リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

オリンピックと労働者の団結

2012-08-05 21:40:22 | 歴史への視角
 こんばんは。東京地方はあぶらむしではない油蝉が鳴きだし、夏中盤。
 なんて、去年の夏、そんな話題を前の職場の同僚としたことを思い出し、あれから1年かあ。諸行無常。
 
 さて、ここんとこあれが終わればこれと、自分の行動設定の世界の切り替えがたくさんあって、よりいっそう自分の仕事から遠ざかり、困ったものです。 AB型とはいえ、2つのことはきっちり分けられても、3つ、4つと付き合う世界が増えると、はっきし対応不能ですね。
 会社の仕事は、出勤して清掃の人と顔を合わせると思い出すのですが(持ち帰り仕事がないので退社するときれいさっぱり忘れる)、自分の仕事は向かい合って思い出すものがなくて、気分の調整がむずかしい。
 かえって日常ずっと会社の仕事を気にしてなきゃいけないほうが、そんな事態に頭に来て気分転換に自分の仕事をしたりするんで、世の中何がいいかなんてわからないものです。

 てなわけで、前々回の続き。労働者前衛主義のオリンピック的偽善。
 いや、べつに、オリンピックに恨みなどなく。話題は、インターナショナル労働運動の方で。
 
 共産党宣言の末尾、「万国の労働者、団結せよ!」という語句がありまして、昔は知らない人などいませんでしたが、さて今はどうか。
 意味は、<万国の労働者は、同じように搾取されているから、自国の政府・資本家に振り回されずに、国を越えて手を結び、資本主義者を打倒しよう> というわけで。ま、その言やよし。
 しかし、そんなこと唯物史観ではありえないことですな。
 
 だいたい、誰も気づいてませんが、語法からして「命令形」ですよ。vereinigt Euch!。おまえ、団結しろ!。つまり、インテリ、マルクス・エンゲルスのヤケッパチの言ですね。 ほんとだったら。「ぼくたちみんなは団結しよう!」ですよ。 あなたならそう言うでしょ? わたしならそう言いますよ。
 そんな団結は、もともと無理。そんな言葉を相手にするのは、労働者の利害などなにもない国家間の漂流労働者や(内実は歴史の本をどうぞ)、評論してれば生きていけるインテリだけ。そして、現実の歴史もそうなりました。労働者はすべて国家に取り込まれ、2つの世界大戦で殺し合い、死んでいきました。
 
 オリンピックと同じですね。
 スポーツに国境はない。
 が、スポーツ選手には国境がある。
 
 ま、現実を無視してお題目を唱えるのも無意味ではない。
 ひとびとに理想的状態を教えることは、教えられる人に与えられた役目ですね。インテリにはインテリの役目があり、スポーツ選手にはスポーツ選手の役目がある。
 イデオロギーやデマゴギーは賞賛の必須要素ですし。
 ただ、インテリが口にすると、真理を話しているかのように受け取られるのが問題で。現に、左翼はだれもこの誤りを問題視しない。
 結局、オリンピック憲章も労働運動スローガンも、どちらも子供の世界。生理的制約のない理想状態にすぎない。

 じつは未来で労働者を待つのは、1国社会主義革命でしかない。
 なんてことをいうやつは、世界中を探しても私一人になっちゃいましたね。しかも、アナーキスト隈のみ。後のデマゴーグはかっこつけて、民族民主主義やら世界革命やらさ。そんなものは、資本主義の進展の、裏返しのイデオロギー修飾に過ぎない。
 デマゴーグは、歴史の波に乗れはするが、歴史の波に抗することはできない。
 歴史を動かすのは目の前に将来を見せられる人間だけだ。
 
 革命は1国で第1段階を成就するしかない。なぜなら、国民資本主義は、1国で生理性を支配するからだ。夢物語で何を言おうが、1ヶ月食わない人間は死ぬしかないのだ。
 
 数十年後、どの国も資本家と労働者の行為共同性がくずれ、かつ、労働者状況が他国と近似一致したとき、各国は1国にて革命を起こし、かつ、革命後に連帯をし、無政府共産主義への道を踏み出す。いやでもなんでも、これが歴史の鉄の法則なのだ。

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