WALKER’S 

歩く男の日日

今年の続き

2013-07-10 | 13年四国の旅

 途中、黒潮町で挫折してしまった今回の旅の続きは、来年の4月に歩くことにします。ほとんど今回計画していた通りですが、電車の都合で初日と2日目は変更、内子町と久万高原町の宿も変更してみました。食事付きで泊まる宿が9軒、素泊まりが9軒でなかなかのバランスです。宿泊費は82350円、交通費は10950円、食費は9200円に押さえて、合計の費用は102500円になります。
 青数字は歩行距離です。初日を除く18日間の平均は39.64km(今年は42.08km)でだいぶ楽になります。
 赤字の歩行時間も7時間を超える日が3日だけで、今年と違って午後からも楽しく歩けるものと期待しています。


ブログのできばえ (2)

2013-07-09 | 13年四国の旅

 ぼくはパソコンを使い始めて丸12年、その前にはワープロを5年以上使っていたので、キーボードに対するストレスは全くありません。使う指は中指2本だけですが、自分の思ったようなスピードで打つことができます。
 それに対して、携帯電話は使い始めて1年にしかならないし、普段は全く使わない(アラーム機能だけは毎日使用)ので、文字を打つのは未だに慣れません。ワード予測機能はかなり便利でパソコンで打つより早いと感じることもあるけれど、文字が小さいし画面も小さいのでとても見づらい。文字を大きく設定すると文章画面に入る文字が限られて文章全体を把握しにくくなってまたイライラ、文字は2番目の大きさに設定するも時々かすんで濁点と半濁点の区別がつかなくてルーペを使うこともしばしば(四国には眼鏡は持っていけない)。というようなことで、長い文章を書くことは自然と避けてしまって、最低限の簡潔な文で済まそうとしてしまうことが常になっていきました。もっとおもしろいことやふくらみのある文章が書ければよかったのですが、なかなかうまくいきませんでした。
 宿に入ると、時間はいくらでもあるのですが、身体が疲れて、同時に頭の働きも鈍くなって、1日の出来事をうまくまとめることがほとんどできませんでした。分かりやすくておもしろみのある文章を作るにはある程度の熟成期間が必要なのかもしれないとも思いました。

 ということで、今回のオンタイムのブログはストレスとフラストレーションばかりが残る結果とはなったのですが、来年も一応は続きということなので、同じようにやっていくつもりです。ただ、行程が前半に比べて楽になる日が多いので、回数は1日10回以上を目標に、そして毎回最低限+何か、を書くことを自らに課して続けたいと思っています。


ブログのできばえ

2013-07-08 | 13年四国の旅

 昨年別格霊場を区切りで巡ったときに初めて携帯電話を持っていったのですが、歩きながらブログを投稿するのはとてもできないと痛感しました。須崎の大善寺まではスマートホンで、これは全然繋がらなくて話にならず、宇和島龍光院からはガラパゴスに変更してあらゆる場所で繋がるようになったのですが、歩いていると携帯をいじる余裕が全くありません。ぼくのような速足遍路は休憩ポイントが少ない上に休憩時間もバカみたいに短くなってしまいます。電車の中からは何度も投稿できたのですが、歩き始めるととたんに何もできなくなって、それまでのように帰ってからゆっくり投稿することに決めたのでした。
 今回は、できないとは分かりつつ、4年ぶりの通し打ちでもあり、それまでと同じような書き方ではあまりに芸がないということで、あえてオンタイムで投稿することにしました。決めていたのは1日5回以上投稿することと、宿に着いたらすぐ投稿することだけで、あとは成り行き任せにするしかないと思っていました。


ぼくたちの better choice

2013-07-07 | 13年四国の旅

 失敗した理由がはっきりすれば、その誤りを正せばよいだけのこと。
 OD100GTXは現在も製造販売されているけれど、ぼくが使っていた頃からマイナーチェンジされてアウトソールの素材が丈夫になったのはいいけれど、その分重くなって390g(サイズが26cmの場合)になってしまいました。かなりOD400に近づいてしまったのでおいそれと採用するわけにはいきません。それに、今回中途挫折でバス代や南風代で余分な費用をずいぶん使ってしまったので、当分は高価なシューズを買えなくなってしまいました。ということで、来年は昨年の10月に買ったトラッドロード4で歩くことに決めました。それまでの普段履きは足の調子に合わせてマキシマイザーとOD400を使い分けていくことにします。来年の夏までは新しいシューズを買わなくて済みます。


ぼくたちの mis-take

2013-06-22 | 13年四国の旅


 上の左が今年四国で使ったミズノフリーウォークOD400GTX、
 上の右は09年の通し打ちで使った(08年、07年も同じタイプを使用)ミズノフリーウォークOD100GTXです。
 下の左は昨年別格区切り打ちで使ったミズノトラッドロード(ランニングシューズ)と同じタイプ、右は現在練習用に使っているミズノマキシマイザー(ランニングシューズ)です。
 ともに同じ色、同じメーカーなのであまり変わらないように見えますが大きな違いがあります。その違いに気づかなかったことが、今回の失敗の第一の要因ではなかったかと考えています。

 06年(4巡目)まではトラッドロードと同じようなランニングシューズで歩きました。3巡目の時はミズノと違うメーカーだったのでちょっとしたトラブルはあったのですが、それ以外は大したトラブルもなく順調に歩き通すことができました。イオンで3980円のバーゲン品でそれだけ歩ければいうことはないのですが、4巡目の時に異常に雨が多くて、考えが変わるきっかけになりました。
 04年は33日の内、雨が降った(一時雨も含む)日は9日、05年は31日の内、5日だったのに対し、06年は31日の内16日も降られてしまったのです。その中には窪川から足摺を経て宿毛までの5日連続と、松山から観音寺までの5日連続が含まれます。さすがに毎日のように宿に着くたびに靴に新聞紙を詰めるのにはまいりました。ゴアテックス素材の本格的なウォーキングシューズを求めるのはごく自然な流れでした。

 ミズノのウォーキングシューズでゴアテックスで一番安価なものがフリーウォークOD100GTXでした。安価といってもイオンの隣のスポーツショップで11219円、それまで使っていたシューズの3倍近くするのですが、ほとんど躊躇なくレジに持っていったのは、前年の雨が余程応えていたのでしょう。
 最初このシューズを履いたときは少し堅さと重さを感じました。でも1週間くらい慣らすと、ほとんど気にならなくなりました。むしろ土踏まずのふくらみが心地よくて自然に踏ん張りがきいて、スピードも出しやすい感じがしました。ただ、毎日40km近くの距離を1ヶ月も歩き続けるとどうなるかは全く予想がつきませんでした。その頃練習で歩いていたのは10kmまでだったので、この微妙な重さが距離が長くなると大きな負担にならないとも限らない。それまでも、10kmでは問題なくて30kmで靴擦れになるということも経験していたので、四国で歩くまではひやひやものでした。

 そうして迎えた07年の通し打ちは、思いの外順調に進みました。時折マメができたりすることもあったけれど歩きには全く影響が出ない程度のものでした。関節や筋肉が痛んだことも今からすればほとんど記憶にありません。過去4年のベストタイムと比較しても、早かった区間が96,同じだった区間が30,遅かった区間が19で、今でもこのときのタイムがほとんどの区間でスタンダードになっているくらいです。
 一つだけ気になったことといえば、当時のOD100のアウトソールの素材はマイナーチェンジした現在のものと違って丈夫ではなくて、四国を一周するとかなり磨り減ってしまう。ただ磨り減るのではなくて、ぼくの場合かかとの外側ばかりが磨り減って、内と外の差が2cm以上になってひどい傾きになってしまう。それで、特に歩きにくいとかスピードが落ちるということはなくて、讃岐の国に入ってもほとんどの区間でベストを上回ったので、大した問題ではないともいえるのですが、少し首を傾げながら四国を後にすることになりました。

 かかとの傾きがあまりにひどいので、次の年もOD100でいいのかと迷いました。迷ったあげくOD400に手が伸びてしまいました。OD400は100の一つ上のモデルでアウトソールの素材がX10というハードな素材で一周しても傾きが半分くらいに押さえられるのではないかという期待がありました。
 その年の11月、高野山に行った帰り、淀屋橋のミズノ本店で購入、本店は定価販売なので13650円でした。ところが帰って試してみると100とは全然違って何度歩いてもしっくりしませんでした。フィット感がなく身体の一部にはならず別の重りをつけて歩いているような感じです。10日ほど歩いて早々に四国で使うことは諦めました。改めてOD100を購入したのは、2月20日だったから2ヶ月以上は迷っていたのかもしれません。

 ということで08年の108ヶ所通し打ち、09年の88ヶ所通し打ちはOD100でつつがなく済ませることができました。相変わらず終盤になるとかかとの傾きはひどいことになるのですが、歩きそのものに影響が出ることはありませんでした。
 10年から12年は通しで歩くことができなくなって、日帰りで歩いたり、1泊で歩いたり、別格だけを区切りで交通機関を利用しながら歩いたりしたのですが、最長でも5泊6日だったので、シューズにまで気を使うほどのものではないと、改めてウォーキングシューズを買うこともなく、普段使っているランニングシューズ(トラッドロード)で出かけたのでした。

 4年ぶりになった今回の通し打ちでは計画を立て始めた当初からOD100を使うつもりはありませんでした。今回は初めて泊まる宿が13軒で、せっかく初めて泊まるのだから食事付きで泊まりたい、食事付きで泊まる宿の合計は15軒にもなって今までで最高、当然費用もかなり高めになってしまうので、1万円以上のシューズを買うわけにはいかなくなった、というのが理由です。今まで食事付きで泊まった宿が一番多かったのは08年の12軒ですから、今回はかなりの贅沢遍路になります。それで、シューズくらいはバーゲン品で済まそうというけちな考えです。
 別格を歩いたトラッドロードで行くことは決めていたところ、8月になって突如現れたのがマキシマイザーでした。

 イオンのシューズショップでマキシマイザーがバーゲンのバーゲンになっていました。2786円というのはトラッドロードの3割引の値段です。マキシマイザーはオール革張りなので布張りのトラッドロードよりは雨に強いはずだということもあり、すぐに購入してしまいました。ランニングシューズとはいえオール革張りで長距離を歩くのは無理があるかもしれないとは思ったけれど、だめな場合は普段履きにすればよいという軽い気持ちもありました。最初試したときは靴紐の結び方がうまくいかずすぐに靴擦れになってしまい、これはだめだと一旦は諦めたのですが、痛みが引くのをみはらかって、何回か靴紐の結び方を変えたところちょうどいい具合のところを見つけることができました。10km歩いても全く擦れ感がなく快適に歩けるようになりました。その時点ではどちらにするか決めかねていました。

 記憶とは曖昧なもので、昨年のブログを読み返してみると、マキシマイザーを再び試してみることになったのは最初諦めてから4ヶ月も経った12月20日のことでした。それまでは、ずっとトラッドロードで行くつもりだったということになります。なぜ再び試そうという気になったかはよく覚えていません。でも、ミズノの靴だから靴紐の締め方を変えれば普通に使うことはできるだろうと何となく思っていました。その思いが通じて4ヶ月ぶりに日の目を見て四国で使う可能性も一気に浮上してきたのでした。その時点ではどちらを使うかはまだ決めかねていたはずです。そして、2週間ほど経った1月7日、これまたどういう訳かピカッとひらめいたのが、4年以上ほったらかしにしていたOD400の復活です。これが今回のミステイクの入り口だったことに、そのときはもちろん気がついてはいませんでした。

 なぜ4年以上も放って置いたOD400が浮上したのか。
 マキシマイザーとトラッドロード、雨に強い靴か歩きやすい柔らかい靴か、その選択で迷っていたところに魔がさしたということなのかもしれません。
 二つのシューズに比べて雨に強いことは確かだし、なにより13500円も支払った物をそのままにしておくことはいかにも「MOTTAINAI」。そしてそのことが正義だという気持ちになっていったのかもしれません。
 もちろん5年前に試したときのように、履き心地が悪ければ直ちに諦めるつもりでいたし、さほど期待もしていなかった、うまくいけばもうけ物というほどの軽い気持ちだったかもしれません。ところが、幸か不幸か、靴紐をしっかり締め直すと履き心地は悪くはない。トラッドロードのような分厚い靴下のような身体との一体感や軽さはあまり感じられないものの、擦れ感はなくて、10km歩いても靴擦れは全くなくて疲労も残らなかったのです。練習を重ねるとさらに履き心地は良くなって重さもあまり気にならなくなっていきました。

 2月に入ってから、本格的な慣らし履きを続けると、もうこの靴以外のものは使わないと決め込んでいたように思います。神戸の山登りでひどい筋肉痛になっても、書写山の帰り思うように足が動かなくなっても、適当な言い訳を考えて、無意識のうちにマイナス要因を排除するようになっていました。はじめてOD100を使ったときのような慎重さはなくて、正義を行使するためにあらゆることを楽観的にとらえるようになっていたかもしれません。

四国に発つ2週間くらい前になると途中で足を痛めて挫折してしまう心配もしていたけれど、それは今回のような形ではなくて、捻挫や骨折、交通事故などしか考えられなかった。だから、確率はかなり少ないと思っていたし、山道の下りは捻挫しないように細心の注意も払うつもりだったから、本音の部分では安心や油断があったのかもしれません。7回巡って、挫折したこともないし、こういう痛め方で歩けなくなったこともないので、それは当然のこととも言えるでしょう。

 今回歩けなくなってしまうほどに痛めたのは、右の前頸骨筋、弁慶の泣きどころのすぐ外側にある筋肉です。患部は膝と足首の中央より5cmくらい下の部分、円錐の筋肉が急に細く狭まってくる部分です。日頃の練習でこの筋肉はよく発達していて、40km歩いても痛めたことはないし張りが出たという記憶もほとんどありません。足首に近いところがピクピクしてかなりの疲労を実感したことがあるくらいです。
 四国に入って初日の歩きは、高速バス停鳴門西から11番札所藤井寺の3km手前、鴨島駅前にあるさくら旅館までの34.2kmでした。距離はパソコンマップで正確に測定したものですが、山門から山門までの距離なので境内で動いた距離は含みません。熊谷寺や切幡寺は山門から本堂まで相当距離があるので。実際に歩いた距離は37km以上かもしれません。歩数計は自宅から飾磨駅までと舞子公園駅から高速舞子バス停までの距離が含まれているので、40.48kmになっていました。
 今までは初日はゆっくりの出発で、徳島駅近くの旅館に泊まったことが3回、1番霊山寺の門前の民宿に泊まったことが1回、3番金泉寺の近くの宿に泊まったことが2回。一番歩いたときでも7番十楽寺の2km先の宿までで。初日に始発のバスに乗ってこれだけの距離を歩くことはなかったのですが、それでも2日目には、今回とほとんど同じ道のり、同じくらいの距離を歩いていました。

 初日、さくら旅館に到着した後のブログを確認すると、すねの筋肉が痛んでいると書いている。今までこの区間、この距離を歩いて足を痛めたことは一度もありません。マメができそうになって焦ったことはあるのですが、足の筋肉が痛くなったことはない。もうこの時点で今回の結果は見えていたようなものです。でもそのときは全く深刻には受け止めなかった。少し痛んではいたけれど普通以上に歩けていたからです。初日のタイムはこれまでのベストと比較して早かった区間が6つ,同じだった区間が3つで最高といってもいいくらいの歩きができていたのです。後半もそんなに重い感じもしませんでした。
 それに、次の日の行程が最高に大変だったので、そんなことを考える余裕もありません。ここまで来ると前を向いて進むしかないから後ろ向きのことは考えても仕方ない。次の日は焼山寺までは全く問題なく最高に近い歩きができたものの、やはり宿に着いてみると前日以上の筋肉痛が足全体に広がっていました。このときは大腿部や臀部にも痛みがあったけれど、それはしばらくして消えて、残ったのはやはりすねの痛みだけでした。この部分の痛みは結局最後まで消えることはなく11日目で爆発したのでした。

 黒潮町で歩けなくなったときに最初に考えたのは、やはりスケジュールがハードすぎたのか、ということでした。確かに今回の旅の前半は今までで一番きつかったかもしれません。2日目の焼山寺越えで観音寺まで行くのは初めてだったし、須崎から黒潮町までの50kmも初めて。でも、それ以外の日の行程は全て経験している距離だし、焼山寺越えも5年前別格2番童学寺にお参りして7km余分に歩いて大日寺の門前で泊まったときと距離はあまり変わらない。そのときは旅館吉野に泊まったのでさくら旅館から吉野までの2kmと徳島駅から大鶴旅館までの1kmの合計3kmは長かったですが。とはいえ、11日の内40km超えは9日、4年前は最初の11日で40kmを超えたのは3日間だけでした。同じ28泊でも、今回は足摺の打戻りを月山神社経由にしたり、久万高原も農祖峠を越える道を行く予定だったし、浦戸大橋も渡ったし、ふれあいの里さかもとまでも歩いたりして、4年前より32kmほど余分に歩くことにしていました。本来ならもう1泊してもいいところをぎゅっと詰めてしまった、しかも前半にきつい行程を詰めてしまった。
 歩くのを断念した黒潮町上川口のバス停ではそんなことばかり考えていました。その時点では靴が悪かったなどとは全く考えませんでした。

バスで移動した12日目から14日目は何を考えていたかよく覚えてはいないのですが、まだ靴のことを考えるまでの冷静さはなかったような気がします。
 靴に第一の原因があったと思うようになったのは帰宅してずいぶん経ってからだと思いますし、その証拠を示すために靴の重さを量ったのは10日以上経ってからでした。

 OD400GTX  = 440g
 OD100GTX  = 320g
 マキシマイザーSL = 310g
 トラッドロード4  = 260g    いずれも片足、サイズ25.5cm

 この重さを見ると、下の3つの靴と上の靴は明らかに別物だということが分かります。400と100の間に点線が見える。最初OD400を履いた5年前の感覚が全く正しかったと言うしかありません。10kmで問題なくても30km歩き続けると深刻な問題が生じるという典型的な靴であったというしかありません。
 ずいぶん前のことですが、埼玉のシューズメーカーの社長さんが四国を通しで歩いて、「遍路道は95%以上が平坦な舗装道だから、登山靴やトレッキングシューズで歩くのは間違っている」と言って、独自に遍路シューズを開発された、という話を聞きました。トレッキングシューズといってもメーカーによって考え方は様々で、同じメーカーでもウォーキングシューズより軽いものもあれば登山靴に近いガッチリ重いものもある。OD400はウォーキングシューズのカテゴリーにありハイカットでもないけれど、その重さや形状を見ればトレッキングシューズに近いとも見ることができます。少なくともぼくのように歩幅95cmで時速6.5kmでスタスタ1日に40km以上歩くのには、絶対向いていない、というよりこの靴でそういう歩き方をするのは間違っている。間違っていたから筋肉を痛めて歩けなくなってしまった。


遍路ころがし

2013-06-13 | 13年四国の旅

 今回の旅は足摺の60km手前で不本意ながら挫折してしてしまいました。今まで7回も巡って一度もそういうことはなかっただけに本人も大いに当惑している(今なお)のですが、帰って2ヶ月にもなるので冷静に客観的にその要因を見つめることができつつあります。
 確かに、今回の旅は4年前までのものと何から何まで違っているような感じがしていました。11日間で470kmほど歩いたのですが、そんなに歩いたという感覚が先ずありません。札所でのお参りがほとんど流れ作業のようになりがちなように、札所間の歩きも流してしまっていたのではないか、そんなことも考えたりします。流せるほど無理なく楽に歩けたというのではなく、むしろ逆だったと思います。ほとんど常に膝から下の筋肉痛があって、午後からは思うように足が前に出なかったことに焦りやいらだちがあって、周りの景色を楽しんだり過去の歩きを思い出したりすることがほとんどなかった。そのことが、流してしまった、あまり歩いた実感が残っていないということに繋がっているのかもしれません。

 とはいっても、全ての道が味わえなかった、楽しめなかったということではありません。ありがたいことに、四国には流そうとしても絶対流すことのできない過酷な道が厳然と存在します。その代表が焼山寺への道です。もうずいぶん前のことですが、同宿のお遍路さんが「ぼくは焼山寺はそんなに辛くなかったなあ、下りの部分もだいぶあるし、平坦に近いところもあるから、きついばかりではない。それに比べると鶴林寺の方がきつい登りのいってんばりでよっぽど辛かったよ」と言われました。そのときはぼくも同じような感想を持っていたので、大きくうなずいて同意したものです。まだ3回くらいしか焼山寺に登っていない頃でした。その後、焼山寺に登るたびにその考えが間違っていることに気づき始めました。昨年まで9回焼山寺に登ったのですが、自分の思い通り快調に登ることができたのは1回だけです。その1回は、たぶん、3回目か4回目の時だと思うのですが、それとて本当に13kmの行程全てが快調だったかどうか疑わしいものです。タイム的には5年前6巡目(108ヶ所通し打ち)の時が一番良かったのですが、思い通り登れたという感じはありませんでした。その頃から『何度登っても焼山寺は慣れない』という思いが強くなりました。その証拠に、翌年は雨が降っていたとはいえ、柳水庵までは10分遅れ、柳水庵から焼山寺までは12分も遅れてしまったのでした。

 その翌年、10年は時間が取れなくて日帰りで登りました。日帰りするだけの時間でも取れたことが今からすれば不思議な感じがするし、遙かな昔のような感じもするし、そうまでしても四国に来なければならなかった理由はもう霞の中にあるような気がしています。
 そのときは、足首にひどい怪我をしてから半年くらいは経っていたけれど、長い距離を歩く練習はできないままの状態、山登りでも1日くらいなら何とかなると勇んで出かけたものの、気持ちが空回りして、柳水庵での休憩の仕方を誤って、後半はひどいことになってしまいました。駐車場からの参道に合流する前の広い林道に上がってきたときにはほとんど足が前に出ない、調子がよいときの半分のスピードしか出ず、倒れ込むように山門にたどり着いたのでした。神山町役場の近くのバス停まで下っていく道もただただ苦しくて全然楽しめませんでした。
 それから2年、昨年の区切り打ちでは1泊2日で登りました。スマートホンを持っていてGPSログを使いながら登ったのでこれは別物になってしまいました。登る調子は悪くなくてタイムはベストタイだったけれど、しっかり遍路道を味わえたか楽しめたかというと、疑問の残るところです。しかも、下りは完全にスタミナが切れて別格2番童学寺まで9分も遅れてしまいました。

 雲辺寺でも08年、09年、12年と3回続けてまともに登れていないので、今回の山登りはいつにもまして慎重に謙虚に臨みました。
 スマートホンは3Gが全然繋がらなくて(電車の中ではほとんどメール送信すらできない)パケット代も高いので半年で解約、今はパカパカ(ガラパゴス)を使っているのでGPSログは使えないし、写真も3年前にずいぶん撮ったので、今回は休憩ポイントだけにして歩きに集中します。
 急な坂はしっかり焦らず、平坦なところは息を整えつつスピードを上げる、下りは着地ポイントに細心の注意を払う。払いつつも安定したところでは積極的に歩を速める。そして今回は道がよく読めていました。これだけ回数を重ねると、次にどんな道が現れるかは判っていて当たり前のように思われるでしょうが、山道は余り変化がないので1年経ってしまうとほとんど記憶に残っていないということが多い、時折見覚えのある道が出てくるという程度ですが、今回は不思議なくらい次に出てくる道が読めていました、読めているから焦らず着実に登ることもできる。休憩ポイントまでまだかまだかと急く気持ちも全くなく、後これくらい登れば到着すると判っていました。淨蓮庵の手前の石段の門柱もずいぶん前のところから確認できていました。こんな下から門柱を見上げたのは初めてのことでした。
 休憩の仕方も計画通りうまくいきました。長戸庵でもしっかり食塩と水、そしてさくら旅館のお接待で頂いたおにぎりを1個だけ時間をかけて食べました。山登りの食事では何回か失敗しているので量は最小限にとどめるのがポイントです。長戸庵では休まないことが多かったけれど前回休んでうまくいったので先々のことを考えてきっちり休みました。その効果がうまく出たようで、柳水庵の手前の足場の悪い急な下りもしっかりとらえることができて、最近にない安定した歩きでした。柳水庵までは昨年と同じでベストタイでした。タイムは同じでも昨年よりもしっかり味わいながら登れたので満足感は比較になりません。柳水庵でもしっかり塩分を忘れず水は少な目で過去の教訓を生かしながら休みました。
 柳水庵から淨蓮庵まではベストタイ、石段の手前の急坂でも立ち止まって息を整えることはなくしっかり登り続けることができました。過去には腰を下ろしてしまったこともあったし、何度も立ち止まったこともありました。お大師さんの横で少しだけ水と食塩をとって短い休みで下り始めました。スピードの出る下りだけれど出し過ぎて足を痛めないよう注意を払いながら、それでも駆け足になっていきます。左右内谷まで下って最後の登りに入っても焦りはほとんどありません。足取りはしっかりしていたし疲労もさほどではありません。最後の林道に上がってきたときも余力は充分でした。3年前とは雲泥の差です。参道に上がってくると玉砂利が深くて思ったように力が出せないのがもどかしいくらいでした。ベストタイムより1分早く山門に到着したのですが玉砂利がなければもう1分早く着けていたと思うくらい力は残っていました。

 焼山寺では、お参り、休憩、食事に35分、電車の時間があるのでこれがぎりぎりです。焼山寺からの下りもまだ調子は落ちていない。昨年よりも明らかに足が前に出ていたけれど、それもバスターミナルまででした。玉ヶ峠へ向かう山道に入ると疲労が目立つようになりました。登り口でいくらか休めばよかったけど、やはり電車が気になってそのまま険しい山道に入っていくしかありません。それでも、登り初めは冷静で落ち着いてはいたのですが、後半は足が伸びず例年のように疲れ切ってはい上がるように自動車道に出てきました。焼山寺から玉ヶ峠まで昨年より2分早かったのですが、ベスト(07年、08年)よりは2分遅れでした。
 玉ヶ峠からの下りは最初の急な勾配1kmは膝の周りの筋肉が痛くて積極的な歩きができませんでした。これも昨年と同じ、やはり玉ヶ峠は焼山寺以上の鬼門だと改めて身にしみる思いです。玉ヶ峠から県道20号の合流ポイントまで昨年と同タイム、ベストより2分遅れでした。このあたりに来るともうほとんど歩きを楽しむような状態ではなかったと思います。眺望は最高の道なのにほとんど味わえていなかった。

 焼山寺に登った2日後、もう一つの難所、鶴林寺、太龍寺も今までになくしっかり味わいながら登ることができました。前日の午後、立江寺から「ふれあいの里さかもと」までは思ったように歩くことができず、山登りがちゃんとできるか心配だったのですが、さかもとの大浴場で筋肉痛がかなり癒されたようで、冷静に落ち着いてお山に向かうことができました。

 鶴林寺は昨年まで8回登りました。俳句掲示板から水呑大師までの急坂で毎回出鼻をくじかれてしまいます。午後から歩いたときなどは掲示板の前でへたりこんでしまったこともあるくらいです。慈眼寺にお参りしたあと西側の登山道を歩いたときはさらにきつい思いをしました。10歩登って立ち止まり息を整える、ということを何回も繰り返さないと登れない区間があったくらいです。
 昨年の区切り打ちでは、慈眼寺に登った後ではあったけれど、過去の経験を充分生かすことができ、落ち着いて登ることができました。ベストタイムを2分更新して、もうこれ以上の歩きをすることはないだろうと思っていました。

 朝一番で鶴林寺に登るのは7年ぶりになります。さすがにそのときの状態は全く記憶に残っていません。でもおそらく先はほとんど読めなくて、ただがむしゃらに上を目指して思うように足が出なくて焦ることが多かったような気がします。3回4回登ったくらいでは山道の記憶はほとんど残っていないのでなかなか1年前、2年前の経験が生かせません。
 それが9回目ともなると、焼山寺と同様、先がある程度判っているので焦ることなく落ち着いて着実に登ることはできます。昨年もうまくいったしそのときに写真もずいぶん撮ったから、しっかり思い出しながら登ることができました。もちろんタイムも全く気になりません。山登りもすごく速いですねと言われることがあるのですが、自分では全くそんなことはないと思っています。六甲全山縦走の練習をしている人たちのような歩き方はとてもできない。彼等は平地や下りではほとんど駆け足、登りでも勾配の緩いところでは駆け登っていく。そういうことは絶対できないし、やろうとも思わない。もう20年近く前、ウォーキングも山登りも全然やっていない頃、貴船口から鞍馬山に登ったときに料金所からいきなり20mくらい一気に登ると、動悸が激しくなって息がほとんどつけなくなって倒れ込みました。登り方を誤るとこういうことになるんだと思い知らされたことがあって、以来登りでは頑張らないと決めました。頑張ろうとて頑張れないことが多いのですが、そうであっても焦らないことが大切だと、タイムなど気にすることは全く意味がないと、これも回数をこなして身につけた知恵です。息をつくために立ち止まる必要がないくらいのペースを維持することが一番だと思って足を運びます。だから、全然速くはありません、ただ止まらないだけのことです。

 じっくり味わいながら鶴林寺の山門の前に到着したのは金子やの前から47分後のことでした。正確にいうと46分42秒、昨年より11秒早いベストタイムでした。
 山門をくぐって先ずはブログに投稿、オンタイムなのでお参りの前に到着したことを報告します。本堂でのお参りを終え、大師堂の前に来た頃に、西側の登山道を歩いた同宿の先頭の人がやってきた。一番ゆっくりな人でもぼくの15分遅れくらいでした。

 鶴林寺からの下りも引き続き快調でした。膝に負担のかかる急坂が続くのですが痛みは少なくて例年になく思い切って下れました。県道283号を横断した後にある階段も軽快でした。ここは、痛みに耐えながらおそるおそる下りることが多かったはずです。水井橋の手前にある遍路小屋までは(昨年より1分17秒早い)ベストタイのタイムでした。快調だったので休憩なしに那賀川を渡ります。その後の沢沿いの緩やかな登りに入っても疲れはありません。太龍寺への登り口に来たときも不思議と恐れや気負いはなく普通に立ち向かうことができました。もちろん楽ではないのですが、落ち着いて着実に登り、先を読みながら焦らず進むことができました。まだ10時前で体力的にも余裕があったのかもしれません。山門の手前の急な舗装道に上がってきても例年のようなヘトヘト感はあまりなく、山門までしっかり登り、その横で掃除をしていた若いお坊さんにも元気よく挨拶できました。昨年ベストタイムを3分更新したのですが(鶴林寺から)、その記録をさらに2分更新していました。全く信じられず狐につままれたような感じでした。

 昨年は太龍寺からの下りが異常に調子が良くて、ものすごい記録を作ってしまったのですが、それは調子に乗りすぎた上での結果なのでベストタイムにはしていません。そんなのを基準にするとどんな歩きをしても及ばなくてがっかりしてしまう。
 今回は、もちろん昨年のような快調さではなかったけれど、それ以前のベストと同じタイムでまあ良い方の歩きができました。でもそれは下りが終わる民宿坂口屋までのことで、坂口屋を過ぎると急に不調の波が押し寄せました。緩い登り坂があること以上に思うように足が出なくなったことを自覚します。国道までがいつも以上に長く感じました。そしてその後の大根峠の辛いこと、標高差は国道からわずか60m、鶴林寺の七分の一、にもかかわらずしっかり登ることができません。

 ということで、2日目も4日目も札所までの登りはじっくり味わいながらいいペースで登ることはできたけれど、その後の玉ヶ峠、大根峠は納得のいく歩きができませんでした。午前中4時間も険しい山を登り下りすれば、午後からは思い通り歩けなくなるのは当然かもしれないし、以前も同じような感じで歩いていたのかもしれない。でも、ぼんやりながら、何かが違うという感じは、3日目の午後もそうだったし、5日目はなおいっそう強く感じました。


遍路宿情報

2013-05-17 | 13年四国の旅

 最初の宿さくら旅館の夕食時、同宿の方に自作の遍路宿情報を渡すと、向かいに座った人が「この宿全部に泊まったんですか」と訊かれました。「4分の1も泊まっていません、ほとんどがネット情報を参考にしたものです」と答えると「インターネットの情報って信用できるもんですかねぇ」とちょっと懐疑的な表情をされました。
 確かにネットの情報を鵜呑みにするのは危険なこともあるし、何より宿の善し悪しの判断は人によって違うことも多いから、どちらの意見を参考にしたらいいのか迷うこともあります。ぼくが主に参考にしているのは「遍路宿ランキング」です。多くの人の意見を4段階に分けてポイントにしているのでかなり公平な評価として見ることができます。ここで、△や×のポイントが一つでもあるとお薦めの宿にはなかなかできません。逆に◎だけにポイントがある宿は安心してお薦めの宿に登録できます。
              ◎    ○  △     × 
青空屋         25  0  0  0
ふれあいの里さかもと  21  0  0  0
うまめの木       10  0  0  0
生本旅館         9  0  0  0
道しるべ           6  0  0  0
なずな            6  0  0  0
民宿兵藤           6  0  0  0
えびすや旅館(砥部町)  6  0  0  0
みき旅館         6  0  0  0
大鶴旅館         5  0  0  0
遍路宿もやい       5  0  0  0
土佐民宿大平       4  0  0  0

 昨年までこの内4つの宿に泊まったことがあるのですが、今年は新たに3つの宿に泊まることができました。この評価通り、あるいはそれ以上であることが判りました。

 黒潮町の内田屋は◎=16、○=3、ですが全部◎と見てもいいほどの宿です。ふれあいの里さかもと、うまめの木、土佐民宿大平、内田屋と特に評判の高かったこの4つの宿に初めて泊まるのが今回の旅の大きな目的の一つでした。
 4軒ともに期待を全く裏切ることのない最高ランクの遍路宿でした。文句なしの95点以上、ベストテンに入ることは確実でしょう。ぼくはまだ金剛頂寺宿坊、遊庵、いさりび、なずな、仙遊寺宿坊、和佐路、笛ヶ滝などに泊まっていないので簡単にベストテンを決めるわけにはいかないけれど、それくらいのいい宿でした。この宿に戻ってくるためにもう一度四国を歩きたいと思わせるほどの宿と言ってもいいでしょう。「ふれあいの里さかもと」と「うまめの木」は絶対もう一度泊まってみたい、来年は今年の続きから歩くしかないので2年後になってしまうのですが、今から2年後が楽しみなくらいです。
 この4つの宿には、全ての歩き遍路さんに泊まってもらいたい、歩く距離を多少伸ばしたり縮めたりして無理をしても泊まってもらいたいという気になります。ところが、悲しいかな「うまめの木」は歩き遍路さんがすごく泊まりにくい場所にあります。手前の宿「徳増」からだと16.4km、どんなにゆっくりな人でも5km先の津照寺の近くの宿まで行けてしまうのです。もっと手前となると徳増から21km手前の東洋町役場の近くの5つの宿からということになり、37km以上歩くことになります。これだけの距離を歩こうという人はかなりの少数派になりますから、うまめの木を楽しめる歩き遍路さんはごく一握りの人たちになってしまいます。事実今回同宿だった人は自転車遍路さんと車で来た観光客のご夫婦でした。歩いている人でも23番から24番までは電車やバスでスキップする人が多いから、そういう人はスキップする距離を調節してぜひともこの最高の宿を味わって欲しいと思います。

 ぼくが「うまめの木」のことを初めて知ったのは家田荘子さんの遍路日記を読んだときでした。3組限定の宿で一人一人お風呂のお湯を換えてくれることに感激していました。四国の民宿や旅館では家族風呂とほとんど変わらないようなところも多く、そういうところに男性が何人も入った後はとても入る気にはなれないと彼女は言っていたし、他の女性のお遍路さんが言っていたのを読んだこともあります。ぼくは男でもあるしそういうことは全く気にならない方ですが、確かに見ず知らずのおじさんたちが何人も使った後のお湯にそのまま入るのはとても気持ちが悪い、我慢ならないという気持ちも十分理解できます。うまめの木の奥さんはお遍路の経験者で、そういう女性の気持ちが充分判った上で3組限定で十分なお接待ができる宿を作られたようです。ぼくが一番風呂で用意ができたときに「上がられるときにお湯を落としておいて下さい」と言われました。このことを知らないと、何のことかと聞き返していたかもしれません。一人ごとにお湯を換えてくれる遍路宿は見たことも聞いたこともありません(遍路宿もやいは換えてくれるかもしれません、今まで同宿の人がいなかったので確認できていません)から。
 食堂には家田さんの写真と色紙が飾ってありました。その隣には椎名誠さんの写真と色紙もありました。色紙には「たいへんここちよく。」とありました。全くの同感です。

 ぼくは男だから水回りのことに関してはあまり気にならないけれど、6年前に泊まった高知県のとある宿だけはちょっとまいりました。洗面がトイレの中にあってとても狭くて使いにくいばかりか、すぐ後ろに男性の小用の便器がある。洗面で閉口したのはこの宿だけではなかったかと思います。この宿は応対もよく料理もよくておにぎりのお接待もありかなり評判のいい宿だけれど、ぼくは素泊まりだったこともあり、次の年からは近くのもう一つの宿に泊まるようになりました。その宿は新しくてトイレと洗面は完全分離、お風呂も個人用でゆったりしていました。
 最近見た女性のブログでもこの宿の洗面ではたいへん困ったと書かれていました。女性だとぼくが感じた以上に嫌な思いをしたのは容易に想像できます。こういうところで、宿の評価が大きく分かれてくることもあるのだと実感します。たしかにトイレの中にしか洗面がない宿も多いし、小用の便器がある男女共用のトイレも少なくないし、お風呂の脱衣場にしか洗面がない宿もありました。男が全く問題としなくても、女性だと気になったり嫌な思いをすることもある、うまめの木は個室が二つあるだけで洗面も完全に分離、脱衣場も余裕があり当然鍵もかかります。そしてそれぞれが新しく清潔感があります。あらゆることに文句のつけようがありません。

 20番札所鶴林寺への登り口から西へ6.5kmの所にある「ふれあいの里さかもと」がオープンして11年になります。最初の3~4年は知らない人が多く、お遍路の間でもあまり話題にもならなかったような気がします。へんろ地図には04年の版から載ってはいたけれど、地図の後半の別格用の地図にしか載っていなかったし、別格3番慈眼寺にお参りしない人は往復13kmも余分に歩かねばならない(送迎バスがあることも地図を見ただけでは判らない)から鼻もひっかけなかったに違いありません。ネットでその評判が上がってきたのはこの5~6年のことでしょうか。だれもがその素晴らしさを熱く語るので今ではベテランの人では知らない人がないくらいで、初めて巡る人にもこちらに泊まった方がいいとアドバイスするのが普通に行われているようです。昔は二つのお山に登るのにこの宿しか選択肢がなかったという老舗の宿は、現在では宿泊客がかなり減っていると聞きました。たしかに、一度「さかもと」を味わってしまうと、もう一つの宿にはたとえ料金が半額になったとしても泊まりたくないと誰もが思うことでしょう。これだけいい気分にしてもらうと本当にお遍路が楽しくなります。嬉しい気持ちでお山に登ることができます。
 ぼくが泊まった日は同宿の人は9人、送迎バスの運転手さんは、団体なしでこれだけの人が泊まるのは珍しい、と言っていたから、普通は4~5人というところなのかもしれません。17番札所井戸寺門前の宿から32.5km(鶴林寺登り口まで)、徳島駅近くの宿から25.5kmですから。「うまめの木」とは違って多くのお遍路さんが利用できます。

 ふれあいの里さかもとのお風呂は大浴場と小浴場、ぼくが泊まった日は男性ばかりだったので小浴場はお休みだったけれど、女性が泊まる場合は両方が動いて待ち時間なくいつでも入れるようになると思います。ぼくが到着した15時50分にはすでに入っていた人がいたから15時30分には入れるはずです。トイレ洗面も完全に男女別になっています。元々小学校だからスペースには余裕があります。料理は当日のブログにも書いたように、本当のおもてなし、ご馳走と言っていいでしょう。品数の多さに加えてそれぞれの味わいの深さ、朝食のおかゆの美味さはいまだに忘れられないくらいです。この宿に素泊まりで泊まるのは全く意味がないといえます。2食付き6300円、素泊まり3675円です。

 送迎バスは最初勝浦川に架かる横瀬橋を渡ったところで停車します。ここで、6人が降りていきました。残りの3人は逆打ちなのでコンビニまで、金子やさんの前の登り口で降りたのはぼくだけでした。横瀬橋から西側の登山道を行くと近いような感じがしますが、実際は金子やの前から登るより5~10分余分にかかります。初めての人は金子やから登るのがいいでしょう、でも勢いがすごかったのでそういうアドバイスをする余地は全くありませんでした。

 ふれあいの里さかもとに泊まって送迎バスで登り口まで送ってもらうと、ほとんどの人が22番札所平等寺まで歩きます。距離は21kmほどだけど500mの山二つを登って下って最後に大根峠もあるから平地の30kmに相当する時間と体力を使います。平等寺のすぐ横にある山茶花はとても評判のいい遍路宿だけれど部屋数が多くないので、予約が取れないことも少なくありません。その場合は駐車場に看板が出ている宿(送迎してくれる)もいいのですが、今回ぼくが泊まった宿がおすすめです。12kmも先の美波町由岐駅の近くにあるのですが、当たり前のように気軽に送迎してくれます。ぼくと同宿だった男性は立江寺の近くの鮒の里から歩き始めたので、山越えの30kmで平等寺でダウン、車で迎えてもらって、翌日はまた平等寺まで送ってもらうと言っていました。もう一人の人はやはり鮒の里からで、時間がかなり遅くなって宿の人が迎えに行きましょうかと言ったところ、どうしても歩きにこだわりたいということで、19時過ぎにやっと到着したのでした。山越えの42km、ぼく以上の無謀な計画です。

 JR由岐駅から700m、港の端っこにある民宿ゆき荘はネットでは2食付き7350円になっていますが、実際は6500円でした。お遍路割引なのかもしれません。チャイムを押すとすぐに出てきてくれた女将さんはとても元気で明るい。「前に来てもらったことあるよね」「いいえ初めてです、橋本屋さんには一度お世話にはなりました」この受け答えでいっぺんに和みました。いい宿に当たったと直感しました。遍路宿はこの応対の良さというのが本当に大きいと思います。部屋は土佐民宿大平と同じで2つ分の部屋でしきりの壁が取り除かれていました。オーシャンビューでとても居心地がいい。お風呂もすごいオーシャンビュー。
 料理担当の息子さんもとても感じのいい好青年です。ぼくが金子やの前から来たと言うと、金子やから歩いて4時前に着くのはめちゃくちゃ早いですね、とびっくりしていました。

 「ゆき荘」のトイレは男女共用で洗面も同じところにあるので女性の中には少し気になるという人もいるかもしれませんが、男性には全く問題にならないでしょう。お風呂の脱衣所もきっちり鍵がかかります。男性には文句なくおすすめできる◎の遍路宿です。女性だと◎と○が半々くらいに分かれるかもしれません。由岐の宿は太龍寺下の龍山荘、坂口屋から20kmくらいで、薬王寺まで国道を歩けば27kmだからほとんどの人が薬王寺まで行ってしまいます。金子やからだと山越えの33kmだからなかなかたどり着けません、結果ここに宿をとる人はかなりの少数派になってしまいます。それでゆき荘は気軽に送迎に応じてくれるのかもしれません。平等寺の横の「山茶花」はよい宿ですが、もう一つその横に「ゆき荘」があると考えてもよいのではないでしょうか。

 27番札所神峯寺の下の3つの宿には昨年まで一度も泊まったことがありませんでした。奈半利の宿(ホテルなはり、山本旅館)に泊まって、翌日は安芸か香南市まで歩いてしまうので7回いずれも通り過ぎていました。今回は室戸岬の「うまめの木」に泊まったので、初めて神峯の下に泊まることになりました。3つの宿の評判は少ないながらいろいろと聞いていました。その評判と遍路宿ランキングのポイントが絶妙に合致しているようでした。
                  ◎   ○   △      ×
  民宿きんしょう  6500円  0   6   3   0
  浜吉屋       6500円    1   21    5   3
  ドライブイン27  6000円    5   7   3   0
いろんな考え方や計算の仕方がありますが、◎=9、○=7、△=5、×=3、で計算すると「きんしょう」と「浜吉屋」は6.3、「ドライブイン」は7.3になります。値段も安いしぼくが聞いた評判でもドライブインはおおむね好評だったのに対し、きんしょうはちょっとお茶を濁したような評価しか聞けなかったし、浜吉屋はシビアな評判を二つほど聞いていたので、迷わずドライブインに予約の電話を入れることになりました。

 牟岐駅のボックス(今回は携帯電話は持っているけどテレホンカードが3000円分くらい残っているのでなくなるまでは携帯は使わない)からドライブイン27に予約を入れると、先ず前日の宿を訊かれました。室戸岬の「うまめの木」ですと答えると、「神峯寺は翌日の朝ですね」という、山に登らず宿に入ると35km、山に登ると42kmだから、室戸岬の宿からだと圧倒的に翌日に登る人が多いようです。「その日の内に登ります」と答えると、一瞬間があってびっくりされたようでした。「では先に宿の方に来て荷物を置いて登ってください」と優しく言われました。予想通り感じのいい応対でした。
 でも、ぼくは宿に寄らずそのまま登ってしまいました。頭陀袋は持っていないし荷物は全部で5kgだから預かってもらうほどのものではありません。宿に寄るとタイムの比較もできなくなります。

 神峯寺でお参りを終えて、ドライブイン27に着いたのは16時ジャスト、もう山に登ってきましたと言うと、女将さんはまたびっくり。傍らに今山に登っている同宿の人のザックが二つ置いてありました。お茶を入れてもらってしばし一服、その後おばあちゃんが車で宿舎の方へ案内してくれました。200~300mの距離のところに2階建ての家があったのですが想像していたのとだいぶ違っていました。かなり古い感じでぼくが選んだ2階の大きな部屋は3面がガラス障子で確認はしなかったけれど鍵はかからないようでした。廊下を挟んで二つの部屋があって、そちらは部屋のしきりがガラス障子でした。そして、一番の問題はお風呂でした。脱衣所のしきりがカーテン1枚、洗面もトイレもその前を通るので、女性にはかなりきついはずです。もちろん男にはほとんど問題にはなりません。このあたりで評価が大きく分かれるのも納得がいきます。料理と応対は最高ランクだから、男性の中には◎をつける人もいるし、女性の多くは△をつけるかもしれません。ぼくも男性にはおすすめできるけれど、女性には躊躇せざるを得ません。

 28番札所大日寺の近くの民宿喫茶きらく、遊庵から32番札所禅師峰寺の6km先にある海老庄旅館まで33.8kmの遍路道沿いには遍路宿がほとんどありません。30番の近くの宿は何かと良くない噂がありますし、基本相部屋なのでとてもおすすめできないし、サンピアセリーズは料金がすごく高いので遍路宿として認めるわけにはいきません。
 土佐電鉄後免線を越えて国道32号を東側に800mほど行ったところにあるホテル土佐路たかすを利用する人は多いようです。朝食付き4100円(ネット予約の場合)ですが、普通に予約するといくらなのかはっきりしません。はっきりしないのでこの宿を語ることはほとんどありません。
 故に、遍路道を大きく西へ離れて高知駅の近くのホテルに宿をとる人も多いようです。ぼくも今まで、グリーンホテル、四國屋、鏡水旅館、福城旅館の4つの宿に泊まったことがあるのですが、今回はその中で一番料金が安く居心地も良かった福城旅館に予約を入れました。

 今回は後免駅から高知駅まで電車に乗ったのですが、電車に乗らなくても後免駅の近くに安い宿があってかなり迷いました。南国ビジネスホテルが遍路割引で2食付き5000円であることを知ったのは今年の初めでした。四国ではできるだけホテルは避けたいと思っているのですが、この料金は魅力的です。でも朝食が7時から、というのに引っかかりました。宿を出るのが7時半になると次の宿に到着するのが17時を過ぎてしまう、到着時間は基本16時までと決めているので、1時間以上遅れるのはちょっと受け入れがたい。福城旅館は素泊まり3000円、電車賃を加えても3520円、今回の前半は食事付きで泊まる宿が多いので、電車に乗ることにしました。
 福城旅館はへんろ地図に載っていないのでほとんどのお遍路さんが知らないはずです。8年前と7年前に泊まった宿が良くなくて、帰ってからさらに安い宿を探していたところ,iタウンページで発見しました。そのときは素泊まり3500円でした。ビジネスホテルでも4000円未満の宿はいくつかありましたが3500円はなかなかありません。しかも旅館で駅からも近い、そして6年経って料金がさらに安くなっている。高知ユースホステルの会員料金で3360円ですからそれよりも安い、おそらく高知市内で最も安価な宿泊施設(通夜堂、善根宿を除く)です。
 高知駅から南へ250m、高知橋を渡らず左折、川沿いの道を350m行くと大きな交差点の南東の角にファミリーマートがあります。そのすぐ向こう(東側)にあります。

 高知市の次は35番清滝寺の3km手前、土佐市の宿です。04年から6年連続でお世話になった喜久屋旅館が廃業になっていました。この10年で、泊まったことのある宿が廃業になったのはこれで15軒目です。
  民宿坂本屋(阿波市)       星空(土佐清水市)
  ビジネスホテル双葉(吉野川市)  民宿北村(土佐清水市)
  飛厳荘(室戸市)        ビジネスホテル桂月(宿毛市)
  山本旅館(奈半利町)      内海リゾートホテル(愛南町)
  国民宿舎海風荘(香南市)    ハイプラザうちこ(内子町)
  伊予屋旅館(四万十町)       コスタブランカ(松山市)
  民宿わかば(黒潮町)      月の家旅館(今治市)
この中には二度と泊まりたくないと思った宿もありますが、無くなって本当に残念だと思った宿もいくつかあります。喜久屋旅館はその中でも特別でした。昨年まで泊まった宿の中でベスト5に入るお気に入りの宿でした。

 喜久屋旅館の女将さんは玄関から30m先の曲がり角までずっと見送ってくれます。曲がるときに振り返ってまた一礼すると、今度は両手を頭の上で大きく振ってくれる、こちらもそれに答えて大きく手を振り返します。また一礼してやっとお別れです。こういう送り方をされると自分が本当にお遍路なのだと自覚します。そしてしっかり歩かなくてはと気合いが入ります、そしてまた戻って来たくなる。6年連続でお世話になった遍路宿は喜久屋旅館と柳屋旅館(須崎市)だけです。
 そういう宿が無くなるのは本当につらいです。その代わりに予約を入れたビジネスイン土佐は客観的に見ればかなりいい宿です。安い方の部屋で5250円、ぼくが今まで泊まったビジネスホテルの中では広い方だし新しくきれいな感じもするし、荷物を広げるのに十分なスペースもあるし居心地もいい。多くのお遍路さんが納得すると思います。でもぼくは納得できない。接客応対は普通のビジネスホテル以下だったし喜久屋旅館より2250円も高い。白石旅館はシーズン真っ最中だというのに不定期に休業するということは全く当てにならないから、もうこれから先この地に宿をとる理由が無くなってしまいました。
 次に来るときには、 ドライブイン27ー(41.5km)ー遊庵ー(37.2km)ー高知屋ー(35.4km)ーなずなー(47.5km)ー村の家
 という感じになると思います。まだ泊まったことのない最高ランクの宿に3日続けて泊まれるのでこれはこれで楽しみではあります。

 土佐市の次に宿泊する予定だった須崎市の宿、柳屋旅館も泊まることはできませんでした。廃業でも休業でもなく満室だと思われます。「その日はだめです」としか言われなかったのではっきりしません。今まで7回予約を入れて一度も断られたことはなく、同宿の人も多くて3組までだったから何があったのか全く判らず一瞬当惑してしまいました。今まで一番多く泊まった宿に2日連続で断られて本当に落ち込んでしまいました。でも落ち込んでばかりいても先に進めないので、次の候補「民宿ひかり」に予約を入れました。前日の宿は土佐市だと答えると、同宿の人が15人以上いるので早く来ないとお風呂に入れなくなるかもしれないと、おどかされました。予約を入れたのは宿泊する3日も前なのに、それだけの宿泊者がいるということはお遍路ではなく工事関係者だと思われました。柳屋旅館とは1100mしか離れていないから柳屋旅館も工事関係者でいっぱいなのかもしれないとそのときは思っていました。

 工事の人たちが帰ってくるのは17時前後だと思われたけど、何があるか判らないので目標は15時にしてせっせと歩いた結果、青龍寺までは1分遅れ、大善寺の大師堂の前までは2分早く(ベストタイムより)到着し、民宿ひかりには14時40分に到着しました。玄関の横にいたご主人(還暦前後)が、「お遍路さん?早かったねぇ~」とにこにこ出迎えてくれました。そして中に向かって「お遍路さん着かれたよぉ~」と声をかけました。この二言で二つのことが判りました。今日お遍路はぼく一人だということ、そしてこの宿がお遍路に敬意をもって優しくもてなしてくれる宿だということ。

 民宿ひかりは本館と別館に別れているようでした。建物の中ではつながっているのですが、別館の方にも入り口とお風呂、トイレがあるようでした。ぼくが入った本館の1階には客室が2つ、隣の部屋との仕切りは襖が1枚だったけど隣は空室だったので静かで落ち着けました。2階には3~4室、工事の人が入ったのですが、お風呂を使った人は数人だったので、別館の方にもお風呂があることは確実です。トイレは共用、洗面は脱衣所にあって鍵もかかるので誰かがお風呂に入っていると使えません、珍しいケースです。ご主人がぼくの部屋の外に干してあった布団を取り込んだりお茶を持ってきたりこまめに働かれています。夕食は温かいビーフシチューがメインで嬉しくて飛びつくようにいただきました。工事の人が入れ替わり立ち替わり食堂にやってきて、たしかに20人近い人の食器が並んでいました。ぼくは一番隅っこで邪魔にならないようにおとなしくいただきます。明日の旅立ちが早いので朝食は断っていたので、夕食が終わると支払いを済ませます。客用の広い食堂を出てぼくの部屋に戻る間に宿の人の食堂を通ります、そこに貫禄のある大女将が座っていました。ご主人のお母さんと思われます、80歳前後、おそらく50年近くお遍路さんの世話をしてきた、その慈愛が自然と感じられました。夕食付き5500円、この次来るときには宿泊ポイントがずれてここに戻ってくることはないけれど、そのことがすごく残念なくらい気持ちの良い遍路宿でした。

 この次に泊まった黒潮町の内田屋はポイント以上に素晴らしくきれいな宿でした。料理は本当に最高でした。ふれあいの里さかもとと甲乙付けがたい、温かいクリームコロッケは忘れがたい味わい、そしてカツオをたたきではなく刺身で出す自信、本当に美味いカツオはたたきではなく刺身で食うものだと地元の人は言うようです。この宿は岩本寺から20kmなので泊まる人は少数派(25km先にも30km先にも宿がある)ですが、余裕のある人はぜひとも泊まってもらいたい特Aの遍路宿です。2食付き6000円です。


豊かなお遍路

2013-05-13 | 13年四国の旅

 今年のお遍路で最も印象に残ったこと、嬉しかったことはオランダから来たエリーさんとたくさんおしゃべりできたことです。お遍路に出ると毎回外国の方には何人か出会うのですが、挨拶を交わすくらいでほとんど会話することはありません。今まで2回ほど試みたのですが、相手の方が全く日本語が解からず、かつ英語圏の方だったのでほとんど意志疎通はできませんでした。今回もそのつもりは全くなくて、薬王寺の本堂の前で挨拶を交わしてそれっきりになるだろうと思っていたのですが、お参りを終えて納経所の前まで来ると彼女がベンチで休んでいたので、ブログのための写真だけお願いしたところ、思いがけずいろんなお話ができたのでした。
 彼女は自国でかなり日本語を勉強したということもあり、こちらも安心して返答したり質問したりできました。そして複雑なことは解りやすい簡単な英語で喋ってくれたのでほとんど全て理解することができました。

 エリーさんは3月21日から歩き始めて5月21日まで、丸2ヶ月かけて四国を一巡します。順調に進んでいるのであれば今日は善通寺のあたりを歩いていることになる。ぼくが宿毛から帰ってきて丸1ヶ月になるのにまだ四国にいるなんてうらやましい限りです。
 ぼくが出会ったのは4月3日、前日は日和佐駅前のホテルに泊まったというから、11日くらいかけて薬王寺まで来たことになります。60日で一巡ということは1日20kmのペースだからここまではそのペースよりさらにゆっくりのんびり。でもそんなことは意に介する様子もなく昨日薬王寺まで来たのに今朝も改めてゆっくりお参りに来ています。今日は国道ではなく海岸線の道をゆっくり牟岐まで歩くといいます。英語版のへんろ地図には日和佐から牟岐まで海岸線の道(県道147号日和佐牟岐線)があってびっくりしました。ぼくの持っている地図には牟岐まで国道以外の道がないのです。歩こうにも歩けなかった。おそらくその道こそが昔の遍路道だったのかもしれない。7回も歩いている日本人が本当の道を知らず、初めて歩くオランダの人が遍路道を行く、ちょっと複雑な気分です。

 かれくささんのブログによると、山河内駅から国道を離れて白沢川沿いの道を南下、峠を越えて県道に入るのが昔の遍路道だと打越寺の住職が言われた、と書かれていました。でも昔は日和佐トンネルがなかったから日和佐トンネルの手前から白沢に向かう道を多くの人が歩いたのかもしれません。さらにもっと手前からも入る道があって本当のところはよく分かりません。県道に下りてからも、平行して南側に細い道があってそちらが昔の道で県道は遍路道ではなかったということも考えられます。

 エリーさんの言葉で一番印象的だったのは、「笑顔の絶え間がないくらいなの」。
 山を見ても海を見ても鳥の声を聞いても魚が泳いでいるのを見ても新鮮で刺激的でついつい笑顔になってしまう。何を見ても嬉しくなって笑顔の絶え間がないくらいなの。
 彼女の言うことを聞いて、ちょっと衝撃でした。笑いながら歩いている人がいるなんて・・・、そういえばほとんどの日本人が苦しみながら辛い思いをしながら歩いているのではないか。ぼく自身も明るく元気に歩きたいと思いながら歩いているし、お遍路さんと出会ったときはとびきりの笑顔で挨拶するように心がけてはいるけれど、今回ばかりは暗く沈んで追いつめられたように歩いていることが多いような気がしました。もちろん道中の景色を楽しむような余裕などほとんどありません。ぼくがたくさん歩くのは元々歩く速度が速いということもあるけれど、宿泊数を減らして倹約したいというのが大きな理由です。でも、費用を押さえている分、それに比例して味わいも貧しくなってしまっている。今まで何度もこのブログに書いてきたことですが、今回はそれを実感することが本当に多いような気がしました。

 今回の旅に出る3ヶ月くらい前にブログを通じて知り合うことになったSさんも1日20kmのペースで歩かれているのですが、彼女もぼくの歩きに比べると本当に豊かなお遍路さんだと感じることが多かったです。
 その実例は最初の宿「さくら旅館」の夕食の時に見られました。同宿の二人連れの女性のお遍路さんは区切りで、何年もかけてこの日ようやく結願し88番から戻ってこられたところ。そのお話の中で、ある札所で鎖場があってそこを滑落して大けがをされたお遍路さんがいた、もう何年も前のことだけれどそこがどこだったか思い出せなくて、僕たち同宿の人に尋ねられたのです。尋ねられてぼくは無言になりました。鎖場というと歯長峠か女体山くらいしか思いつかない、女体山は1回しか登っていないから鎖があったかどうかもはっきり覚えていない。他の人も複数回巡っている人が多かったけれどはっきり答えられなくて結局解答は出ないままでした。帰ってからSさんのブログを見ているとその解答が写真付きで出ていました。45番札所岩屋寺の山門の手前、三十六童子行場の手前にあるせりわり行場が解答に違いなかったのです。ここは希望者は鎖場を登ることができるそうです。ぼくはこの前を4回は訪れているのに全く記憶に残っていませんでした。説明書きを一度も読まなかったはずです、こういうところが速足遍路の貧しいところです。


宿毛市小筑紫 大島屋旅館にて

2013-05-05 | 13年四国の旅

 土佐清水から月山神社を経て宿毛市に入る昔ながらの遍路道を歩くには、宿泊ポイントが限られているので、区切り方も多くはありません。
 1日に25kmくらい歩く人であれば、〔大岐マリン〕 25km 〔民宿夕日〕 25km 〔民宿叶崎〕 25km 〔大島屋旅館〕 20km 〔米屋旅館〕 ・・・、という風になり、
 30km歩く人は 〔足摺岬の宿〕 33km 〔民宿叶崎〕 33km 〔秋沢ホテル〕 という風に少し無理をするか、25kmに押さえるかのどちらかになります。
 20kmくらいしか歩けない人は 〔足摺岬の宿〕 14km 〔土佐民宿大平〕 19km 〔民宿叶崎〕 20km 〔安岡旅館〕 19km 〔民宿嶋屋〕 という風にかなり楽な1日を挟むことになります。
 いずれにせよ、民宿叶崎がいかにありがたい場所にあるかが判りますし、大月町の宿も、最後にぼくが泊まった大島屋旅館も本当にありがたいと思います。この道を歩くお遍路は本当に少ないのに、ちゃんと守ってくれている、こういう宿がなくなってしまうと歩く人はいなくなってしまいます。遍路道を守ってくれている宿の人たちには本当に頭が下がります。

 今年の四国の旅で一番心配していたのが大島屋旅館でした。インターネットで調べると一番新しい情報でも3年前で、そのとき女将さんが病院へ行く日だったと記述があったので、土佐市の喜久屋旅館のようになっていても全然不思議ではなかったのです。5日前予約を入れると男性が応答してくれました。ガソリンスタンドの前を左に折れて海岸に出ると右に折れて5軒目です、と丁寧に道案内もしてくれました。そのときはその必要はないと思っていたのですが、実際にバスを降りてみると、確かにへんろ地図だけでは容易に旅館にたどり着けないことが判りました。そういう人が多いので、予約した時に必ず案内をするようになったのだと思われます。
 旅館の前に行くと、全くその雰囲気がないたたずまいでした。RYOMAの休日、の幟があり、玄関灯に小さく大島屋と書かれていたので、やっとのことここが旅館だと確認できるような状態でした。時間はまだ14時だったので中には入らず海岸べりで待つことにしました。通りかかったおばあちゃんが手招きをして、旅館が分からないのかと尋ねてくれました。このあたりで迷っているお遍路さんに出会ったことがあるのかもしれませんね。

 15時になったのでようやく旅館に入ります。アルミサッシの引き戸を開けると、度肝を抜かれる光景が待っていました。桂小枝がドアを開けてストップモーションになる時のような衝撃です。全く旅館らしくない、どころか普通の家でもない。ドアから奥まで一面の土間(床はコンクリートですが)が広がっています。倉庫以外の何ものでもありません。車があればガレージですが、それもない。一瞬たじろいだのですが、びびっているわけにもいかないので声をかけました。全然応答がないので中に入って突き当たりのドアの所まで行くと、ちゃんと部屋があるようでテレビの音が聞こえています。改めて声をかけるとまだ返事がない、諦めるわけにもいかず再度大きな声を出すとようやくおばあちゃんがニコニコしながら出てきてくれました。病院に通っていたはずの女将さんに違いありません。

 お風呂はおばあちゃんがいた部屋のさらに奥にありました。リフォームされて快適です。脱衣場にも鍵がかかって女性にも安心です。部屋は2階、廊下が真ん中にずどんと通っていて両側に4部屋ずつ、一番奥の左側に入るように言われました。おばあちゃんは階段の途中までしか上がれませんでした。階段が上がりにくいのは喜久屋旅館の女将さんもそうだったので、全く気になりません。部屋は古いのですが普通に掃除されていて全く問題ありません。古い、というのと汚い、不潔、というのは全く違います。ぼくは古いということは全く気にならないしマイナスに感じることもありません。ただ、入り口はガラス障子で、鍵は簡単なフックの金具があるだけでぼくの部屋のは引っかかりませんでした。こういうのは女性は気になるかもしれませんね。トイレと洗面もリフォームされていてきれいな方です。
 夕食はボリューム十分で、やっぱり全然歩いていなかったのでちょっと食べきるのに苦労しました。台所と食堂もきれいにリフォームされていました。最初に扉を開けた時はどうなるかと思ったけど、ネットで調べた時に受けた印象通りのよい遍路宿でした。2食付き5500円です。

 バスの時間に合わせて朝食は7時からにしてもらいました。鯖は内田屋さんで食べたものほどはおいしくなかったですが、納豆がやっぱり美味かったです。今年の旅で3度味わって好きになってしまいそうでこわい。
 7時30分に食事を終え、支払いを済ませ、そのまま食堂から土間を抜けて出ていこうとすると、おばあちゃんが玄関まで見送ってくれました。国道へ出るのは右へ行く方が近道だからと教えてくれました。また来年も来ますとは言わなかったけれど心は決まっています。

  これで、歩けなくなってからの旅行記は終了です。このあとは今回の旅で感じたこと、考えたことなどを書いていきたいと思います。


大月町を抜けて

2013-04-26 | 13年四国の旅

 ぼくが前に大月町の道を歩いたのは7年前、4巡目の時でした。1巡目は1番人気のある下ノ加江から下ノ加江川沿いの道を行き、2巡目は竜串の宿に泊まって今ノ山峠を越え、3巡目は真念庵から真念遍路道を歩きました。4巡目は当然本来の遍路道、月山神社経由の道を行くしかありませんでした。
 7年も前になるけれど、そのときのことは比較的よく覚えています。足摺ではぼくが最初の時一番感激した「A」という宿に泊まったけれど、なぜか経営者が変わっていてひどく失望しました。四国を歩き始めて10年、その中で一番のショックだったかもしれません。部屋もお料理も料金もそのままだったけれど、接客は最低でした。お遍路をお遍路とも思わず、お金を払う一人の客、あるいはそれ以下の存在としてしか見ていないようなビジネスライクな対応で正直腹が立ちました。その落差が大きすぎて、翌日叶崎まで歩く道中、なぜだなぜだ?と頭の中でぐるぐるそのことばかりが渦巻いていたような記憶があります。

 足摺から叶崎まで33kmほど、距離はそれほど長くないのですが、前日の宿のことがあって足取りはどうしても重くなりがちでした。竜串から先は初めて歩く道なのに景色を楽しむ余裕もありませんでした。土佐清水のスーパーで30分、竜串のすぐ手前にある道の駅で40分ほど休憩して叶崎灯台の近くにある民宿叶崎に到着したのは14時50分でした。到着する少し前から雨が降り始めたけれど傘を使ったのは10分くらいでした。民宿叶崎の女将さんは明るくてフランクでとても気持ちがいい、前日のわだかまりがいっぺんに洗い流されていくようでした。民宿叶崎はかなり古い宿でとくにお風呂とトイレはちょっと女性にはお薦めできないくらいで、部屋もあまりきれいではありません。でも料理は最高でした。ぼくは四国では素泊まりで泊まることが多いので、そんなに多くの宿の料理をいただいたわけではないのですが、それ以後に泊まった宿を含めても最高に美味い魚でした。本当に声を上げたくなるほどの美味さだったし、料理で感動したのも初めてでした。
 前日の足摺の宿「A」はリフォームして5年くらいで、お風呂もトイレも洗面もとてもきれいで料理も最高ランク、でも接客が最悪で総合得点は30点という印象です。
 民宿叶崎はお風呂とトイレは最低ランク、部屋も中の下という感じだけど女将さんの接客の良さと最高に美味い魚のおかげで総合得点は80点という印象です。
 お遍路はお遍路として迎えて欲しい、そのことが何よりも重要だと思います。少なくとも1日中20kmも30kmも歩いてへとへとになってたどり着いた一人の人間であることを判って欲しい。そのことを判らないような宿には二度と泊まりたくないと、はっきり悟った2日間ではありました。
      (7年前の話が今しばらく続きます)

 叶崎の宿に入る少し前から降り始めた雨が翌日になっても降り続いています。同宿の男性のお遍路さんは同じ時間に朝食をとったのですが、ぼくより30分ほど早く出発していきました。ぼくは、その日は宿毛の岡本旅館まで33kmほどだったので、ゆっくり7時ちょうどに宿を出ました。トンネルを二つ抜けて2kmほど西に行くと土佐清水市から大月町に入ります。大月町の最初の集落が小才角(こさいつの)、そこを過ぎてちょっとした岬を巡ると見通しのよい所に出てきます。数百m先に同宿の人が行くのが見えました。二つ目の集落大浦の少し手前で追いつき追い越しました。
 大浦の集落に入って少し行くと小さな川を渡り、まもなく山道に入っていきます。自動車道を大きく短絡する道ですがさほどの高低差はありません。途中お墓の方へ行く道に誤って入ってしまったのですがすぐ気がついて大きな怪我にはなりませんでした。山道はそんなに長くなくて一旦自動車道に出ます。道しるべは車道を横断してまた山道に入るように指示しているのですが、これは失敗でした。確かに古い遍路道はその道なのですが最後の方はかなり荒れた感じで雨が降っていることもあってすごく歩きにくかったです。自動車道を左に行った方がだいぶ早く快適に歩けたことは間違いありません。

山道の最後は道なき道という感じで、本当にここが遍路道だったのだろうかと疑いたくなりました。やっとの事で自動車道にはいずり出て胸をなで下ろしたというのが実情でした。途中で道をはずしたのかもしれませんが、この道は二度と歩きたくないと思いましたし、あらゆる人に歩かないようにと助言したいとも思いました。
 自動車道に出ると、もうあとは快調ですぐに月山神社に到着しました。粗末な納札入れがあって、少ないながらもここを訪れるお遍路さんが確実にいることは判りました。お参りを終えて少し休憩、屋根のある比較的新しい休憩所があって助かりました。お参り休憩を含めて33分、ぼくが出発しようとした時、同宿の人がやってきました。
 そのときぼくが持っていた第6版のへんろ地図では月山神社からは自動車道をそのまま行って姫ノ井小学校の少し手前で国道321号に合流するように赤線が引いてありました。その前の白黒の地図でもそのように赤線があって、第8版以降にある展望台から赤泊の浜に下りていく山道に赤点線はありませんでした。だから何の疑いもなくその道を歩いたのですが、四元さんが歩いた時、赤泊の浜へ下りていく道を歩いて、途中ですってんころりん、その後、昔遍路宿を営んでいた古い民家で江戸時代、明治時代の納札を見せて貰っていたのを見て愕然としました。本当の遍路道は赤泊だった・・・。

 ぼくは、枯雑草(かれくさ)さんのような古道マニアではないけれど、古い白黒の地図から新しい第10版の地図まで一度でも赤線が引かれた遍路道は一通り歩いておきたいと思っています。出会ったお遍路さんに訊かれた時にできるだけちゃんと助言できるようにしておきたいということもあるし、初めての道でより多くの景色を楽しみたいということもあります。赤泊の道はぼくが歩き残している最も距離の長い道でもあるし江戸時代から明治にかけてはほとんどのお遍路さんが歩いた道でもあるのでそのままにしておく訳にはいきません。でも四元さんのテレビを見た翌年、7巡目の時にはやはり下ノ加江の方に打ち戻ってしまいました。下ノ加江から真念庵、三原村上長谷から宮の川トンネルを抜けて三年連続三原村の「S」という宿に泊まってしまいました。大月町の道を行くと19km以上遠回りになるのでどうしても1日余計にかかってしまい、倹約遍路としてはなかなかその踏ん切りがつかなかったのです。

  (7年前の続きです)
 月山神社を出て右に左に蛇行する山の中の舗装道を5kmちょっと進むと、ようやく国道に合流します。標高差は90m登って100m下るだけなのでそんなにきつくはありません。ただ雨が降っているのと初めての道で先が読めないので距離以上に疲れていたかもしれません。山の中では休憩する所などなかったので、国道に下りてくると先ず休憩できる所を探しながら歩きました。1km半ほど行くと姫ノ井郵便局があったので飛び込みました。ただただ休ませてもらうわけにもいかないので、先ずはATMでお金を引き出します。それで、中に入って「休ませてもらえますか」と局長らしき男性にお願いすると、気持ちよく促してくれました。この人はとても気さくで話好き、お茶もごちそうしてくれました。そのお茶というのは、ちょうどそのとき来ていた女性がお遍路の途中、21番太龍寺でお土産として局長に買ってきた黒豆茶で、局長が気に入って、その後もお取り寄せで愛飲しているものだったのです。それから局長と女性とぼくの3人でお遍路の話で盛り上がって30分近く話し込んでしまいました。出ていく時に局長がゆうパックの赤い文字が入ったタオルを持たせてくれました。このタオルはそれ以降お遍路の時はいつも使わせて貰っています。07年、08年、09年、そして昨年の別格巡りの時もこのタオル1本で通しました。

 姫ノ井郵便局から道の駅大月まで4km半、郵便局で長い休憩をとったので休む必要はないかとも思ったのですが、この先に休める場所があるかどうか判らないので、一応立ち寄ってトイレだけ借りることにしました。駐車場の前にある遍路小屋は風雨で半分以上濡れていてゆっくり休む気になれず、早々に出発することにしました。2kmほど進むと大月町役場がある町の中心部に入っていきます。ここで電話ボックスがあったので翌日の宿の予約を入れることにしました。翌日の宿は3年連続でお世話になっている内海村(現愛南町)の内海リゾートホテルに決めていました。しかし、その電話番号は現在使われていません、と非情な通知。一瞬身体中の力が抜けていくようでした。雨にも打たれ続けて、最後のだめ押しという感じです。気を取り直して、近くのかめや旅館にかけると明日はお休みというつれない返事、この旅館は評判はそんなに悪くないのですが、この受け答えで二度と泊まってやるかという気になってしまいました。それだけ気持ちの余裕がなくなっていたのかもしれません。3番目にかけた旭屋旅館でやっと救ってもらいました。

 7年前、10時間かかって歩いた土佐清水から大月町を経て宿毛市小筑紫までの道のりをバスは65分で走ります。ぼんやり車窓を眺めながら7年前のことを思い出していました。風景の記憶は部分的に大まかな感じで残っているくらいで、多くが初めて見るような感じです。姫ノ井郵便局や道の駅大月のあたりの風景は大体記憶通り、大月町の中心部はほとんど覚えていませんでした。電話ボックスも発見できませんでした。大月町から宿毛市に入るとすぐ福良川を渡る、この橋は記憶に残っているけれど、すぐ先の小筑紫の集落はほとんど覚えていなかった。ガソリンスタンドの前が小筑紫のバス停、あっという間にバス旅行は終了です。
 バスに乗ると楽ですよねえ、でもそれだけ、流れ去る車窓の風景があるだけ。歩くのはしんどいです、自由に歩けなくなるほど足を痛めることもあります、でも、予期せぬ出会いがあります、忘れ得ぬ思い出もできます、そういうことのために歩いているのではないか、改めて考えさせられた14日目のバス旅行でした。


土佐清水市 土佐民宿大平にて

2013-04-18 | 13年四国の旅

 13日目は土佐清水市下ノ加江にある安宿のすぐ前にあるバス停から7時21分発の始発で土佐清水の中心部に入りました。清水プラザパル前に到着したのは7時46分、そこから宿までは500mほどですが、チェックインまで7時間ほど待たねばなりません。プラザパル(1階は食品スーパー、2階は100円ショップ+ゲームセンター)がオープンする9時までは近くの公園で、9時からはパルの中の休憩コーナーで時間をつぶしました。どんなに頑張っても歩けないし、宿をキャンセルすることもできないとなると他に選択肢はありません。前日から納得ずくなので、とくに待ちくたびれることも飽きることもありません。ただゲームセンターの音がうるさくて少し嫌にはなりました。
 土佐民宿大平は7年くらい前、インターネットでその評判を一度見ただけの宿でした。その人がお遍路で泊まった宿の中で一番よかったと書いてありました。でもそれ以外の情報は今まで見たことがありません。一つの情報だけでおすすめの宿にはなかなかできないので、どうしても自分の目で確かめたいという思いがありました。情報が少ないのはこの宿に泊まる人が少ないということでもあります。というのも土佐清水の中心部にある宿の中で、この宿が一番へんろ道から遠い所にあるからです。下ノ加江方面へ打ち戻る場合、へんろ道を1300m離れることになってしまう、往復で2600m余分に歩くことになるので自然と敬遠されることになってしまう。

 15時前に民宿に行くと、最初ちょっと迷ってしまいました。自分の地図の感覚と実際とが少しずれていて、やはり思い込みというのは怖いなあと改めて思いました。大平さんは大通り(国道321号)から少し入った所にある閑静な住宅街の中にありました。インターホンを押して玄関から声をかけると、奥さんが元気よく迎えてくれました。とても明るくて気持ちのよい応対でそれだけで癒されていく感じがします。部屋は2階に4室あって、ぼくが通された部屋は12畳で、元は間に壁があって2部屋分のスペースのようでした。とても広々、炬燵も用意されていました。
 早い時間だったのですが、すぐにお風呂を入れてもらえました。廊下を挟んだ向かいの2部屋には若い男性のサラリーマンが前日から滞在中で、さらに翌日も泊まるようでした。もう一つの部屋にはぼくがお風呂に入っている間に男性の歩きへんろさんが到着しました。この方があとで聞いたらすごい人でした。


 出張で滞在している若い二人は別で、お遍路さんと二人で夕食をいただきました。左の角皿は豚肉を甘酢でソテーしたもの、充分温かくお肉も柔らかくてとても美味しい。刺身は鰹ではなく近海物のマグロ、土佐の宿では鰹が出ることが多いから敢えてマグロにしていると、奥さんの配慮です。歩いていないこともあってか、全部食べきるのにちょっと苦労するくらいのボリュームでした。

 同宿のお遍路さんはこれまで3回もスペインの巡礼道、サンチアゴデコンポステーラを歩いている方でした。本当は今年もスペインに行きたかったけれど、お母さんの体調が優れなくて、心配なので初めて四国を歩くことにしたそうです。川崎市の方ですが実家は京都、京都には近くに神社仏閣が山ほどあるのでお遍路に来る人は少ないようだとおっしゃっていました。

 京都の方はこの日は大岐マリンを出て38番を打ち、半島の西側の道を戻ってきた、大体33kmの道のり。民宿旅路や星空が廃業になってしまった今、これくらいの距離を歩けないと土佐清水の中心にある宿には泊まれなくなってしまいました。彼は山道が好きで中の浜からの山道がいい感じで好きだったといいます。その手前の大浜の山道は足場が悪い所があってあまり良くなかったと。ぼくは半島の西側の道はもう7年も歩いていない。今回歩くつもりだったけれど図らずもバスに乗ることになってしまいました。
 そのことを言うと、京都の人は「宿をキャンセルすれば良かったのに、お遍路なら前日のキャンセルでも普通に認めてくれるでしょう。」
 「いやいや、そういうお遍路が多くて宿の人も迷惑していると聞いているので、それはできませんでした、ねえ奥さん、」と訊くと、
 「それはそうだけど、そこまで律儀に考えなくても」と、奥さんは同情してくれました。
 そのやりとりを聞いて京都の人は「お遍路の鑑やなぁ」と感心してくれました。


 京都の人は、次の日は。今ノ山峠越えで三原村を抜けて宿毛市に入ってしまうということで、朝食はキャンセルして6時前に出発するということでした。距離は35kmくらいで標高650mの峠を越えるのでかなりハードな道のりになりそうです。当初は月山神社経由で遠回りの道を行くつもりだったけど、同宿の人に勧められて近道を行くことにしたそうです。確かにかなりの近道にはなるけれど、ぼくなら薦めない。峠を越える道がぼくが歩いた9年前は砂利道が多くてかなり歩きづらかった印象があるし。月山神社経由の方が海岸線の景色に変化があってより楽しめるからです。
 手前中央にあるのは納豆、ゆき荘に続いて今回の旅2回目です。ぼくが納豆を食べるのは生涯で6回目、2~4回目は北条市浅海(現松山市)の遍路宿コスタブランカでいただきました。そのときは、「美味しんぼ」を見ていたので問題なく食べられたものの、おいしいとまでは感じられなかった。4年ぶりに食べた今回は実においしかった。関東の人が毎朝食べる気持ちが初めて理解できました。あじの干物もおいしかったのですが、メインは納豆でした。 朝食後にはおいしいコーヒーを煎れていただきました。ぼくは普段毎食後にコーヒーを飲むのでとてもありがたい。支払い(2食付き6500円)を済ませ、今日もバスで次の宿まで行くと言うと、バスの時間まで2階で待ったらいいと薦められました。プラザパルで待つのも慣れたからそれでいいと思っていたのですが、せっかくなので甘えさせてもらうことにしました。バスの時間は12時54分、12時まで待たせて貰います。

 2階の自分の部屋で待っていたら、京都の人の部屋の掃除が終わって、そちらに移るようにご主人に促されました。掃除と布団敷きはご主人のお役目、部屋の掃除が終わると、続けて、廊下、洗面所、トイレと、部屋の中で聞いているだけでもその入念さが伺われます。ご主人は元はサラリーマンで20年くらい前にこの民宿を始められた。でも20年も経っているとはとても信じられないくらいトイレも洗面もお風呂も部屋も新しくてきれいです。毎日これだけ入念に掃除されているので気持ちよくきれいに保たれているのだと納得ができました。掃除が終わるとご主人が顔を出して、これから買い物に行ってくるからと声をかけてくれました。ぼくの出発する時間を確認して、それまでには帰ってくるし、パルまで車で送るから、と言って出かけられました。しばらくして奥さんがお茶とおせんべいを持ってきてくれました。本当に申し訳ないくらいよくして貰って恐縮するばかりです。

 12時になったのでようやく民宿を出発します。21時間もお世話になってしまいました。ご主人は車を出しに行き、奥さんは玄関まで見送ってくれました。丁寧にお礼を言ったのですが、それでも足りないような気がして、「来年も来ますので、またよろしくお願いします」と言ってしまいました。実は今年の年賀状で柳屋旅館と善根宿うたんぐらに、今年も行きますからと書いたのに、結局約束は果たせませんでした。1年も先のことを軽々に約束するのはどうかとも思ったのですが、この感謝の気持ちを表すのにそれ以外の言葉が出てきませんでした。でも、必ず戻ってくると心に誓ったことは事実です。このままで終わらせるわけにはいかないし、この2週間の全てを無駄にするわけにもいきません。今年以上の確たる目的ができて良かったと、挫折した無念さ以上に感じることができて晴れ晴れした気分で宿をあとにすることができました。

2013年四国の旅を省みる

2013-04-17 | 13年四国の旅

 四国から帰って4日、まだぼ~っとしています。帰った頃から首の筋がおかしくなって自由に動かせなくなってしまい、足の痛みはずいぶん引いたもののまだ完全にはよくなっていません。自由に動けないので頭の方もなかなかすっきりせず、考えをまとめたり、書いたりすることができないでいます。
 今回の旅は初めて途中挫折してしまったので、総括することはできません。まとめるのが難しいのでなかなか筆が進みません。
 8巡目ともなると、何か今までとは違った価値観を見いだしたいというのは、ごく自然な人情です。半年前の準備段階からそれがきつすぎてあまりにいろんなものを盛り込みすぎてしまった、というのは第一の反省ポイントでしょう。自分では用心もしていたし不安もあったけれど、いざとなると思い上がりの方が勝ってしまったのです。11日目が中盤の山で、それを乗り越えれば例年並みの比較的楽な行程が続くので、最後まで行けると思っていたのですが、やはりその山が越えられませんでした。


4月13日 8時48分

2013-04-13 | 13年四国の旅


 宿毛駅で南風12号(9時05分発)に乗り込みました。ようやく帰途につきます。土讃線、山陽本線ともにダイヤ通り動いているようです。

4月13日 13時00分

 今年もまた捨身ヶ嶽禅定に登ることなく四国を去ることになってしまいました。まだまだ半人前です。

4月13日 15時42分

 新しい駅ビルが完成間近の姫路駅まで帰って来ました。


4月11日 4時35分

2013-04-11 | 13年四国の旅

 昨日(12日目)のスキップ、そして・・・
昨日はとうとう筋肉を痛め歩けなくなってしまいました。先ず考えたのは宿に迷惑をかけないことです。自分の欲や意地やプライドなどは二の次三の次、むしろそういうものから解き放たれるために四国に来たのではなかったか。宿までバスに乗るのにほとんど躊躇はありませんでした。
 もちろん悔しく残念な思いもあるのですが全て自分の責任、4年ぶりということで、欲張りすぎたのがこの結果につながったし、少し思い上がっていたことも否定できません。
 中村駅の近くでサロンシップを買って使っているのですがなかなか思い切って歩けるほどには回復しません。予約してある今日と明日の宿にはバスで行き、明後日、宿毛から南風で帰宅することにしました。この続きは今年の秋か来年の春にまた新たな気持ちで始めたいと思います。


4月10日 4時07分

2013-04-10 | 13年四国の旅

 内田屋のテレビはデジタルです。今日の天気も晴れ。

 昨日(11日目)の歩き遍路ツアー
何回かに区切って全行程を歩いて巡るツアーがあることは新聞広告を見て知っていたし、部分的に雰囲気のいい遍路道を歩き、国道や県道はバスで移動するというツアーは道中で出会ったことがあり何となく知っていました。
 7回お世話になった柳屋旅館に満室ということで初めて断わられた時先ず考えたのは、そういう歩きツアーの予約が入っていたのではないかということです。今まで多い時でも4組くらいしか同宿の人はいなかったから3日前に予約して個人で巡っている人だけでいっぱいになるとは考えられなかった。
 民宿ひかりが工事関係者でいっぱいだったので、そちらの可能性もあったか、と前の考えを否定しかけたのですが、昨日七子峠で、まさにその歩き遍路ツアーのバスが停まっていました。運転手が1人、そえみみずを歩いて来るツアー客を待っていました。
 やはり最初に考えたことが正しかったようです。

4月10日 6時25分


朝食が終わったところです。やっぱりサバが最高にうまかったです。上の夕食も美味すぎて食べ過ぎてしまいました。 7時ちょっと前に出発します。

4月10日 15時15分

本日の宿、土佐清水市下ノ加江にある安宿に到着しました。