WALKER’S 

歩く男の日日

西播地区

2012-07-30 | 日記

 相変わらず西播吹奏楽連盟は不親切で頭にくる。会場は常に真っ暗でプログラムを見ることができない。仕方ないので、明るいところでプログラムを全て携帯電話のテキストメモに書き写して、携帯で見られるようにした。携帯だとどんなに暗くてもはっきり見えるし文字も大きい。場内放送では携帯の電源を切るように促しているけれど、誰が切ってやるものか。もちろんマナーモードにしているしアラームもオフにしている。100円で販売しておきながらそれを見られないようにしている奴らの言うことなんか聞く必要はない。

 この記事を投稿して1時間ほどした頃、場内に照明が点くようになった。普通の人なら何とかプログラムの文字が読めるくらいの明るさだ。でもぼくの目では全く見えない。プログラムの文字が小さすぎてもっと明るくても読めない。でも、会場内の出入りもなめらかにできるようになって、良かった。コンクールは普通の演奏会と違って、一つの団体が終わるごとに観客が入れ替わるから真っ暗のままでは具合が悪い。ぼくが入ってきたときには本当に目の前の座席が人がいないことは判っても座席に物が置いてあるかどうかは判らないくらいだった。


今日も明石

2012-07-28 | 日記

 昨日の高校Aの部で一番印象に残ったのは明石北高校、あんなに美しいトロンボーンを見たのは記憶にないくらいだった。トロンボーンであそこまで美しいユニゾンを聴かせられるのか、ぼくは高校時代トロンボーンを吹いていたから、本当に驚いたし嬉しかった。音だけでなく動きも美しかった。あんなに美しい動きも見たことがなかった。このトロンボーンを見られただけでも明石に来た甲斐があったというもの。


アワーズホール

2012-07-27 | 日記

 久しぶりに明石市民会館にやってきた。この前きたのは中央大学の演奏旅行、1999年のことだったからもう13年ぶりになる。
 上質の音楽を聴きながら涼めるのは最高、しかも入場は無料。東播地区の吹奏楽コンクールは今日は高校A、明日は中学Aになる。


星空と旅路

2012-07-25 | 日記

 お遍路ネットワークの書き込みを見ていたら、土佐清水市の民宿、星空と旅路がそろって廃業していたことがわかった。来年旅路に泊まる計画だったので一瞬うろたえた。考えた末大岐の浜(素泊まり4000円、2食付き5500円)にすることにした。ただそうなると、翌日は50km歩かないといけない。


2012年 四国別格霊場巡拝 総括

2012-07-19 | 12年別格巡り

① 日帰り                 31.2km  1
② 旅館吉野 6500円(2食、おにぎり) 21.7km
 
                     37.4km  2
③ 龍山荘       6500円(2食)  25.3km  3
   民宿あづま     6500円(2食) 45.2km
   柳屋旅館      6000円(夕食)  8.2km   4,5
                      30.0km
④ 遍路宿もやい    3000円(素泊)  6.5km  6
   大洲郷土館ユースH 3200円(素泊)  37.6km  8
   民宿旅館長珍屋   4200円(素泊)  30.9km   7,9
                       27.9km 10,11 
⑤ ビジネス旅館高雄  3000円(素泊)  13.3km     12
   寿司六旅館     3500円(素泊) 38.2km  13.14
   民宿おおひら    5500円(夕食) 39.8km  15,16
   善根宿うたんぐら  1000円(朝食) 40.1km  18,17
   民宿八十窪     6000円(夕食) 30.1km  19
                       38.7km  20
   合計        54900円   502.1km

5回合計の費用
  宿泊費    54900円(12泊)
  交通費    57180円
  食費飲料費  5431円
  念珠       9700円

  合計    127211円

 1月に始めたときの計画では12回に分けて88ヶ所の山道もほとんど歩くつもりだった。費用は18万円以上かかるはずだった。2月になって事情が変化して、山道のトレースは諦めて、夜行バスも避けて別格だけを効率よく巡ることにした。それで6万円以上費用を節約することができたけれど、前回09年の通し打ちと比べて、日数は59%、宿泊数は43%、歩行距離は44%にしかならなかった。高知県はたったの32kmほどしか歩けなかったし、愛媛県も松尾峠、柏坂、松尾トンネルの上の道、鳥坂峠、久万高原、横峰寺とほとんど全ての山道を歩くことができなかった。香川県も弥谷寺から志度寺までほとんどワープ、別格巡りだと割り切っていても少し物足りないと感じることもあったし申し訳ないなと思うこともあった。

 27時間テレビは悪くなかったけれど、100kmマラソンだけは苦手で見る気がしなかった。身体を痛めつけるのを見せ物にするのは全くぼくの趣味に合わない。四国の旅でもほとんどのお遍路さんが足を痛め苦しみながら歩いているけれど、ぼくは何より足を痛めないことに重きを置いている。楽しみながら歩けなければお遍路ではない、とすら思っている。
 そのことからすれば、今回の別格は足を痛めることなく歩けたので上々だったといえる。思い通りに歩けなかった箇所、タイムが出なかった箇所、草臥れてへたり込んだ箇所、いつまで経っても下界が見えずやけくそになった箇所、いろいろあったけれど足を痛めることはなかったからそれら全てが楽しみであったし思い出になった。


 1月に歩いているときには、20ヶ所を歩いた後のことは全く考えられなかった。3月の焼山寺越えのときもまだイメージが湧かなかった。4月の3番から5番のときにいろんな人と出会って、またちゃんと通しで歩きたいという気持ちが芽生えてきた。龍山荘で一緒になった福岡の高崎さんには多くの遍路宿のことを教えて貰った。民宿あづまで一緒になった枯雑草(かれくさ)さんは素晴らしく豊かなベテラン遍路さんだった。民宿あづまの女将さんはいつもながら親身になってくれる。広島府中の9巡目逆打ちの女性は本当に素晴らしいお遍路さんだった。出会う人みんなを明るく元気にしてくれる、お大師さんのような人だった。8年前に何度も出会った人だということはいまだに確認できないけれど、そうであってもなくても、かけがえのない宝物になった。そして、3年ぶりだというのに名前だけではっきり覚えていてくれた柳屋旅館の女将さん。このままで終わっていいわけがないと思うようになった。そして、6月、八十窪で一緒だった杉並区から来たお四国病の明るい男性には、ポンポンと肩を叩いて貰ったような感じがした。深く考えることはない、歩きたければ歩いたらいいし、来たくないのなら来なくていい。四国はいつでもいつまでも待ってくれている。
 ブログを書きながら、来年の通し打ちの計画を考えていた。3年前の通し打ちが終わった後に大体の計画は立てたけれど、新しい情報がいくつかあったので、調整し直した。


 65日かかってようやく表装の詠智会から別格の念珠が送られてきた。これで今年のお遍路も完了したことになる。思いはすでに来年の88ヶ所通し打ちに飛んでいる。線香528本、蝋燭176本はすでにケースの中にある。


17日目 6月8日 

2012-07-13 | 12年別格巡り


 朝が早いので夕食が終わったときに支払いを済ませた。大女将がねぎらいと明日の応援の言葉をかけてくれた。こういうとき本当にお遍路をしているのだと思う。一人で歩いているのではない、こういう四国の人たちの応援、後押しがあってこそ気持ちよく1200kmを歩くことができる。こういう送り方をされたら、しっかり元気に気持ちよく歩かねばと思う。自分たちの代わりに歩いて貰っていると本気に考えてくれている人はそんなに多くないかもしれない。でも時々はそういう期待をかけられているのだと心底感じることがある。
 朝玄関を出て靴を整えていたら、勝手口から大女将がおにぎりを持って出てきてくれた。4年前は玄関に腰掛けて待っていてくれた。5時前ですよ。これが本当の遍路宿というものだ。今年のおへんろ最後の日になった寂しさはない、来年が始まった嬉しさの方が大きい。


 5:18
国道まで20分で下ってきた。いい感じの下り坂なので時速は6.9kmも出てしまった。足の調子も最高、筋肉の張りも足首の違和感も全くない。


 5:20
3年前と4年前、大窪寺で出迎え、見送ってくれたワンコが出てきてくれた。昨日も今朝も大窪寺の近くで見かけなかったのでどうしたのだろうと心配していた。これではずみがついてさらに調子よく歩ける。


 5:22
竹屋敷の前から国道を離れて行く。

この矢印も4年前にはなかったはずだ。


 5:40
向こうの方にこれから合流する国道が見えてきた。


 5:43
一旦国道の下を抜ける。


 5:44
ダイハツの前で国道に合流。

合流するとUターン。


 5:58
さぬきコミュニティバスの起点、中山。4年前同様ここが今回の旅(歩き)の終点になる。

時刻表に変更がないか念のためチェックしておく。ここから大瀧寺まで7時間で往復すればよい。


 5:59
さぬき市から三木町に入る。


 6:03
国道377号が国道193号に突き当たる。ここが県境になっていて、大滝寺までずっと徳島県美馬市を歩くことになる。


 6:03
突き当たりにそれらしい神社の杜がある。この奥から県境の尾根道を行くと別格20番大滝寺に至る、と教えられた高崎さんが登ったところ、ものすごく険しい道で遭難しそうになった。これは遍路のための道ではなくて、上級登山家のための道、杖を持って登れるような道ではないようだ。全然近道にもなっていなくて倍以上の時間がかかるそうだ。


 6:04
確かに神社があるようだ。でもお遍路がこの鳥居をくぐるのは絶対避けなければならない。


 6:15
若い二人連れのお遍路さんとすれ違った。見るからに野宿、昨日は夏子ダムの休憩所で泊まったに違いない。後から分かったけど逆打ちだった。初めてで野宿で逆打ちで108ヶ所、ぼくなどからすれば無謀だとしか思えない。何よりお遍路の本当の良さを充分味わうことができないまま終わってしまうことになるだろう。


 6:30
夏子休憩所まで1.3km、ということはあと12分、ということは4年前よりかなりいいペースだ。


 6:38
夏子休憩所が見えてきた。


 6:40
夏子ダムが見えてきた。休憩所は目の前。


 6:42
民宿から105分03秒で夏子休憩所に到着した。4年前より3分も早かった。4年前もこの区間は絶好調だったからこれだけのタイムが出るとは思わなかった。大滝寺まで2時間以上休めないので、おにぎりを食べておく。今回は栄養不足と休養不足でうまく歩けなかったことが度々あったので最後くらいはきっちりまとめておきたい。


 7:03
国道を離れて大滝山に向かう。


 7:04
三角寺と負けないくらい大きな矢印がある。15kmとあるけれど、歩き登山道を行くと12kmくらい。

距離表示が消してある、おそらく正確ではなかったのだろう。


 7:12
短絡路の入り口はやはりペンキで塗りつぶされたまま。新しく開発されたという噂も聞いたけれど、全く見あたらなかった。自動車道は確かにものすごく迂回した道になっているけれど、時間にすれば大したことはない。訳の分からない道で迷っている方が余程時間を食ってしまうのだ。


 8:01
夏子休憩所から58分26秒で歩き登山道の入り口まで来た。4年前と同タイム、ここからが本当の登山。この標高は450m、大滝寺の標高は910m。


 8:02
腰掛けるところはないけれど、地べたに座って10分ほど休憩する。4年前は30分かけて迷って一周してここに戻ってきた。完全にパニックだった。リベンジを果たす前に一休み。


 8:10
登り始めてすぐ、貼りにくい所に無理矢理矢印があった。右折れの道があるので初めて来た人にはありがたい。もちろん4年前にはなかった。


 8:12
新しいのか古いのかよく分からない丁石がある。この20丁は全く信用できないけれど。


 8:16
4年前最初に道をはずした所に来た。分かりやすい黄色い遍路札が掛けてある。草も刈られていて右後ろへUターンする道がすぐ確認できる。4年前はこの道があることすら判らなかった。


 8:21
2回目道をはずした所にも黄色い遍路札が掛けてあった。もうこれで道をはずす人はいなくなるはずだ。別格の道も4年前に比べてずいぶん歩きやすくなった。


 8:57
思ったよりずいぶん早く広いところに出てきた。拍子抜けといってもいいくらいの山道だった。ほとんどの山道は辛かったことや苦労したことは忘れているので新たな苦しみに出会うことになるけれど、この山道だけは全然辛くも苦しくもなかった。こんな快適な道で900mの標高まで来たというのは不思議な感じさえする。


 8:58
大瀧寺まで900m、ここまでの山道よりここからの舗装道の方が急で歩きにくい道になっている。


 9:09
県道106号に出てきた。ここまでの10分の舗装道のきつさは忘れていた。それにしてもつづら折れの山道は本当に快適だった。登っているという感じすらあんまりなかった。


 9:09
県道に出るとちょっと下りになる。


 9:11
歩き登山道登り口から62分14秒で四国別格霊場第20番大瀧寺に到着した。四年前は二回目に道をはずしたロスタイムを含めたとはいえ80分もかかった。これだけ短縮できるとはとても思わなかった。本当にパニックだったし空回りしていたのだとつくづく思う。


 9:16
大師堂が新しくなっていた、そしてその隣に立派な住宅もくっついてできていた。ブザーを押すと出てきたのは、4年前とは違って年配の貫禄のある住職だった。新しい住職が来るから住宅が新しくなったのか、住宅が新しくなったから新しい住職が来たのか、いずれにせよ若い名物住職と再会できなくてがっかりだった。

無事20個目の念珠をいただくことができた。前回と違って全くロスタイムがなかったからゆっくり休むことができる。昨日コンビニで買ったパンを食べながらたっぷり30分以上休憩する。


 11:46
納経所の前で休んでいる頃から雨が激しくなってきた。10時ちょうどに下山を始めることにした。傘もさしているし、足場のそんなに悪い山道ではないけれど、タイムを気にせず慎重に歩くことにした。登り口まで50分55秒かかった。前回より3分遅れだけどこれは納得の数字。前回は時間がなくて飛ぶように下ってきたはず。
 登り口から夏子ダムまでの自動車道は53分08秒で下ってきた。こちらは足場が安定しているので4年前と勝負する気満々だった。結果1分早くて大満足。中山のバス停にはベンチも屋根もなかったはずだからできるだけぎりぎりまで夏子いなか市の前にあるベンチで休むことにする。35分の休憩。


 13:04
夏子ダムから45分02秒で中山のバス停まで戻ってきた。前回この区間はバテバテで48分もかかった。今回は、傘もさして靴の中はビチャビチャだったけど気力も充実足元もしっかり、予想以上のタイムで大満足で今年の四国の旅を締めくくることができた。


 14:47
コミュニティバスは国道をローラーコースターのように飛ばす。大窪寺に着くと、歩き遍路さんが3人乗り込んできた。70歳の女性は神戸の人、60代の男性、20代の男性、いずれも初めてのお遍路だと言っていた。女性は昨日は屋島の宿から長尾寺門前のあづまや旅館まで、距離が短いので13時過ぎに着いてしまった。女将さんに、そのまま入ってもいいけどお遍路交流サロンまで歩いてきたら、と薦められたのでそのとおりにしてバスで旅館に戻ったそうだ。朝早くに宿を出ると交流サロンが開いていないこともあるから充分意味のあることだ。あづまやの女将にはものすごくよくして貰った、と感激していた。そう、ぼくも5年前あづまやでお世話になってとてもいい気持ちだった。これこそがお遍路の醍醐味、その醍醐味を野宿の人は味わうことはできない。お金がかからない分本当のお遍路を味わうこともできない、コスパはとても貧しいとぼくは信じている。
 女性は高速志度バス停で降りていった。男性二人はぼくと同じJR志度駅で降りた。電車で徳島に戻る、オレンジタウン駅で降りればよかったと後悔していた。手前のJR駅にバスが寄ることを分かっていなかったらしい。ぼくは駅には入らず、歩いて「表装の詠智会」に向かう。昨年の日帰りで位置は把握している。駅から8分で到着した。
 詠智会の奥さんは自ら何人かを先導して別格巡りもすると話していた。さっきまで雨の中大瀧寺まで登って下ってきたと言うと、それは値打ちあるわぁ、と感心してくれた。別格だけとなると距離がすごく離れている箇所がいくつもあるから車やバイクで巡る人が多いようだ。実際にバイクで巡っている人には二人会ったし、車で巡っている人も何組も見かけた。念珠の色は緑、房は利休梵天でお願いした。木箱にして欲しいと言ったら、使うのだから紙箱にしておきなさいと、全く商売っ気なし。今年の逆打ちツアーの盛況さにも半ば呆れていた。訳も分からず辰年の閏年は御利益が3倍というそのうたい文句だけで参拝者をかき集める旅行社のやり方には否定的だった。何しろ1月から始めて12月に終わるのはまだ分かるとして、6月から始めて12ヶ月で巡るツアーも募集しているのは理解に苦しむと嘆いていた。ぼくも、逆打ちの人には何人もすれ違ったけれど、その半分くらいはこちらから挨拶しても返事すらできない人たちだった。全く逆打ちの意味を分かっていない人たちだ。逆打ちは衛門三郎の故事に始まる。お大師さんに巡り会うために逆に打つ。すれ違う歩き遍路の人は皆同行二人、お大師さんと一緒に歩いている。お大師さんと会うために逆に打っているのにそのお大師さんと会ってなぜ挨拶すらできない。本当に嘆かわしい奴らだ。訳も分からず四国をさまよって真面目なお遍路さんのじゃまをするのは止めて貰いたいものだ。


16日目 6月7日 

2012-07-08 | 12年別格巡り


 うたんぐらは夕食はなし、朝食付き1000円。当初は素泊まりで無料だった。1年くらい前から朝食がついてこの値段になった。それでもめちゃくちゃ安いから、野宿の人やバイク遍路、サイクル遍路の人が多く訪れるそうだ。野宿の人は時間が自由だから入る時間が18時を過ぎて20時近くになる人もいるそうだ。夕食がないからより自由になりやすいみたいだ。野宿の人は、特に最初のお遍路となると宿の人がどんな思いで待っているか、そういうことに全く思いが至らない人も多いようだ。そういうぼくも最初の時は本当に何も分からなくてたくさん迷惑をかけてしまった。2回目以降はそんなに遅くなることもなく、キャンセルすることもなくなったけれど、自分が気がつかないだけで迷惑をかけながら歩いていたのかもしれない。よく考えればお遍路という存在そのものが迷惑だといえなくもない。つい先日,NHKのお昼の番組「お元気ですか、日本列島」で、久万高原町のトンネルの入り口にお遍路のための反射たすきとライトが設置されたことを伝えていた。久万高原町には二つのトンネルがあるけれど、これはたぶん峠御堂トンネルの方だと思われる。ぼくはトンネルを苦にしない方だけれど、四国中でこのトンネルだけは怖い、できれば避けたい唯一のトンネルだ。何しろ幅員が狭い、歩道がない、車が多い、トンネルの中に緩やかなカーブがある、いつもこの四重苦におびえながら歩いている。このトンネルでお遍路さんを避けようとした車が対面車と衝突する事故があった。それでたすきとライトが設置されるようになったそうだ。このトンネルを歩く地元の人はいない、歩くのはお遍路さんだけ、おへんろがいなければ事故は起こらなかった。ここだけでなく歩道のない国道などで怖い思いをしている車の人は多いはずだ。迷惑をかけずに四国を歩くことなどできない。ぼく自身、7回歩いて少し慣れていたかもしれないし、思い上がっていたかもしれない。ご主人の話を聞きながら、そんなことを考えていた。


 6:58
お二人は10回くらい四国を歩かれたことは知っていたけれど、先達の資格を持っていることは知らなかった。お遍路を経験した女将さんがいる宿は3つほど知っているけれど、先達さんの宿は初めて。茶の間の床の間に先達用の立派な錫杖が飾ってあった。奥さんからは、長尾寺の本堂に竹ぼうきの彫刻があることや、大窪寺の本堂の「薬師如来」の薬の字の右側の点々が無いことについて教えていただいた。7回も巡ってそういうことは全く気がつかなかったし知らなかった。ちゃんとお参りはするけれど札所の縁起や建物などにあまり関心が無くて、歩くのを楽しむのが第一、遍路宿で休むのが第二、でずっときたからいまだに知らないことは多い、というより回数の割には何も知らないと言った方がいいくらいだ。
 玄関の前で遍路の広場のための写真を撮って貰う。お返しにぼくも撮らせて貰う、こういう機会でもないとなかなか女将さんの写真を撮らせて貰うのは難しい。撮りたくてもなかなか頼むことはできない。


 7:11
昨日に続いて今日も電車の日。昨日はそれでも39kmは歩いたけれど、今日は28kmくらいしか歩かない。宿から天皇寺とは逆方向の宇多津駅に歩き始めたのも、何かしら忸怩たる思いがあった。宇多津駅の少し手前のコンビニで紙パックのお茶を購入。朝食をしっかりいただいたので食料は買わない。このコンビニも新しくできたもので、最初来たときにはなかった。


 7:17
宇多津駅に無事到着、と言いたいところだけど、逆打ちになったので道をはずしてしまった。逆打ちってほんとに怖い。


 7:53
予定していたのより1本早い電車で香西駅に到着。宇多津駅は初めてだったけれど香西駅は4年前に来たことがある。花曼茶羅を買うためだけに電車に乗ってここまでやってきた。


 8:01
本津川を渡ったところで県道を離れて右の道へ行く。4年前はこの道を知らなくてものすごい遠回りをしてしまった。


 8:11
2回目でもあり、問題なくここまでやって来る。でも根香寺からの本来の遍路道はなかなかうまく下りてこられない、うたんぐらのご主人もかなり迷ったと言っていた。


 8:13
香西駅から17分25秒で別格19番香西寺に到着、前回は遠回りの道だったので比較はできない。境内は近所の人が犬の散歩に来ているだけ、参拝者はぼく一人。

 1月から始まった別格の旅もあと20番を残すのみとなった。


 9:07
香西から電車に乗って高松駅まで来た。高松駅の外まで出てくるのは最初の時以来9年ぶりになる。最初の時は鬼無駅から電車に乗って高松駅前のビジネスホテルに泊まった。鬼無駅前に宿があることなど知らなかった。


 9:18
高松城址公園は有料だったので堀の内には入らなかった。南東の角にあるこの櫓が天守であるかどうかも分からない。


 9:30
高野山讃岐別院の前にやってきた。昔の白黒の地図では国道11号から300mほど北にあるこの前を通るのが遍路道だった。赤線はこの部分だけ北にふくらんでいる。もちろん番外霊場のマークも付いていた。でも04年のカラー地図になってからは全部消えてしまった。国道に出るとすぐに右折して屋島に向かうのが現在のへんろ道になってしまった。


 9:34
高松駅から18分43秒で琴電今橋駅までやってきた。ここから志度まで電車で行く。やはり予定の電車より1本早いのに乗ることができる。


 10:01
琴電の中にトンボが迷い込んできた。


 10:20
終点琴電志度駅に到着、ここに来るのは昨年の10月以来、こんなに早く戻ってくるとは思ってもみなかった。


 10:22
駅からへんろ道に入るとすぐ栄荘の前に来る。


 10:27
駅から5分ほどで86番札所志度寺に到着、電車で来たから感じが出ない。境内のベンチには歩きの人のザックが二つあった。この時間からだとどこへ行くのだろう。長尾寺までだと12時半くらいに着いてしまうし、大窪寺だと17時前後になってしまう。二つの札所の間に宿はない。屋島の近くの宿に泊まるとどうしても中途半端なことになってしまう。でも初めてだと二日先が読めないから、ありがちなことではある。


 11:01
志度寺ではお参りと休憩で30分ほど滞在、10時51分に発つ。いつものコンビニで明日の朝食と昼食を調達する。明日は朝が早いので今日の宿は夕食だけでお願いしてある。


 11:10
高松自動車道の下を抜ける。半年前はここを右折して高速バス停に向かった。したがって、ここから先は3年ぶりに歩くことになる。


 11:58
志度寺から62分36秒で87番札所長尾寺に到着した。ベストより1分早かった。ベストを出したのは3年前だけど、そのときはめちゃくちゃ調子が良くて、これ以上のタイムはもう出せないと確信してくらいだった。それをあっさり更新してしまったけれど、厳密にはベストとは言えない。なにしろいつもは屋島と八栗を登って下っての後のこの区間、今回はそれが全くなかったわけだから比較にはならない。でも、気分は悪くない。

うたんぐらの奥さんに教えて貰ったとおり、本堂の正面に竹ぼうきの彫刻があった。これには日光東照宮の柱と同じような意味があるそうだ。


 13:11
長尾寺ではお参りと休憩で25分滞在、12時23分に発った。長尾寺から大窪寺まで2時間半はかかるからゆっくり休むことはできない。前山ダムの休憩所まで44分41秒で到着、ベストと同タイムだったけれどそろそろエネルギーが切れかけている。この先この調子を維持するのは難しい。

ダムの手間の急坂で力を出し切ってしまい、身体中汗まみれでふぬけのようになってしまった。ダム湖を眺めながらふらふらとお遍路交流サロンへ向かう。


 13:15
おへんろ交流サロンに到着、やはりこの時間にお遍路の姿はなく今回も交流することはなかった。志度から来ても長尾から来ても午前中にここを通り過ぎてしまう。八栗からでも昼過ぎにはここに来ることができる。屋島から大窪寺まで行く人はあまりいない。休憩所で熱いお茶を3杯ほどいただく。汗まみれで熱いお茶はちょっと厳しいけれど、かなり脱水しているから我慢して流し込むしかない。


 13:26
もっと汗を乾かしてたっぷり水分も摂ってゆっくり休みたかったけれど、またも時間がなくて11分しか滞在することができなかった。女体山を越えるつもりだったけれど、自信がなくなってきたので花折峠へ向かう。花折峠は6回目になる。


 13:53
花折峠の標高は410m、前山ダムからの標高差は270mしかないけれど、最初から急坂が続いていきなり汗まみれで力が失せていく。この道を楽に登れたことは一度もない、今回も過去の苦しみは完全に忘れていて新鮮な苦しみが次々訪れた。


 14:05
いよいよ身体が動かなくなって、峠の手前の遍路小屋で休憩を入れてしまった。この道で休憩したのは初めてのことだ。休み方も水分塩分の摂り方も中途半端だという自覚はあったけど、ここまでとは思わなかった。


 14:06
ようやく花折峠に到着、70丁の地蔵とあるように、ここから大窪寺まで7.6km。75分で行ければ上々というところだろう。


 14:13
県道3号に合流、峠からの下りはいたって快調、標高差50mをあっという間に下ってきた。ここから多和小学校までもさらに歩きやすい緩やかな下りになっている。


 14:26
多和小学校の前で国道377号に突き当たる。大窪寺まであと5km、この距離表示が正しいとすれば2.6kmを20分で来たことになる。時速にすると7.5km以上。ほんとかなというくらいのスピードだ。


 14:35
国道に入ると緩やかな登りになる。快調に下ってきただけに少しこたえる登りになる。3年前には明らかになかった短絡路ができていた。ここを右へ行くとかなりきついヘアピンカーブがあったはずだ。坂も急で大型バスやトラックにとって難しい道だったはず。それを避ける道がこの3年の間に完成していた。最後半になってまた歳月を感じさせられた。


 14:40
峠の処で古い道が合流してくる。100mくらい近道になっているかもしれない。


 14:41
大窪寺まで4km、この1kmを15分もかかっていることになる。そんなにきつい登りだったかなという感じもする。


 14:46
竹屋敷の前を通過、この道を右の方へ行くと別格20番に至る。


 14:50
国道を離れて脇道に入る。この距離表示は正確だからあと23分で着けるはずだ。


 15:06
この1.6kmを16分で来た。脇道に入ってからずっと緩やかな登りだから時速6kmであれば上々。


 15:12
ようやく88番札所の山門を確認、最後の坂は急だったけど、だんだん見えてくるこの感覚は何とも表しがたい。最初のお遍路ではやはりこの道を歩くべきだと思う。女体山は2回目以降にしましょうと、全ての歩き遍路さんに言いたい気持ちは変わらない。


 15:13
四国霊場結願所 医王山大窪寺に到着。前山ダムから103分26秒かかった。ベストより2分遅れ。でも4年前の記録とほぼ同じ。4年前は前半は調子が悪かったけれど、前山ダムからは嘘のように調子が良くなってそれまでの記録を5分も縮めた。そのときと同じだからまあそんなに悪くない。30度近い暑さだったことを思えばよく歩けた方だ。


 15:24
本堂ではきっちり薬師如来の「薬」の文字を確認、奥さんの言われたとおり右側の点々がなかった。理由ははっきりしないそうだけど、弘法も筆の誤り、を象徴するものかもしれない。
 あの日、確かにここでカメラのシャッターを切っていた、原田芳雄さんはもういない、少し寂しい思いで女体山を見上げた。



 15:33
古い山門を下りてきたすぐ前にあるうどん屋さんに高札がかけてある。ドラマ「ウォーカーズ」がないのはちょっと残念。


 15:34
今回の旅、そして今年の四国の旅最後の遍路宿、民宿八十窪に到着。民宿八十窪は3年ぶり6回目の投宿になる。意外なことに玄関にウォーキングシューズは1足しかなかった。宿の関係でもっと早い時間に着く人が多いのだけれど、ぼくのあとに次々入って、同宿は9人になった。3人連れが二組と一人で歩いている人が二人。ぼくはその二人と同じテーブルで夕食を摂った。隣に座ったのは東京杉並区から来たベテラン遍路さん。自ら「ぼくはお四国病なんですよ」豪快に笑いながら言う。娘さんと旅行するときでも札所以外の四国の名所をまわるほど。今回は別格も巡って、今日は大滝寺をお参りしてきたそうだ。明日は白鳥温泉から大坂峠越えで3番札所の近くに出る。向かい側に座ったのは小金井市から来た人で、こちらは今回が初めてで区切り打ち。珍しいことに宇和島から歩き始めた。宇和島に知り合いの人がいて都合が良かったようだ。初めてなのでどんな宿に泊まったらよいか分からないと言うので、久々に遍路宿情報を手渡した。当然、徳島駅近くの大鶴旅館と須崎市の柳屋旅館を推しておく。


15日目 6月6日 

2012-07-01 | 12年別格巡り


 5:37
4日目の朝、今日は電車の日。とはいっても40km近く歩くことになる。電車の時間が気になるので、少し早めに宿を出る。車は三河ナンバー、4人連れの車へんろさんが宿に入ったのは昨日の17時半を過ぎていた。


 5:47
国道377号が見えてきた。いつもは左折して観音寺、神恵院へ向かうけれど、今回は68番69番はパスして一気に70番に向かう。従って突き当たりを右折、ここからは70番まで初めての道を歩くことになる。


 5:53
驚いたことに辻小学校の手前の交差点に古い道しるべがあった。この道には赤線も何も付いていないのに。たしかに、この角を左折すると現在の赤線の付いた遍路道とあまり変わらない距離で68番69番に行くことができる。昔はこちらの道がメインだったのか?


 6:06
今回の旅で初めての日差し、昨日までの3日間ずっと曇りか雨だった。足の調子も最高潮、太股の張りは完全に消えたし足首の違和感も全くない、膝の痛みもない。思い切りいくらでも歩けそうな感じだ。


 6:11
県道6号を横切った後の第1目標、県道24号の交差点まで無事やってきた。古い地図にも載っているファミリーマートは健在だ。


 6:17
第2目標、高松自動車道の下をくぐる。


 6:23第3目標、右折ポイント国道11号の交差点までやってきた。県道6号を横切れば直進するだけなので迷いようのない道だけれど、これが国道だという確信はない。

 右折して国道11号(たぶん)を行く。


 6:26
ようやく国道11号の証拠を発見。財田川を渡ればすぐ本山寺だ。


 6:30
今日の宿は夕食がないので、昼食と夕食を調達する。


 6:51
財田川の手前で国道を左折、こちらの橋でへんろ道に合流。財田川の向こうに本山寺の五重塔が見える。


 6:54
宿から58分52秒で70番札所本山寺に到着した。時速は6.3km、遅くはないけれど速くもない。初めての道だから慎重になってスピードに意識がいきにくかったのかもしれない。仁王門の前の電話ボックスで本日の宿「善根宿うたんぐら」に予約を入れる。弥谷寺の大師堂の前にもボックスはあるけれど、前に入ったとき故障していたので、早すぎるとは思ったけどできるところでしておくのが無難だと思った。携帯は持っているけれどメール以外は使わないことにしている。メールだけだと1ヶ月の料金は1394円。


 7:08
本山寺では水分と塩分は摂ったけれどゆっくり休むことはできなかった。コンビニで少し時間がかかったので電車の時間にゆったり間に合う感じではなくなってきている。


 7:17
本山寺を出て1km、国道の交差点に右折れの矢印、これは番外霊場妙音寺へ行く道のようだ。この少し先には、赤線は付いていないけれど脇道がある。遍路道であったかどうかは分からないけれど、一度は歩いておかねばと思っている。


 7:42
高瀬町の標識が新しくなっていた。2年前日帰りできたときには三豊市は付いていなかったはず。


 7:57
前を行く歩きの人2人、今朝は本山寺近くの宿を7時前に発ったのだろう。手前の人は一昨日椿堂で会った人だった。民宿岡田に泊まって本山寺まで来たのであれば健脚の方だ。


 8:02
脇道から一旦国道に合流する。


 8:03
高瀬川の手前を左折、土手の道を行く。昔はこんなにいっぱい遍路シールがなくてそのまま国道を行く人も多かった。この部分は国道の方がちょっと近道になる。でもこちらの方が遙かに気持ちよく歩ける。


 8:56
本山寺から105分28秒で71番札所弥谷寺へ到着した。ベストより1分遅れ、前半から中盤にかけては絶好調だっただけにすごく残念な結果。後半登りに入るとてきめんに力が出なくなった。またスタミナ切れ、食物が不十分だったようだ。今回は水と塩分は気を使っているけれど食物はかなりいい加減でエネルギー不足になることが多い。


 9:24
大師堂ではバスツアーの団体さんが占拠してろうそくも線香もあげることができなかった。やっとの事で納札と賽銭を入れて退散する。本堂を下りてきたところに天霧城跡へ行く矢印がある。この道が別格18番海岸寺へ下りていく山道だ。下りていくといっても分岐点までは登りになる。4年前は先に17番へ行ったのでこの道は歩かなかった。


 9:35
聞いていたとおり分岐点には分かりやすい道しるべがあった。ここまでの登りはそんなに厳しくはなかった。ここから一気に下っていくけれど、本当にきつかったのはこの先だった。


 10:03
下り山道は途中で道なき道という感じで水のなくなった沢の中を歩くということもあるくらいだった。多くのお遍路さんが歩いてきた道という感じでは全然なかった。やはり順番通り神野寺に先に行くのが正解なのかもしれない。山道を下りてからは要所にもれなく矢印があって迷うことはない。白方小学校の横を過ぎればもう海岸寺は目の前。


 10:12
弥谷寺から47分02秒で別格18番海岸寺に到着した。琴ヶ濱と大豪が出迎えてくれる。地図では4.1kmとなっているから思っていたよりずいぶん早く着いた。でも電車は10時47分に出るから余裕はあまりない。この札所は普通と違って大師堂が少し離れた奥の院にあるからだ。しかも前回は本堂の中に入ってお参りするように薦められて、そのあとは隣接する不動堂も見学するように言われた。そのあと奥の院となると、普通の札所の倍はかかるから、ひやひやものだった。本堂ではすぐ横に納経所があって住職が控えていたけれど、運良く今回は声をかけられなかった。すぐにそそくさと奥の院に向かう。


 奥の院にも納経所があるので、時間の節約のためそちらで念珠をいただくことにした。先に墨書御朱印をしてもらっている方がいて少し待たされた。納経所の女性が「待たせてしまってごめんね」と言ってくれた。


 10:33
思ったよりお参りは滞りなく済み14分の余裕を持ってJR予讃線海岸寺駅に到着することができた。これで一安心。この電車に乗り遅れると今日の予定はめちゃくちゃになってしまう。


 11:11
多度津で土讃線に乗り換え、定刻に琴平駅に到着した。今回も車窓から我拝師山、捨身ヶ嶽禅定を眺めることになった。いつになったら登ることができるのだろう。あそこに登らない限りお遍路として1人前だとはとても言えない。
 満濃池神野寺(塩入駅)行きの列車が来るまで40分以上待たねばならない。ここから歩いた方が早く着けるけれど、そうすると本日の歩行距離が45km近くになってしまうので無理をしないことにした。


 11:59
定刻に塩入駅に到着した。ここから満濃池までは初めて歩く道になる。へんろ道ではないから遍路シールはない。


 12:02
へんろ道ではないけれど、満濃池は名所なので矢印があった。


 12:20
塩入駅から20分で満濃池の畔に到着、ほとんど1本道だけれど、初めてだからここに来るまで安心はできなかった。

別格17番神野寺は満濃池の畔にある。山門はない。


 12:33
神野寺には大師堂がない。この満濃池を見つめるお大師さんの前が大師堂の代わりになる。ろうそくと線香をあげるところもあるし賽銭箱もある。納札入れはないので本堂で2枚入れるのが決まりになっている。前回はよく分かっていなかったのでこちらでお参りはしなかった。今回は作法通りこちらでも般若心経を詠む。
 納経所に歩きの男性が一人いるばかり、境内に人はいない。前回はバスツアーの団体でごった返していたので落ち着いてお参りできなかった。バスツアーの人は琴平に泊まるから朝一で来ることが多いはず、この時間には滅多に参拝者は来ないのだろう。


 12:38
やはりこの奇跡の海の雄大さはぼくのカメラでは半分もとらえきれない。
ここから歩いて琴平駅へ向かう、4年前往復した道だから今度は何の心配もない。


 13:00
金倉川に架かる吉井橋を渡ると左折、ここがこの道のポイント。

左折する手前に矢印があった。4年前は琴平から満濃池まで一切遍路シールは見なかった。往きの場合このシールは右折してから見ることになるからあまり意味がないかもしれないけれど、右折する前には貼るところがないので仕方なくここに貼ったと思われる。右折してからでも間違っていなかったことを確かめられるので意味がないことはない。


 13:06
二つ目の矢印を発見、反対側には往きの人のための同じシールが貼ってある。


 13:14
まんのう町には満濃池と蛍のマンホール。


 13:18
まんのう町から琴平町へ入る。この標識は4年前と同じ。


 13:21
76番札所金倉寺へ向かう分岐点にもちゃんと矢印があった。ぼくは琴平駅に向かうので直進するけれど。


 13:31
琴平町のマンホールにはこんぴらさんのかごかき。


 13:36
金刀比羅宮の登り口の交差点まで戻ってきた。電車の時間まで1時間ほどしかないけれど登れるところまで登ってみる。初めて登るのでどこまで行けるか見当もつかない。


 13:40
交差点から200mくらいは平坦な道。ここから階段の始まり。


 13:48
10分で大門の前まで来た。地図を持っていなかったのでいい感じだと思っていたけど、実際はまだ半分も来ていなかった。門を抜けると、先日ドキュメンタリーで見た五人百姓の露店が両側に並んでいた。


 13:59
すごく立派な建物なので一瞬御本宮かと思ったけれど、これは旭社。ここでタイムアップ。御本宮まで上がらず引き返すことにした。ここまで来て、という感じもするけれどお楽しみを次の機会にとっておくのも悪くない。電車に乗り遅れると次の用事が果たせなくなる。


 14:07
琴平駅まで15丁(1635m)、電車の時間は14時32分だからそんなに余裕はない。御本宮まで上がっていたら絶対に間に合わなかった。


 14:20
12分の余裕を持って無事琴平駅に到着、登り下りはそんなにきつくなかったけれど、時間に追われているのがきつかった。


 15:09
善通寺駅から神野寺で一緒だった歩きの人が乗ってきた。今回は善通寺までの区切りのようだ。今日の宿は宇多津駅の近くにあるけれど、丸亀でもう一つ用事を済ませなければならない。


 15:10
駅前にひときわ高くそびえるのはホテルαー1、9年前、最初の時に泊まったホテル。あのときのことを思うと本当に恥ずかしい。でもそれがなければ今回もなかった。


 15:19
丸亀城のお堀端までやってきた。今まで7回もここに来ておきながら国道から横目にちらと眺めるしかなかった。なにしろこの区間は41km歩いてその間に11の札所を巡らねばならない。宿に入るのが一番遅くなる区間だからとても寄り道などしている余裕はなかった。今回はどうしてもお城の前まで登りたくて無理矢理に電車の都合をつけた。


 15:34
天守は三層でややこぢんまりしているけれど、ここに登ってくるまでの石垣はそれは立派なものだった。やはり国道からでは何も見えていなかった。


 15:38
天守前広場から我拝師山、弥谷山が一望の下にある。


 15:39
今まで見た中で一番美しい讃岐富士、無理して登ってきた甲斐があった。


 15:44
姫路城より遙かに立派な追手門を抜けて城外に出る。


 15:57
いつも夕食を調達していたコンビニ(サンクス)がアルソックに変わってしまっている。3年経てば風景も変わる。


 16:23
本日、4日目の宿、「善根宿うたんぐら」にようやく到着。この宿ができて2年4ヶ月、当初からほぼ毎日、遍路の広場をチェックしているから、この建物が初めてのような感じがしない。ようやく来られた、と言うべきか、思ったより早く来られたと言うべきか。ご主人が出迎えてくれる。奥さんは親戚のお引っ越しの手伝いに行っていて不在だった。ご夫妻はご主人の定年を機に大阪からこちらへ移って遍路宿を始められたけれど、奥さんは元々こちらの人で、実家は70番札所本山寺の近くにあるそうだ。


 今日は女性の宿泊者がいないので、女性棟に通された。床の間に懐かしいナショナルのインターホンが掛かっていた。これと同じのが大学時代の部室にあった。誠之館という立派なクラブハウスがあったけれど、吹奏楽部は正門を入ってすぐ左にあった西村食堂の2階に間借りをしていた。部室も練習場もあったけれど電話はなくて、食堂に取り次いでもらうしかなかった。吹奏楽部に電話がかかると下からこのインターホンで呼び出しがかかる。幹部の誰かがスイッチを押して「すぐ行きま~す」と返事をしてぼろぼろの階段をダダダと駆け下りていく。現代の部員は想像もつかないことだろう。何しろみんな携帯電話を持っている。でも当時はそれが当たり前だったから不便だとも何とも感じなかった。それで、ぼくが幹部の時は1年に40回の依頼演奏を受けた。30人ほどで出かけて、1回10万円貰ってくる。もちろん全てクラブの金庫に入る。交通費は原則自腹、交通費を払って手元に一銭も入らない。それだけのお金が入りながら、定期演奏会のチケットも払わされる。幹部は400円のチケット50枚、売れる当てがないから全部自腹になる。部費は月500円。それでも文句も言わず続けてしまったのは、やっぱりフェスティバルホールの観客の度肝を抜きたかった、それにつきる。素人なりに音楽で人の心を動かすことができるのだと、思い上がったことを考えていた。