WALKER’S 

歩く男の日日

4日目 4月27日

2009-05-30 | 09年四国の旅

 6:27
4日目は6時4分に宿を出発する。この時間なのに女将さんもおばあちゃんも見送り出てきてくれる、さらに、お弁当を作って持たせてくれた。僅か3000円しか払っていないのに、申し訳なくなるくらいありがたい。靴紐を結んでいると、ザックに着けた遍路バッジに気がついておばあちゃんがいたく感心している。「宮崎先生のこのマークを見ると癒されるわあ」。へんろみち保存協力会の宮崎さんのことを先生と呼んでいる。これどうしたの、と訊かれたので、自分で作ったんですよ、と答える。二人してさらに感心している、喜んで貰えて作った甲斐があったというもの。来年も絶対戻ってきたい、こういう宿にあたるともうやめられない。50mほど先の角を曲がるまで門口でずっと見送ってくれている、曲がるときに振り返って最後のお礼をした。
 宿から20分ちょっとで国道に出る、ここからはおなじみの道が続く。


 6:41
今日は朝から快晴、朝日がまぶしい。弘法大師ではなく影法師と二人連れ。


 7:04 勝浦川
この橋を渡る500mくらい手前で小松島市に入る。国道はこの時間からすごい車の量。もう少しの我慢。


 7:14
JR牟岐線を越えたところに新しい遍路小屋ができていた。確か昨年まではなかったはず。井戸寺からは徳島の町中を通ることもあって適当な休憩所はない。ここは井戸寺から12kmも来たところだけど、2回目の休みどころとしては丁度いい。ぼくにとってはあまり関係はないけれど。


 7:28
左手に小松島警察が見えてきた。旧遍路道は一旦国道を離れてこの裏手の道を行く。この裏手に番外霊場、弘法大師御杖の水がある。ぼくも一度だけ歩いたことがある、すぐ国道に戻ってくるので大した遠回りにはならない。そちらの方を見ると、丁度歩きの人が御杖の水に向かうところだった。この道を行く人は少ない。


 7:32
警察署を過ぎるとすぐ国道を離れて静かな遍路道に入る。再び国道を歩くのは明日の9時頃になる。それまではおおむね昔の道を歩くことができる。


 7:46 恩山寺
ぼくは6回もこのお寺に来ているのに、一度もこの山門をくぐったことがなかった。いずれも自動車道をそのまま来て、この山門を過ぎたところから歩きの道へ入っていた。それが誤りだとも思わなかった。今回驚いたことに山門のすぐ手前から歩きの道へ入ることができることが分かった。ちゃんと遍路標識もあった。初めて山門をくぐることができた。


 8:11
お詣りを終えて納経所に行くと、すぐあとから来た男の人が話しかけてくる。静かにお詣りできていいですよねえ、聞けば昨日の夕方13番から17番までがバスツアーの人とかぶって大変だったそう。静かに落ち着いてお詣りすることはできず、納経所でも待たされてさんざんな目にあったという。ぼくより2時間くらい遅い時間だったようです。バスツアーは17番が1日の終わりになることが多いようだからそういう目に遭わされる。
 バイクさんは3度目の定年を終えて、悠々自適、先の計画は立てず行けるところまで行くという、88番までは行くけれどいつ着いても構わない。あくまで自由な旅を楽しみたいということでした。納め札を交換して写真も撮らせて貰った。さいたま市の人だった。


 8:15
恩山寺から立江寺への近道、自動車道からこの竹藪の道へ入れない人も多いのではないかと思う。ぼく自身が前に下の道に下りてしまったときに、同じように下りてくる人を何人も見た。民宿ちばに泊まった人はなおのこと下の道を行く人が多いだろう。


 8:20
でも、この道は源義経が屋島に向かうときに通った道だとされている。ときには歴史を感じがながら歩けるというのも、気分が変わっていいものです。


 8:54 立江寺
立江寺に着く少し前のところで男の人を追い抜いた。民宿ちばから来たと思われるけど、こんな所でぼくに抜かれて、ぼくと同じ太龍寺の下まで行けるのだろうかと心配になる。
 立江寺までは2分の遅れ、この段階で力を入れても仕様がない。何しろこのあとには大変な山登りが控えている。焼山寺では全然思ったような歩きができなかったので余計慎重になっている。立江寺では車遍路と自転車遍路の人がいるだけ、歩きの人は全然見えなかった。大鶴旅館で頂いたお弁当を頂く、大きなおにぎり3つと沢庵、二つの山を登る十分な力になりそうだ。お詣り納経を含めて35分の休憩。


 10:09
右は鶴林寺、左は太龍寺の矢印。もちろん車のための標識で歩き遍路はこの道に戻ってくることはない。ここに来る少し前の所で逆打ちの人とすれ違った。男性と夫婦遍路の3人、逆打ちの人は愛想が悪い人が多いけれど、ちゃんと笑顔で挨拶してくれた。太龍寺の下からは絶対無理な時間だし、金子やからだと遅すぎる。どこに泊まったか全く想像もできない所を歩いていた。別格3番に行ってふれあいの里さかもとに泊まったのなら納得できる時間、だとしたら、別格を全部打っての逆打ちということになる。


 10:32
ローソンまでの6.5kmを62分で到着、例年より2分遅れ、写真も撮りながらだから誤差の範囲といえる。この区間はいつもすごく調子に乗って歩く、坂道も結構あるのに6.5kmを維持するのだから本気で歩かないとこのタイムは出ない。本気で歩くと見逃してしまうものもあるかもしれない。被写体を探しながら歩くとこれくらいが精一杯なのだろう。
ここでは毎回食料を調達する、野菜ジュースとパン4個。初めての飲料、ちょっとした贅沢。


 11:23
ローソンから金子やの前までは3.9kmしかないけれどここで休憩を入れる。すぐきびしい登りが始まるのでこのまま歩き続けることはできない。気持ちを切り替えないと登り切ることはできない、2年前登り始めてすぐの所でへたり込んでしまったことがある。時間も時間だし天気も天気だ。


 11:37
金子やの前では手洗いを済ませ12分の休憩をとる。出発して2分ですぐ登りが始まる。


 11:42
登り始めて僅か5分でこの高さ、生名の里が一望できる。この急坂が最後まで延々と続く、3kmとはいえ平地の倍以上の労力、時間を要するのだ。


 11:56
最初に来た6年前は飲めるかどうかは別にして水が湧いていたと思うけれど、今はその気配はない。そのときは地元のご夫婦がこの周りの掃除をされていた、今も変わらず大切にされているようだ。


 11:57
写真ではよく分からないのですが、太い部分は舗装された道、これだけの傾斜になるととても登り辛くなる。それで脇の細い部分にコンクリートの階段が別に設けられている。斜めの道よりは歩きやすいけれど、段差が小さくてあまり効率的に登れるというものでもない、でもやはり階段の方を行く。そんなに長くは続かない。


 12:11
自動車道を横断する、ここまで来ると3分の2は過ぎたことになる、この先は坂は幾分緩やかになっていることは承知している。


 12:14
自動車道を横切ってしばらく登ると、男の人が二人休んでいる。立ち止まってしばらく話をさせて貰った。写真には写っていないけどすぐ隣にもう一人、社長と呼ばれていた人がいました。お二人は今日は鶴林寺の下の小学校の近くで泊まるということでした。だとしたらそんなに慌てることはない。ぼくが焼山寺で苦労した雨の日は1日歩かずお休みしていたそう、野宿の人は宿の予約をしないから、休もうと思えば自由に休むことができる。


 12:24
少し休んだこともあって足取りはずいぶん軽くなったような気がする。2度目の自動車道を横断するともう20番まで300m。


 12:27
ようやく20番の駐車場が見えてきた。後半は比較的順調に登ることができた。


 12:29 鶴林寺
野宿さんと話していた時間を計っていなかったので、例年よりどれくらい遅れたかは分からなかった。でも決して早いということはない。駐車場に上がってくる前に男の人を追い抜いた、立江寺を出た人ならもう少し先に行ってるはず、話を聞いたらやはり昨夜は野宿だったそうだ。でも全部野宿で行くわけではなく、宿にも泊まると言ったので、遍路宿情報を渡した。だいぶ遅れてきた二人の野宿さんにも、ブログのアドレスが書いてあるので遍路宿情報を渡す。お詣り納経を含めて24分の休憩をとる。


 13:07
鶴林寺から太龍寺へは山門をくぐることなく境内からいきなり急坂を下っていく。標高差460mを30分で下る、この下りは容易ではない、相当な負担が膝にのしかかる。でも調子のいいときはあまり苦にならない。


 13:11
自動車道を横断、かなり順調に下りることができる。あまり負担を感じることもなかった。ここまで300m下ったことになる。


 13:23
丁度30分で下まで下りてくる、昨年より2分遅れだけれどまずまずの速さ。2年前まではここで休まなかったけれど、昨年は休んだので、今回も小休止を入れる。バックはこれから登る太龍寺山、標高差480m。


 13:33
8分の休憩でいよいよ本日最後の登りに向かう、その前に渡るこの橋がちょっとした覚悟を必要とする。ぼくは欄干の低い橋が苦手。橋の中央をおそるおそる渡る。


 13:35
この写真を撮るのも大変、立ち止まるだけでもう落ち着かない。


 13:43
太龍寺への登りは、前半はこの緩やかな登り、左手に渓流の音を聞きながら歩く。平地とあまり変わらないくらいの速さで歩くことができる、ぼくの好きな道の一つ。この少し前で男性を追い抜いた、立江寺を出た人には、これくらいで追いつくのが普通、もっと先に行っている人の方が多いかもしれない。


 13:51
ちょっと分かり難いけれど、渓流を渡る小橋。ここからは渓流を右に見ながら歩く。すぐ先に古い遍路小屋がある。そこを過ぎれば間もなく本当の登りが待っている。


 14:00
ここからが本格的な登り、遍路小屋からここまで2.5kmで140m登った。ここから太龍寺まで1.7kmで340m登ることになる。単純計算すると3.5倍の傾斜になる。鶴林寺の登りよりきつい。


 14:03
こうしてみるとよく整備されているけれど、だからといって登りやすいとは限らない。この15cm~20cmの段差がきつい。朝から30km以上歩いているし500mの山も登って下ってきた。この段差をとんとんと登っていくほどの体力は残っていない、段の脇のなだらかな部分を選びながらゆるりゆるりと登っていく。


 14:23
坂はきついけれど、鶴林寺より楽なのは距離が短いところ、立ち止まって息を整えることもほとんどなく、何とか一定ペースでここまでやってくる。ここは数年前小さな崖崩れがあって整備されたもの、ぼくが最初に来たときにはなかった。ここまで来ると先は見えたようなもの。


 14:27
山門まで続く舗装道路に上がってくる。ところが、鶴林寺と違って、太龍寺はこの最後の道が一番険しい。舗装道でこんな急な坂があっていいのかというくらい。ようやく上がってきてほっとしている場合ではない。歩きのスピードがぴたりと止まる、数百メートル先にあるはずの山門がなかなか見えてこない。


 14:30
この写真では、この山門に辿り着いた感動が全く伝わらない。ここまで来るともうほとんど普通に歩けるような状態ではなくなって、緊張も解け、よたよたと本堂へ向かう。また山門から本堂までが相当な距離がある、納経所までが結構あり、その先に水屋があって、そのそばに鐘楼門、そして石段、登り切ると広場があってその先に本堂。さらに大師堂はまた離れている、そして最初に通った納経所に戻ってくる。普通にお詣りと納経をするだけで倍以上の時間がかかりそうな気さえする。


 15:05
納経を終えて一息つき、納経所の隣にある持仏堂(本坊)の天井に描かれている龍の絵を鑑賞する。今まで6回も来ていて一度も見たことがなかった。大して休憩もとっていないのにここまでで35分もかかった。目標の3時半までに宿に着くことはできない。


 15:50
太龍寺からの下りは昨年のように足取り軽く、という風にはいかなかった。昨年は山4つ登ったあとだったのに最高のペースで下ることができた。今年は二つだったけど、最後に疲労が押し寄せた感じ。平地を長く歩く方が疲労が溜まりやすいのかもしれない。
龍山荘は評判のいい宿、でもぼくは素泊まりなので、1000円安い坂口屋さんに泊まる。2食付きだと同じくらいの値段。


 15:52
何とか4時までに坂口屋に到着、昨年は別館の方だったけれど、今年は本館。一番奥の方の部屋に通される、この部屋は隣の部屋との境が押入になっていて全く物音が聞こえず快適、トイレも部屋のすぐ前にあってウォシュレット完備。この時間なのですぐに大浴場に入ることができる、昨年は石油高騰のせいか、かなりぬるめで不満が残ったけれど、今年は申し分なし。やはり原油価格の影響だったのだろう。ぼくが1番風呂で大きなお風呂に気持ちよく一人で入れる。そしてもう一つ嬉しいのはコーヒーが最初の1杯だけ無料、ちゃんとしたコーヒーメーカーから出てくる本格的なもので、インスタントとは一味も二味も違う。2杯目からはそばに置いてある料金箱に100円を入れる、もう一杯飲みたかったけれどぐっと我慢。5時頃にバスツアーの人がやってきたけれど、部屋にいる分には全く気にならず、ゆっくり休むことができた。洗濯機も二層式と全自動が5台くらいずらりと並んでいる。洗濯も乾燥も無料、龍山荘は有料だった。これで素泊まり3000円、最高の遍路宿と言ってもいい。素泊まりの人には絶対お奨め。


3日目 4月26日

2009-05-27 | 09年四国の旅

 8:05
今日は正味の歩行時間が5時間ちょっとなので、朝はゆっくり。7時44分に発ったけれど、これは計算違いだった。もう30分は早く出るべきだった。でも朝食をたっぷり食べたのでこれくらい時間をおいた方が歩きやすかったことも事実。宿を出て5分、県道に合流するところでリュックを担いだ男の人が前を歩いている。白衣も菅笠も着けず、金剛杖も持っていない。でもどう見てもお遍路だ。この時間こんな所を歩くのはなべいわ荘を7時頃出てきた人以外考えられない。軽快な歩きでなかなか追いつけないほどのスピード、しばらく行ったところで先に出た同宿の女性に追いついてしまった。道の駅の少し前で二人とも追い抜いて以後会うことはなかった。道の駅で休憩をとったのかもしれない。


 8:36
山肌一面の見事なしだれ桜、もう3週間早ければね。


 8:39
最初の休憩はこの郵便局と決めていた。5.7kmを55分かかった。ずっと県道だったけれど思った以上にきつい坂もあったので、まあこんなもんでしょう。今日は日曜日なので郵便局はお休み。前の花壇に腰をおろす。雨が降っていたら休めなかった。


 9:03
神山といえばこの人、いかな民主党でもこの選挙区で議席を奪うのは不可能というしかない。


 9:47
郵便局からは大日寺まで休憩するつもりはなかったけれど、道端におあつらえ向きのの丸太が転がっていたので休憩を入れることにする、丁度中間地点でもあった。


 9:58 大桜トンネル 131m
休憩したところから300mも行かないところにトンネルが現れた。最初のトンネルだ。トンネルの写真はすべて撮ると決めていた。もっと広い道、大きなトンネルだと思っていたけど全然違った。車は全然通らないから恐れることは全くない。


 10:17
徳島市に入った。神山町には丸1日いたことになる。大日寺まであと4km、足取りも軽い。


 10:55 大日寺
大日寺の手前には点線の短絡路がある。それらしい道はいくつかあったけれどいずれも遍路標識はなかった。しかもどの道も相当な山越えになる。もし間違って入ったら目も当てられない。結局そのまま遠回りの自動車道を行くことにした。宿から17.1kmを2時間47分で来た(休憩時間は除く)ことになる。平均時速は6.14km、結構な坂道もあったから十分納得はできる。
 大日寺では4人の歩き遍路、いずれも男性が到着していた。一人は明らかに野宿、他の3人は植村旅館からやってきたと思われる。なべいわ荘からでも不可能ではないけれど、休みなしでは来られないからかなりの健脚でないとこの時間には難しい。お詣り納経を終えて早めの昼食を摂る、合計35分を費やす。はじめの計画よりかなり押している、3時に宿に入るのは難しくなってしまった。


 11:42
大日寺を11時30分に出る、鮎喰川までは平行した2本の遍路道がある。向こうの川に近い方の道を先に出た男性が歩いている。鮎喰川に架かる橋に登っていく歩道の所で、迷っている。追いついていって、こちらですよと教えてあげる。こういう普通なら迷わないような所でも迷うのが初めてのお遍路、いや初めてでなくても思いもかけないところで無駄な思いこみが入っておかしな道に入ってしまうこともある。もう幾度となく経験してきた。だからそういう人を見ても絶対ばかにしたりすることはない、丁寧に教えてあげるだけ。


 11:53 常楽寺
常楽寺まで23分、例年通りで満足の歩き。やっぱり他に歩いている人がいると自然に力が入ってしまうのかもしれない。常楽寺には山門はない、写真の門柱があるだけ。昨年撮り忘れたお大師さんの銅像も撮影しておく。


 12:17 国分寺
国分寺までは7分、またも例年通り、これくらい短い距離だとのんびりはしていられない。国分寺はどうしても山門よりこの本堂を撮りたくなる。この独特の雰囲気にはいつも立ち止まって見惚れてしまう。


 12:37
国分寺の納経所では少し並んだけどお詣りを含めて20分で済ますことができた。山門を出ようとしたら、その前で車の誘導をしている人がいて、熱いコーヒーでも飲んでいきませんか、と声をかけられた。思ったより時間がかかって、ここで立ち止まることはできないと「先を急いでますので」と断るしかなかった。そうしたら、ちょっと待ってください、と自分の車から写真の物を持ってきて渡してくれた。お菓子が3種類と、緑色の台紙は「活路」と題された小冊子になっていて、お遍路に対する心得や励ましの文章がつづられていた。
 『お四国  遍路はいかがですか 善い出合い有りましたか』
 『お遍路人  歩きの人へ 阿波の国で頑張りすぎないで先は長~い
   車の人へ 時間がゆるすなら太龍寺は旧駐車場から歩きを』
 『貴方の周りで 何かに迷った人を見かけたらお四国へお導きを
  その方にも・貴方にも活きがいが沸いてきます』  (一部を抜粋)
            平成二十一年   遍路の地 あいの会


 12:54 観音寺
お礼を言って少し行くと、鮎喰川で道を教えた男性が立ち止まってきょろきょろしている。どうかしたんですか、と訊くと、「ここから観音寺へはどう行ったらいいのかと思って」国分寺に入る前から先の道を心配している。また丁寧に教えてあげる。
 観音寺までは1.8km、またも例年通り17分で到着した。短い距離を1分でも遅れるとあまりいい気分がしない。


 13:11
観音寺では車遍路の人が数人いるだけだった、静かに落ち着いてお詣りを済ませる、納経所でも待つことはなかった。山門を出ていくときに団体の人が入ってきた。その最後の人がぼくを呼び止めて、お接待です、と言って頭陀袋から写真の絵葉書を取り出して渡してくれた。
『お遍路さん ご苦労様です。
 この葉書は私の手作りです。たまには故郷や、ご家族に手紙や、
 葉書を書いてはいかがでしょうか。携帯電話、メールも便利ですが、
 一通の葉書でも、素晴らしい想い出や記念になります。どうぞこの
 巡礼を無事に結願できますよう、祈念いたします。合掌
       歩き遍路後援会
        高松市○○町○○  霊場会公認先達 村上敏樹』
  と書かれた紙片が入っていた。
  左の写真は20番鶴林寺、右は66番雲辺寺


 13:38 井戸寺
井戸寺までは2.9km、1分遅れの26分。とはいっても6.5km以上は出ているのでまだまだよく歩けていることに違いない。水屋のそばで熟年の歩きの人が休んでいた、野宿かもというほどの大きな荷物だけど、本当のところはよく分からない。


 14:13
本日のお詣りは終了、あとは宿まで歩くだけになったので、一息つく。3時半までに入れればいいと長めの休みを取ることにする。35分で山門を出る。門前の遍路宿、松本屋さんは数年前の情報では日曜はお休みということだったけど、ちゃんとのれんが出ていた。


 14:28
井戸寺からの道は二通りある。南へ下りる道が古い道、沿道にはたくさんのお遍路さんの墓がある。この道は2回行ったことがある。東に出て県道30号に合流する道は新しい道。風情はないけれど幾分近道でこの道を行く人も多い。遍路標識も要所に見られる。ぼくは4回行った。今年は写真を撮るので古い道を行くつもりだったけれど、時間が予定よりかなり遅れたのと、沿道にコンビニがあるか自信がなかったので、県道を行くことにした。中鮎喰橋の上から正面に眉山が見える。今日の宿はあの麓、あと1時間も歩けば到着する。


 14:38
橋を渡って二つ目の信号の近くにサンクスがある。今日の宿は素泊まりなので夕食と朝食のパンを4つ買う。今回はできるだけ余分な物は買わないように心がける。昨年は食料飲料に16639円使った。今年は12000円以内に押さえるのが目標。


 14:44
買い物を終えて、コンビニの写真を撮っていると、そばの田んぼで肥料の調整をしているおじさんが、声をかける。そりゃそうでしょうね、観光地でも名所でもない何もないところでカメラを構えているのだから不思議に思うのは無理はない。「コンビニの写真です」と答えたけれど、意味はよく分からなかったと思う。「今日はどこに泊まるの」とさらに訊いてくる。徳島駅の近くに遍路宿があるのですよ、「ビジネスホテル?」「いえ、いえ、普通の旅館です、もう予約してます」「それなら良かった、今日徳島マラソンがあってね、昨日の晩、息子が駅の近くの焼鳥屋に行ったら、どの店もマラソンの関係者で超満員、入るとこがなかったと言ってたので、泊まるところがあるかちょっと心配になってね」。そうか、納得。1日ずれてたら危なかったかもしれない。せっかく話しかけて貰ったので写真を撮らせて貰った、とてもいい感じのおじさんだった。


 14:53
踏切を渡る。電車は阿波池田行き各駅停車。


 14:55
踏切を渡って左に折れるとすぐ蔵本駅、国道はもう目の前。


 15:18
国道192号に出て、東へ東へ。最初この道を歩いたとき南へ折れる目印は四国銀行だった。四国銀行の角を右へ、それだけを目指して歩いた。1年ぶりにここに来てびっくり、四国銀行が消えていた。あの建物ごと全部消えて、駐車場になっていた。その片隅にATMブースがひっそりと建っていた。


 15:21
井戸寺から南へ下りる遍路道と合流するポイント、ちゃんと道標があって旧遍路道を来た人はこれを見て安心して右折する。


 15:21
南に下りた人はこの遍路道をやってくる。道幅は狭いけれど、車の通りは少なく、信号も少ないのでとても歩きやすい道。


 15:27
この広い交差点を左に折れて600m行けば徳島駅、徳島のメインストリートです。阿波おどり会館の5階から眉山に登るロープウェイが出ている。


 15:32
ようやくワシントンプラザに到着、ここから遍路道を離れて左へ折れる。300mほど東へ行き右折すると今日の宿大鶴旅館はすぐそこにある。


 15:37
この宿は初めての投宿、今までは徳島駅のすぐそばの「さくら荘」に泊まっていた。さくら荘は素泊まり宿で料金は3300円。大鶴旅館は3000円(2食付きは5000円)、しかも遍路特別接待と書いてある。徳島の中心部に泊まるのであればこの宿をはずす訳にはいかない。
 ぼくが想像、期待していた以上の、本物の遍路宿でした。迎えてくれる人がぼくたちをお客さんでなくお遍路として迎えてくれることが先ずありがたい。部屋などは決して新しいとはいえないけれど、そんなことはどうでもよくなるくらい、女将さんとおばあちゃんの心映えが嬉しくありがたい。洗濯は出すだけで全部して貰える、乾燥機はないけれどおばあちゃんの部屋に干してくれていたのを、寝る前に引き取って自分の部屋に干す。そして客はぼく一人、静かに休むことができる。
 徳島の中心部に泊まるお遍路は少なくないと思う。植村旅館に泊まれば、28kmくらいだからほとんどの人が徳島まで来る。なべいわ荘だと6km以上長くなるから徳島まで来る人は少ない、観音寺か井戸寺の近くまでしか行けない人が多い。大日寺の近くで泊まる人もいるから、歩きの人全体の3分の1くらいかもしれない。そのほとんどの人がビジネスホテルに泊まる。もったいない、遍路に来てビジネスホテルに泊まるのはほんとに味気ない。こんなに素晴らしい遍路宿があるのだからなおのことです。


2日目 4月25日

2009-05-25 | 09年四国の旅

 6:27 熊谷寺
越久田屋はリビングがあって、セルフでインスタントコーヒーが飲めるようになっている。寝る前に1杯、起きてからも1杯頂く。四国に入るとなかなかコーヒーが飲めないので、飲めるときにはできるだけ頂くことにしている。
 夜半から雨が降っている、風も強かったけれど、出発する頃にはさほどでもなくなっていた。傘だけで問題なく歩けそうだ。6時6分、ご主人に見送られて宿を発つ。宿から北の車道に出る方が近いような気がしたけれど、6年前の記憶では結構な登り坂があったような気がしたし、大好きな山門をくぐることもできないので南の歩き遍路道を行くことにした。山門までは2km、20分くらいしかかからないけれど、熊谷寺は山門から本堂までの距離がすごく長い、しかも山門からずっと登り坂になっているから、7時にすぐ納経をして貰うには丁度いい時間だと思ったのですが、納経所の前に来ると、シャッターが完全に下りていて人っ子一人いない、当然といえばいえる。お詣りを終えてもまだ15分くらいあったので、本堂の軒下で雨宿りさせて貰う。雨を避けることができるのはここしか見当たらない。5分前に納経所に下りていったらすでにシャッターは上がっていた。入っていくと若い坊さんがすでにスタンバイしていた。すぐにして貰うことができた。納経が終わって荷造りをしていると、納経所内に音楽が流れてきた。モーツァルトのピアノ協奏曲第22番の第3楽章だ。ぼくは高校のとき吹奏楽部でこの曲を演奏したことがあるのでなじみ深い曲だ。振り返ると坊さんがコーヒーをいれてすすりはじめた。う~ん、モーツァルトにコーヒー、何ともいえぬ優雅な納経所。嫌な感じ、変な感じは全くなかった。むしろすがすがしさを感じながら納経所をあとにした。


 7:21 法輪寺
熊谷寺の山門を出たのは7時2分、次の法輪寺までは2kmちょうど、例年だと18分だけど、今回は雨のせいか19分かかった。この時間にここにいる人はいないと思ったら、何と男一人女一人の歩きの人がいた。順打ちだったらあり得ない。8番の納経はぼくが最初だった。よく見ると、二人とも越久田屋で同宿の人だった。二人とも昨日のうちに8番にお詣りしていたようだ。それで今朝はぼくが8番に行っている間に追い抜いてこちらに来ていたということらしい。


 8:11 切幡寺
切幡寺の写真は撮り忘れてしまいました。これは登り口(遍路用品を売っている店の前)にある石柱です。時間はここではなく山門の前に着いた時間です。切幡寺の山門までは3.7km、例年通りの34分で到着、意外なほどのいい歩きです。境内に上がると歩きの人が男女一人ずついた、今度こそ順打ちだとおかしい。8番からここまでの間に宿はない、男の人は野宿という可能性もあるけど、女性は逆打ちであることは間違いない。納経所に行くと、丁度ツアーの人がどさりと納経帳の束を持ち込んだところ、がっくりと肩を落としかけると、納経所の人が先にどうぞと促してくれた。お礼を言って先にして貰う。こういうことはよくあることだとは知っていたけど、すべての納経所がこうだとは限らない。むしろ運が良かったと認識しておく方がよいだろう。


 9:15
切幡寺は山門から本堂まで延々と石段が続くので、熊谷寺以上に時間がかかる。普通にお詣り納経するだけで30分近くかかった。8時39分に山門を出る。次の藤井寺までは9.3kmの長丁場。
 3kmを過ぎ最初の川を渡る、そして中州の農道をしばらく行くと写真の分岐点がある、自動車に隠れてよく見えないけれど左の方へ行く道が昔の遍路道、その先に渡船場があった。この道は藤井寺までほぼ直線に近いけれど、現在はその上流に橋ができて渡船はなくなったのでかなり遠回りの道を行くことになる。


 9:25
中州から本土へ渡る橋、車1台がようやく通れる橋、一定間隔ですれ違うためのスペースが設けてある。向こうから車が来ると人間もその場所に逃げ込んで身を縮こめる。


 9:29
橋を渡るとそこは吉野川市。藤井寺までまだ4km以上ある。


 9:30
振り返ると今渡ってきた橋。土手の端に遍路小屋がある。そろそろ休んでもいいかと中をのぞくと寝袋や布団が散らかっていてとても休める状態ではない。ひどい。ここは野宿者にとっては格好の宿だけれど、使ったらちゃんと次の人が使えるように片づける、人として最低限のマナーも心得ない連中が遍路だというのだから片腹痛い。もう一言、余分なことを言いたいけれど、ぐっと我慢する。


 10:10 藤井寺
藤棚というのは公園や学校でまま見かけることがあるけれど、その花を見ることは多くない。ましてや、これほど見事な、鮮やかな藤の花を見ることなど絶無であるといってもいいくらい。花へんろ、という言葉があって、桜の頃を目指して歩く人が多い。でも、桜など日本中いたる所にありすぎて珍しくもありがたくもない。こちらの藤を見られる方がどれほどありがたいことか。
 あまり広くない境内は二組の団体でにぎわっていた、納経所ではすでに団体の添乗員が大荷物を持ち込んでいる。どうなるかと思ったけれど、ぼくが納経所に行くと丁度団体の記帳がすべて終わったところ、またまた運良く待ち時間なしで納経を済ますことができる。雨足は弱いながら依然として降り続いている。止みそうな気配は全くない。ここで今日初めての休憩をとる。昨日コンビニで買ったおにぎり2個で早い昼食にする。でっかい荷物を背負った野宿遍路さんが焼山寺に向けて山登りを始めるところだ。


 12:20 柳水庵の下
休憩は15分くらい、これからが本日のメインイベント、先は長いのでゆっくりしていられない。10時40分に山登りを始める。いい時間だとこのときは思っていた。雨は降っているけれど合羽は着けず傘もたたむ。これくらいの雨なら合羽を着けた方がびしょぬれになることは明白だし、傘は杖の代わり、この山を杖なしで登ることはできない。5年前も同じような天気の中を登ったことがある。
 登り始めて最初のベンチの所、10分経ったかどうかというところで早速野宿さんが休憩だ。まあ彼は今日は柳水庵で泊まるようだから、こういうペースで十分なのかもしれない。
 焼山寺は何度登っても慣れない。ぼくの実感です。そして今回はその思いが最もきつかったかもしれない。とにかく、ポイントまでいつまで経っても到着しない。最初のタイムチェックは長戸庵、4分の1くらいの所にある。その後半の部分が全然進まなかった。最初の登りでエネルギーを使い果たしてしまったような感じだ。結果、昨年より5分も遅れてしまった。長戸庵は標高440m、次の柳水庵は500m、急な登りは多くないけれど、それでも足はますます重くなっていく。変に焦りばかりが強くなって快適な歩きが全くできない。雨のせいなのか、荷物が重いせいか、栄養の摂り方が不十分だったのか。ようやく、ようやくという感じで柳水庵に辿り着く。7分の遅れだった。合計12分の遅れ、ひどい。最後まで歩けるのかという感じの歩きだ。
 写真の休憩所は無料宿にもなっている、布団はないけれど野宿の人は寝袋を持っているから結構いい宿になる。お昼なのに中で男の人が寝袋の中で眠っていた。雨の中歩きたくないのは分かるけれど、昼間に眠っては駄目だ、昼間に眠ったら歩く時間がないではないか。また余計な一言を言いたくなる、でも言わない。


 14:14
相当時間が押したので、柳水庵ではあまり休めなかった。16分休んで仕方なく出発、これから本格的な登りが二つも待っている。目標は登り切ること、に頭を切り換える。
 浄蓮庵までは、思ったより早く登り切ることができた。あまり期待しなかったのが良かったのかもしれない。浄蓮庵には誰もいない、藤井寺から出発した人ならもう焼山寺に着いているのが普通。7時から登り始めたとして、もう6時間経っている。浄蓮庵からは下りになる、350m下の谷まで一気に下っていく。出そうと思えばかなりスピードの乗る行程だけど、雨が降っているのでいつものような感じは出ない。しばらく下りたところで夫婦遍路に追いついた。かなりぎこちない足取りだ、6時間でここまでというのは相当足を痛めているとしか思えない。さらに谷の近くの自動車道まで下りると、男性が歩いていた。まだ5時までは3時間以上あるから何とか焼山寺の下の宿までは行けそうではあるけれど。
 谷まで下るとあとは270mを登るだけ。もうあとは足が登りたいように登るしかない。休みたければ休むし、動けるのであれば動く。頭は使わない。山門のすぐ手前で歩きの女の人に追いついた。藤井寺を出てから3時間34分。昨年より20分も遅くなってしまった。到着する少し前にやっと雨が止んだ。8時間も雨の中を歩き続けたのに靴の中は全く濡れていない。当然マメも水ぶくれもできていない。タイムは出なかったけどその点は大満足。
 新しい大師堂が完成していて、昨年までの大師堂は休憩所になっていた。歩きの人が4~5人休んでいた。みんなこの山に登るのに6時間半はかかった人たちだ。健闘をたたえ合っているのかもしれない。


 15:21
休憩所にいる人たちは、なべいわ荘に泊まるからあと4km下るだけ、ぼくはまだ7.5kmも残っているのでゆっくりしていられない。お参り、納経、手洗いを済ませ、26分で霧に煙る御山をあとにする。14時40分、何とか16時までには宿に着けるだろう。
 朝からずっと雨の中を歩き、登り下りを繰り返し、相当身体もまいっている。でもあとは下りの7km半をこなすだけ、例年よりはここまでたくさん歩いているのでいつものようなスピードは出ないけれど気分はだいぶ晴れやかになってきた。杖杉庵の少し手前で女性に追いついた。なべいわ荘までなら4時までにつける順調な歩き。その下のバスのターミナルの近くの食堂では何人かの歩きの人が休んでいる。なべいわ荘はすぐそこだから、バスの時間を待っているのかもしれない。満室で泊まることができなかったなべいわ荘の前にやってきた。遍路道はこの少し手前で山の中へ入っていくのでこの建物を見るのは初めてだ。


 15:26
車は写っていないのですが、この場所で軽トラが停まって「お接待します、乗っていきませんか」と誘われた。接待は基本断ってはいけないというけれど、車だけは何があっても辞退するしかない。歩きたくて、歩くために四国に来ている。どんなに丁寧に断っても気まずい雰囲気が残ってしまうのはどうしようもない。


 15:50
なべいわ荘から神山町の中心部に至る県道43号は初めて歩く。地図を見ていると、南に大きく下っているので絶対遠回りになると思い込んでいた。初めて歩く道がほとんどなくなってしまったので、今回は積極的に歩くことにした。それで距離を正確に測ってみると、1.2kmほどの遠回りでしかなかった(実際は最後の短絡路が行けなかったので2.1kmの遠回り)。玉ヶ峠に登らなくてもいいので時間的にはあまり変わらないと思う。
 鍋岩からは緩やかな下りですごく気持ちよく歩ける。膝に負担のかからない下りで出そうと思えばかなりのスピードが出るけれど、ここまで苦労の連続だったから最後くらいはのんびり楽しみながら歩く、車もほとんど通らないし天気も良くなってきた。


 15:57
橋を渡ると神山の町、間もなく今日の宿、さくらや旅館に到着した。目標の4時までに着けたのでいうことない。この宿はもちろん初めての投宿、ウェブサイトで見た情報とは値段は違っていたけれど、とてもいい宿でした。風呂はすぐ用意してくれたし、部屋は広く、ビニールシートを敷いてくれていたので気兼ねなく荷物を下ろすことができた。隣の部屋との境は押入になっているので全く気にならない。夕食は釜飯にうどん鍋、鍋といっても固形燃料で煮る小さなアルミホイルの鍋、これが最高に美味かった。具材は椎茸、葱、白菜、つみれ、かまぼこ。量は多くないけれど、丁度いい量で満足できる。2食付き7800円というのは遍路宿にしては高い方だけれど、全く文句の付けようがないだけに納得できる値段だともいえます。なべいわ荘の6825円と比べると、どうしてもそちらにしたくなるのですが、ただなべいわ荘は隣の部屋との境は襖1枚、かなり気になってゆっくり休めなかった、という感想をネットで見たことがあります。それが本当であればこの1000円差は十分意味があるような気もします。
 なべいわ荘が満室だったのでこちらに流れてくる人が多いかなと思ったけれど、同宿は女性一人だけだった。彼女は藤井寺の近くのふじや旅館を出て、焼山寺まで7時間かかったという。そして、バスターミナルまで歩いて下りて、そこから宿までバスに乗ったそうです。それでもぼくより宿に着くのは1時間も遅くなった。そういえば、浄蓮庵の下で会った夫婦はどうなっただろう。


1日目 4月24日

2009-05-23 | 09年四国の旅

 9:19
阪神梅田行き直通特急が舞子公園に到着しようとしている。大阪に出かけるときにいつも眺める風景がちょっと違って見える。まもなくあの橋を渡る。いよいよ旅が始まる。


 9:24
高速バスの停留所へ上っていくエスカレーター、山陽電車の舞子公園駅から50m。数年前まで土曜日曜しか止まらなかった特急が平日も止まるようになった。
 高松行きの高速バスは思いの外混んでいた。ぼくは体格のいい男性の隣にやっと座らせて貰う。その人はずっと大きないびきで眠りこけている。もちろん窓際に座っているので車内からの写真は一枚も撮れなかった。


 10:47
神姫バスは途中のパーキングエリアで10分間の休憩があった。何度も四国行きのバスに乗ったけれど初めてだった。バスにはトイレがついているから全く無駄なような気がする。JRバス、徳島バスなどは休まない。
 予定時刻通り鳴門西に到着、初めて白衣を身につける。昨年は初めてこのバス停に降り立ったので、間違った道を行ってずいぶん時間を無駄にしてしまった。今回は慎重に正規の道の入口を捜す、落ち着いて行くとちゃんと分かりやすい道しるべがあった。


 11:00
陸橋を渡り、階段を下って高松自動車道沿いの道を東へ10分、大きな鳥居が左に見えた。これは大麻比古神社の鳥居、本殿は800m以上奥まったところにある。この前を右に折れて高松道の下をくぐるとまもなく1番札所霊山寺の堂塔が目に入ってくる。


 11:04 霊山寺
1番札所、あるいは、四国霊場第1番と書くべきですが、タイトルは簡略表記で通させて頂きます。ちなみに、「りょうぜんじ」と読みます。何年か前、一周してお礼参りに戻ってきた若い坊さんが携帯電話でこのお寺のことを『れいさんじ』と言っていたのには、苦笑するしかありませんでした。
 本堂、大師堂でお詣りを済ませ、納経所へ行く。昨年別格の納経は一通り済ませたけれど、八十八ヶ所の納経は初めてだ。納経所は本堂の中、右側にあった。靴を脱いで入るようになっている。今年の靴は靴紐をほどかないと脱ぐことができないのでちょっと手間がかかる、車遍路の人が4人ぐらい列を作っている、ぼくの前の人は3回目のようだった。少し緊張したけど、つつがなく最初の納経は終了。ほっとする間もなく次の札所へ向かう、11時から始めて7つの札所を回らねばならない。山門を出たのは11時32分、28分もかかったことになる。


 11:34
この写真ではすごく分かりにくいのですが、手前の草むらは河原。この川の西岸、向こうの山の手前の一帯にあの板東俘虜収容所があった。


 11:43 極楽寺
2番まで11分かかる、いつもより1分遅れ。とくに調子が悪いということでもなく、誤差の範囲という感じ。でも今年はできるだけ時間、速さということにはこだわらないようにしたいと来る前から決めていた。やらなければならないことがいっぱいあって、何かを諦めなければ絶対上手くいかないような気がしていた。
 こちらの納経所でも車遍路の人が4人並んでいたけれど、比較的スムーズに番が回ってきた。お詣りを含めても15分くらいしかからなかった。まだまだ休憩している余裕はない。


 12:13
鳴門市から板野町に入る。1ヶ月後この境界線を逆方向から越えることができるか、確証は何もない。


 12:27
3番金泉寺の300mくらい手前にある道しるべです。古い道しるべの横にかなり新しいものもあって、これを見れば誰もがこの近道に入ってしまう。でもこの近道を行ってはならないと言うベテラン遍路さんのウェブサイトを見たことがあります。この道を行くと山門を通らずいきなりお寺の境内に入ってしまうのです、しかも近道といっても僅か50mほど近いだけ。それだけのために山門から入らないというのはいかにも不作法ではないかというのです。ぼくは一度だけこの近道を行ったことがあるのですが、全くベテランさんの意見が正しいことを実感しました。絶対良くない。以後この道に入ることはありません。できればこの道標もなければいいのにと思うくらいです。


 12:31
2番からの2.7kmを25分かかった。例年より1分遅い、写真も撮りながらだから十分納得のいくところ。気にはしないといっても、全く無視することもできない。とくに今日は札所の数が多いから、あまりゆっくりしていてもいられない。


 12:33
昨年工事中でお詣りできなかった(本堂の横のお堂が仮の大師堂になっていた)大師堂がピカピカになっていた。屋根の部分の修理だけで、下は昔の古さのままだった。
お詣りを終えて納経所に行くと、前のベンチで若い男女の歩き遍路さんが休んでいた。他に人はいなくて待ち時間なしですんなり納経を済ます。


 13:11
3番を出たのは12時47分、16分でお詣り納経を済ませたことになる。山門を出てすぐの所で先ほど納経所の前にいたカップルが地元の人となにやら会話していた。若い男の人だった。このように地元の人と立ち話するのがお遍路の味わいの一つであるといわれている。でもぼくは、そういう余裕はなかなか持てない。速いだけで味わいが薄いお遍路だということは自覚している。
 10分ほど歩いていたら、山門の前で話していた地元の若いお兄さんが、自転車でぼくを追い抜いていった、追い抜きざま「がんばってくださいね」と声をかけてくれた。この付近の人は挨拶もあまりしてくれないので、意外だったし嬉しかった。そして、ぼくの好きなこれぞ遍路道というところに入っていく。


 13:15
人一人がやっと歩けるようなあぜ道や山辺の道を抜けると番外霊場愛染院の前に出てくる。ぼくは今まで一度もお詣りしたことはない、何しろ初日は札所の数が多いのでそこまでの余裕が持てない。
 ここからしばらく歩いて広い自動車道を横切ったところで、サイクリストが地元のおじいちゃんに話しかけている。近づいていくと自転車に乗っているのは外人男性だった、おじいちゃんでは要領を得ないようで、ぼくの姿を見つけるやいきなり「コンセンジハドウイキマスカ」と尋ねられる。その下の道を左へと身振り混じりでこたえると、「アリガトウ、キヲツケテ」と逆に励まされた。外人のお遍路には毎年何人か出会うけれど、自転車の人は初めてだった。


 13:34
大日寺が近づいてきた。このアングル、山門と本堂が重なってバックの山に抱かれている風景がとてもいい感じ。本堂から大師堂に向かうとき、外人の男の人がやってきた、お経はあげず、ただ辺りを見回しているだけ。ぼくが納経所へ入ると後からやってきて納経はして貰っていた。この時間ともなると、バスツアーの人たちは見えないし、歩き遍路の人ももう少し先に行っているし、車遍路の人が時々現れるだけ。お詣りは落ち着いてできるし、納経も待たされることはなくてとても気分がいい。


 14:07 地蔵寺
大日寺から地蔵寺へ向かっているときに地蔵寺の方から女性二人がやってきた。どう見てもお遍路のようだけどリュックは担いでいない。笑顔で挨拶をしてくれた、それにしてもどういうことか、先に地蔵寺門前の宿に荷物を預けたのか?あるいはお遍路ではなく地元の人がウォーキングしていただけなのか。首をひねりつつ1分遅れで5番に到着した。山門に着くと、丁度女の歩きの人が出てくるところだった。挨拶を交わして山門をくぐる。ここでも車遍路の人が数人いるだけで静かな境内だった。納経所で待つこともなかった。


 14:41
地蔵寺を出たのは14時24分、2kmも行かないところで先ほど山門で会った女性がベンチで休んでいた。ベンチはあるけど屋根はない、ぼくもそろそろ休憩したいと思っていたけれど、この少し先に遍路小屋があることを知っていたのでそこまで我慢することにする。
 そして、神宅小学校の所まで来ると、写真の看板があった。別格1番大山寺へ向かう分岐点だ。昨年ぼくが別格に行くときこの看板に気がつかなかったような気がする。この看板もありがたいけど、この先の三叉路の所に標識が欲しい。あそこは本当に迷いどころになっている。


 14:49
橋を渡ったところ、5番と6番の中間地点に休憩所がある。ここでようやく昼食をとることにする。昼食といっても家から持参したチーズとチョコレート、飲み物はポカリスェット。


 15:19
休んでいたら目の前を先ほどの女性が通り過ぎていく、時間がないので8分で食事を終え、彼女の後に続く。すぐに追いついて信号のある交差点で追い越した。安楽寺までかかった時間は例年より1分遅れ、写真を撮っていたので誤差の範囲。山門の前で記録と撮影をしていたら、次の札所へ向かうカップルが二組出てきた。一組は外人だった。いずれも軽装でリュックは背負っていない。次の7番札所までは1.2kmしかないから6番の宿坊に泊まる人が荷物を預けて今日のうちに7番までお詣りするのだろう。


 15:49
安楽寺から十楽寺まで1240mあります。3年前は11分で行けたけれど、昨年一昨年は12分かかった。11分29秒以内で行こうとすれば時速6.47kmで歩かねばならない。そんなに無理な数字ではないのだけれど、過去2年はどうにもならなかった。今年は荷物も多いしほとんど期待もしなかったけれど、どういうことかぎりぎり11分29秒で行くことができた。力が抜けたのが却って良かったのかもしれない。
 納経所で待つことはなかった、すぐ後から車遍路の人がやってきただけ。今日のお詣り納経がやっと終わる、時刻は4時を過ぎている。あとは2km先の宿に向かうだけ。ぼくは3時半までには宿に入りたいと思っているので、初日から1時間以上遅くなるのは何ともやるせない感じがするし、少し焦ってもいる。


 16:25
十楽寺から今日の宿、越久田屋までは遍路道とは違う道を行かねばならない。遍路道の北側の道で、車遍路はこの道を通る。ぼくは最初のときに現在の地図がなくてこの道を歩いてしまった。もう6年も前のことだからどういう感じの道だったかほとんど記憶に残っていない。遍路標識は出ていないだろうけどほぼ1本道だから迷うことはないだろう。気になるのは越久田屋への入り口、道沿いではなく少し左に入ったところにある。重い荷物を担いで4時間近く歩いてきたので相当疲れていて足取りも重い。15分ほど行くと、四元さんもお世話になっていた接待所が見えた。もちろんこの時間になると誰もいない。この接待所は越久田屋さんがつくったもの。そのすぐ先に民宿はこちらの標識もあった。十楽寺から19分でようやく宿に到着した。
 越久田屋は素泊まり宿です。風呂もなく、近くの天然温泉施設「御所の郷」まで車で送迎してくれます。食事は温泉内の食堂でするか、帰りにコンビニに立ち寄ってくれるのでそこで調達することもできます。温泉の料金は600円ですがそれは宿泊料に含まれていて、4500円が宿泊料。ぼくは10ヶ所以上3000円台の宿に泊まるのでちょっと高いという感じもするけれど、宿は新しくて清潔だし、温泉にも入れるし、ご主人もすごく気さくで話しやすくて、決して高いという感じはなく十分納得のいく値段でした。同宿の人は男3人女1人、温泉からの帰りに同乗した男性は東京の人で初めての四国、夜行バスで今朝四国に入った。朝から歩き始めた人は6番か7番の宿坊に泊まる人が多いけれど、彼は大勢の人が泊まる宿坊が嫌でここまで足をのばしたそうです。43日ぐらいで一巡したいということでした。宿に戻ってから遍路宿情報を渡した。