WALKER’S 

歩く男の日日

宿の予約

2015-03-30 | 日記

 旅立ちまで6日となったので、予約を入れました。14日目までつつがなくといいたいところですが、14日目だけ予定の宿が取れませんでした。1日1組限定の宿で土曜日でもあったので、一般の観光客にとられたのかもしれません。19日も前に入れて駄目なら納得するしかありません。3週目以降の宿は四国に入ってからにします。


鶴風亭

2015-03-26 | 日記

 昨日、鶴林寺の登り口のすぐ手前にある新しい遍路宿、鶴風亭に泊まられた佐藤さんからショートメールが届きました。とても親切で思いやりのあるご夫妻でいいお宿だったということです。ホームページを見て想像した通りのお宿のようです。


寒の戻り

2015-03-23 | 日記

 とはいうけれど、今朝の姫路の最低気温は3.8℃、室温は12.5℃。室温は一番寒かったときより10℃近く高いので、寒という感じも冬という感じも全くありません。もう完全に春です、4日後には姫路城がグランドオープン、桜はまだつぼみだけれど、ブルーインパルスが来る(記念式典は前日、26日午前10時から)ので散歩がてら見に行こうと思います。ブルーインパルスといえば6年前か7年前、善通寺(74番甲山寺の手前のあぜ道)を歩いているときに頭の上を轟音を上げて飛んでいくのが見えた、その日のニュースを見るとちょうど当地で航空ショーか何かがあったということらしい。
 今日は予定通り、太子町のあすかホールまで往復、30kmほど歩いてきました。全体の平均速度は6.5km以上、最後でもそれなりの力が出せていたし、靴の擦れ感は全くなかったけれど、かかとの負担が少し気になりました。アウトソールの形とかかとの感じがまだ落ち着いていないようです。痛みは全くないけれど、もっと自然な感じでないと40km歩くのは少ししんどいかもしれない。まだ何回か同じくらいの距離を歩いて慣らす必要があります。


あと2週間

2015-03-22 | 日記

 ちょうど2週後の日曜に旅立ちということで、そろそろ長い距離を歩かねば、という気持になったのですが、昼前からPMの値が高くなったのでやめました。明日、明後日はかなりすっきりするようなのでしっかり練習しようと思います。いくつか宿の予約も入れたのですが、まだまだ先のことのような他人事のような感じがしないでもありません。


みま

2015-03-20 | 日記

 HPがあってメールで予約できる宿は必ず利用します。一昨日予約を入れた4軒のうち宇和島の宿が定休で断られてしまいました。宇和島駅周辺にはたくさんの宿があって3軒ほど泊まった宿もありますが、敢えて、電車に乗ってみまの宿に泊まろうと思います。宇和島駅周辺だと当日の距離が2km短くなって、翌日の距離が2km長くなる、北宇和島の近くにあるもう一つの宿(6巡目に泊まった)は悪くはないのだけれど、せっかくだから泊まったことない宿を味わう方が、少しくらい費用がかさんでも意味があるような気がしています。


大河ドラマ

2015-03-19 | 日記

 女性を主人公にした大河ドラマはおんな太閤記(81年)いのち(86年)春日局(89年)花の乱(94年)利家とまつ(02年)功名が辻(06年)篤姫(08年)江(11年)八重の桜(13年) と近年その割合が多くなっていますが、今年の主人公が吉田松陰の妹だと聞いたときには首を傾げざるを得ませんでした。第一松陰に妹がいたことすら知らなかった。大丈夫かなと見始めたのですが、その杞憂は一発で吹き飛ばされました。めちゃくちゃおもしろい、こんなにおもしろい大河ドラマはあったろうかと思うほどです。あまりにおもしろくて本当に久しぶりに司馬遼太郎の「世に棲む日日」を読み返しています。
 「世に棲む日日」は「花神」とともに77年の大河ドラマ「花神」の原作になりました。「花神」の主人公は大村益次郎、それだけでは不十分と見たのか吉田松陰と高杉晋作が主人公の「世に棲む日日」を合わせて描くことにしたと思われる。歴史の中では大きな役割を果たした3人ではあるけれど、薩摩や土佐の英傑に比べるとどうしても地味な活動しかしていないと見られるのか、視聴率は過去3年が24%だったのに対し19%とふるいませんでした。翌年、翌々年は26%だったからこの年だけが如実にへこんでいます。幕末維新は2年おき3年おきで描かれていますが、長州がメインで描かれることはこの年以来一度もなく「花燃ゆ」が実に38年ぶりのことになります。

 野山獄を出るとき、最後の句会で高須久子(井川遙)は獄中にいて句も詠まなかったのですが、「世に棲む日日」では、久子も参加して「鴫立って あと淋しさの 夜明けかな」 という句を詠んだと紹介されています。


「毎年よ

2015-03-18 | 日記

 彼岸の入りに寒いのは」 とはいかず、今朝の姫路の最低気温は11.6℃でした。子規のお母さんの発したこの言葉はあながち誤っていなくて、昨年は暖かかったものの、13年、12年は前日が冬日、11年は当日が冬日、10年は冬日ではなかったものの前々日が13℃で前日が1℃、10℃以上下がったので寒さはひとしおだったと思います。

 今日もPM2.5の数値が高いので散歩はお休みです。昨日は低くなった頃合いを見て自転車で買い物だけ済ませました。気温が高くなりすぎるとPMも高くなる傾向のようで、普通の寒さに戻って貰いたいものだと切望します。


遊庵

2015-03-16 | 日記

 今回泊まる宿の中で最も予約がとりにくい(すこぶる評判がよく、お遍路以外の一般の観光客も利用し、部屋数が3つしかない)と思われる、香南市の遊庵に予約を入れ、受け付けてもらえました。今回泊まっておかないと、来年以降はいろいろ不都合があり、絶対に押さえておきたかったので4週間も前の予約になりました。同じような人気の遍路宿では10日くらい前に予約をしても断られることがあると聞いていたので、今までしたこともないような早い時期にしてしまいました。あとは、旅立ちの10日くらい前から入れていこうと思います。


3日連続冬日

2015-03-13 | 日記

 今日の姫路の最低気温は-1.6℃、3日連続の冬日となりました。でもこの先1週間の予報ではマイナスはないどころか平年より高めの陽気が続くようです。お彼岸のあとにもう一度寒波が来るとは言っていましたがどうでしょう。


冬日

2015-03-11 | 日記

 今日の姫路の最低気温は-1.8℃、18日ぶりの冬日となりました。室温も3.5℃、5℃より低くなったのは25日ぶり、でもこの時季冬日になるのは毎年のことで驚きはしませんし覚悟もできていました。昨年の3月は4日、7日、8日、9日、10日、11日、15日、の7回の冬日がありました。一昨年は3日、4日、11日、12日、15日、16日、の6回、12年は11日、12日、13日、14日、16日、20日、26日、27日、の8回に加えて4月8日も冬日だったのでした。12年の厳しい冬が記憶に残っているので今年の冬は本当に大したことはないという感が強いです。


本番用シューズ

2015-03-10 | 日記

 昨日は雨の中黒坂歯科まで傘をさして(往復で)8kmほど歩きました。本当なら2週間前に終わっていたのですが、最後の治療の数日前に5年前に入れてもらった前歯がぽっきり折れて、新たに型を取って新しい歯を入れてもらったので3回の治療が必要になり、その最後が昨日のこと、あとは経過観察と最後の消毒洗浄のために金曜日に行ってそれで本当の最後になります。前歯がとれたときにはがっかりでしたが、四国を歩いているときにとれることを思えば、治療中だったのは幸運だとも言えると気を取り直しました。
 昨日は雨だったので、2年前に足を痛めたOD400を引っ張り出してきました。ゴアテックスのよい素材なので雨天用にと大切にとってあります。おかげで昨日は靴の中はほとんど濡れずに帰ってきました。今日からは本番用のシューズで練習です。一昨日まで履いていたミズノのイージースター2と全く同じものですがサイズは1cm大きいものです。土佐清水の安宿の主人が言われるように、甲でしっかり結べば指先はある程度余裕がある方がよい、というのに従いました。実際昨年は小指にマメができて難儀もしました。イージースターはここまで2200kmほど歩いていますが、靴底の減り方は思ったほどではありません。昨年使ったトラッドロードでは2000kmを超えるとインソールの顔が覗くほどだったのですが、イージースターはまだまだ1000kmは大丈夫ではないかというほどです。本番まで300kmほど歩きますが、全く問題ないと思っています。


地図印刷

2015-03-05 | 日記

 旅立ちまでちょうど1ヶ月となって、今日は本番のザックを担いで14kmほど歩いてきました。本番用といっても日頃使用している電気シェーバーや携帯とデジカメの充電器や歯ブラシや遍路地図など細かいものは入っていませんが、その分500mlのペットボトル2本を入れて、重量は4.4kgです。どれくらいのスピードで歩いているかイオンの周回歩道で計測するとちょうど時速7.00kmでした。思ったよりいいスピードです。でも歩き始めの計測なので、後半はそんなには出ていないでしょう。
 散歩の前には今回初めて歩く道の地図を印刷しました。徳島では吉野川を渡ったすぐあと、旧渡し場跡からの道を歩きます。この部分は赤点線が付いていて前から気になっていたのですが、川島橋を渡らず鴨島駅の方へ行くことが多くてなかなか機会に恵まれませんでした。
 高知では田野駅の近くの国道や桂浜や青龍寺の山門から奥の院へ上がっていく道などが初めてですが、これらは地図を作らなくても何とかなりそうです。
 愛媛では伊予西条駅の周辺、今まではにぎたつ旅館に泊まっていたので駅の西側の踏切を渡っていたのですが、今回は少し東側にある宿に泊まるので初めて東側の踏切を渡ります。そして、三角寺から一野屋旅館へ下りていく道です。遍路地図にもあるけれど、うまくたどり着けない人も多いようです。もうひとつは境目トンネルの手前から右側に登って境目峠を経由して曼陀峠に至る道、この道は赤線があるし道しるべもあるとは思うけれど、どこに迷い所があるかもしれないので念のためです。
 香川では本山寺を出て1.5km右側に入っていく脇道です、この道には赤線はないけれどどう見ても昔の街道なので一応押さえておきます。


林道坂本線

2015-03-03 | 日記

 へんろみち保存協力会のHPを見ると、林道坂本線が平成29年の2月まで不通になると書かれていました。林道坂本線というのは37番岩本寺の手前、土佐久礼から七子峠に至る大坂遍路道の最後の700mの部分のようです。古い遍路地図には雨のときには注意と書かれているところです。
 この道が歩けないと、歩き遍路の選択肢はそえみみずだけ(国道でも行けるけれど歩道がなくてかなり怖い)になります。そえみみずは最初の部分が高速道の工事で大きく削られて途方もない長い長い階段を登り下りしなければならなくなったので、避けたかったのですが、仕方ありません。


泣ける行進曲

2015-03-02 | 日記

 吹奏楽の経験者に聞くと、多くの人が、一番好きな行進曲はスーザの「星条旗よ永遠なれ」だと答える。ぼくは天の邪鬼だから、星条旗だけは無理に好きにならないようにしています。でも2度目に泣けたのは星条旗でした。今津中学の演奏会から半年後、81年の「3000人の吹奏楽」でのことでした。そのころのオープニングは各団体が順番に演奏しながら登場してくるスタイル、甲子園の開会式のようにライト方向からホームベースの前を通ってレフトへ抜けてセンターを中心に整列、そして全体合奏が行われる。その年のテーマは『マーチ・マーチ・マーチ』で全体演奏の最初の曲が「星条旗よ永遠なれ」でした。2000人の大合奏だけであれば涙は出なかったかもしれない。でも、トリオのピッコロソロ(オブリガート)で、なんと全てのフルート、ピッコロ奏者が前に出てきて一斉に吹き始めた、その数200名、これには本当に圧倒されました。フルート吹きがこれを見るとうらやましいと思うだろうし誇らしい感じがするかもしれません。クラリネット吹きのぼくが見てもうらやましかったし、これ以上泣けたことは以後の3000人でもありませんでした。


行進曲の日

2015-03-01 | 日記

 3月1日は行進曲の日、3月(March)の最初の日だからそうなったと、今朝の毎日ラジオで言っていました。中学から大学まで吹奏楽部だったから行進曲については言いたいことはいろいろあるけれど、あまりに多くの想い出が多くの行進曲にあるので、今回は泣ける行進曲と吹きたい行進曲について書きます。
 吹奏楽の演奏を聴いて泣くことなどふつうあり得ないことでしょうが、ぼくはあります。最初は34年前、今津中学の特別演奏会でのことでした。その演奏会が行われる少し前のこと今津中学の吹奏楽部の部室に盗賊が入り多くの楽器が失われ大変なことになったと、ローカルニュースで映像が流れました、その危機を乗り越えて数日後に演奏会が行われることを知り、かけつけたその1曲目が「ハイデクスブルク万歳」でした。トリオの最初はユーフォニウムがメロディ、オーボエが対旋律を吹きます、その二人が前に出てきて吹き始めたときに訳もなくぽろぽろと涙がこぼれました。その頃の今津は本当にすごかった、兼田敏先生にお話を伺う機会があったのですが、先生が先ず口にされたのは「去年の今津(コンクール全国大会)聞いた?本当に素晴らしい演奏だったよ」。運命の力を演奏した年でした。淀工の丸谷先生はその年同じ曲を演奏して今津があまりによかったものだから、自分たちは銅賞になってしまった、と先日の吹奏楽の時間でぼやかれていました。淀工が銅賞に終わったのは後にも先にもその年だけでした。