リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

賞味期限超過+β

2021-11-06 15:33:19 | その他
 こんにちは。明日は立冬だそうで。ただ東京地方順調に秋晴れが続いております。田舎ではところどころに木の実が色づいてきました、がこれが苦手。いったい何の木の実やら。みんな同じに見えてしまう。
 人間には見えないほどの小さな花の回りを回っているのはヤマトシジミか?
 秋に聞きなれたキーイキーイという鳴き声はモズでいいんでしょうね。なんせ昔から目が見えないし。
 
 さて早々に本日のテーマ。備蓄品の賞味期限。週刊誌の見出しによりますと「2か月以内に神奈川県西部に大地震」だそうで。まあなんにせよ後悔先に立たず。
 たしかそろそろ賞味期限の来てる備蓄品があったはず、と缶詰を調査。
 あったあった、楽寿久:ラスク缶:どらどら。2019.8期限。
 たいしたことない。
 味は? まあこんなもんでしょう、ちょっと濃いけど。割れがひどいのは仕様(?)のようです。しかし、味が濃くて食べづらい。水が欲しくなりそうなので、パン缶に替えました。
 次。ブルボンのミニ・クラッカーとミルク・ビスケット。2016、8期限、、、
 おっと。こんなのあったっけ?
 食べたくないなあ、、まあしかたない、昔自分で東急ハンズで買った覚えが。
 クラッカーは普通においしい。要は、昔のリッツ。今のリッツは食べたこともないけど。モンデリーズはプレミアム(クラッカー)をまずくしたので買う気にならない。ルヴァンがいい。
 元へ戻ってビスケットがおいしくない。やけに粉っぽい。初めからかもしれないけど。
 でも乾パンの缶詰のことを思えば柔らかくてまし、ただ乾パンのほうが味はうまい。薄甘味より薄塩味のほうが良い。  
 というわけでちょっと願い下げで、残りどうしようか、とネット情報を検索。ピザにできるとのこと。
 そこで缶の残りを牛乳でふやかして強力粉と塩とベーキングパウダーを加えて、ピザ生地へ。
 、、、うそつけ。こんなものピザじゃねえわ。
 しかしまあ食べられはします。まだ1缶残ってる、が、もう嫌。
 以上、粉ものの缶は期限後数年は大丈夫と考えられます。量にもよるけどね。
 
 というわけで、この先は普段の感想ブログに戻ります。
 
 いちおう選挙結果の週なので、ちょっと古いですが。
 まず国民審査。「夫婦別姓認めぬ民法 「合憲」4裁判官、罷免要求突出 国民審査」(毎日新聞)
 ブルジョワ新聞はあいかわらず中途半端な講評。さらに頭一つ抜けてる×の2人は、再審拒否組ね。知ってて講評してんのかなあ、、、
 
 衆院選挙結果、ま、こんなもんだね。
 こんなもんでいいけど、朝日新聞には境家史郎という政治学者が
「ネオ55年体制立件は変われるか」
 とかいって、立憲民主は現実的に対応しないと社会党の轍(てつ)を踏むって、年寄りには聞き飽きた話をでかでかとしてました。
 バカなのかタメにしているのか。理念と思われるものを変えたら政党じゃないさ。90議席いってるのは有権者にとってそういう政党だってことだよ。自民党が二つあることに何の意義があるのか。国民民主と維新が一緒になれ、と主張したほうがユニークでよかろう。どうせ権力が欲しいだけなんだから。
 だいたい選挙なんて行動はイデオロギーとか信条とかいうもんじゃなくて、対人的な人間の性向反応だってことがわかんないのかね。端的に言えば、人間なんて顔を見りゃどの党に投票したかなんてわかるさ。
 
 さて、本日の大問題。
 「迷惑「キョン」大量発生で被害 4万頭 千葉から東京に接近」(FNNプライムオンライン)
 え? 八丈島のきょん? 4万頭? そんなもん、いったいどこにいるというんだ?
 千葉県には人がいない土地が多いのはわかるが、不思議。しかも4万頭が近々に消えてなくなる(取って殺しちゃう)、ということも不思議。どうすんのかねえ、、人間、知らないことは知らないものです。
 
 本日のシメ。
 朝日新聞の読書欄で大澤真幸(社会学者)がとつぜん廣松渉を褒めてました。広松の「世界の~」が文庫になったもよう。
 主客図式に替えて四肢的な構造連関を唱え世界の見方を変えた、まさに哲学者、てなもんだ。
 まともに扱う気もないが、で、廣松氏死後30年が経とうとしているが、どなた様がどんなふうに世界の見方を変えたのだね。評論分野で心理論がはやったことぐらいじゃないか。
 くだらん。
 問題は四肢などではない。哲学は具体論がないから「四は二より多いのだろう」と思うのだろうが、社会科学はそんな大まかなものではない。ある1項について必ず下位の2項が立つのだ(たとえば派生的に羅列された5箇点(6箇点でもよいが)のそれぞれについて、表と裏の画面を考えるわけだ。この時点で2項増える)。こうした過程で1理論では少なくとも16項以上は検討がなされる。さてところで、これは四肢項論で言えば4×4×4×4の項目を一度に見ていることと同等なのだ。256項理論。できるものか。
 同時に16項目があるだけでも考えられない、だから4個の視点だって人間にはまとめられないのだ。せいぜい評論家が周辺で独り言をばらまくことしかできない。
 人間はこの数百年、バカではない。かくて2項図式が存在しているのであって、そこから先の地平に2視点さえ扱えない人間の出る幕はないのだ。

 ほんと社会学のお守りは大変なばかりで得るものがない。

 
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