿田村、敷島旅館、B旅館三鈴
 朝食   2軒=村の家、民宿田村
 昼食   5軒=柳屋旅館、コスタブランカ、B旅館高雄、みき旅館、民宿八十窪
 宿泊費  5軒=喜久屋旅館、柳屋旅館、民宿田村、旅人宿、B旅館三鈴
 洗濯   5軒=民宿あづま、山本旅館、金龍荘、敷島旅館、B旅館三鈴


33日目 (2) 別格20番大瀧寺

2008-08-31 | 08年四国の旅
 いよいよ最終日の歩きが始まる。宿から竹屋敷までの3km以外は総て初めて歩く道になる。だから最後の日ではあるけれど、予定通りのバスに乗って帰れるような感じがあまりしない。
 雨は完全にあがって空気はひんやりしている、大窪寺の門前に白い犬がいて、しばらくぼくの後をつけてくる。おとなしくてあまり気にならない、100mほど行くと立ち止まって見送ってくれる。なんだかそこにもお大師さんがいるような感じがした。
 竹屋敷まではなだらかな下りが続くので、快調にとばす、竹屋敷から国道を離れ初めての道に入る。入り口は昨日確認していたので問題はない。2kmちょっとで国道377号に合流する。国道を1kmほど行くと中山というバス停があった。どうやらここがコミュニティバスの始発駅のようだ。ならば多和小学校まで戻らなくてもいい、予定の距離より3kmくらい短くなる。13時過ぎまでにここに戻ってくればいい、ここが今回の旅のゴールになる。すぐ三木町に入る、ここがさぬき市の南端だった、始発駅があるのも納得できる。377号はすぐ国道193号に突き当たる、この三叉路が香川県と徳島県の県境だ、ここからは20番までずっと徳島県脇町を歩くことになる。しばらく行くと清水温泉センター、廃業している。夏子ダムまでの11.8kmを休みなしの108分で来ることができた。時速6.56km、快調な出足だ。休憩所でおにぎりを頂く。
 13分の休憩、7時丁度に出発、いよいよ標高差690mの山登りに入る。地図に載っている220mからの短絡路の入り口は見当たらない、初めから期待していなかった。次の270mから450mの短絡路は、昨日交流サロンで頂いた大瀧寺へのガイドプリントに行くのはほとんど不可能、と書いてあったのでこちらも無視してものすごい大回りの自動車道を行くことにする。入り口の印もペンキで塗りつぶしてあった。ここに入ると誰もが大変な目に遭うようだ。450mからの山道まで5.7kmを58分で来た、ちょっと不本意だった。というのも、そのプリントの著者も1時間で来たと書いてあったから、ぼくは普通の人よりだいぶ早いから45分で来られると踏んでいた、でもあとで距離を測ると、かなりいいペースだったことが判る。 山道の入り口にはちゃんと印があった、問題はなかったけれど、それは最初だけだった。ここから先は遍路標識は最低限以下だった。しばらく登って、道をはずしてしまった。曲がるべきところを曲がらず、まっすぐ行ったら自動車道に下りてしまう、引き返してまた登り口のところに戻ってくる、丁度30分無駄にしてしまう、このときにはもう半分パニック。行くのをやめようか、そうすれば花曼陀羅も、納経帳も御影帳も完成しないまま終わってしまう。そんなことができるわけがないと思い直し、また同じ道を登り始める。今度は慎重に本来の道を探しながら歩く。10分くらいのところに右後ろに折れる道があった。遍路札も掛かっている、でもこれは駄目だ、絶対気が付かない、10人の内気が付くのは2人か3人だろう、振り返らないと見えないところに掛かっている、正面の分かりやすいところに看板があれば誰も迷わない。あそこに掛けるのであれば、という思いが強い。悔しい思いを胸に時間を取り戻すべくひたすらつづら折りの山道を登っていく、また分かり難い分岐点に当たる、今度は慎重に遍路札を探すがどちらにもない、まっすぐ行くと行き止まり、また間違えてしまった。10分ほどのロス。もちろん今度は諦める気など起こりはしない。半分怒りながら分岐点に引き返す、よく見たら遍路札があった。葉っぱが生い茂って隠れていた、ここにも看板を立てておいてくれえ、と言いたかった。この2ヶ所に大きめの遍路標識さえあれば誰もが迷わず最後まで行けるはずだ。88ヶ所の遍路道には無駄なくらい遍路札が掛かっている山道がある。そのいくつかをこちらに分けてくれい、と言いたくなる。役に立たない札が本当に役立つ札になるように。 そのあとはもう、迷わなかった。怒りをエネルギーに買えて、バスの時間に間に合うようにとにかく登り切る。9時48分、2回目登り始めてから1時間20分だった。今度は思ったよりずいぶん早かった、何とかバスの時間には間に合いそうだ。でも30分以上無駄にしたので、ゆっくりする余裕まではない。
 今回の結願の寺、大瀧寺には誰もいなかった。静かだ、お参りを終えて、納経所のブザーを押す、すぐに住職が出てきてくれる、記帳のあとキャンディの缶を取り出して3,4個渡してくれた。思わず笑みがこぼれる、ようやく総てが終わった。あとは今来た道を戻るだけ、もう迷う心配もない。15kmだから3時間はかからないだろう。

 33日目の歩行距離 37.1km
        歩行時間 6時間36分
        平均時速 5.62km

33日目 (1) 民宿八十窪

2008-08-30 | 08年四国の旅
 八十窪の同宿は男性3人、女性1人。ぼくの隣に男性が一人、向かい側に男性二人と女性、一つの食卓を囲む。メニューはいつものお赤飯、白御飯もある、そしておそば、天ぷらと刺身、煮物。食事が始まってしばらくして前に座った男の人がぼくの背後の壁に掛けられた写真に気づく。小泉首相とちょっと大柄な女の子が恐縮しながら一緒に写っている。女将さんに説明を求めると、彼女は女将さんのお孫さんで、ソフトボール全日本代表でアテネ五輪に行ったということです。そのメダル報告会の時の写真だったのです。北京にも代表に選ばれたそうです。ここでは、それ以上聞けなかったのですが、帰ってから調べてみると、彼女は乾絵美さん、アテネの時は控えの捕手で試合の出場はなかったのですが、今回は正捕手、上野投手と同じ高崎の正捕手でもありました。金メダルが決まったとき上野投手を肩車していたのが彼女、来年はそのときの写真が食堂に飾られていることでしょう。
 食事の途中から前に座っている女性がいろいろと話しかけてくれた。彼女は今回は逆打ちで今日が初日だったのですが、今まで2回順打ちで巡ったという。いろんな話をしてくれたのですが、一番印象深かったのが宿の話、ベテランのお遍路なら誰もが知っている評判の良い宿、彼女はその宿が最低だったという。トイレの臭いが部屋の中までして気分が悪かった、二度と行きたくないとまで言う。同じような経験をぼくは自分の住まいでしたことがある。トイレの排気管のモーターが壊れたときのことだった。その宿もたまたま彼女が泊まった頃に故障したのだろう、その期間は確かに最低の宿になったかもしれない。でもその期間以外に泊まったほとんどの人は最高の遍路宿だと思ったろう。ちょっとしたことで評価が正反対になってしまう。別の宿、その宿はぼくが泊まったことがある宿で、かなりいいと思っている宿なのですが、その宿でも彼女には特別なことがあった。夜中に非常ベルが鳴って大変な目にあったという、幸い火事が起こったわけでもなく、何があったというわけでもなかったのですが、眠れなかっただけでなく、風邪までひいて大変な思いをした。彼女にとっては最低の宿になってしまった。そういう特別なことがなかったとしても、宿の善し悪しは本当に人によって違うものです。いろんな要素があって、人によって求めているものも違うということなのでしょう。その点ぼくはほとんど素泊まりで、料理の評価ができないので、人にこの宿はいいとおいそれと勧められない状況にあります。ウェブサイトで見た情報や実際に出会ったお遍路から直接聞いた情報を教えてあげることが多くなってしまう。 ちなみに彼女のお薦めの宿は土佐清水の民宿いさりび、西条の宿で一緒になった男の人に続いて2回目だ。窪川の伊予屋旅館もいいと言ったけど、ここは値段が高い、素泊まり5000円でテレビも有料というのはちょっと無理と言うしかない。彼女はぼくのように値段に関してはあまり執着がないようだ。宿毛市のホテルもいいと言ったけど、名前は思い出せなかった、上村か秋沢かアーバン宿毛かと思われる。でもぼくはホテルはできるだけ避けたい、値段も高いことが多いし、畳の方がゆっくりできるからだ。
 自作の遍路宿情報を持ってきて、ぼくのお薦めの宿を教えてあげる。先ずは須崎の柳屋旅館、最初の出会いから、「ウォーカーズ」のロケに使われて絵はがきを送ってもらったこと、江口洋介さんが泊まった離れに泊めて貰ったこと、お風呂が最高ということ、お接待にお茶とバナナを頂いたことまでお話しする。あとは民宿叶崎で出たお魚が最高だったということ、牟岐町の民宿あづまの女将さんがとてもいい感じだったことなどを話した。宇和島の遍路宿もやいはとても素晴らしいけど、2部屋しかなくて鍵がかからないので女性は厳しいかもしれないと助言する。そして、これは又聞きなのだけれど、宇和島市津島町の三好旅館には観音様がおられると言っておいた。いろんな情報を交換し合って、食事が終わっても1時間以上話し込んでしまった。

 一夜明けて、昨日宿に着いた頃から降り始めた雨も、夜が明ける頃ほぼ止んでしまった。結局最後の雨には遭わなかったことになる。讃岐の国では一度も雨に遭わなかった。5時に階下に下りていくと玄関の前で女将さんが待ちかまえていて、おにぎりを渡してくれた、最後までお接待だ、丁寧にお礼を言う、今回一周分のお礼を言う。

32日目 (3) 88番大窪寺山門

2008-08-29 | 08年四国の旅
 おへんろ交流サロンではお茶を2杯お代わりした上、飴湯まで頂いた。キャンディも次から次へと口に放り込む、やはり水分と栄養が切れていたのかもしれない。キャンディを5つ6つポケットに入れてサロンをあとにする。ぽつぽつ降りかけていた雨も止んでしまった。宿に着くまで傘を使わずに済むかもしれない。
 交流サロンから大窪寺へは3通りの道がある。一番人気があるのは女体山越えの道、これは昨年5回目にしてやっと行くことができた。山頂からの眺めは素晴らしいけど、ちょっと危ないところもあるのであまりおすすめはできない道です。県道は2回目の時雨が降ったので仕方なく歩いた、標高は一番低いけれど、車が多い割に歩道もないので歩きにくい道だ。故に今年も本来の遍路道、花折峠を行くことにする。人気はないのだけれど一番歩きやすい。お茶も甘いものもたっぷり頂いたので、元気が漲ってくる。最後の最後になってようやく本来の歩きが戻ってきたようだ。ここから花折峠までの標高差は270m、2.5kmかけて登るので息が上がるような急な坂道は一部分しかない。自動車道だけれど車も人も誰一人通らない寂しい道、お遍路にとってはありがたい道です。峠から下りになって1kmも行かないところで県道に合流する。県道も多和小学校まで1.5kmほど下りが続くので歩きはますます快調になっていく。明日ここからコミュニティバスに乗るつもりだけれど、バス停がない、乗れるかどうかちょっと心配になる。ここまで来ると大窪寺まであと5km、標高差120m、緩やかな登りが続く。登りになっても調子は落ちなかった。やっぱりキャンディは即効性がある、甘いものを口にしながら歩くと本当に元気になる。県道を離れて最後の脇道2.4kmに入っても疲れはなかった、むしろ例年より短く感じたくらいだった。そうして、ようやく88番札所大窪寺に到着、驚いたことに一番早かった3年前より4分も早かった。あれだけの峠越えがあったのにこの間の平均時速は6km丁度だった。これも交流サロン、木村さんのおかげ、「ありがとうございました」。
 新しい立派な山門ではなく、本来の古い山門(写真)から入る。こちらの方が雰囲気があっていい。本堂でお参りをする、牟岐町の民宿あづまのおばあちゃんから頂いたお賽銭を取り出す、27日間別の袋に入れて大事にとっておいた。あづまのみなさんがずっと元気で健やかにすごせますように、来年もみなさんに会えますように、真剣にお願いする。大師堂でもお参りを済ませ、ほっと一息つく。まだ明日の別格20番は残ってはいるけれど、何事もなくよくここまで歩けたものだと、感慨を新たにする。門前の民宿八十窪に着いたのは3時8分、途中の不調を最後にカバーしてほぼ予定通りに着くことができた。
 民宿八十窪は4回目の投宿、2食付き6500円、夕食付き6000円。 明日は5時に出たいので夕食だけでお願いしてある。洗濯は無料。乾燥機は確認できなかった。

 32日目の歩行距離 40.8km
        歩行時間 6時間50分
        平均時速 5.97km

32日目 (2) 前山ダム

2008-08-25 | 08年四国の旅
 八栗寺ではお参りを含めて25分の休憩をとる、まだ3分の1も来ていないけれど山登りは終了したのでちょっと一息つく。でもここでほっとしている場合ではなかった。八栗からの下りは自動車道だけれど、部分的にかなり負担のきつい急な坂もある。調子としてはそんなに悪くもなかった、疲れもなくいつもと同じ感じで下りることができた。しかしながら、志度寺に着いたのは2分遅れ、曇っているし気温も高くないので、何が原因かよく分からない。お参りを含め30分の休憩をとる。10時半に出発、88番大窪寺まであと22km、ゴールが近づいている、今年は88番がゴールではないけれど。
 志度寺を出ると、今度ははっきり体の重さを自覚する。休みが全然効いていない感じがする。水も食料もそれなりに摂ったけれど、まだ不十分なのか。志度の町を出てすぐの所にあるコンビニで明日の朝食を調達、コンビニに入るのもこれが最後になる。高松自動車道の下をくぐる、ここを右に折れて300mほどの所に高速バスの停留所がある、明日14時46分のバスに乗って神戸に向かう予定ではあるけれど、乗れるかどうかまだ自信はない状態だ。明日のことはさておき、目の前の長尾寺に先ず辿り着かねばならない、明らかにスピードが落ちている。ほとんど平地なのに3分も遅れてしまった。昨日、そして3日前のあの感じだ、最終盤になって1ヶ月分の疲労が蓄積しているのだろうか。
 25分の休憩、12時ジャストに出発。大窪寺までは2時間半ほどだから休憩を入れても3時頃には着ける計算だ。相変わらず足取りは重い、前山ダムまで4.9km、やはり3分の遅れだった。最後に来てこれだけはっきりスピードが落ちてしまうのはちょっと不本意で残念なことです。いつもならダムのそばの休憩所で休むところ、今回は素通りして700mくらい先のおへんろ交流サロンで休む。今まで5回も来ておきながら一度も入ったことはなかった。お遍路という自覚があまりなかったので気が引ける思いがしていた。今回は初めから行くつもりにしていた、というのも、歩き遍路には遍路大使の任命書とバッジが貰えると聞いたから、任命書はどちらでもよいという感じではあったけど、バッジだけは絶対欲しかった。
 サロンに入っていくと60代と思われる男性が迎えてくれた、たぶん交流サロン代表の木村照一さんと思われる。名簿に住所氏名を記入するよう促される。名簿を見ると今日だけで20名くらいの人がここに来ている、前のページは見なかったからそれ以上かもしれない。帰ってからあるブログを見ていたら、ぼくの2日前にここに来たという人がいた、その人の任命書の通し番号を見たら、ぼくより60番若かった。つまり、2日間で60名の人がここに来て任命書を貰ったことになる。すごく意外だった。お遍路シーズンは春秋で200日、歩き遍路は1年に2000人くらいだと言われる。つまり、1日に平均10人くらいの人が歩く。しかも区切り打ちの人も多いし、通しでもリタイアしてしまう人もいる。30人も歩いているとはとても思えなかった。今日は5月19日だから、4月の初旬に出発した人がほとんど、最高のピークに当たる。そういえば、平等寺の接待所で、50人くらい来る日もあるといっていた。その割に、ここ数日歩きの人にはあまり会わなかった。ぼくは普通の人よりたくさん歩くし、別格にも行っていたので会わないような時間帯ばかり歩いていたのかもしれない。

32日目 (1) 八栗寺

2008-08-24 | 08年四国の旅
 今日は別格がないので初めての道はない。何の心配もなくいつもの道を歩くだけ、とはいえ結構な山がふたつ、大きな峠もあり40km以上を歩くので楽な行程ではない。朝6時に出発、過去2回はおにぎりを頂いたけど、昨日夕食を頂いたので今回はもちろんなし、キャンデーを3つ頂く。天気は曇り、午後から雨の予報が出ている。これだけの距離なのでどんなに頑張っても3時より早く88番に着くことはできない、それまで降らなければいいのだけれど。
 屋島へ向かう国道11号は、この時間だと車も少なく歩きやすい。橋を4つ渡って左へ曲がれば屋島の登り口、屋島寺の標高は280m、山道は舗装されていてまあ普通なのだけれど、山道に入るまでの坂がひどい。いつもここでへばる、山道に入る前に充分疲れてしまう。この山は地元の人のウォーキングコースになっているようで、7時前なのに何人もの人が登っていくし下りてくる。宿から7kmの道のりを70分で到着、昨年と同タイム。たっぷり一汗かいたけれど、ゆっくりしていられない。雨が近づいている。
 次の八栗寺へは東側の旧遍路道を下りる、8分ぐらいの近道になる。雨が降っていたら本当の遍路転がしになる急な坂を落ちていく。屋島小学校の横を通る、丁度登校時間、子供たちは挨拶しないけれど先生方は挨拶してくれる。川を渡る、埋め立てが進んで川のようになっているけれど、往時はここは海、檀の浦の南の端の部分に当たる。那須与一が扇の的を射たのはこの近くだと言われている。橋を渡れば牟礼町(現在は高松市に合併)、最初の交差点を横切って、次の四つ辻に遍路標識がある、こいつが曲者、前を行くお遍路がそれに従って右に折れた。右に折れると遠回りになる、しかもその先には遍路標識がなくて迷ってしまう、ぼくも最初の時迷った。本当の遍路道を行くならその標識は無視して直進しなければいけない。もう、あの標識だけははずしてほしい。嘘の標識なのだから。直進して牟礼小学校の角を右へ折れる、ここら辺にはきっちり遍路標識が貼られている。八栗ケーブルの前へ出てくる、ここからまた本格的な登りにはいる。八栗の坂は険しいのかそうでもないのかよく分からない、ケーブル駅から160mの登り、何とか昨年と同タイム61分で到着した。調子がよいのはここまでだった。 

31日目 (2) 別格19番香西寺

2008-08-23 | 08年四国の旅
 そして今日の一番のハイライト白峯寺への登りに向かう。300m以上を一気に登らねばならない。2年前体調が悪くてこの登りでひどいダメージを受けたので慎重にならざるをえない。その年まではさほどきつい登りだという感じはなかった、むしろ屋島の登りの方が余程きついという感じだった。そして、この登りは今回が最後になるので、絶対きちんと登っておきたい。7時50分に出発する、この近くに泊まった人は1時間くらい早く出ているから白峯寺までに追いつくことはないだろう、と思いながら山道にさしかかる、登り始めて30分もしない内に女性3人の遍路に追いつく、旅館を出るのがかなり遅い。女性は概して遅く発つことが多い、この時間でこのあたりだと今日は高松まで行けない、たぶん鬼無駅の近くの宿に泊まるはずだ。山道が続くとはいえ20km足らずの道のりだ。多くの人は高松市内までの30kmを歩く。3人に追いついてからは、さらに気合いが入る。着実に急坂を登っていく、2年前のような疲れは全く感じさせない。立ち止まる必要も背中の絶景に気を止める必要もない。3年前のような普通の山道を登っている感じだ、思ったより早く自動車道に上がってくる。自動車道から山道に入ると白峯寺から根香寺へ向かう人とすれ違う、この打ち戻りですれ違うのが普通かもしれない。
 白峯寺に着いたのは9時3分、2年前より1分早い、何とかリベンジを果たすことができた。でもそのあとが良くなかった。安心しすぎたのか、油断したのか。2日前の弥谷寺から出釈迦寺までの道のりと全く同じ感じになってしまった。根香寺までの山道はフラットなところも多くてスピードの乗りやすい好きな道なのに、全然気が乗らない。前へ前へと足が動いてくれない。休みは5分ほどしかとらなかったけれど、それより水分と塩分の摂り方がまずかったことに原因があるのかもしれない。3分遅れでやっと根香寺に到着する。10時20分、本日の半分の行程をこなしたことになる。
 根香寺には6人ぐらいの歩きの人がいた、納経所の前のベンチで休んでいる。同じ宿から出た人が多いらしく、なにやら談笑中だ。ぼくはここから別格の方に下りてしまうので、また追いつくことはないかもしれない。お参りを含め30分の休憩をとる。香西寺への下り道は初めて、下り口はすぐ判った。山道は一本道で迷うことはないけれど、里まで下りてきてからが大変だった。遍路標識がないので、何度も地図を確かめながら行く、所々に黒くて四角い矢印のシールが貼ってあるけれど、それが遍路シールかどうかの確証もなく、信用していいのかも判らない。でも結果的に、それは正しい遍路シールでした。どうせ貼るなら同じデザインにしてほしかった。安心感が全然違ってくる。何度か立ち止まったものの一度も迷うことなく1時間弱で香西寺に無事到着した。時速は6kmにちょっと足りないくらい、歩く調子はだいぶ戻ってきている感じだった。
 納経所の住職は気のいい人だった。こんにちは、と明るく挨拶してくれた。記帳が終わってお礼を言うと、気をつけてね、と送り出してくれた。残るは明後日の大瀧寺のみになった、でもこの最後の札所が最難関で、とてもこんな所でほっとしている場合ではない。県道に出てしばらく行くとローソンがあったので、飛び込んで野菜ジュースを買う、店の脇で一息入れる、香西寺では休まなかった。15分ほど休んで一宮寺へ向かう、1km半ほどで鬼無駅が見える、ようやく遍路道に合流だ。ここからはもう何の心配もない。香東川の手前で前を歩く人が見える。追いつくと、根香寺にいた人だった。一宮寺へは1時40分に着く、平均時速は6.48km、ようやく普通のペースに戻ってきたようだ。
 ここから宿までは1時間だからそうゆっくりもしていられない。10分ほどの休憩で出発、とはいってもお寺のすぐ近くのローソンで食料を仕入れねばならない。いつもここで買うけれど、今回は適当なパンがなかったので、買わずに出てくる。もう少し先にもローソンがある。高松の中心部、瓦町駅の近くにある宿に着いたのは3時12分、昨年より1分遅れ、時速6.6kmだから十分な速さではある。
 ビジネス旅館三鈴は3年連続の投宿、1回目の時は4畳半の部屋で3500円(素泊まり)、2回目の時は6畳の部屋で4000円、今回も昨年同様ぼく一人だったので6畳の部屋に通される、当然4000円だと思ったら、3500円だという。ありがたいけどちょっと首をひねってしまった、そしてこれもいつも通り洗濯物は出すだけで全部してくれる、そして今回は「おかずはないけれど、豆御飯を炊いたので食べますか」と言われる、またもお接待だ、断る理由はないのでありがたく頂くことにする。用意ができて階下の食堂に行くと、おかずはないというのは本当ではなかった。カレイの煮付け、蕗と茄子とちくわの煮物、空豆の煮物、沢庵、味噌汁、デザートのバナナまであった。完璧な夕食だった。女将さんは区切り打ちで何年もかかって88ヶ所を巡ったそうです、ぼくが6回目だというと目を丸くしていました。

 31日目の歩行距離 42.0km
        歩行時間 6時間58分
        平均時速 6.03km

31日目 (1) 国分寺山門

2008-08-22 | 08年四国の旅
 今日は昨日より2km長く、札所は6つもあり、高い山にも登るので、6時15分前に宿を出る。これでも宿に3時に入れるかどうかという感じだ。今日も天気は晴れ、伊予の国を出てからまだ一度も雨に降られていない、今回は本当に天気に恵まれた、31日で6日だけ、明日の午後から降る予報だから、トータルで7日。昨年は29日で11日だったから3分の2くらいで済んだことになる。
 天皇寺まで3.3kmを29分、昨年と同タイム。納経時間の45分も前だからもちろん誰もいない、奥さんが本堂の掃除をしている。お参りを済ませ休憩なしで次の国分寺へ向かう。昨年は先に白峯寺に行ったけど、別格19番があるので今年はまた順番通りの歩きになる。国分寺までの6.5kmも快調で昨年と同タイムで到着、ちょっとした丘を超えるので時速は6.39km。お参りを終えて大師堂の前のベンチで休憩する。

30日目 (2) 別格18番海岸寺山門

2008-08-21 | 08年四国の旅
 琴平へ引き返す道は同じ道なので、もう何の心配もなく歩くことができる。町に入る手前で別の道に入るけれど、目印ははっきりしているし来るときに確認済み、そして後はずっと国道だから迷いようがない。国道に入って1km弱で町の中心、大きな交差点にローソンがあったので思わず入ってしまう、朝食と昼食を買う、野菜ジュースは張り込んで500cc、向かいのスーパーの前で頂くことにする。15分の休憩、まだ序盤なのでゆっくりしていられない。すぐ陸橋で琴電を越える、今日の坂道はこの陸橋で最後だ、まもなく斜め左へカーブ、JRに寄り添っていく、国道は善通寺まで3km以上まっすぐだ、初めての道でもあり歩いても歩いても近づいている感じがしない。自転車が3台追い抜いていった、女性のお遍路だ、今治の泰山寺で会った彼女たちではないか。あれから6日、自転車にしては遅すぎるのではないか。横峰寺と雲辺寺の登りはほとんど歩きと一緒になるし、自動車道は歩き道より長くはなるけれど、それにしてもゆっくりだ、それだけ時間をかけられるのなら歩けばいいのに、などと余計なことを考えたりする。善通寺の中心部に入っていく所で前を行く歩きの人が見える。途中でスーパーの前の自動販売機の方へ入っていったので挨拶はできなかった。今日会った歩き遍路はこの人が最初で最後だった。いっても今日は半分以上普通の遍路道以外の所を歩いている。 ようやく遍路道に合流、金倉寺に着いたのは9時22分、13.6kmを125分で来た。時速は6.53km、まずまずのぺーすだ。金倉寺はとても静か、善通寺周辺に泊まった人はとっくに次の札所に進んでいる。金倉寺の休憩所には流し台があって水を補給できる。20分の休憩で別格18番へ向かう。また、すぐ遍路道をはずれることになる。海岸寺は遍路道から3km以上東にある、6kmは余分に歩くことになるから、昨日会った人たちには絶対追いつけないのだ。県道から東へ入る道を間違えてしまう、ぼくの地図には信号がないけれど、新しい信号ができていたのだ。信号を目標にするのは間違った方法だった。とはいえ、次の角を曲がればいいだけのことだから、大した遠回りにはならない。せいぜい100mくらいのもの。次の県道を右に曲がれば予定の道になんなく合流、ここからの西へ進む直線が長かった。距離にすれば1.5kmほどなのに、初めて行く道でもあり、遍路道からどんどん遠ざかっていくこともあり、行けば行くほど心細くなっていくような感じがする。川を渡ってその突き当たりを右へ、のはずが、その突き当たりがなかった。新しい広い道ができていた、思わず立ち止まって地図を確認する。確信のないまま右に折れる、地元のおじさんが来たので、海岸寺はこちらですか、と尋ねる、笑顔でうなずいてくれたのでようやく安心して歩ける。予讃線の踏切を渡ると10分もかからず海岸寺に到着した。10時50分、時速は6.59km、道ははずしたけどスピードは全く落ちていない。海岸寺の山門には金剛力士像がなく、代わりに郷土出身の力士の像が待ちかまえていた。大関琴ヶ浜は観音寺市の出身(生まれは宮崎)昭和20~37年まで現役。関脇大豪は丸亀市の出身、昭和30~42年まで現役、この人は初代若乃花の妹と結婚したので、貴乃花親方、花田勝氏の義理の伯父さんにあたる。
 本堂でお参りしようとしたら、住職が現れて、中に入ってもっと近い所でお参りするよう薦められる。せっかくのことなので靴を脱いで観音様の目の前で正座してお経をあげる、ちょっと得難い経験ではありました。お参りが終わると、今度は廊下でつながったお堂に行ってでお不動さんを拝んできなさいという。逆らうのも何なので一応お不動さんを拝みに行く。それが終わると大師堂に行く、大師堂は奥の院にある。お寺を出て300m、踏切を渡った所にある。お参りを済ませ、また元の所に戻ってようやく納経。全部で30分近くかかったかもしれない。少し休んで11時半に出発、あと15kmほどだから残る2つの札所で30分ずつ休むことができる。ここから道隆寺への道も初めて、一番の近道はちょっとややこしい行程なので、地図を手放せない。順調に進んでいると思ったら、決めた道と違う道を行ってしまった、50mほどの遠回りになるだけで同じ所に出てくるので大きな傷にはならなかった。後は全く問題なく、迷わず決めた通りの道を行くことができた。でも思わぬ坂道もあり、スピードは出なかった。時速は6.13km。気温も相当上がってきた。
 道隆寺も車遍路の人は何組か見えたけれど、歩きの人はいなかった。12時20分、丸亀に泊まる人はもっと遅く来ることになる。お参りを含めて30分の休憩で本日最後の札所郷照寺に向かう、大都市丸亀の市街にさしかかる。丸亀といえば中野美奈子アナウンサー、彼女の言葉で忘れられない一言がある。同じ香川県出身の俳優、要潤さんに対して言った一言「三野(現三豊市、少し前まで三野町だった)ですよね、田舎ですよね」言われた要さんは絶句していた。さほどに丸亀は大都会、確かに三野には田んぼと山と弥谷寺しかないという感じだ。大きな川を渡る、この橋の上から眺める讃岐富士が最も美しいのではないかとぼくは思っている。讃岐の山の柔らかな曲線にはえもいえぬ魅力がある。橋を渡った所のコンビニで明日の朝食を仕入れる、例によって朝が早いので夕食のみでお願いしてある。宇多津の町を抜け郷照寺に着いたのは2時2分、時速6.45km昨年とほぼ同じ、昨年より少し遠回りの道を歩いたので、ほぼということになる。20分の休憩で宿に向けて出発、坂出のみき旅館まであと3km。かなり疲れて思うようなスピードは出ていないという感じだったけれど、どういうことか昨年より1分早かった。
 みき旅館は2年ぶり3回目の投宿、昨年も予約はしたけれど泊まれなかった。3時10分前に着いたのにすぐ風呂の用意をしてくれた、すぐ風呂というのが良い宿の条件の一つだ。夕食は酢豚、茄子の揚げ浸し、鯖の塩焼き、イカ明太、サラダ、味噌汁。酢豚を食べるのは本当に久しぶりで、実に美味かった。あと茄子が大根おろしがたっぷり乗って本当に美味かった。そして朝早くて見送りに出られないということで昼食のパンとお茶も持ってきてくれた、そして今日着いたときに出すはずだったお茶(ペットボトル、冷やすのを忘れていて出せなかった)も一緒に頂く。500ccのお茶2本にあんパン1個。それだけで400円、夕食付き4500円だけど実質4100円になってしまう。最初泊まったときは素泊まり3000円でお茶とパンを頂いたものだから本当にびっくりした。現在は素泊まり3500円。善通寺の周りで泊まった人はどうしても国分寺まで行ってしまうけれど、金比羅さんに寄るなどして坂出のこの旅館にぜひ泊まってほしい。国分寺の宿は素泊まりなしで6800円もするのです。

 30日目の歩行距離 40.6km
        歩行時間 6時間20分
        平均時速 6.41km 

30日目 (1) 満濃池のお大師さん

2008-08-20 | 08年四国の旅
 いよいよ満濃池に向かう。別格の中でここだけは絶対行きたいと思っていた。ぼくの中では、高野山に次ぐ霊場だという意識がある。何しろ、確かにここにお大師さんはおられたし、すごい奇跡を生み出したことは否定のしようがない。当時の土木技術がいかほどのものであったかは全く判らない、古墳時代の大規模な陵のことを考えればさほど特別なことではなかったかもしれない、でも地形が全く変わってしまう工事というのは容易ではなかったはずだ。海を作る工事、そうまさにこの池は当時の人からすれば海に違いなかったろう。
 納経の始まる時間に合わせて6時10分前に宿を出る、別格17番神野寺まで5.9km、迷わなければ1時間弱で着けるはずだ。当然のことなから琴平から神野寺まで遍路標識は一つもなかった、地図はあるし、別にパソコンで作った地図も持って何度も頭に入れていたけれど、初めての道は何があるか判らないので、慎重にならざるを得ない。目標物となる学校や消防署、郵便局、ガソリンスタンドなどを指さし確認しながら進んでいく、お遍路はおろか地元の人も車もほとんど通らない静かな道が続く、まだ7時前だし土曜日でもある。何とか一度も迷うことなく満濃池の大堤防にさしかかる、手前の県道から堤防の上まで100mの標高差がある、この標高差をお大師さんが造られたのだ。堤防の上には駐車場があって、すでに大型バスが2台停まっている、海が見える、とてつもない海、しかも見えているのはたぶん一部分だろう。すぐに神野寺の入り口があってバスツアーの人たちでごった返している。別格巡りのツアーか、琴平讃岐観光の一環で来ているのか、どちらか判らない。山門はなく、こぢんまりした本堂がある。手前に左の方へ上る坂道があるので先にそちらに行くと、満濃池を見つめるお大師さんがおられた。
 本堂に戻るとまだ7時前なのに納経所は準備万端、すでにツアーの人の納経は終わっているようだった。時間前にしてくれる、それだけで良い納経所だということが判る。実際比較的若い坊さんで感じの良い人だった。ツアーの代表の人が大師堂の場所をその坊さんに尋ねている「お大師さんはここでお祀りしていますので大師堂はありません、そちらの坂を登られるとお大師さんの像がありますのでそちらでお賽銭を入れて下さい、納め札はこちらに2枚入れて下さい」と丁寧に説明していた。
 また、しばし池の風景を眺め感慨にふける。できれば空中からこの異様全景を眺めたいと思う。納経所が早く始まったおかげで、7時丁度に霊場を後にする。次は金倉寺までの14km、初めての道なので休憩場所は決めていない。

29日目 (2) 善通寺

2008-08-19 | 08年四国の旅
 休憩なしで71番弥谷寺へ向かう。次は11kmの長丁場、休みはとらない、今日は札所が多いのでそれ以外のところで休む余裕はない。9時7分に出発、そろそろ同宿の女の人に追いつくかもしれない。昨年は地図の赤線の通り歩いたけれど、今年は旧高瀬町と豊中町の境あたりから遍路道にはいる。ちょっと遠回りになるけど、国道を行くよりずいぶん気持ちよく歩ける。国道を行く距離が4kmほど少なくなる。国道でも遍路道でも歩きの人に会うことはなかった。今日は観音寺に泊まった人はいないのだろうか。ふれあいパークみのの駐車場の手洗いで水を補給、弥谷寺はもう目の前。山門の手前の俳句茶屋で3人の人が休んでいる、内一人はあの白人女性だった。ぼくの姿を見るや歓声を上げる「サプライズ!!」、彼女は2日半で57kmを歩いたのに対し、ぼくは106kmを歩いている。何となくそのことが判っているようだった、片言でも説明しておいて良かった。挨拶を交わして山門に着いたのは、11時丁度。昨年より1分遅いだけだった、100m以上は遠回りしているから今年の方が速いということになる。
 弥谷寺も箸蔵寺ほどではないけれど、山門から本堂まで相当な標高差がある。時間は計ったことはないけれど10分近くかかるような気がする。お参りするだけで30分を要する、大師堂の入り口の横にあるベンチで休憩していたら、同宿の女性が登ってきた。やはりぼくが遍路道に入ったときに追い抜いていたのだろう。今11時半で残り8kmくらいだから堅実な歩きだ。ぼくもここまでは快調だったけど、11時50分に弥谷寺を出ると普通に歩けなくなっている、体が重い、足の運びが思ったようにいかない。休みは充分とったし、食事もした。後から思えば、塩分が切れていたのかもしれない。今回の旅では、塩分を忘れることが時々ある。出釈迦寺まではわずか3.7kmなのに4分も遅れてしまった。今回最も遅れた異常な記録だ。出釈迦寺には先に出た白人女性ともう一人の白人女性もいた。もしかしたら彼女がフランスの人かもしれない。塩分をたっぷり摂って体調を整える、次の曼茶羅寺までは500mだから当然同タイム、同宿の女性が来ていた、彼女は順番通り出釈迦寺より曼茶羅寺に先に来たのだ。笑顔で挨拶を交わす。そして、曼茶羅寺の山門を出ると、なんと、三角寺と仙龍寺で会ったカート遍路さんがやってきた。今治からぼくと同じペースで歩いている、あれだけの荷物を引っ張っているのに。でも。別格に全部行っているかどうかは判らない。行っていたらものすごいけれど、行っていなくてもかなりのものだ。
 次の甲山寺までは2.1km、体調はほとんど回復していた、いつもの歩きで、タイムもいつもと同じだった。弥谷寺までは一人もお遍路さんに会わなかったけれど、弥谷寺から甲山寺の間に15人くらいの歩きの人に会った、彼らの多くは善通寺かその周辺の宿に泊まるはずだけれど、ぼくは善通寺から全く逆方向に行くので明日再会することはないだろう。なにしろ、善通寺から満濃池まで13km、25km以上普通のお遍路さんより余計に歩かねばならないし、その後にも海岸寺に行かねばならない。明日は今日のようなにぎやかな旅にはならない。
 甲山寺でも休みはとらず本日最後の札所善通寺へ向かう。1.5km、同タイム1時40分に到着、宿まで7kmくらいあるので10分くらいしか休めない。広々とした境内、五重塔の前で最後の休みを楽しむ。遍路道は赤門、琴平方面は南門を出る、自衛隊の間の広い道を南へ進む、琴平へは初めてだから時間を気にする必要はない。JR沿いの静かな道をひたすら南へ南へ、車は東側の国道を通るのでこちらの道は本当に田舎の道だ。気温が上がっているので歩きのペースはかなり落ちている。ここまで来ると疲労が目立つ。琴平の町へ入っていく。想像以上の大観光地だ。めちゃくちゃ大きな旅館が何軒もそびえている。地図に載っているローソンが消えていた、こんなにぎやかな町でもコンビニは消える、むしろ観光地だからこそコンビニは不要ということなのか。土産物屋さんは腐るほどあるというのに。金刀比羅宮へ向かう交差点を反対側へ折れてJRの踏切の手前に今日の宿サンウェルコトヒラがある。その少し手前でスーパーの場所を訊くと50mも行かない所にあった、買い物の時間だけ予定時間をオーバー、3時17分に宿に到着する。
 素泊まり3500円、ワンルームマンションを転用したホテル、一部の部屋はマンションとして使用されている。洗濯、乾燥機はあるけど値段は確認できなかった。

 29日目の歩行距離 39.0km
        歩行時間 6時間14分
        平均時速 6.26km

29日目 (1) 本山寺

2008-08-18 | 08年四国の旅
 5時に女のお遍路さんが出ていく。遍路の早立ち早じまい、とよく言われるけれど、女の人はその逆のことが多いから、ちょっと意外だった。彼女は昨日は3時頃には着いているから、理想的な計画で歩いている。今日は善通寺までの32kmだろう。この時間に出れば確実に3時までには着ける。ぼくは6時に出るから観音寺までには追いつけそうにない。ぼくは今日はその先、琴平までの39km、ほとんど平地なので昨日に比べて相当楽な行程になる。歩く時間は1時間半くらい短くなるけれど札所の数が9ヶ所にもなるので宿に入る時間はそう早くなるわけではない。2階の食堂へ宿代を払いに行ったら、お味噌汁でもいかがですかと言われたけれど、時間がないので断った。前に泊まったときはおにぎりのお接待があった。
 6時に出発、2分で大興寺に到着、境内には誰もいない。6時17分観音寺に向かう、1時間半はかかるから、同宿の人には追いつかない。今日も快晴、3日連続、暑くなっても昨日のように水が切れる心配はない、今日はほとんど町の中を歩くし、補給場所も決めてある。国道を横切りJRの手前の県道の交差点にコンビニがある。ここで昼食を買う、野菜ジュースで一息入れて観音寺へ向かう、78分、時速6.53kmで到着。今まで一番早い、それもそのはずで、昨年までは1日の最後の行程、しかも雲辺寺を超えた後になるからスピードが出ないのは当然。7時45分、納経が始まっている時間だけれど、境内は静まりかえっている。市内に泊まった人はすでに本山寺に向かっているのだ。観音寺、神恵院のお参りを済ませ、山門の横にあるボックスで2日後の高松の宿に予約を入れる。昨日雲辺寺でも入れたけれど留守電だった。またも留守電だったので、第2候補にすると、出ない。第3候補にもしてみたけど、出ない。まだ朝が早いからだろう。
 諦めて本山寺に向かう。本山寺まで4.4km、残念、昨年より10秒遅れ、誤差の範囲だけれどちょっと残念、時速は6,5km。本山寺の山門前にもボックスがあるのでまた予約を入れる。鶴屋旅館は出なかったけれどビジネス旅館三鈴は出てくれる。3年連続3回目の投宿になる、続いて3日後、最後の宿88番門前の八十窪にも予約を入れる。これで総ての宿の予約が終了、少し緊張が解ける思い。後は歩いてお参りして納経するのみ、とはいえ別格への道があるので完全に緊張が解けることはない。

28日目 (3) 別格16番萩原寺

2008-08-17 | 08年四国の旅
 山門をくぐると先ず水飲み場(水屋ではない)に直行する。幸い熱中症にもならなかったけれどとりあえず渇きを癒さねばならない。ありがたいお大師さんの山の水を頂く。塩分補給も忘れず、ようやく一息ついたところで水屋に向かう。お手洗いの前に女性の歩き遍路さんがいる、今日初めて出会うお遍路さんだ。この時間だと今日の泊まりはぼくと同じ民宿おおひらに違いない。
 本堂は工事中で、別のお堂が仮の本堂になっていた。お参りが終わるともう1時前、あとは下りばかりとはいえ15km近い距離を残している。ゆっくりしていられない、15分ほどの休憩で下山を始める。別格16番への下り道は2通りある。地図に載っている赤線の方を下りたかったけれど、下り口は見つからなかった。仕方なく大興寺への下り道を行き、途中から分かれる道を行く。どちらが近いか判らないけれど、赤線の道を歩けないのは残念至極。分岐点の標識は何度も見ているので心配はない。ロープウェイの真下を横切って、意外なことにロープウェイ駅に到着した。遍路標識は全くないので地図を確認する。ここで迷っているわけにはいかない。分岐点がいくつもある道なので慎重に歩を進める。大興寺はこちらの標識は常に出ているけれど、萩原寺の標識はない。下りの歩きやすい自動車道だけれど最後まで確信の持てない歩きだった、左手に県道とため池が見えてきて、たぶん大丈夫という感じになる。何とか一度も迷うことなく萩原寺へ到着、でも時間は予想以上にかかった。85分かかる、距離は赤線の道より相当長いのかもしれない。今2時40分、最後宿までの行程は6.2kmだから休んでいる暇はない。
 萩原寺の納経所はちょっと分かりにくい、標識は出ているのだけれど、その標識の意味が判然としない、うろうろしていたら、納経所兼土産物売り場から奥さんが顔を出してこっちですよ、と声をかけてくれた。無事納経も終わり、3時5分前に宿に向けて出発、迷わなければ目標の4時までには着けるだろう。自作の地図を片手に歩く、この地図がちょっとくせ者で、一瞬迷いそうになったけど、観音寺市の標識があったので何とか持ち直すことができた。一度も迷わず、遍路道に合流することができた。ここからはもう問題ない、萩原寺からの6.2kmは59分かかった、時速6.31km、今日の全体の行程を考えれば上々のスピードだといえる。
 民宿おおひらは4年ぶり3回目の投宿。奥さんはお遍路さんが足を痛めたので車で薬局に行った、ということで、玄関におばあちゃんが座って迎えてくれた。優しい感じのおばあちゃんだ。玄関の横の部屋に案内してくれた。しばらくして、お手洗いに行こうと廊下に出たら、雲辺寺で見かけた女性とばったり出会う、やはり同宿だった。素泊まり4000円、洗濯+乾燥機で300円。

 28日目の歩行距離 43.5km
        歩行時間 7時間30分
        平均時速 5.80km