リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

お勧めの一冊

2008-07-13 14:22:32 | その他
 片山龍峯「日本語とアイヌ語」、すずさわ書店、1993.

 本日は、目先を変えまして、感動をお伝えしようかと。もうちょっとフツウな感動もしてますが、日曜になる前に忘れちゃいましてですね。ともかくも。
 私儀、各地図書館にて1年に500冊くらい本を借りますが、この本は秀逸です。
 題がつまんなくて今までスルーしたか、レクリエーションには字が多すぎてパスしたか(私の本職は社会科学)、とにかく、暇な人にはお勧め。私も1冊買いたい、けど、学会社会に寄与しない本は売れないからもう入手不能かな。

 中身は、「日本語とアイヌ語(と沖縄語)は同じ語源を持ってますよ。世間で流布されている、あーだこーだの文法的差異なるものは、かくかく存在しませんよ」みたいな本で。
 なにがよいかというと、語源論がきちんとしていてよい。発音が似ているからどうのという話は暇つぶしには面白いけど、忙しいときは勘弁してほしいのですが、これなら理屈だし。
 だいたい日本語って語源がわからないじゃないですか。漢語はそのまんまだから分かるとして、ヤマト言葉のことで。
 言葉なんて基本的に千語あれば1万年は暮らせるでしょうが、元はといえば人間が使うんだから消費物資の名前のほかは、各種行為の判断結果を人に伝えるために、局面別に5個くらいの判断じゃないですか。その判断から、どう千個の派生語を作ってきたか。(派生語っていっても「晴れ」と「晴ればれ」の違いとかのレベルじゃなくてですね。草の「ツル」とロープの「綱」の違い、というレベルですが。)
 局面別の判断結果というのは、今日は「晴れ」とか、夏で木が「青々」してきたとか、洞窟住まい(?)の家族に伝えるとしまして、そこで、何で「青」やねん、みたいな。
 一人が勝手に発音を付けても、みんなが何らかの事情で納得しなきゃ定着しない。
 で、なんで「あお」なら「青い」となっとくするか。日本語はわからない。でもアイヌ語は分かる。そのアイヌ語と日本語と同じだ、と展開するのだから行為論的に素晴らしい。いや、私個人の興味に限らず。

 なお、お読みになるときは、知識の少ない方は、先に「英語史」の本を1冊読んどいてください。 似ても似つかない言葉が歴史をみると実はおなじだ、という学会標準を知ってないと、ただのトンデモ本だと思われてしまうので。
 著者もテレビディレクターという面白好きな人なんで、知らない人が読むとこの本の良い点が伝わりにくいのは、今ネット検索して分かりました。

【一応、注意点】
1 昔の年代の人によくある物語方式の書き方 (初めはこんなふうにして思ったけど、そこでこうだからこうなって、だけどこうしたらこうだったからあ、、、と、イライラするやつ) なんで、出だし4分の1があほみたいなので注意。後半が本論です。
2 面白くしようというのに引きづられて、40%の論理はいまいち。だけど、60%も正しい独創的な本なんてめったにありはしない。
3 ただ、「これとこれは同じ」という論なんで、それだけ実証的といえば実証的なんだろうけどインパクトに欠けるかなあ。本当はもっと体系的に、すべてのヤマト言葉について比較して欲しいものですが、残念ながら著者は62歳にて亡くなったそうで。
 誰かやりませんかね、全面比較。アイヌ言葉が生きてあるうち。
 同じ流れがあるのはわかったけど、違うものもあるんでしょう。その違いでわかることもあるはずなんですけどね。

                            ↓なお、下記に、久しぶりのクズサイトコメントがありましたが、(1ヶ月後)いいかげん消しました。誰か普通の人がコメントして欲しいなあ。
                             
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