北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

勝海舟「氷川清話」を読む

2006-09-10 19:09:28 | 本の感想
 どんよりして小雨もぱらつく鬱陶しい天気となりました。


【勝海舟の『氷川清話』を読む】
 勝海舟(1823-1899)は幕末の幕臣であり、明治に入ってからは事において政府を助け、また批判した政治家です。

 幼名は麟太郎(りんたろう)。維新後に改名して安芳(やすよし)を名乗ったのは幕末期に安房守(あわのかみ)を任ぜられた事から「安房守と同じ同音だから改めたのよ」と言います。
 「海舟という号をつけたのは、(佐久間)象山の書いた『海舟書屋』という額が良くできていたから、それで思いついたのだ」とか。

 今回読んだのは、講談社学術文庫で江藤淳・松浦玲編によるものです。

 「氷川清話」は勝海舟が明治20年代から亡くなる明治32年までの発言や新聞に掲載された談話や時局談などを集めたもので、それまでには吉本襄(よしもとのぼる)が編集したものが巷に流布されていたものです。

 ところが吉本が編集した際に、語った時代や語る相手の名前を意図的にリライトし、いつ誰を批判したかを隠蔽したフシがあるというのです。

 そこで江藤と松浦らがこの間の基になった原文に徹底的に照らして事実に忠実に再現したものを講談社勝海舟全集として刊行し、それを読みやすくしたものとして文庫版「氷川清話」を世に出した、ということなのだそうです。

 明治27~28年の日清戦争や明治29年の足尾鉱毒問題などを見て、明治が30年を迎える頃には、勝の中に「明治のエセ文明より旧幕府の野蛮の方が良かったのではないか」という思いと当時の政権への強い批判精神が沸き立っていたということのようですね。

 なにしろ最後には正二位勲一等伯爵にまで登り詰めた人の発言ですからね。

    *   *   *   * 

 本の内容は幕末から維新にかけての体験、人物評論、政治今昔談、時事に関する評論、政治家とはなにか、世の中とはなにか、といったものに分類されており、世の中を観る最高の眼力を持ちえた傑物の考えが素直に伝わってきます。

 このなかで勝は西郷隆盛(号は南州)を一番に褒めています。「おれは今までに、恐ろしいものを二人見た。それは横井小楠と西郷南州とだ」「横井は、自分に仕事をする人ではないけれど、もし横井の言を用ゐる人が世の中にあったら、それこそ由々しき大事だと思ったのさ」
「その後、西郷と面会したら、その意見や議論は、むしろおれの方が優るほどだったけれども、いわゆる天下の大事を負担するものは、果たして西郷ではあるまいかと、またひそかに恐れたよ」

「(ところが幕閣が『そちの眼鏡も間違った』と言うのに対して)けれども俺はな、横井の思想を西郷の手で行われたら、もはやそれまでだと心配していたに、果たして西郷は出てきたワイ」と早くからその才覚を見ぬいていたと言います。

 なかには坂本龍馬の西郷評が出てきます。勝がしばしば「西郷が人物だ」と述べるのを聞いて、龍馬が「拙者も会ってくるので紹介して欲しい」と言うので添え書きをしてあげたというのです。

 龍馬が薩摩で西郷に会った後に帰ってきて言うには「なるほど西郷という奴は、わからぬ奴だ。少し叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だろう」とのことで、勝はそれを聞いて、坂本もなかなか鑑識のある奴だということを述べています。

    *   *   *   * 

 二宮尊徳にも触れている箇所がありました。
「二宮尊徳には一度会ったが、至って正直な人だったよ。全体あんな時勢には、あんな人物がたくさん出来るものだ。時勢が人を作る例は、おれは確かに見たヨ」

    *   *   *   * 

 人材に関しての記載がありました。
「全体、政治の善悪は、みんな人にあるので、決して法にあるのではない。…世間ではよく人材養成などと言っているが、神武天皇以来、果たして誰が英雄を作り上げたか。誰が豪傑を作り出したか。人材というものが、そう勝手に製造されるものなら造作はないが、世の中の事は、そうはいかない。人物になるとならないのは、結局は自己の修養いかんにあるのだ」

 そしてその一方で、「太公望は国会議員でも演説家でも、著述家でも新聞記者でもなく、ただ朝から晩まで釣りばかりしていた男だ。人才などは騒がなくっても、眼玉一つでどこにでもいるよ」とも。

    *   *   *   * 

 世間の書生にも厳しい言葉をぶつけています。
「天下は大活物だ。区々たる没学問や、小知識ではとても治めて行く事は出来ない。世間の風霜に打たれ、人生の酸味を嘗め、世態の妙をうがち、人情の微を究めて、しかる後、共に経世の要務を談ずる事が出来るのだ」

「それゆえに後進の書生らは、机上の学問ばかりに凝らず、更に人間万事について学ぶ、その中に存する一種のいうべからざる妙味を噛みしめて、しかる後に机上の学問を活用する方法を考え、また一方には心胆を錬って、確乎不抜の大節を立てるがよい」


「けちな了見で何が出来るものか。男児世に処する、ただ誠意正心をもって現在に応ずるだけの事さ。…要するに処世の秘訣は誠の一字だ」

 江戸時代を45年、明治を31年生きた時代の傑物の最後の言葉がこれでした。なるほど誠実であることが全てなんですね。
 

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「日本のまつり」を観る

2006-09-09 23:41:55 | Weblog
 日中曇りがちな一日。天気は下り坂かな。

【日本のまつり】
 知人から「こういうイベントがあるのですが行きませんか」と言われてもらったのが「日本のまつり」というイベントの入場券でした。

 巷ではあまり宣伝されている風でもありませんでしたが、札幌ドームへ日本中の祭りが集まって、日本の伝統芸能が一同に見られるということなので、妻と二人で出かける事にしました。

 開園が午後一時からというでしたが、私たちが乗った昼過ぎの地下鉄は満員で、それがみんなドームへと向かうので、「これは結構大きなイベントなんだな」と改めて驚きました。

 会場に入ってみると、正面には横50m×高さ30mという世界一の巨大スクリーンが張られていて、開会式の真っ最中でした。

 開会式の様子を聞いていると、このイベントは札幌商工会議所創立百周年記念事業でもあり、第六回地域伝統芸能による豊かなまちづくり大会さっぽろも兼ねているとのことでした。
 
 中身は三部構成で、まずは北海道のまつりとして江差追分に始まり、おたる潮まつり、富良野市の北海へそ踊り、深川しゃんしゃん傘踊り…と続いて行きます。

 なるほど北海道にも、移住者が持ち込んできたりこの地で暮らして行くんだという気概を祭りにこめた様々なまつりの形があるのだな、と改めて思いました。

 第二部は海外のまつりで、今回は北京市から中国獅子舞と韓国の釜山市から韓国サムルノリとプンムルペという芸能が披露されました。

 第三部では日本中のまつりとして全国各地からの踊り手が順番に登場し、まずは、岩手県からは奥州市の日高火防祭(ひだかひぶせまつり)と盛岡市から盛岡さんさ祭から始まりました。

 その後も各地の代表的な祭がドームの広い会場とスクリーンで展開して行きました。

 秋田の竿燈(かんとう)まつりは、50個以上もの本当のローソクに火をつけた提灯がぶら下がった竿燈が目を引きます。最初はそれほど大きくないのだな、と思っていたところ、これを持ち上げながら竿をどんどん足していって、次第にどんどん高くなって行くのでした。

 おまけにそれが柔らかくしのって、互いにぶつかりそうになりながら、担ぎ手が交替してゆきます。ある人は掌で持ち上げ、ある人はおでこで支え、腰に乗っけてひょうきんな姿で歩を進める人もありと見ていて美しく楽しいものでした。

 青森市のねぶたにはその緻密さにおどろきましたが、五所川原市の立佞武多(たちねぶた)の高さ22mというすごさにまた圧倒されました。
 イベントのフィナーレはもちろんよさこいソーランでしたが、数多くのチームが出て、代表的な舞を披露する姿はなかなかの壮観でした。

 日本には地域ごとのいろいろな祭があるものです。

 神様は大事にいたしましょう。
 

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造園学会in恵庭~ある企業の哲学

2006-09-08 23:40:27 | Weblog
 日陰は涼しいのに、外は蒸し暑さを感じさせる一日。でも空はもう秋空。澄んだ青さが突き抜けるようです。

【造園学会in恵庭】
 今日は恵庭市で造園学会北海道支部大会があって出席をしてきました。

 私自身も日本造園学会に所属していますが、今日はパネルディスカッションのパネラーとして、「シーニックバイウェイによる花空間整備の可能性」についてお話をするという公務で出席をしたものです。

 造園学会の北海道大会は、かつては北大校内の施設を使って行われるのが常だったのですが、昨年は札幌市民会館、そして今年は恵庭市と積極的にまちへ飛びだそうという気持ちを前面に出しています。
 学術学会というと堅苦しそうですが、造園学会の中身は植物や生態などが中心ですので、もっと市民との交流が果たせるとなお良いのですが。  

    *   *   *   * 

 今日の午後のパネルディスカッションの前には基調講演がありました。講師は自然素材を活かしたハンバーグを提供するチェーン店の「びっくりドンキー」などを展開している(株)アレフの庄司昭夫社長です。

 アレフという会社、というよりもこの庄司社長の食や農に対しての哲学にはすばらしいものがあって、社長のお話を聞くと、びっくりドンキーが単なる食にこだわった外食チェーンではなくて、しっかりした企業哲学を実現するための使命・天命なのだということが伝わってきます。

 庄司社長に「ではアレフさんでは道産のお米を使っていらっしゃいますか?」と訊きました。答えは「今はまだ使っていません」というものでした。

「それはなぜでしょう」
「まだお客様に出せるお米がないからです」社長の答えは単なる地産地消を超えたものでした。

「北海道には出せるお米がないというのはどういうことですか?」
「やはり肥料や農薬過多であったりすることは、自然に反していてそういうお米は使いたくありません。私のところの米は今は岩手県を始め全国に約400名の農家にお願いして専用に作ってもらっているもので、冬水田んぼでつくるものです」

「冬水田んぼ、ですか?」
「日本の米農業は秋に水を落として乾いた状態で冬を越しますでしょ?冬水田んぼは冬の間に田んぼに水を張っておくんです。そうすると、光の当たるところには藻が発生し、それをイトミミズなんかが一生懸命食べ続けて肥料になる糞を生産し続けるんです。そうしたら糞の層が出来て雑草は生えないしそれらは全部肥料になるんです」

「なるほど」
「そうしたら田んぼが健全になって、蜘蛛がいっぱい出てきます。それは非常によい兆候で、それらがカメムシを食べてくれます。今の農業は蜘蛛を殺しカメムシを繁栄させ、そのカメムシに困ってまた農薬を使う、ということの繰り返しで作られているでしょう。だから生態的に健康でない田んぼの米は使わないんです。一般には10回以上の農薬使用も珍しくないのですが、私たちの省農薬米は除草剤を6月に一回使うだけのお米なんですよ」

 道産米消費という観点以上の、食とはなにかという事に対する徹底的な哲学をこの企業は企業風土として持っているのです。

 幸い北海道でも当別町などに志のあるそういう道を歩もうとする農業者が出てきて栽培が始まってきたというお話も聞きました。北海道農業がさらに大きく飛躍するためには、より一層の哲学性が求められるようです。

    *   *   *   * 

「飲食産業は環境という事から逃れられないので、そのことへの対応を早くから進めてきました。今は地中ヒートポンプを使って地中の安定的な温度を夏は冷房、冬は暖房に使っています。バイオガスも実用化に向けて研究中です。原油高で企業としては年間8千万円ほど燃料代が上がるところでしたが、5千万円分まではなんとか対応をする事ができているんです。残りの分も早く対応したいと思っていますよ」

 飲食業を始めた頃に先輩達から素晴らしい教えを受けた、と庄司社長は言います。

 「損得よりも善悪が先」
 「店の大小よりもその正しさについて語れ」
 「店はお客様のためにある」
 「お客様の利益は最大に、店の利益は必要最低限に」

 今でもこれらの言葉がアレフという企業の行動規範となっているのだそうです。

 庄司社長は講演会等も多くこなし、社会的な発言を繰り返す事で世の中の食や環境問題に警鐘を鳴らし続け、自らそれらへの答えを示してくれています。
 このような企業風土、組織風土が消費者の共感を得て、それが支持、消費に繋がって行くという時代が必ずや来るに違いない。そう思わせるだけの説得力のあるお話でした。

 何のために自分たちは存在しているのか。その哲学がますます大事になっているようです。

    *   *   *   * 

 パネルディスカッションのパネラーは、私の他には中島興世恵庭市長、NPO法人花ネットワーク理事の三島敬子さんとの三人でした。
 
 テーマは「北海道における花空間の可能性」ということで、私はシーニックバイウェイによる人の活動の結果として花空間がつくられ、広がって行く可能性は大きいというお話をしました。

 しかし最後は人間と、その繋がりが鍵になります。花空間を支え、そこから情報を発信している人たちとの繋がりをもっと強化したいものです。

 GIH(ガーデンアイランド北海道)ももっと頑張らなくてはね。

 先週は蕎麦の同窓会で、今週は緑と花の同窓会。仲間がいることは楽しいものです。 
 
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開発セミナーで地域通貨を考える

2006-09-07 23:21:57 | Weblog
 朝は雨でも夜はすっきりして満月がきれいです。今日の深夜遅くに部分月食があるとのことですが、さすがに起きてはいられません。

 旧暦八月十五日は仲秋の名月ですが、これは旧暦七月を初秋、八月を仲秋、九月を晩秋というなかで、八月十五日の満月を指す言葉です。今年の十五夜は新暦では十月六日です。ちょっと時期が遅いかな。

【地域通貨を学ぶ】
 月曜日のことでしたが、職場で開発セミナーという勉強会の機会があって、そこで北大の西部忠(まこと)先生から地域通貨についてお話を聞く事が出来ました。

 地域通貨については少しブームになりかけていた掛川時代にも、「やりませんか」という声を何人かから聞いたのですが、そういう方に「なんのためにやるのですか?」と訊くと、必ずしもはっきりした答えが返ってくる事がなくて、どうもスッキリしないイメージを抱いていました。

 それはある人は、地域内でしか使えないお金で品物やサービスを交換する事で、経済を域外に出さず地域内で循環させるためだ、と言い、そのことで地域内の経済効果が増すのだ、ということを言います。

 またある人は、ボランティアをタダではなくてお金の形にしてみせて、自分が出来る事を人にしてもらいたい事と交換する手段として地域通貨を使うのだ、と言います。

 この両方についてどう理解したらよいのか、ということがずっと疑問だったのです。

 今日の西部先生の講演では、まずその点について「地域通貨は貨幣的な『経済メディア』と言語的な『社会・文化メディア』の二つの側面を併せ持つ統合型のコミュニケーション・メディアなのです」としっかりと位置づけられました。

 そして、上手に扱う事で地域経済の振興・活性化という経済的目的と、地域コミュニティの保全・創造という社会・文化的目的を同時に達成する事が出来るのだとおっしゃいます。

 ただし、各地で行われている地域通貨がこの両方の側面をどの程度含むものかがシステムのタイプや導入するコミュニティによって異なり、いろいろな姿を見せるのだともおっしゃいます。また、唯一絶対のやり方がなく、それぞれがいろいろな形のものを試しているところでもあり、バリエーションに富んだスタイルのものが見られるのが現状なのです。

 地域通貨の経済的側面の一つとしては、「あまりもちたくない」という要素もあるのだと言います。それは貨幣については、我々はそれを使うためではなくただ持つ事で単なる「金持ち願望」を満たすという機能も持っているために、預貯金をしてしまって動かないお金になるという面を持っているという事です。
 お金は使う事で経済の流動性を高め、経済が活発化すると言われていますが、投資もせずにただ持つ事で満足する単なる金持ち願望は経済のブレーキになるのです。

 その点、地域通貨は有効期限があったり、使途に制限があったり、なにしろインチキ臭いということからもらった人がいつまでも持っている事が心地よくないということから、すぐに手放したくなる傾向があって、それが経済の活性化に繋がるだろうという期待があるのです。

 しかし、ボランティアなどに限定されるとボランティアを積極的にする人はどんどん貯まるものの、使い道がなくて結局その人に貯まってお終いということになりがちですし、やはり参加者が少ないというのが悩みの種になります。

 西部先生は北海道の苫前町での実験に深く関わっておられ、地域全体のなかで商品券としても使える機能を強化し、地域通貨の使われるて行く道筋を把握する事で、地域のなかの経済の動きが分かるようになってきたとおっしゃいます。

 国では「紙幣類似証券取締法」というのがあるそうで、これによりいくつかの条件をクリアすれば地域通貨として使って良いという見解を示しています。国自身も地域が自ら社会実験を行う事に対して総論では推進する立場であり、次第に拡大の機運もありそうです。

 私は個人的には、現実として市民や商店の皆が皆意欲的ではないので市民全体が参加出来ないことや、地域通貨の費用や情熱が冷めるととたんにうまく行かなくなるとことで、都市規模での導入にはやや懐疑的なのですが、過疎に悩む地域が住民と商店が一体となって取り組むまちづくりの実践活動としては面白いのかも知れないと思うようになりました。

 合併しない宣言で有名な福島県の矢祭町では、地域通貨で税金も払えるようにするとか。小さな町の歯を食いしばるようなまちづくりのツールとしての成果にも期待してみたいと思います。

 地域通貨はネーミングも面白いので、軽ノリの遊び半分的な要素も見逃せないのですがね。
 
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祝!親王のご誕生

2006-09-06 23:27:52 | Weblog
 41年ぶりの親王誕生に日本中が慶びに包まれました。良かった。

【親王のご誕生】
 午前中は歯医者さんに行っていて、昼のニュースで親王のご誕生を知りました。

 41年ぶりの皇室に男児が誕生し、皇位継承権第三位となる親王殿下のご誕生となりました。

 これまで皇太子殿下と秋篠宮様には男の子がおられなかったために、女系天皇を認めるのかという皇室典範改正議論がかまびすしくなったところでしたから、それらを吹き飛ばす慶事となりました。

 折しも天皇皇后両陛下は日本顕微鏡学会にご出席のために札幌へお越しいただいている真っ最中で、札幌も慶びに包まれています。

 皇室の慶事が国民にも波及して、結婚ブームになったり出産の慶びが当たり前のものになると良いのですが。

    *   *   *   * 

 結婚して子供を産み子育てをする事の、辛さや悩みばかり強調される風潮になりかけています。

 それはなにか問題解決型の社会が是とされているからのようにも思われます。自分が大変なのはどこかに理由があって、それをどうやって解決するかというアプローチで物事を考えがちです。

 そしてしばしば自分が大変な原因は自分の外にあって、それを解決すれば自分の苦労は解消するという考え方になっていないでしょうか。

 広い社会問題を社会システムの充実で解決するということは大事ですが、個々人の自由な選択に基づくことがらのどこまでを社会の問題とするかは大いに議論しなくてはなりません。

 子育ての自由を享受しつつ、いざというときの社会のサポートをバランスさせることが必要です。

 子は宝なんて、久しぶりに考え、久しぶりに聞いたような気がします。本当に良かった。紀子さまと親王のご健勝をお祈りします。
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同窓会の話題は玉入れ

2006-09-05 23:16:52 | Weblog
 朝は雨が降っていたのですが昼にはあがり、夜は月が澄んだ空にきれいでした。

【同窓会二本】
 今日は同窓会が重なってしまいました。

 一つ目は大学で卒業した教室の大先輩を迎えるものです。大先輩は教室の夏期講習の講師として来札されたのですが、それも終わったところで教室のOBに対して声がかかったものです。

 夕方から大学近くのジンギスカン屋さんへ集合です。こういう会合に出てこられる方というのはもう大抵決まってきて、いつもの先輩の皆さんと、あとは現役で大学に残っている後輩達が中心です。

 もう卒業してから24年以上が経つのですから、それだけ後輩も多くいるはずなのですが、こういう会合に出てくるメンバーの中では卒業後大学教員として残った後輩を除けば、私が一番若いということになってしまいます。

 後はみんな年上の先輩。忙しい盛りとはいえ、こういう会合も一度足が遠のくと参加しづらくなるものですから、たまには顔を出して欲しいものです。

    *   *   *   * 

 もう一つは職場が主催して、これからの時代を支える若手のリーダーを集めた懇談会の同窓会でした。

 彼らの生きる世界は、大学の経済学教授、アウトドアビジネス、ITビジネス、広告産業、金融ビジネス、日中貿易など多岐に亘ります。なかには外国人なのに世界をビジネスで旅していて今は偶然日本にいるという方もいて、普段はうかがい知れない世界の話も聞く事が出来ます。

 年齢階層が同じくらいという事もあるのですが、それぞれの世界で活躍されている人たちの話を聞くのは楽しいものです。

「これだけ皆の仲が良くて長続きしている懇談会もないよねぇ」とメンバーの一人が言うと全員がうなずきました。

 なぜか話は玉入れの話に。メンバーの一人が和寒町で開かれた全日本玉入れ選手権に出たというお話です。

 和寒で始まった玉入れ選手権のルールは、6人の選手(ファミリーチャンピオンシップは4人)が合計100個の玉を、高さ4m12cm(和寒町最低気温-41.2℃)で、直径44cm(和寒町の緯度)のバスケットに入れるまでのタイムトライアルで争われるのだそうです。

 100個の玉は99個の玉を入れた後で最後に黒い色をしたアンカー玉を入れるというもので、先にアンカー玉を入れてしまうと失格。

 玉入れなんて、運動会で子供達がわあわあ言いながら、全然入らないという印象があるのですが、これが馬鹿にできない厳しい運動量なのだとか。

 しかも100個を入れるベストタイムは20秒以下ということですから驚きです。玉は一度投げてはずれると、それを拾ってまた投げるのに大体5~6秒かかるというので、三回投げるうちに全部が入ってしまうというくらいに鍛え上げられているのです。

 メンバーは「折角Tシャツまで揃えたのに惨敗でしたよ」と苦笑いしながらも、「どこかでストリートバスケットならぬ、ストリート玉入れなんかできないかな。結構良い運動になりますよ」とアイディアを披露していました。

 玉入れがスポーツになるとは思いませんでしたし、和寒町が玉入れの聖地なのだと言う事も初めて知りました。世の中は広い。  

 同窓会で話題を持ち寄るのもまた楽しいものです。皆さんも旧交は大事にしてください。

 
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最後の眠れる観光資源

2006-09-04 23:15:35 | Weblog
 今日から職場はエアコンが入りません。窓を開けると十分に涼しくなりました。過ごしやすい季節になって、年度後半の仕事の仕込みをしなくては。

【眠れる観光資源】
 年度の後半に向かって仕事の態勢を整えているときです。

 話が観光に及んで、今後我が組織として観光をどのように支えて行くか、ということが話題になりました。

 「観光」という二文字は、霞ヶ関的に言うと国土交通省観光部の系列の仕事ということになっていて、その他の官庁は所掌出来ないというのが役割分担のルールです。

 公共事業を所管する我々としては「観光」振興や「観光」業界の支援などはできないのですが、「地域振興」や「観光社会資本の整備」ならできるという、ある意味では役人的なとらえ方をしながら、地域にとって役に立つ仕事をしたいと思っているのです。

 さて、まともに観光を扱えない私たちですが、そこで私が述べたのは「社会資本形成過程の観光資源化の可能性」という話です。

 随分難しい言い方をしましたが、要は「工事現場って観光資源にならないのかな?」ということです。 

 私も「他と違う事こそ観光資源になる」といつもは地域の皆さんに説いていて、「地元が見慣れてしまって、『こんなもの』と捨ててしまっている事の中にこそ他と差別化出来る要素が含まれている」と言い続けているはずです。

 その私たちが一番見慣れていて、「こんなもの」と思っているのが工事現場なのではないでしょうか。工事など見た事もない人にとって、大型機械が動いたり、営々と積み上げた土木技術の粋が小さな機械にこめられていたりすることを知るということには、たくさんの「びっくり」が詰まっています。

    *   *   *   * 

 既に、少しは話題になった工事現場もあります。知床の国道334号では、冬期間通行止めの知床峠を開通させるために雪が最大6mも積もっているところにロータリー車を始めとする除雪機械を投入して春先の交通を確保します。

 この最大6mという直角の雪壁の間を歩いて独特の風景や知床の自然の厳しさを味わうという実験ツアーが人気を呼んでいます。

 道路は通れればよい、ということだけではなく、通れるようにする努力や工夫、その生の姿は面白い観光資源になる可能性があります。

    *   *   *   * 

 札幌でも除雪の姿を観光資源化するという試みがなされましたが、特に南国で雪のない外国人の人たちなどは、雪だけで珍しがるものなのに、それを大型機械で除雪する姿などというのは初めて見る事でしょう。

 バックホウのような建設機械であれば世界中どこにでも目にする事はありますが、除雪のためだけのロータリー車などは雪をはね飛ばすためだけの機械であり、雪のためにつくられたロボットとも言えるでしょう。

 以前中国の瀋陽とハルピンへ出張したときに、現地で20センチほどの雪に降られたのですが、そこではとにかく作業員がたくさん出て人力で雪をはねて車に積むという作業を目にしました。
 ここには日本の除雪作業車のようなものはなかったのです。

 日本の北海道だけでしかみられないというものには観光資源になりうる要素があるということです。

 この考えを押し進めると、我々が見慣れている工事現場の中にも普通の人には物珍しい要素がたくさん詰まっているのではないでしょうか。

 トンネルや橋など、技術の粋を集めたものには知恵がたくさん詰まっているはずです。そこに自信と誇りと珍しさを見出して観光資源にできないものでしょうか。

 私たちが見逃している最後の資源はそこにあるのかもしれません。現場の安全や工程管理と、観光資源化が上手に折り合いをつけられるようなことにならないものでしょうか。

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第13回幌加内新そば祭りで打つ!

2006-09-03 23:44:58 | Weblog
 昨日今日と、幌加内では新そば祭りが開かれています。今日も快晴で、お客さんがたくさん来そうです。

【幌加内町の新そば祭り】
 昨日と今日の二日間は、幌加内町の新そば祭りです。

 この祭りでは、道内有名そば愛好会は勿論のこと、内地の名のある蕎麦処から多くの愛好会が集まってきて、それぞれが蕎麦の販売ブースを開いてお客さんに新そばを食べさせるのが人気となっているのです。

 私は例年、「北海道蕎麦研究会(通称:蕎麦研)」としてこのイベントに参加して、この賑わいを楽しんでいます。昨年は土曜日の朝から駆けつけて、現地に一泊して土曜日と日曜日にまたがって蕎麦の販売を手伝ったのでした。

 今年は昨日が参加できなかったために、今日の朝から参加することとしました。朝2時半に起きて、3時に家を出発したので、現地には5時半に到着することができました。

 現地に5時半に着いてみると、もう蕎麦研の仲間の皆さんが起きていて、温かい蕎麦用の汁を学校給食用の大きな鍋で作っている最中でした。

「お早うございます」
「お、久しぶり、早いね」

「いやあ、僕にとってはたくさんの知り合いに一遍に会える機会なので同窓会みたいに楽しみにしているんですよ」
「それはいいや、今日もよろしくね」

 こんな会話をしながら、互いの仕事や職場が全く関係ない人達が「蕎麦を打つ、食べさせる」という一つの目的で集まって、協力し合ってイベントを成功させるということが実に面白いことなのです。

 わが蕎麦研は、例年天ぷら蕎麦に力を入れていて、今日も大きなエビを会場で揚げながら提供するという本格的な準備をしていました。蕎麦研の会長は現役のプロのお蕎麦屋さんのご主人なので、天ぷらの揚げ方指導はまさにプロの技。エビ天のコロモに花をつける技には感心しました。

「ええっと、こちらにはたくさんいるようなので、少し打たせてもらって良いですか?」
「良いですとも、じゃんじゃん打ってくださいな。今何人か行っていますから手伝ってください」
 なんといっても、こういうイベントの会場で嬉しいのは1kg以上の大玉と呼ばれるようなたくさんの量の蕎麦を打てることです。

 大体において粉ものは100gが一人前といいますから、家では1kgなど打っても絶対に食べきれる量ではありません。食べるだけなら5~600gもあれば良いので、家では大玉を打つ練習ができないか、打ってみても残りは棄てるという悲しいことになります。

 それがこういうイベントでは1.5~2kgの大玉を、それも何個も打つ練習ができるというのですからたまりません。失敗を恐れずに練習できる格好の機会なのです。

 蕎麦打ち会場の体育館には、参加している各団体がみな一角に自分たちののし板やらこね鉢などを広げてもう戦争状態で蕎麦を打っています。

 ところが我が蕎麦研は、と言えば、粉を練って玉にする人が一人と、打ち手が一人と、なんともしょぼい体制でほそぼそと蕎麦を打っています。

(え~、これじゃお客さんが来始めるとすぐに蕎麦がなくなってしまう)という状態です。そこで慌てて緊急参戦して、1.5kgの玉で蕎麦を打ち始めました。

 1.5kgなんて大玉は久しぶりなので、最初は少し乱れもありましたが、やがて慣れて来ました。やはり蕎麦イベントの裏方は良い練習になるのです。 

 やがて押っ取り刀で何人かの打ち手が登場してきましたが、スタートダッシュが遅いために、蕎麦がなかなか打ち上がりません。

 もともとこういう大量消費型の蕎麦イベントでは、粉をこねて玉にする人と伸して切る人を分けて作業をするのが効率的です。やっと9時過ぎから水回し専門の人が来てくれて、そこからは玉がドンドンできてくるのですが、打ち手が少ないために皆休み無く打たなくてはなりません。だんだんしんどくなってきた~。

 昼ご飯もまかない食の俵おにぎりを2個ほど頬張りながら、どんどんどんどん蕎麦を機械のように打ちまくります。うーむ、だんだん腰が痛くなってきた~。

 途中からは「一度に1.5kgじゃ時間がもったいない」ということで、玉の大きさを2kgに増量。次第に「お客さんが待ってるけど、蕎麦がない!早くして~!」という、現場からの悲痛な声が聞こえてくるようになりました。

 こちらも必死に打つのですが、いかんせん作業時間の限界があります。とうとう、今日の私は、朝6時から午後3時までの間に1.5kg×6玉+2kg玉×4玉=17kgを打ちあげました。
最後は腰が痛いのをこらえていましたが、それを超えるともう腰が痛いのも忘れて打ち続ける蕎麦打ちマシンになりきっていました。

 本当に久々に腹一杯打った~!という感じがして、最高の気分でした。あー、スカッとした。

    *   *   *   * 

 おかげで会場で催されているいろいろなイベントには全く顔を出せず仕舞いでした。ご夫婦で遊びに来ていた知人のSさんは、「名人戦を見てきましたけど、歴戦の強者の参加者の手が震えていたりして、緊張感が漂っていましたよ。今年は名人は該当者なしという審査委員の発表があって、会場からどよめきが起きていましたよ。委員長が『皆さん確かに上手です。しかし、これが名人だ、というオーラが感じられなかった』と言っていましたよ」と教えてくれました。

 昔からの蕎麦打ちの知人は「最近は出てくる顔ぶれが変わったね。ちょっと前なら『ああ、あの人か』と分かっていたけれど、最近は『あの上手な人は誰だろう』と思うようになったもの」と言っていました。

 次々に新しい人材が登場してくるのは、古くからこの世界を支えたり楽しんでいたものからすると、寂しいような追われ追い越される怖さがあるかもしれません。
 しかし、新たな参加者が増えるというのは活気があって良い事です。先人たる者、単に長くやっているから上手というだけではなく、「その人を見たい、その人に会いたい」という独特の世界を持つ事で一目置かれる存在になりたいものです。

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 蕎麦を打つ様子を見に来ていた一般のお客さんと話をしていると、一人で3~4杯は食べている様子。何店舗も出店していましたが、来場者が一人で数杯も食べるのでは、出す方も必死に打たなくてはならないわけです。

 今日の蕎麦研は全部で750食を売り上げたそうですが、現場では「あれで750食かい、1000人は来たと思ったな~」という感覚なのだそうです。。

 天気が良くて千客万来で良かったですね。

 蕎麦研では、この次は16~18日で札幌さとランドでの出店、24日は浦臼町で鶴沼祭り、30~10月1日は滝野公園での蕎麦打ちが予定されています。
 
 秋は新蕎麦の季節。北海道は蕎麦の島、地元の食材である蕎麦をもっと食べてくださいな。
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札幌都心部シャワー通りの再生

2006-09-02 23:59:00 | Weblog
 季節は秋を思わせる快晴。陽が当たるとじりじりと暑いのですが、風はもう秋風かな。

【シャワー通りのリニューアルオープン】
 今日の日中は親戚の家に遊びに行ったりして過ごしていたのですが、夕方に札幌都心部、まちなかのシャワー通りのリニューアル・オープンイベントを見てきました。

 シャワー通りというのは、札幌市民ならば大抵は知っている、北一条西三丁目のど真ん中で、パルコと大丸藤井セントラルの裏手にある中小路の名称です。

 裏の小路といいながらも、ファッションビルの反対側にはお店が並んでいるわけで、シャワー通り商店街などというものも存在しているのだそうですよ。

 さてこのシャワー通りがリニューアルをした、ということなのですが、それはそれまで車が対面交通できた道路幅を3.5mに狭めて、その分歩道を広げたという工事をしていたのが完成したということです。

 こんな裏小路と言えども、お店があるということは商品を運ばなくてはならないわけで、当然車が近づけなくては商店がなり立ちません。しかしそのために車道中心の通りになってしまうことで、歩行者にとっては魅力のない通りになっていたのです。

 特に最近は札幌駅が再開発をしたことで買い物客にとっての魅力が大幅に向上して、買い物客の足が大通りから札幌駅周辺へと流れているというのです。

 そこで市役所と地元の皆さん達が協力して魅力溢れる通りの再生へと力を結集したのがこのシャワー通りです。

 車道を一方通行の一車線にしたことで車にとっては不便な通りになりました。おまけに道の線形もまっすぐではなくゆらゆらと左右に振れていて、歩くのには新鮮ですが、車は通りづらいことでしょう。

 おまけに商品をお店に搬入しなくてはならないというのが自動車にとっては重大な使命のはず。このシャワー通りの工夫は、その商品搬入の荷さばきを、歩行者の少ない夜間と午前中に限定して、歩行者の多くなるお昼から夜までは車が入らないというシステムで運用をしようというのです。

 歩道は普段は車道ぎりぎりに車止めの金属柱が立っているのですが、荷さばきのために車が入れる時間帯は、歩道の中程に金属柱を移して、車道から歩道に乗り上がる形で駐車をさせるよう工夫がされているのです。

 これなどはまさにこの通りの商店街の皆さんの協力無くしては決してできることではありません。これがきっかけとなって、あらためて「こんな通りがあったんだ」ということに気づいて欲しいものですし、地元のお店を見てあげて欲しいものです。

    ※    ※    ※    ※

 そして今日の夕方は、この記念イベントとして、13時から20時までの時間をこの通りでの路上ライブ企画があって、それなりのバンドやユニットが通るお客さんを楽しませてくれるというのです。

 さらにこのイベントに、職場の後輩であるH君率いるバンドが登場するというので、応援かたがたこの通りを見に行ってきたものです。

 会場で配られていたパンフレットには、彼のバンドが「ブルース、ブルーグラス、JAZZ(なぜだかこれだけアルファベット)、ロックからスーパーマリオ(これは音楽ジャンルなのか?)まで幅広いジャンルの音楽をこなす色物バンド」などと紹介されていました。

 しかしH君のバンドのすごいところは、「色物バンドと紹介されたからには色物らしい風情を出して演奏する」という、紹介を逆手に取って客を楽しませてしまうという高度な技を平気で使うことができることです。

 今日も、ほとんど既存の曲のパクリと思わせて、実はこの日のための書き下ろしの新曲(といわれるもの)などを披露し、会場からやんやの喝采を受けていました。

 一人一人の技術に余裕があるので、ちょっとくらいの失敗は「笑いを取るためのわざとなの?」と思わせてしまう技も同然で、観客の多くはその作戦にまんまと引っかかっていたようです。

 北一条界隈では今日と明日で、シャワー通りだけではなく駅前通を歩行者天国にしての大道芸パフォーマンスも展開されいて、賑やかです。

 大通公園では特産品フェアもやられていて、こちらも大盛況の様子。行楽の秋の始まりを告げる、大通り地区でのイベントでした。駅前との切磋琢磨で、客足を取り戻して欲しいものですね。

 しかしどうして「シャワー通り」というのでしょうか?誰か教えて!
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今日から九月、催しにも秋の気配

2006-09-01 23:32:22 | Weblog
 今日は防災の日。関東大震災を忘れない意味でこの日にしたものです。

 職場では防災訓練をしているけれど、我が身に照らすと心許ない事も多いものです。離ればなれになったときは近くの小学校で落ち合おうと決めているくらいです。
 非常持ち出し袋も整えなくては…。

【造園学会というところ】
 私は日本造園学会というところに所属していて、北海道支部の幹事もしています。

 造園学会北海道支部では年に一度の大会を来週の9月8日~9日にかけて実施しますが、今年は恵庭市で開催するという事になっています。

 詳しくは、日本造園学会北海道支部のホームページ http://www.jila-hokkaido.com/をご覧ください。

 今年はテーマを「地域から始まる花のランドスケープ」として様々な発表などが行われます。

 基調講演には企業ポリシーとして地域の食材を大事にする事で知られていて、ハンバーグのチェーン店びっくりドンキーで有名な、(株)アレフ の代表取締役庄司 昭夫さんにお願いをして、『地域生活文化としての花のランドスケープ創造における 企業の役割』(仮題)という お話をしていただく事になっています。
 (株)アレフではこの夏に恵庭市内に「えこりん村」という花のテーマパークもオープンし、いよいよ地域に密着した企業活動を展開しているのです。

 さて、8日のシンポジウムでは私もパネリストのひとりとして登場して、シーニックバイウェイ北海道における花の活動についてお話をする事にしています。

 今日の夜は、この北海道支部の幹事会があって出席をしてきたのですが、大会の直前一週間前という事で、準備の打ち合わせに多くの時間を割きました。学校祭の直前のようなドキドキ感が漂っていましたよ。

 幹事会の後で、シンポジウムの進め方についてコーディネーターの先生と会話を交わしましたが、先生も「僕もまだ『シーニックとはなにか?』ということがよく分かっていないんよ」ということでしたので、シーニックについて説明の時間を多めに使う方が良いのだと思いました。

 シンポジウムや発表会は8日ですが、翌日の9日には恵庭市内の花の名所巡りのエクスカーションが予定されています。恵庭市の恵野(めぐみの)地区は、ご家庭の庭をオープンガーデンとして美しく飾り、来訪者に開放している事で知られているのですが、今回はもちろんここも巡ります。

 住宅地という事で大型バスが入って巡るという事は普段はないのですが、今回は恵庭市が近隣の住民の皆さんに説明してくれて、大型バスで巡ることのできる最後のチャンスではないか、と言われています。

 造園という実学の分野はまちづくりにもっと貢献出来るはずです。美しく潤いのある町を目指して活動をさらに展開して行きたいものです。

    *   *   *   * 

 そうそう、明日~明後日と9月の第一週末は蕎麦で有名な幌加内の蕎麦祭りが行われます。私も例年参加しているのですが、今年は3日の朝に駆けつけて一日蕎麦を洗う事になりそうです。

 天気が良さそうですからお近くの方は是非お訪ねください。  


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