北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

安倍総裁誕生~若い力を生み出す方法

2006-09-20 23:37:03 | Weblog
 朝は台風が北海道に再上陸して、風雨が強かったのですが、夜にはもう晴れ上がって星がきれい。
 北海道には珍しい「台風一過」となりました。

【安倍総裁誕生】
 自民党第21代総裁に安倍晋三さんが選出されました。戦後生まれでもっとも若い総裁誕生です。

 安倍さんは明日9月21日が誕生日なので、今日はまだ51歳での総裁就任ですが、総理大臣には52歳になっているわけです。なんだか説明が面倒です。

 マスコミなどは同い年の有名人を出して、1954年生まれがどういう世代なのかを表そうとしています。カルロス・ゴーン、中畑清、ユーミン、ジャッキー・チェン、石田純一などが同じ年生まれなのだそうですよ。

 「ポスト団塊世代」という表現でくくられることも多いのですが、皆さんはどういう世代に感じるでしょうか?

    *   *   *   * 

 午後は全道から地域振興を担当する担当者に集まってもらっての合同会議がありました。

 いろいろな伝達事項やお願いを伝え、意見交換をしました。

 会議の話題の最後に、半分は余興的なのですが、各出先ごとのホームページの出来具合ランキングが発表されました。

 これは我々の身近な職員たちが、各部所のホームページのトップページを見てその印象で点数をつけた結果を表したもので、使い心地や深い中身までを見たわけではありませんが、第一印象を点数化したようなランキングでした。

 しかしそれでも数が集まると大体の傾向が現れてきて、よいと思う人が多いものから、これは改善した方が良い、と思う人が多いものは多くの人の意見が一致していました。

 もともと「各組織単位ごとに競争を促すようなシステムが必要だ」というのが私の持論ですので、他との相対的な比較の結果を示して改善と競争を促すことは大いに進められるべきだと私は思います。

 本来であれば、評価のポイントをあらかじめ示して、争う側がどこに注意を払えば高評価になるのか、ということを明らかにしておくことが大事です。
 そうしなければ単なる印象という曖昧な結果になり、どこをどう改善すれば高評価になるかが分からないからです。

 評価をする側も真剣さが求められると言えるでしょう。

 この話題の最後にある担当者から、「ホームページに出して良い情報のレベルが、各部所ごとに異なっているように思うが、中央でガイドラインを示して欲しい」という意見が出されました。

 この意見を聞いていて、私なら「出してはいけないとされている情報は出さないけれど、そう決められていないものは自主判断でどんどん出すのに」と思いました。

 ガイドラインが示されて、その範囲にいて安心するという事もあるのでしょうが、やって駄目でなければやってしまって、なにか弊害が出たら後から対応を考えるようなダッシュ力のある組織風土の方に私は魅力を感じます。

 決まり事が多くなりすぎて、どう行動すべきかのマニュアルを読んでいるうちにタイミングを逃すなどということのないようにしたいものです。

 植物でも枝の伸びが悪くなったら強く剪定をして若い枝の伸長を促すことがあります。秋が近づいて、そろそろ掛川のお茶も強剪定された坊主頭の茶の木が見られる頃でしょうか。

 掛川の祭も近くなりました。
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感情と冷静の間

2006-09-19 23:25:56 | Weblog
 今日は私の誕生日。一つ年を取って分別が付くのであればよいのですが。

【感情と冷静】
 誕生日という事で、知っている何人の方からはお祝いのメッセージをいただきました。人の誕生日など良くもまあ覚えていてくださるもので、感謝に堪えません。

 なかにはお祝いに添えて、このブログを楽しみにしていると言いながら、「ほとばしるような情熱的な文章も、久しぶりに読みたいなあ」という激励とも叱咤ともいえるような一文をプレゼントしてくれた方もいました。

 そう言えば最近は【情熱がほとばしるような文章】が書けてはいなかったと、改めて気付きました。

 仕事上の立場柄、感情は表に出さないという態度を身につけるように心がけているのですが、それがまた文章にも表れていないのかもしれません。

 もっとも、以前はそんなに何かがほとばしるような文章を書いていたのでしょうか?読み返してみようかな。

    *   *   *   * 

 朝起きて、テレビのニュース系情報番組についてどれを見るかというのは結構重要な選択なのですが、わが家では家族はフジテレビ系列の「目覚ましテレビ」を見ていて、私個人としてはみ○もんたの「朝○バ!」を見ています。

 みの○んたの司会のやり方は、「客や聴衆を惹きつけるプレゼンテーションとは何か」という問いに対する模範解答だと思っています。彼のちょっとした仕草や選ぶ言葉、その強さやタイミング、笑顔と怒りの出し入れなどには、見ている側の気持ちを手玉にとるような高度なテクニックが隠されています。

 テレビを見ている多くの人は「みのも○たって面白いよね」ですましていることと思います。しかし彼の、聴衆が次にどう思うか、ということを一瞬先に見ぬいて、そちらの方向にちゃんと話題をもっていき、聴衆を納得させ安心させるこの話術には素晴らしいものがあります。

 何事にも上手になりたければ良い師匠の質の高い技を見てそれを盗むのが一番なのですが、プレゼンテーションが上手になりたい人は○のもんた氏の番組を徹底的に見る事をお勧めします。

 さてそんな彼ですが、彼の手法ではいかがなものかと思うのがニュース番組というジャンルです。

 彼はニュース情報を伝えるときにも、自分自身の怒りなどの感情をあらわにして聴衆の共感を増幅し、見ている側をスカッとさせるので、それがまた人気の秘密のように見えます。

 しかし私たちは、情報を判断するときには、多くの背景やその場の事情などを知った上で冷静に判断するようにと教えられています。

 一片の情報に一喜一憂し、感情を高ぶらせる事ほど判断を誤らせるものはありません。だから私たちはニュースのような速報性の高い断片情報に過敏に反応して感情を高ぶらせたりすることのないように子供をしつけたり、自らそう振る舞うようにすべきなのです。

 そういう意味では、ニュースを感情をこめて伝えるというのはある種の禁じ手なのかも知れませんが、敢えてそれを行って人気を博したのが小泉首相でありまたみのもん○氏なのだといえるかも知れません。

 努めて冷静に話す話し手は、しばしばテレビ的にはつまらなく映るものです。それよりは大仰に感情をこめて、聴衆の怒りや悲しみ、ときには喜びを増幅させるというのは、ショウやバラエティにとっては上手な手法です。しかしそれはニュースに適した手法ではない、というのが私の考えです。

 もしそのような番組の例を挙げるとすれば、「た○しのTVタックル」などが政治ネタを扱いながら、その手の感情の高ぶりやときには言い争いをバラエティ
として面白おかしく仕立てていたと言えるでしょう。

 しかし「TV…」がバラエティである事を自覚しているように見えます。ニュースとバラエティの垣根も低くなったのでしょうか。

 感情を抑制するということは大人の振る舞いです。私たちはそうなるように自らも律する姿勢を貫きたいものです。またそういう視点でテレビ番組を見ていただくと、自分自身の感情がどう動かされているかが分かるようになります。 

 自分を客観的に眺められると良いのですが、なかなかそれも難しいものです。

 一つ年を取ったことだし、少しは冷静になれるかな。
 
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ツール・ド・北海道最終日は大通公園でクリテリウム

2006-09-18 23:06:43 | Weblog
 いよいよ今日は14日から行われていたツール・ド・北海道の最終日です。大通公園の外周を周回で競うクリテリウムが楽しみです。

【大通公園のクリテリウム】
 いよいよ今日はツール・ド・北海道の最終日。

 今年は20回目という節目の大会で、警察からのご協力もあって大通公園の外周を交通止めにして自転車競技のために使わせていただく事が出来たのでした。

 大通公園という人のたくさん集まれる場所での自転車競技がどのように感じられ、市民にどのように受け止められる、ということはこれからのツール・ド・北海道の方向を占う上で大変重要な事です。

 競技は午前中が市民レースです。これは年齢によって5つに分けられて、小学校1~2年生のD-1というのが一番小さな子供達が出場出来るカテゴリーになっています。

 小学校1年生といっても、自転車やウェア、ヘルメットなどはもう専用の自転車乗りそのものですから馬鹿には出来ません。

 大通公園の特設クリテリウムコースは、一週1.5kmですが、D-1クラスでは一週での順位を競い、一般ともなると三週で競うというようになっています。

 コースは大通公園の外周での周回コースなので、スタート・ゴール地点で号砲を聞いて子供達がスタートすると、応援の親たちはすぐに反対側の道路目指して走り、今度はそちらで応援です。

 こんなに専用の自転車に乗る人たちが多いのか、と改めて驚きました。

    *   *   *   * 

 午後にはいよいよツール・ド・北海道に参加して道北を走り続けてきた参加選手達による、20週のクリテリウム競技が行われました。

 今回の競技で特筆すべきなのは、4週ごとにボーナストラックが設定されていて、4、8,12,16、20週目を先頭から3位までに入ると、時間にして1位が3秒、2位が2秒、3位が1秒短縮のボーナスをもらえるというルールになっている事でした。

 単に順位と秒数で争う以上に、節目節目での頑張りが求められるというので選手も頑張る事でしょう。

 今日の札幌は、昼前から小雨がぱらつきだして、午後のクリテリウムが始まる頃には路面も濡れて水たまりが出来てしまうような、ちょっと残念な天候でした。

 それでも選手達はそんななかをゴール目指して20週という過酷なレースに挑みました。

 私も見ていて、実際ウェアや自転車などのカラフルさと選手の頑張りは見ていて迫力があり、面白いと感じました。

 こんなことなら是非とも来年もやっていただきたいものですが、関係者の賛同が得られるかどうか。

 会場ではそんなことへのアンケートも行われていましたのでその結果が楽しみです。

 ツール・ド・北海道も今年の大会は今日で終わりです。事故もなく大会運営もスムースに行われたようです。

 関係者の皆様、そして沿道の市町村の関係者の皆様に感謝を申し上げます。来年もまた別なルートでお会い致しましょう。


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中川町の茂吉ロード

2006-09-17 23:45:16 | Weblog
 中川町キャンプの2日目。さすがに夕べは冷え込んで、シュラフの中で震えていました。う~寒かった~。 

【中川町の茂吉ロード】
 今日も快晴で絶好のキャンプ日和。天候に恵まれた二日間で良かった。

 中川町の朝は、地元の絞りたて牛乳のサービスから。絞りたての牛乳はそのままでは飲めないので、一度湧かしてから振る舞われます。

 鍋一杯の牛乳だったのですが、これも飲んでも飲んでも減りません。人間が一度に消費出来る食物なんて量が知れているんですね。

 北海道農業も生食を頼りにしているようでは駄目で、保存食に転換して付加価値をつけることを目指さなければ、ただ買いたたかれてしまうのです。

 牛乳を飲みながら、今回の企画に加わっていた不思議な企画人のKさんに「この牛乳もチーズにすると付加価値がつくように思うのですが」と話しかけました。するとKさんは、「もちろんそうです。でもね、牛乳をチーズにする菌も特許の世界で、結局は外国に買い求めないと行けないんです」

「むむむ、なるほど」
「でもね」とKさん。「今、外国特許にかからなくてそれでいてちゃんと牛乳をチーズにする事が出来るある物質を研究中ですから楽しみにしていてください」

 Kさんは、こうした不思議な嗅覚でアイディアをあちらこちらに振りまいているのです。

「アスパラなんか、長さを揃えるのに裁ち落とした後の半端な部分を使えずに悩んでいるんですよ」とKさん。
「なるほど、それが売れれば少しは収入になりますね」

「これをフリーズドライで粉末にすると、パンや麺など粉ものに混ぜる事が出来て付加価値がぐんと増すというものです」
「それをやっているのですか?」

「ところがこのフリーズドライにする機械というのがまともに注文すると億単位の値段がかかって、とっても商売にならないんです」
「うーん、残念」

「でもね、それを今度は普段真空を扱っている宇宙技術とドッキングさせると、実に安価に出来そうだ、ということになって、いま道内のある企業と研究中なんです」
「農業と宇宙技術ですか。それぞれ単独のプロなら思いつかないし提携など出来そうもない組み合わせですね。そういうところにこそKさんの存在価値があるというわけですね」

 宇宙技術が北海道農業を助ける日が近いかも知れません。徹底した専門性と徹底して幅の広い視野。この組み合わせが大事なのですね。

    *   *   *   * 

 朝食後は歌人斎藤茂吉が昭和7年に中川町を訪ねたという史実を追いかけて、当時通ったであろう山道を歩いてみる「茂吉ロード探訪」に参加しました。

 斎藤茂吉は、昭和3年北海道各地に補助住民が入ったときに制定された拓殖医としてこの地に勤務していた兄を訪ねて昭和7年の8月に五日間滞在しているのだそうです。

 茂吉は医師である兄の家を訪ねたところ、診療台として地元の住民が置いていった大きなアンモナイトに驚愕した、という記録があるそうです。


  この谷の奥より穫りしアンモナイト貝の化石を兄は呉れたり


 茂吉はこのときの情景をこのように詠んでいます。昭和7年の北海道に思いを馳せながら茂吉ロードを歩きました。

 私の目についたのはラクヨウきのこばかりでしたがね…。

    *   *   *   * 

 昼に中川町のイベントを終えて帰宅の途につきました。途中、美瑛に立ち寄って新しい物産館の「丘のくら」を見学。本格的な石窯の窯焼きピザが美味しそうです。

 その後は富良野に立ち寄って、倉本聡さん脚本のテレビドラマの舞台になった喫茶店「森の時計」へ行ってみました。

 もう夜7時近いのに、席が空くのを待っているお客さんがずらりと並んでいて、入るのを諦めました。

 そのかわりにすぐ近くにあるソウ’ズ・バーで食事をしてきました。案外こちらの方が穴場かも。もちろん飲酒運転などはしていませんよ。

 ニングルテラスという面白いコンセプトのお土産売り場も楽しく見学出来ました。

 今日も盛りだくさんな一日。2日で往復700kmは結構な旅ですわ。 
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中川町まるごと体験モニターキャンプ

2006-09-16 23:44:06 | Weblog
 今日から明日にかけては、道北の天塩中川町のナポートパーク10周年記念特別企画「中川まるごと体験モニターキャンプ」に行ってきました。
 片道300kmは走り甲斐がある距離です。

【中川まるごと体験】
 道北中川町にはナポートパークという北海道オートリゾートネットワーク協会加盟のオートキャンプ場があるのですが、最近なかなか利用が伸びず苦労しているのです。

 そこでオートキャンプ場の利用促進と、オートキャンプ場の利用が地域の振興に結びつく事などを目的に、オートリゾートネットワーク協会が中川町のナポートパークの十周年に合わせて企画したものです。

 今日と明日で中川町の魅力をたっぷりと味わおうということで、キャンプ場を中心としたメニューは盛りだくさんです。

 札幌からは片道300kmを走り、午後1時に現地に着くと、まずは入村手続きをしてから手ぶらキャンプのテント、タープ、椅子とテーブル一式を借りて設営開始。

 オートリゾートネットワーク協会の関係者も集まって裏方支援をしています。一般の家族参加は、10組くらいで、イベントにはこれに一般のキャンパーも加わって賑やかになりそうです。

 午後2時半からは森林散策とカヌー体験に分かれて、アウトドアメニューを楽しみます。私はカヌーに参加して、いつものコースで川下りです。

 今日は一般参加者ではカヌー経験者が一人もいなくて、私の3回目が一番の経験者でした。

 今日はカヌーとカヌーを二艘横に並べて棒と紐で固定した二艘船という形で川下りをするので、沈む心配は全くないのでした。

「じゃ、そちらの方の船はお父さん(私の事ね)がリードしてください」というわけで、私が左の船の後尾に座って、「右、頑張って!」とか「左、漕いで!」と声掛けをして8kmの川を下って行きました。

 二艘船に一緒に乗った家族は、遠軽から来たという男の子を二人連れたご夫婦の四人家族。次男坊のいたずらに苦笑いしながらの楽しい川下りとなりました。

    ※    ※    ※    ※

 カヌー体験が終わった後は、いよいよ私のメインイベントである蕎麦打ち実演です。

 できれば室内でやりたかったのですが、用意できる室内は野菜や料理の出る炊事場から遠いために、「できるだけ近くで見せてあげてくれませんか」という要望を受けて、久々にテント屋根はあるものの屋外で蕎麦を打つことになりました。

 粉は地元中川町産のキタワセという品種の粉です。少し粘りけがありましたが、のして切るのにはさしたる難点もありません。

 蕎麦を打ち始めると、各テントサイトから子供達が物珍しそうに集まってきて、「なにやっているの?」、「触って良い?」とちょっかいをかけてきます。

 上手にあしらいながら蕎麦打ち作業を進めて行きますが、中には目を丸くしてじっと見つめる少年もいて、一つ一つの動作に興味津々でした。

 君に手作業の面白さが少しは伝わっただろうか?いつかはこの世界を支えてくれるかな?

 さて蕎麦は無事に二玉で2.6kgが打ち上がり、田舎臭い黒々とした蕎麦ができました。もちろん私の蕎麦打ちポリシーは、「蕎麦は細く長く!」というもので、そのとおりの蕎麦ができました。

 途中からはイベントに協力してくれていた蕎麦好きの地元の人達にも囲まれて、質問を受けては答える一問一答の会話。

 下手に会話のネタを探して無理に会話を始めることもなく、蕎麦を打っている姿を見せるだけですんなりと会話になるから不思議です。一玉が打ち上がる頃にはもう知り合いになれるというわけ。こんな素敵な手業も他にはないのでは?

 汁は地元の道の駅で作ってもらったものを使わせてもらい、これがまた絶品で、蕎麦と上手くマッチしていました。

 蕎麦打ちを珍しそうに眺めていた子供達も「美味しい!」と言ってくれたので、まずは合格。手打ち蕎麦をふるまうと必ず現れるのが自称「無類の蕎麦好き」さんです。

 結構結構。あるだけお代わりしてくださいな。本当に見たまんまの手打ちの蕎麦がそのままたべられるのですから。中川町の地元の粉もなかなか結構な粉ではありませんか。他にはないものが売れるもの。まだまだ地元をバカにせずに自信をもった生活文化を保って欲しいものです。

    ※    ※    ※    ※

 夜は高校が私の五期後輩だという、中川町の亀井町長自らが登場する星空散歩ガイドの始まりです。

 町長さんが自分の望遠鏡や双眼鏡を持参して、星雲や星団など星空の面白い見物を案内してくれました。

 40代半ばから50代前半にはかつての天文小僧が多く、星空談義が始まるとマニアックな単語が飛び交います。

「駄目だ!これ以上話していると、だんだん東の空から面白い星座が昇って来ちゃう。オリオン座が見えちゃうと、もう徹夜になるから、今日はこれくらいにしましょう」が終わりの合図となりました。

 オリオン座には望遠鏡なら一度は見たい面白い天体がたくさんあるので、話題が尽きなくなってしまうのです。

 中川町なら肉眼でも天の川が白く見えます。オートリゾートネットワーク協会の人達ともこうしてキャンプする機械は滅多にありません。

 楽しいひとときの星降る夜は更けて行きます。うーむ、今夜は冷え込みそうだなぁ。

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夕張視察をご案内

2006-09-15 23:22:20 | Weblog
 朝から、東京からの視察ご一行様のご案内。夕張とその近辺の現場を見たいという事で、高速道路とシューパロダムをご案内しました。

 私も夕張の現場は初めてで、勉強になりました。

【夕張出張】
 東京組のご一行様は新千歳空港から自動車で夕張へ入るという事で、我々案内者一行3名は一足先に待ち合わせ場所の夕張物産館へ到着。

 ここの物産館も約1年ぶりかな。久しぶりです。

 中をいろいろと見て歩いていると、メロンゼリーが売られていました。一個百円で、ビニールに入ったものは三個で350円です。

 お店のお姉さんに「普通は包んでも三個で300円じゃないの?」と訊くと、「だって、ビニール代と手間がかかるでしょ。それだったらバラで三個買うほうがお得でしょ?」

 なんだか分かったような、よく分からないような理屈に思えましたが、まあ一個食べてみて美味しかったので、家へのお土産に三個を買い求めました。

 店の外に店長さんと呼ばれている若い男性がいたので、「このメロンゼリーは安いですね」と話しかけてみました。私は人に話しかけるのが好きなのです。

「お安いでしょう?これは9個で3千円のパックをバラにして売っているものですから、高いのと味は同じなんですよ」
「9個で3千円と同じ!それはすごい」

「50個で5千円というパックもありますよ。実は贈答用に作ったものが当てがはずれて訳ありで流れてきたものなんですよ。でもしっかり夕張メロンの果汁が入っていますから、美味しさは保証しますよ」
「さすがに50個は変えないけれど、そのあたりのことをもっと説明すると、百円くらいなら観光客はみんな買うような気がしますけどねえ」

 ちなみに、バラで売っているところには写真のようなコメントがつけられていました。私自身、ちょっと涙を誘うような宣伝文句にほだされて買ってしまったところもあるのですが、もう少し上手な売り方もありそうです。

 相談に乗れなかったのはちょっと残念でした。

    *   *   *   * 

 さて東京からのご一行様は予定より20分遅れで到着。現在夕張ICまで開通している高速道路は、帯広近くの十勝清水ICとの間を両側から整備し、早期の開通を目指しています。

 平成19年度には十勝清水とトマムICの間が開通する予定となっていて、そうすると冬期は非常に厳しい日勝峠の冬期交通が格段に改善される事でしょう。安全な工事に努めながら、早期開通をお願いしたいところです。

 ちなみに私の父はこの現場のすぐ近くに生家があったのです。車窓から眺めるとどうもその家が無くなっている様子。
 一度確認に来ないと行けませんね。

    *   *   *   * 

 道路の次は農業と治水の共同ダムであるシューパロダムへと向かいます。ここには既に大夕張ダムという昭和37年に作られたダムがあるのですが、現在はこのダムのすぐ下流に、新しいダムを建設すべく第一期工事が進められています。

 現在のダムは堤体の高さが67.5mなのに対して新しいダムの高さは110.6mと高さが40mも高くなり、総貯水量も現在の約8万7千立方メートルから42万7千立方メートルと、約5倍もの貯水量になり規模が大幅に拡大するのです。

 これで洪水調節や農業用水の確保、水道水の確保などの多目的な水需要に応えるべく計画されています。

 今は湛水量が少ないのですが、新ダムが完成して水が貯められるとさぞ壮観な事でしょう。夕張の新しい観光資源にならないものでしょうかね。

 道すがら見える夕張市内の家並みはどこか寂しそうでしたが、ちょうど地域のお祭りの行列に出くわしました。

 なんとなく縁起の良さを感じましたよ。夕張がんばれ! 

 さて、明日から明後日にかけては道北の天塩中川町へキャンプに行ってきます。現地のナポートパークの十周年記念事業体験モニターキャンプの応援です。

 勝手にどこかの町を応援するならば、私は中川町を応援することにしようかと思っています。
 町の友達に会ってきますよ。





  
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ツール・ド・北海道ステージレースが始まりました

2006-09-14 23:49:47 | Weblog
 朝一番でホテル前に集合。夕べは旭川に泊まって、今朝はツール・ド・北海道のスタートに立ち会うのです。

 天気は快晴。この調子でレースに幸あれ!

【ツール・ド・北海道スタート】
 朝8時半にスタート会場となる大雪アリーナに到着。大雪アリーナまでの道すがら、このレースに参加するチームが公道をユニフォーム姿で会場まで向かうのに出くわしました。

 同じ色調で統一されたチームが揃って自転車を走らせる姿は、カメラ的に実に絵になる風景です。一言で言うと格好良いということなのでしょうね。

 スタート会場では、選手が続々とエントリー手続きをしています。近所の住民の皆さんも集まってきましたが、チームNIPPOの応援団が大勢緑色のジャンパーで集まっているのは壮観です。
 チームNIPPOさんは毎回会社をあげて社員が応援に駆けつけてくれて、スタートを盛り上げてくれるのです。今年もよろしくお願いします。

 スタート広場横の道路には交通規制のパトカーや、審判車、さらには報道のための二人乗りのスクーターなどが整列して、レースが始まるのに備えています。

 今年のスターターは地元旭川市の菅原市長さんで、号砲一発!選手がスタートして行きました。

 こうして間近に自転車レースを見てみると、自転車が本当に早い事が分かります。もう見ている間に集団が遠くの道路に消えて行きます。

 そしてその後を、各チームのサポートカーやタイヤとか部品メーカーのサポートカーがついて行きます。

 今年のチームの中には企業からの支援を受けずに、ツール・ド・フランスを目指すという気合いの入ったチームもあり、かなりの接戦が期待されそうです。

 今日は旭川から名寄へ向かう169kmの距離です。

 ツール・ド・フランスならばさしずめ、沿道の声援もひとしおだろうと思うのですが、日本ではまだそこまで自転車に熱狂するお国柄になっていないのが残念なところです。

 平均時速40kmほどで人間が人力だけで走れるというのですから、すごいものです。

 それでは私たちは最終日の大通りでお待ちしています。選手の皆さんの道中の安全と無事をお祈りします。


 
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ツール・ド・北海道の季節到来

2006-09-13 23:18:54 | Weblog
 快晴の一日。今日からツール・ド・北海道の始まりです。今日は旭川でプロローグとして周回コースでのタイムトライアルが行われました。

 これから18日の最終日の札幌まで好天が続くと良いのですが。

【ツール・ド・北海道開会式in旭川】
 午前中は明後日に本省から夕張を視察に来られるお客さんの対応準備で追われていました。

 夕張は私の父の生まれたところですが、財政破綻という残念なことになり再建に向けた努力が続けられています。

 ここのところしばらく夕張へは行っていませんでしたが、視察は高速道路のトンネルの現場に決めました。坑口のすぐ近くが父の生まれた集落で、以前訪ねたときはまだ生家が残っていました。

 まだあるのでしょうか。ちょっと見てみたい気がしますが、高速道路の整備で周辺の景観も様変わりしつつあるようです。これも時代のなせるわざ。

 もう少し早く高速道路が帯広まで開通していたら何かが変わったのでしょうか。過去の歴史にifはありえないのですが。

    *   *   *   * 

 午後はツール・ド・北海道の開会式と明日のステージレース開幕立ち会いのために旭川へ向かいました。

 今回が20回目という節目の大会となるツール・ド・北海道ですが、裏方として国土交通省OBの皆さんの支援と活躍は欠かす事が出来ません。

 直接の仕事上の関わりはなくなっても、かつて関わった仕事に対して一声かけると馳せ参じて協力してくれるのはありがたいことです。

 開会式ではそんな多くの先輩達とも会えて、懐かしい思いをしました。

 さて、明日からはステージレースが始まります。カラフルなウェアに身を包んだ歴戦の強者たちが北海道の秋を走ります。

 新聞報道などにご注目ください。


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歯磨きの最新理論

2006-09-12 23:38:44 | Weblog
 夕方に突然の通り雨。北海道でこんな季節には珍しいことです。でも夜はまた晴れてきれいな月でした。

【歯磨き最新理論】
 かかりつけの歯医者さんは、大学浪人中からお世話になっている札幌歯科医師会でも重鎮の先生。約30年前にお世話になったときはお互いに若かったということなんですね。

 今日の治療では「最新の歯磨き法を指導するからね」と言われていて、いつもの診療台に乗りました。

 まずは最新理論による歯ブラシを購入。「ごめんね、最後の一本でピンクしかなかったんだわ、いいかなあ?」
「いえ…、仕方ありませんね」青じゃないといやだと言っていたらどうなったのでしょうか。

 最新の歯ブラシは、毛先の先端がとがっていて、歯と歯の間に入りやすくなっていて、幅が市販のものより細い感じです。これで一本350円なり。

「最新の歯磨き法ではね、まず唾液で磨くんです」
「歯磨き粉をつけないんですか?」

「そう、口の中で歯ブラシを動かしているうちに唾液が出てくるからそれで十分なんです」
「へー」

「そして、歯の付け根は丸くなっているでしょう?それに合わせるように、円を描きながら歯に直角に口の中で大きく回すように磨くんです」
 そう言いながら、私の口の中でブラッシングをして見せてくれます。

「こうする事で歯と歯の間にも毛先が入ってきれいになります。それと、今までは歯ブラシを歯の根に押しつける力が強すぎて、それで歯ぐきが下がっていくということなんだね。だから新しい方法では、歯ブラシを歯ぐきに押しつけすぎないように注意するんです」
「昔からローリング法だとかバス法などといって、歯と歯ぐきの間をかき出すように磨くという指導を受けていた私はどうなるんでしょう」
「本当だねー。これが新しい理論なんだなぁ。」

 歯磨き粉はこれまた特殊なハーブ入りで研磨剤の入っていないものを最後に少しだけつけて、磨くときと同じような動きで口の中全体に回していきます。

「口の中には細菌がたくさんいるんだけど、悪い細菌も良い細菌もいるので、悪い細菌はつきづらく良い細菌には影響の少ないハーブを選んで配合してあるんです。できれば食事の前にも磨いて、食べたらすぐ磨く。ここまでやれば完璧なんだけどね」


 新しい理論が出てくると、古い理論で一生懸命やっていたものほど寂しい気持ちになるものです。

 最近の理論では口の中の細菌は全身の体調にも影響をするし、口のかみ合わせを整えたり口回りの筋肉を強化して老化を防止する事にも繋がるのだとか。

 自分の健康を口の周りから考えてみるのも生涯学習のひとつですよ。

    *   *   *   * 

 新しい親王のお名前が「悠仁(ひさひと)さま」に決まりました。
 お印は北海道にはあまり見られない「高野槇(こうやまき)」になったそうです。木の質としては最上級の部類でしょう。槇は「真・木=まき」で、木らしい木ということなんですよ。

 健やかにお育ちいただきたいものです。
 
 
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9.11の5年後

2006-09-11 23:13:03 | Weblog
 からっと晴れた一日。秋らしい空に心も弾みます。随分空気も涼しくなりました。

【5年後の9.11】
 5年前の今日はアメリカで航空機をハイジャックして同時多発テロが行われたのでした。

 新聞、テレビはその後の世界のテロや争いについて特集を組んでいます。

 5年前の私は旭川河川事務所にいて、ちょうど秋の長雨で石狩川が警戒水位を超えたというので事務所で待機をしていたのでした。

 仮眠をして目が覚めて何気なくテレビをつけると、高層ビルが火事になっていて、大変だと思ってみている間に飛行機が別のビルに突っ込む瞬間が見えたのでした。

 報道では日本時間の夜10時前ということでしたが、そうだったかな。見たのは朝方だったような気がしたので、特別番組でなんども繰り返し映像が流されていたのかも知れません。

 あれがテロが世界に対して挑戦状をたたきつけ、世界が対テロ戦に舵を切ることになるきっかけになろうとは、その時は夢にも思いませんでした。

 今このときに、その後の対イラク戦争やアルカイダによるテロの頻発などを見るにつけ、ニューヨークでの惨事を見せつけられたときに寛容の精神を説く事ができただろうか、と思うと無理だったように思うのです。

 あのときのアメリカ国民と秩序を重んじる世界の人々の心に暗い影を投げかけ、報復もやむを得ないような雰囲気になったことはやむを得なかったでしょう。

 歴史は時が経たないと評価出来ません。今を生きる私たちは歴史を作りつつあるのであって、作られている歴史を評価しながら前に進む事など出来ないのですから。

 歴史の「れば、たら」や「もしも」を語れるのは、後世の人たちだけなのです。

 しかし辛い歴史の舵取りだけを悔やむだけではなく、私たちが今できる事は辛い現状を変えるような勇気ある一歩を踏み出すということなのでしょう。

 過去は変える事ができません。私たちは未来に向かって進む事しかできないのです。

 進むその一歩には責任も伴いますが、どちらに進むかに指針を与えてくれるのは歴史であり古典であると思います。

 歴史を年号の暗記から、その時代を生きた人たちの悩みと決断の積み重ねとして思いを馳せてみるようにしたいものです。

 10年後の9.11がより平和のなかで語られるように祈り、行動したいものです。



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