リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

学問的前段階蜂起

2012-03-11 21:39:36 | 歴史への視角
 こんばんは。この前から相変わらず首こりと首こり頭痛になやまされて、、、、
 ってたいしたことではありませんが、これまで毎日健康で暮らしてきた人間だと、なんとも暗くなりますね。

 さて、今日は3月11日、って書いた瞬間思ったには、だからなんじゃい、みたいな。
 今日は2012年3月11日、かけがえのない唯一無二の日曜日。
 
 と、まあ、そういう心の狭い物言いはやめて、3月11日です。
 
 わたし的には、1年は早いものだ、という感じですが。ともかくもマスコミでは大変なことのようですね。普通の人には関係のないことですが。
 なんていうのも挑発的か。
 口先ばかりのマスコミ関係者のせめて10倍でも普通の人が心をとめてくれたら、問題はゼロだと思いますけどね。
 上記1行は誤植ではありません。
 マスコミも人間なら、普通の人も人間。被災者も人間。
 こうゆうシンプルなことを理解してもらえる土壌の中で、はじめて何かをいいたいものです。
 どんなマスコミも、この春が遅くてホームレスが寒くて困ってるなんて、1面に書いちゃくれないやね。
 
 そういやあ、国家公務員は被災地予算でかわいそうに10%だかの給料削減で、しかも退職金も削減だとか。
 エリートでなくても休みもとらずに頑張って公務に励んで本庁課長補佐になれた中級職が退職を目前に百万円 (退職金で2百万、3百万)を被災地に寄付した勘定ですな。
 一体世の中、被災地に百万円を寄付した個人が何人いるんですかね。ちょっとだけ上の大衆公務員がそんなことをするのは異常極まりないことのうえに、もっと異常なのは、それを誰一人も感謝するわけがないことで。
 お察し申し上げます。早く辞めちゃえばよかったのにね。
 
 さて、了見の狭い話はやめて、本日は感心した
 田中充子(、上田篤)、蹴裂伝説と国づくり、鹿島出版会、2011.
 
 趣旨は、日本はこの1万年に、平野を国土面積の2割も増やした、という話で。
 どうやって、ってそこが「蹴り裂き」で。
 湖やそれに類する沼地の出口を蹴破って、そうすると水が逃げて地面は干上がりますな、そんなことを日本人は有史までに北海道から九州まで、全ての水地を盆地、耕作地にしつづけてきた、という話で。
 
 それを縄文文化人が技術提供者として行った、という、いわずもがなの話を付け加えて。
 
 「いわずもがな」って若い人は知りませんかね。なんでそんな余計なことを言うんだよ、いわなきゃすばらしいのに、って意味ですが。
 でもセンダチ(先達)というのはそういうものです。
 どうせなに言ったって他人がきいちゃくれないなら、せめて、自分で面白いように書きますな。廣松渉の漢語癖と同じで。
 それはしょうがない。
 文句を言う奴は自分で努力したことがあるのか、ということです。
 そんなやつらはマスコミと一緒で、自分ができもしないことに文句を言うことが人間として許されることだと誤解している。情け無いことです。
 
 で、じゃあ面白きゃなに言ってもいいのか、って、マスコミの害毒と違って別にだれも痛くもかいくもありませんからね。
 それよりも大事なことは、そういうトンデモ学が、次の本当の学問の素地を作り出すということです。
 今まで誰も信じていなかった「伝説」が、それは99%は自然災害の結果かもしれないが、そういう自然のありようとして明らかにされる日が来る。そんな論文が学会誌で受け入れられる素地を作った、それだけで、未来にも誰に評価されなくとも、田中氏は学者になった意義がある、というものです。

 前段階蜂起ですな。
 
 唐突? 歴史というものはそういうものです。
 

 (注:前段階蜂起とは革命は座していては起こらない。まず期至らずと蜂起をして、それにより革命を導かなければならないという発想。
  正しい。発想は。それがいつかなど、誰にもわかりゃしないからね。
  それがたまたま外れたからといって、悪いのはそいつらではない。右翼やリベラルがけなすのはそれはそれでもっともだが、左翼がけなすなどもってのほかだ。ま、あたしゃ褒めるつもりはないけどね。ただ、けなさないのは最低限の仁義だろう。)

 
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