リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

P.S.疎外の論理の系譜

2013-06-16 09:28:47 | 社会学の基礎概念
 引き続き堅い話で恐縮ですが、前回が長くなって、こんなことを追加するとさらにわけがわからなくなるので項を変えて。
 文をちょびっとみて誤解する人があるのでわざわざ書いておきますが、別に私は大塚と意見が同じではないのです。って読んでくれましたよね。
 まあ、いわずもがなですが、実は自己疎外論は、マルクスにとってはただの論理の習作に過ぎないと思ってますし。
 資本論の弁証法と同じですね。
 
 自己疎外とは決して、人の好い日本人やアメリカ人が考えたような「非人間的生活」の代名詞ではない。マルクスは人間の抑圧状況を論理化できればそれでよかった、というと響きが悪いですか。
 
 もともとヘーゲルの自己疎外概念は、一つには行為論ではありましたが、一つには論理構成の手法だった。そしてマルクスは後者を展開した。
 (そして行為論のほうを発展させたのがサルトル。そしてサルトル直系が隈。「行為の集成」。)
 そんな意味(しかないの)ですから、大塚が書いたように、疎外と物化は同等なんですよ。二つとも行為論的意義を外せば同じ、っておわかりでしょ?
 
 みなさまもそのように考えてみると納得いくことが多いと思われますが。
    多少は言いすぎですが、まずは、多くの人が思ってもいないだろうこの図式が伝わる必要があるので。
 
 だから、大塚久雄による行為論のコの字もないまとめも、マルクス本人にとっては許容範囲だと思うのですよね。
 だからどうということもありませんが、私の論の叙述に、実はちょっとジャマなんですね。疎外という言葉を使うと、読んだ人はマルクスの疎外概念と思われるでしょうから。「それはマルクスと違う」 なんていわれるのも迷惑至極。私はサルトル(とエンゲルス)が好きだな。
 
 
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