北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

勝海舟「氷川清話」を読む

2006-09-10 19:09:28 | 本の感想
 どんよりして小雨もぱらつく鬱陶しい天気となりました。


【勝海舟の『氷川清話』を読む】
 勝海舟(1823-1899)は幕末の幕臣であり、明治に入ってからは事において政府を助け、また批判した政治家です。

 幼名は麟太郎(りんたろう)。維新後に改名して安芳(やすよし)を名乗ったのは幕末期に安房守(あわのかみ)を任ぜられた事から「安房守と同じ同音だから改めたのよ」と言います。
 「海舟という号をつけたのは、(佐久間)象山の書いた『海舟書屋』という額が良くできていたから、それで思いついたのだ」とか。

 今回読んだのは、講談社学術文庫で江藤淳・松浦玲編によるものです。

 「氷川清話」は勝海舟が明治20年代から亡くなる明治32年までの発言や新聞に掲載された談話や時局談などを集めたもので、それまでには吉本襄(よしもとのぼる)が編集したものが巷に流布されていたものです。

 ところが吉本が編集した際に、語った時代や語る相手の名前を意図的にリライトし、いつ誰を批判したかを隠蔽したフシがあるというのです。

 そこで江藤と松浦らがこの間の基になった原文に徹底的に照らして事実に忠実に再現したものを講談社勝海舟全集として刊行し、それを読みやすくしたものとして文庫版「氷川清話」を世に出した、ということなのだそうです。

 明治27~28年の日清戦争や明治29年の足尾鉱毒問題などを見て、明治が30年を迎える頃には、勝の中に「明治のエセ文明より旧幕府の野蛮の方が良かったのではないか」という思いと当時の政権への強い批判精神が沸き立っていたということのようですね。

 なにしろ最後には正二位勲一等伯爵にまで登り詰めた人の発言ですからね。

    *   *   *   * 

 本の内容は幕末から維新にかけての体験、人物評論、政治今昔談、時事に関する評論、政治家とはなにか、世の中とはなにか、といったものに分類されており、世の中を観る最高の眼力を持ちえた傑物の考えが素直に伝わってきます。

 このなかで勝は西郷隆盛(号は南州)を一番に褒めています。「おれは今までに、恐ろしいものを二人見た。それは横井小楠と西郷南州とだ」「横井は、自分に仕事をする人ではないけれど、もし横井の言を用ゐる人が世の中にあったら、それこそ由々しき大事だと思ったのさ」
「その後、西郷と面会したら、その意見や議論は、むしろおれの方が優るほどだったけれども、いわゆる天下の大事を負担するものは、果たして西郷ではあるまいかと、またひそかに恐れたよ」

「(ところが幕閣が『そちの眼鏡も間違った』と言うのに対して)けれども俺はな、横井の思想を西郷の手で行われたら、もはやそれまでだと心配していたに、果たして西郷は出てきたワイ」と早くからその才覚を見ぬいていたと言います。

 なかには坂本龍馬の西郷評が出てきます。勝がしばしば「西郷が人物だ」と述べるのを聞いて、龍馬が「拙者も会ってくるので紹介して欲しい」と言うので添え書きをしてあげたというのです。

 龍馬が薩摩で西郷に会った後に帰ってきて言うには「なるほど西郷という奴は、わからぬ奴だ。少し叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だろう」とのことで、勝はそれを聞いて、坂本もなかなか鑑識のある奴だということを述べています。

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 二宮尊徳にも触れている箇所がありました。
「二宮尊徳には一度会ったが、至って正直な人だったよ。全体あんな時勢には、あんな人物がたくさん出来るものだ。時勢が人を作る例は、おれは確かに見たヨ」

    *   *   *   * 

 人材に関しての記載がありました。
「全体、政治の善悪は、みんな人にあるので、決して法にあるのではない。…世間ではよく人材養成などと言っているが、神武天皇以来、果たして誰が英雄を作り上げたか。誰が豪傑を作り出したか。人材というものが、そう勝手に製造されるものなら造作はないが、世の中の事は、そうはいかない。人物になるとならないのは、結局は自己の修養いかんにあるのだ」

 そしてその一方で、「太公望は国会議員でも演説家でも、著述家でも新聞記者でもなく、ただ朝から晩まで釣りばかりしていた男だ。人才などは騒がなくっても、眼玉一つでどこにでもいるよ」とも。

    *   *   *   * 

 世間の書生にも厳しい言葉をぶつけています。
「天下は大活物だ。区々たる没学問や、小知識ではとても治めて行く事は出来ない。世間の風霜に打たれ、人生の酸味を嘗め、世態の妙をうがち、人情の微を究めて、しかる後、共に経世の要務を談ずる事が出来るのだ」

「それゆえに後進の書生らは、机上の学問ばかりに凝らず、更に人間万事について学ぶ、その中に存する一種のいうべからざる妙味を噛みしめて、しかる後に机上の学問を活用する方法を考え、また一方には心胆を錬って、確乎不抜の大節を立てるがよい」


「けちな了見で何が出来るものか。男児世に処する、ただ誠意正心をもって現在に応ずるだけの事さ。…要するに処世の秘訣は誠の一字だ」

 江戸時代を45年、明治を31年生きた時代の傑物の最後の言葉がこれでした。なるほど誠実であることが全てなんですね。
 

コメント
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