WALKER’S 

歩く男の日日

87番奥の院 玉泉寺 ①

2018-05-30 | 四国 奥の院


 霊芝寺を出て県道141号を南へ600m、野間池のバス停のすぐ先で右折します。


 昨年は右折して100mも行かないところで左折して道を外してしまいました。地図にはその左折の道が全く出ていなかったので赤線の道と勘違い、でもこの後、昨年道を外したのはある意味正解だったと思い返すことになります。


 これは141号から右折するところの矢印、


 昨年左に折れたところ、ここはまだ右へ登っていくのが正解、


 ここが正解の左折ポイント、初めてだったら間違うのも仕方のないところ、


 ちょっと高台になっています、


 霊芝寺から14分でへんろ地図にも載っている願興寺の前までやってきました。



 願興寺の前から赤線と赤点線の二つの道がありますが、赤線の道は昨年歩いた道に合流していくので、赤点線の道を行きます。


 赤点線の道に入ったところ、ちょっとだけ登っています。


 遍路札もちゃんとありますが・・・・・


 まだ願興寺から2分も歩いていない、


 左の方へ少し下る、


 ここにも遍路札はある、


 このあたりから怪しくなってくる、これは道を間違えて右に上がっていこうとしてますが、この手前を真っ直ぐ行くのが正解でした。


 違うところをうろうろしています、


 少し引き返して作業をしていた男性に尋ねると、この柵の突き当たりの鍵を外して扉を抜けるのが正解、でもその鍵はややこしくて初めて見た人にははずせそうにない、従ってこの道に来るのは間違いです、願興寺から実線の道に入るしかないと考えた方がいいでしょう、この柵を抜けた先でも草ぼうぼうで道はなくなっているような状態でした、そういう道に入ったと昨年一緒に歩いた玉井さんが言っていたのを思い出しました。


 男性に鍵を外して貰って柵を抜けたところ、男性の話ではこの先の道が行けるかどうかは微妙な感じでした。


87番奥の院 玉泉寺 ②

2018-05-29 | 四国 奥の院


 ここはまだ道らしきものがありますが、


 その後は完全に草むらの中で出口が見あたらず、無理矢理左の方に脱出してきたところ、草むらの中ではあまりのことに写真を撮るのも忘れてしまいました、いずれにせよ、この点線の道はもはや歩けないと思った方が賢明でしょう。


 もう少し早い段階で目の前の舗装道に出られたのかもしれませんが、


 実線の道に近づいていきます、


 ちょっとした丘を越える、この道が点線の道かどうかも分かっていませんが方向は間違っていないでしょう。


 丘を越えたところ、


 右折して北へ向かったところ、合流できるかまだちょっと不安な感じ、


 左折して西へ向かう、矢印も何もないから自分の感覚に頼るしかない、




 願興寺から20分、やっとのことで昨年玉井さんと歩いた実線の道に合流できました。右折して北に向かっています。


 すぐ先で左折、踏切を渡ります。


 突き当たると番外に行かない人が歩くへんろ道に合流します。


 無事合流、左折して南へ


 合流して250mで玉泉寺に到着です、


 境内が狭くて本堂の全景は撮影できません、山門前の幟にもあったように、ここは新四国曼陀羅霊場の札所でもあります。本堂の中に納経所があって住職が待ちかまえていました。

 お接待でボールペンとお菓子を頂きました、ボールペンは優れものでLEDライトも付いています。説明してくれたのですがはっきり聞き取れず、知り合いか参拝者の人がメーカーの人で作って持ってきてくれたのだというようなことでした。玉泉寺の名前と電話番号も印刷されています、今年いただいた61回のお接待の最初でした。


霊芝寺(さぬき市)

2018-05-27 | 四国 番外霊場


 昨年も来た霊芝寺に再びやってきました。というのも昨年は長福寺に先に行ってそこから続く道を歩いた。志度寺から長福寺に行かず直接霊芝寺に行く道にも赤線があるので、そちらも押さえておくために、今年は志度高速バス停から一旦志度寺まで行ってUターンしてきたというわけです。


 県道141号を右に折れて100m、右が山門左が鐘楼です、境内はほんの少し高くなったところにあります。


 立派な本堂、境内も広々としています、昨年はここで玉井さんと1時間近く喋ってしまいました、その時いたワンコはいません。


 今日は4月2日、桜がまだ残っていました。


 弘法大師の草創とはっきりいえるだけでありがたい霊場です、各地に大師伝説はありますがここは讃岐の国、大師のふるさとですからね。


 本堂の右側の方の建物のチャイムを押すと、別の建物から女性が出てきてくれました。納経帳に直接墨書してもらえます、人がいなくて書いたものが置いてあって横に料金箱がある番外や奥の院が結構あります、右肩の朱印は讃岐観音第十番。

                           1918年4月2日、参拝


納経帳の重み

2018-05-26 | 日記

 納経帳3冊まとめて持ち歩くのはやはり相当な負担、実質1100gの重さ以上の精神的な負担が大きかったのかと、帰ってきてからしみじみ思います。歩いているときはほとんど夢中で考える暇もなかった、逆打ちだし、出会った人に挨拶して、南無大師遍照金剛を唱えて、カウントしていく、忘れないようにカメラのシャッターを切る、ときには宿案内を渡して立ち話、宿案内がなくなればコピーもする、納経料の百円玉を郵便局でおろす、番外、奥の院はリポートのために撮影もする、もちろん88ヶ所はきっちりお参りする、その上で番外奥の院の納経、四国に出る前から忙しいお遍路になると危惧していたけれど、本当に忙しいまま32日間があっという間に過ぎていったという感じもします。これだけ回数を重ねているのならもっと落ち着いてのんびりじっくり楽しんでもいいとも思うけれど、どうも逆に欲張りになって困ります。
 今回は逆打ちということであまり負担にならないように、奥の院は遍路道からあまり離れていないところばかりを選んで18ヶ所、一番離れているところで33番雪蹊寺奥の院中谷堂の往復6kmでした。行くつもりで行けなかったのが37番岩本寺、岩本寺の奥の院は矢負いの地蔵、岩本寺の境内にあると聞いていたのに結局見つかりませんでした。帰ってから調べてみると、大師堂が奥の院を兼ねているということでした。30番善楽寺の奥の院安楽寺は雨が降っていたので諦めました。
 結局奥の院18ヶ所、番外4ヶ所、88霊場は42ヶ所の御朱印を頂いたのですが、3年計画の初年としてはよく頑張った方だと思います、


出会いの旅 3

2018-05-22 | 日記

 野宿の人には宿案内を渡さないから声をかける必要もないのですが、何の意識もなく声をかけてしまうこともしばしば、神峯寺で会った男性は向こうから声をかけてきてくれました、今日は夜須駅の近くで野宿、道の駅ですかと問えば、道の駅は禁止だからビーチで泊まる、道の駅はできるところとできないところがあるから初めての人は戸惑うでしょうね、明日は高知市内のビジネスホテル、明後日は仁淀川大橋の下、種間寺にも清滝寺にも通夜堂はあるけれど、通夜堂は嫌いなのだそうです。土佐清水市、民宿旅路の近くで会った青年は全部野宿で通し、野宿で区切りの人は少ない。先ず訊くのは萩森リストは持っていますか、彼は持っているといったので特にアドバイスもありません、今日は金平善根宿まで、あと9kmですと助言、野宿は寒いですかと問えば、すかさず寒いですと返答、半分まで来たのだから問題ないでしょう。松山市粟井駅の近くで一緒にお接待をして貰ったフランスの青年は、最初は野宿でまわったけれど荷物が重くて思うように歩けなくて楽しめなかった、なので今回は全部宿に泊まることにしたと、彼は日本語ができるので予約も普通にできる。それが本当だとぼくはずっと思っています。野宿なんてするもんじゃない。外国の人はサンティアゴデコンポステーラの経験者が多いから寝袋を持って歩くのが普通だと思っているようですが。サンティアゴの簡易宿(アルベルゲ)はベッドだけなので全員が寝袋持参です。
 室戸市佐喜浜を過ぎたところで会った青年は4日に一度くらいは宿に泊まりますと言ったので宿案内を渡すと、助かりますとにっこり、そう言ってもらえるとこちらも嬉しい。大根峠を下りてきたところのヘンロ小屋にいた夫婦は昨日は水井橋近くの元小学校に泊まった、そこには8人くらい泊まっていたそうです、設備もしっかりしているみたいで地元の人も認めているようです。その8人の中に入っていたと思われる青年二人連れとは平等寺のすぐ手前で会いました。野宿だとは分かっていたけど声をかけやすそうだったので自然に立ち話、彼等は萩森リストは持っていないけれど、その存在は知っていて西分で貰うつもりだった、では西分までの通夜堂を教えましょうということになったけれど、最後にネットでも見られることを思いだして、遍路、萩森リスト、で出てくるはずですと言ってお別れ、今日は田井ノ浜で泊まる、ここまで8日間、ぼくはあと4日、山も多くて荷物も多いと距離はどうしても出ない。
 うらしまで同宿だった人はカート遍路で携帯電話を持っていない。全部飛び込み、断られたときは野宿をする、70代半ばで無謀な感じもしたけど、本人はいたって気楽そう、明日はバスにも乗ると言っていました。その人に助けられたのが向かいに座った人。由岐駅で財布の入ったポーチを忘れて身動きとれなくなってオロオロしていたところ、その人に1万円札を渡されてタクシーで戻れと、そうしたら無事回収できた。その人とはそこで別れててそのまま、そうしたらこの宿の前で偶然再会できた、何度も何度もそのいきさつを話してくれました。彼にとって目の前の人がお大師さんだった。貴重品は絶対服のポケット、お遍路はザックに山谷袋、菅笠に金剛杖、荷物を増やせば増やすほどどれかをすぐに忘れてしまう。どこの札所でも置き去りにされた金剛杖が寂しそう。 ぼくはどこの札所でもザックと傘(杖代わり)は身につけたままお参りします、おろすのは納経所と休憩するときだけ、それでも今回タオルハンカチをなくしてしまいました。3巡目か4巡目のとき59番国分寺の前のタオル屋さんでお接待で頂いたものだけに、ものすごく残念です。


出会いの旅 2

2018-05-20 | 日記

 四国から帰ってきて17日、道中で声をかけて立ち話した人を数えてみると、すぐ思い出せる人だけでも100人を超えていました。そんなにしたかなと今更ながら不思議な感じもします。宇和島までの最初の2週間は宿案内のコピーをしていなかったからあまり無理に声をかけることもできなかった、後半の2週間でその数は元々意図したものでもなかったから、自分が自分でなくなったような気もして、本当に良かったのかと、反省すべきことなのかもとも思ったりします。結局の処はお節介だし、歩くペースを乱すことにもなるし、迷惑にならないとも限りません。
 一言二言で分かれることも多いのですがみっちり10分、15分話すこともありました。初対面の人と何をそんなにと思われるでしょう、清滝寺の山門を抜けて少し下りてきたところですれ違った男性は、挨拶をしてそのまま行こうとしたのですが、山谷袋にヒーさんの缶バッジが見えたので、思わず「ヒーさんのバッジ」と叫んで立ち話となってしまいました。もちろんのことヒーさんの知り合いの方で、ヒーさんが書いたお遍路の本に尺八を吹いている写真も載っている、例の騒動の時は、彼の目の前で号泣したそうです。ぼくも昨年お遍路ハウス横屋で聞いたヒーさんの近況を話しました。そして最後にお札を交換、赤札でした、聞くとぼくと同じ12回目、今回は奥さんに尻を叩かれて出てきたのだとか、そうやって無理して出てきても、歩き始めると元気になってくるから四国はありがたいと。こういう出会いもあるので、ちょっと無理しても声をかけるのがいいのかなと、こういういい出会いは滅多にありませんが。
 宿の情報を聞かせて貰うことも少なくありません。28番大日寺の近くに新しくできた水仙の里に泊まったという人に2人会ったし、昨年秋に経営者が変わった遊庵に泊まったという人も二人、ビッグマリーンは夕食付きで3650円だったという人、恩山寺の近くの民宿ちばはとても良かったという人、三原村の宿でひどい目にあったと言うニューヨークから来た人、昨日は鶴林寺の登り口の宿でがっくりしていた男性は宿案内を渡すと本当に嬉しそうでした。ニューヨークから来た人と話しているときに後から来た男性は清滝寺の通夜堂が使えなくなったといっていましたが、塚地峠で話した男性は展望台から降りてきた外国の女性が清滝寺の通夜堂に泊まっていたと言ったので、たぶん使えると思います。高知屋が満室で英光民宿に泊まった人、土佐久礼のどちらかの宿は素泊まりしかしていないと二人の人に聞かされたし、岩本寺の宿坊も食事はないと二人の人が言っていました。塚地峠の手前で会った人は雲辺寺の手前の岡田がとれるか心配、白地荘に送迎して貰えばと言うと、それは絶対嫌だという、全歩きが途切れるわけではないのに、こだわりがあるようです、それなら椿堂の近くに毛利荘ができたと教えると、ずいぶん安心された様子でした。柳水庵の手前では今日は焼山寺の宿坊に泊まるというカップルに出会いました、土佐市の白石旅館が廃業になったのでビジネスイン土佐に泊まるという人には何人も出会いました。徳増の大女将は90才を超えていると教えてくれた人もいました。ぼくが10年ほど前に泊まったときはとても80才だとは思えなかった。


出会いの旅

2018-05-19 | 日記


 9番札所法輪寺を出たところ


 8番札所熊谷寺、お大師さんの前から、

 お遍路は祈りの旅、癒しの旅、自分を見つめ直す旅、現実逃避の旅、懺悔の旅、人によってその目的や目標はさまざまです。ぼくの旅はその時によって目標や主題が変わっていきます、最初の頃はもっぱら倹約とスピードといろんな赤線の道を行くこと、ほとんど素泊まりだったから、同宿の人との交流もなかったし。道中で出会う人とも挨拶するだけで立ち話をすることも全くというくらいありませんでした。ある人が言ったように、お遍路は所詮自己満足、たしかにその頃は自分のための自分だけの旅と言われても何も言い返せなかったし、もちろん自分の金と時間で自分が歩くのだから自己満足の旅であるのは当然だし、旅というのは結局そういうものであるかもしれない。でもその言葉を聞いたとき、数年前のことでしたが、抵抗を感じました、少なくともぼくにとって、そういう段階は終わっていてそれだけではつまらない、満足できない、勿体ないという気持の方が強くなっていたのかもしれません。
 今年のぼくのテーマは逆打ち、1000人の歩き遍路さんと出会うこと。全ての人と挨拶はしたけれど、なかなか全部の人と立ち話というわけにはいきません。元々声をかけることは想定していなくて挨拶してカウントするだけでいいということだったのですが、何となくそういうことになってしまいました。同宿の人や宿の人で話をしたのは50人くらい、素泊まりが11軒、食事付きでも同宿の人がいなかった宿が3軒、同宿の人がいても話が全くできなかった宿が2軒、同宿の人が1人だった宿が4軒、ということで50人。
 道中で声をかけた人は100人以上、合計すれば少なくとも150人以上の人と話したことになります。


今年初めての宿 2

2018-05-17 | 日記


 西予市の民宿みやこも今年初めて泊まりました。



 西予で宿をとることは少なかったので、有名な宿ではあるのですが初めての投宿となりました。でもご主人とは10年くらい前近くのお大師さんの前の休憩所で話したことがあります。何を話したかもいまだに覚えています。そういうことがあったので一度は泊まっておかねばと思っていました。今回は番外のバラ大師に行くことで、距離を無理矢理合わせました。
 宿の設備も食事もまあ普通という感じですが、ご主人と奥さんがやっぱりすごく気持ちよく迎えてくれました。本当のお遍路宿という感じ、食事の時もご主人といっぱいお話しできました。同宿は神戸から来た区切りの男性、彼は六甲全山縦走をする人で、その話で一盛り上がりありました。ぼくは経験はないけれどお遍路の練習で六甲を歩いたことがあって、その時縦走の練習をしている人に会ったことがあります。この前日ときわ旅館で同宿だったご夫婦もこの宿に泊まっていました、ご主人は電車で伊予平野駅まで行って出石寺を往復、奥さんは普通に歩いて大洲まで、ときわ旅館ではご夫婦とは全く話をしなかったのでそういうことだとは知りませんでした。

 2日目に泊まった一宮寺近くのゲストハウスそらうみもやっぱりお薦め宿でした。宿の人二人、(男性と女性、どういう関係性かはよく分からない、女性はお遍路ツアーの添乗員もしている)といっしょに食事をする、7時から11時まで、途中退席は自由ですが、ぼくは結局最後までつきあってしまいました。もう一人ご主人の知り合いの男性が東京から来ていて、3人ともお遍路の経験者で、小豆島も巡っていて、お遍路話で途切れることがありません、話ができたことより話をたくさん聞けたのがありがたい、夕食付きお風呂付きで5300円、部屋は全室個室、朝食は500円、素泊まりで泊まることはできず宴会は必須です。できたばかりの宿で設備は全部新しく快適、風のくぐると同じ人が設計デザインをしたとかで、確かにちょっとクセはありますが。

 素泊まりだった、ゲストハウスまぁる、かつおゲストハウス、お遍路ハウス龍雅荘でも結構いっぱい喋ることができて、それぞれ楽しめました。食事付きの宿で同宿の人がいっぱいいても全然しゃべれないこともある、Aランクの宿でも夕食が黙りだとあまりいい印象が残らない、そういうことの多い宿は敬遠したくなります、
 

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今年初めての宿

2018-05-16 | 日記


 宿毛のまなべ旅館、何年も前から佐藤さんにぜひ泊まるように薦められていた宿、2年前は朝一でバスに乗る行程だったのでやむなく諦めた、この宿の朝食は7時から。
 歩き遍路宿びざんのご主人も、この宿はとにかく最高だったとしみじみ語られます。

 夕食はこれだけではなく、

 これがメイン、めちゃめちゃうまかった、今年四国で頂いた夕食の中で一番うまかった。今まで100軒以上の宿で夕食を頂いたけれどその中でもベスト3に入るくらいうまかった。熱々でお肉もたっぷり野菜もしゃきしゃきで箸が止まらないくらい、
 施設も全部新しくて部屋に洗面バストイレも付いている、ユニットバスが苦手な人は1階に家族風呂もあってぼくはもちろんそちらに入りました。
 新しい宿で、へんろ地図に掲載されたのもごく最近で知らない人の方が多いというのは至極残念なところです。2食付き6700円。

 客観的に見るとまなべ旅館は特Aの宿であることは間違いないしどなたにも安心してお薦めできる宿ですが、ぼくが今年気に入った宿は別にあります。
 70番本山寺のすぐ側にある一冨士旅館は昨年薦めた田尾さんのブログにあったように昔ながらのいい遍路宿で癒されました。迎えてくれる第一印象がちがう、一人のお客さんを迎え入れるということではなく、1日中何十キロも歩いてきたお遍路さんを迎え入れるその気持ちが自然に女将の身体全体から伝わってくる、ぼくが遍路宿に一番求めているのはそのことだったと改めて思い起こさせてくれる宿、お遍路だったらどんな宿でも泊めてくれるだけでありがたいと思え、ランク付けなどするなと言われることもあるのですが、重い荷物を背負って40kmも歩いて、それでお金を払って泊まるのであればやはりちゃんと気持ちよく迎え入れてくれる宿を選びたい、全部でなくてもせめて30泊する内5軒や6軒はそういう宿に泊まりたいというのはわがままでも贅沢でも何でもないと思う。
 同じように感じ入ったのが焼山寺から10km下りてきた(順打ちの場合)所にある植村旅館、ここの女将も本当にお遍路の気持ちが分かってくれるいい感じの人でした。この宿は本館の急階段に文句を付けていたブログを見たことがあるのであまりいい印象を持っていなかったのですが、来年以降もできるだけ泊まるようにしたいと思っています。本館の方のトイレは和式だけで女性には辛いタイプでもあるので一般にお薦めすることはしませんが、ぼく個人の好みとしては断然◎、神山の町の方の宿より安いし翌日の行程も楽になるのでいいことずくめです。逆打ちの人には大きなおにぎりのお接待もありました。

 素泊まりでとまった8軒のうち、やまもも、40010,お宿日和佐、ビジネスホテル八幡は文句なしのお薦め宿です。
 内子駅近くにあるお遍路ハウスやまももはHPで見ていて分かっていたつもりでしたが、それでもびっくりのすごい宿(家)でした。7年ほど前に建てたばかりと言うとおり全部ぴかぴかで広くて持て余しそうなくらい、3500円で一組限定、これはすごいと言うしかありません。内子に泊まるお遍路さんは多いはずですが、昨年開業したばかりで全然知られていなくて予約はあまり入っていないようです。お遍路ハウスのサイトを見つけた外国人の方がよく泊まるくらいだと奥さんは言っていました。ご主人は翻訳アプリのボイストラの講習も受けてきたそうです。
 岩本寺の5km手前、ゲストハウス40010は相部屋で3000円、ひとつある個室を一人で使えば4500円、二人で使えば7000円です。ぼくが泊まったときは同宿者がいなくて4人部屋を一人で使う形に、全部きれいにリノベーションされてほとんど新築と言ってもいいくらい快適でした。外国のお遍路さんで野宿もする人も少なからず泊まるというので英語の野宿案内と日本語の宿案内を渡すと、必要な人にはコピーして渡すと言ってもらえました。アヤカ先生は本当に明るくて人を喜ばせるのがうまくて、ありがたかったです。
 お宿日和佐はやっと日和佐にお薦めの宿を発見、という感じです。こちらも古民家をリノベーション、風呂トイレ洗面ダイニングはきれいになって、部屋は昔の趣を残してそれがまたいい感じです、夕方になると奥さんが木の雨戸を閉めに来てくれる、こういう本物の雨戸を見るのは何年ぶりでしょう。素泊まりですがコーヒーはフリー、朝は食パンも用意されています。今年の夏、泰仙寺と弥谷観音に行くときにまた泊まります。
 最後の日に泊まったビジネスホテル八幡は素泊まりで5724円、遍路宿としては高いのですが、それでも十分納得できるくらい気持ちよかったです。風呂とトイレが完全セパレートで風呂が広い、部屋も広い、液晶もでかい、普通のビジネスの2倍近いくらいの広さでいい気分でした。うどん屋さんはすでに閉店の時間でコンビニでパンを買うと6500円ほどですから、これは大満足でしょう。


今年の遍路費用

2018-05-05 | 日記

 宿泊費(31泊)  167964円 素泊まり11泊
 食料、飲料      12380円 
 交通費         9900円 自宅から四国までも含む
 宿案内コピー       700円
 納札           500円
 高知城          330円
 龍馬が生まれたまち記念館 240円

 合計        192014円

 納経費63ヶ所    18900円
   奥の院 17ヶ所
   番外   4ヶ所
   88  42ヶ所

  一巡して19万円ですというとびっくりされる方が何人もいました、13万円くらいで巡ったこともあるのでぼくの中ではこれでもかなり贅沢している感じですが、これ以上素泊まりを多くすると本当に貧しい感じの旅になるのでちょうどいいところだと思っています。
 納経は3年かけて210ヶ所を巡るので、できるところでも敢えてしなかったという所もあります。今年は逆打ちでもあったのであまり負担がかからないように工夫しました。
 


帰宅しました

2018-05-04 | 日記

 鳴門西15時22分のバスは10分ほど遅れてやってきて、空席もあって乗り込むことができました。すぐブログを書こうとしましたが、さすがにすぐ眠りに落ちてしまいました、途中の休憩所に着いたのも出たのも全く気づかないくらい深い眠り、四国にいるときはこれだけの眠りはあったかどうか、1日中歩いても宿ではどこか頭の一部は起きているような感じの眠りになってしまいます、それで疲れはとれているし全くといっていいほど問題はないのですが。
 山陽電車舞子公園16時54分発の直通特急で17時26分飾磨駅に到着です。霊山寺の納経所を出て3時間も経たないうちに帰宅してしまうというのも、いいのか悪いのか、多くの人がそうするように高野山に行くというのが精神的に時空の流れが受け止めやすくなるのかもしれません、そういう意味も高野山にはあるのかなと、
 四国にいる間は自分のブログが見られません、書けるけど見られないのでコメントの返事もできません、トトロさん、kahkochan、同姓同名さんありがとうございました。
 2日前藤井寺でお話しした二人の女性お遍路さんは、お札を交換してびっくり、二人とも超有名女優さんと同姓同名だったのです、考えてみればそういう人と今まで会ったことはなかなかないと思います、それが二人同時というのは改めてすごいと思うし、ぼくのブログやホームページもちゃんと見てもらえて本当に嬉しいことでした。ここでその女優さんの名前を書きたいところですが、それはちょっと控えねばならないでしょう。一人はぼくと同じ年齢の東北出身の人とだけ書いておきましょう。

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最終日=愛染院で最後のお接待

2018-05-03 | 日記


 14時44分、霊山寺に到着しました。今日は12ヶ所のお参りで10ヶ所で納経、慌ただしくてもちろん立ち話の余裕は全くなく、詰まらない1日でした。ただ歩いてただお参りする、それはぼくのお遍路ではないことがよく判りました。欲張り過ぎかもしれませんが、
 今日出会った歩き遍路さんは64人、32日間の合計は880人でした!!ちょっとできすぎ!?
 上の写真は地蔵寺近くの接待所、下の写真は愛染院です、今日のお接待は4回、お接待の合計は55回でした。

南無大師遍照金剛


31日目=長戸庵から傘をさす

2018-05-02 | 日記


 13時05分、藤井寺に到着しました。ほぼ想定通りでした。植村旅館から焼山寺までは130分、この区間下りの時のタイムは110分なので思ったより大分早かった。焼山寺から柳水庵までは85分、順打ちと同タイムでした。柳水庵から藤井寺までは76分、順打ちより10分早いタイムでした。山登りはおおむね順調で納得のいくものでしたが、浄蓮庵までの登りは想像していたより長く感じて苦労しました。長戸庵までは傘を杖として使えてラッキーでした。藤井寺では二人の女性お遍路さんと1時間近くお話しできてさらにラッキーでした。


30日目=続き

2018-05-02 | 日記

 びざんで同宿だった伊藤さんは昨日は広野まで歩いてバスで宿まで、昨年のぼくと全く同じ行き方。今日はバスで広野まで戻ってこちらに向かうのでどこかで会えるはずだったのですが、うまくいきませんでした、おそらくぼくが国中寺に行って通常の遍路道をはずれたときに行き違ってしまったと思われます。国中寺は13番大日寺の1㎞ほど東にあります。常楽寺から大日寺に向かうときに大きな橋を渡りますが、遍路道はその中程で右へ下りていくのに対し国中寺はそのまま橋を渡りきってしまいます。距離にして2㎞もありませんがタイミングがはまってしまいました。大日寺の奥の院は建治寺がよく知られていますが、国中寺も奥の院で、御朱印も大日寺の方でしてもらえます。御影も頂けます、奥の院の中には御影がないところもあります。


30日目=14番奥の院慈眼寺、13番新奥の院国中寺

2018-05-01 | 日記


 15時27分、植村旅館に到着しました。昨日電車に乗らず42㎞歩いてしまったので、今日は25㎞、でも休む配分を考えず大日寺で次々やってくるお遍路さんをカウントするのに大混乱、正確な数字が取れませんでした。でもおおよそで日本人41人、外国人5人でした。昨日より少ないのですが、泊まっている区間が今日の方が限られているので、連休のピークなりの数字が出ていると思います。これで日本人の合計は620人、外国人は165人です。
 明日は素泊まりなので今日が今年のお遍路最後の夕食になります。その最後の夕食会が今年の最高の夕食になりました。メンバーは20代の京都の女性二人、一人は生まれは姫路でなんと高校はぼくと同じでした。前に久万高原で10年先輩に出会ったことがありますが、こんどはものすごい後輩です。そしてスイス人の24才の青年、そして彼の通訳をしてくれた50代の男性、彼はスイスでも働いたことがあるそうです。皆さんの話を本当にたくさん聞けて、ぼくの話しも聞いてもらえてよく笑って実に楽しくありがたい2時間でした。お大師さんから、よく辛抱してがんばりましたね、と言って貰えたような気がして涙がポロポロこぼれました。