和辻哲郎の名著に『風土』があります。この本は、単に地理学や比較文化論の本ではなく、和辻の倫理学の一環をなすものです。それとともに、この本は、倫理学に基づいて風土と文明の関係を考察した本でもあります。
若き和辻はハイデッガーの著書『存在と時間』に衝撃を受けました。20世紀を代表する哲学者ハイデッガーは「存在とは何か」という問いのもとに、現存在つまり人間の存在を分析しました。その哲学は存在論とか実存哲学として有名です。
人は漠然とではありますが、存在について理解を持っています。そして、自分に過去と未来があり、いつか死ぬことを知っています。ハイデッガーは、そうした現存在を時間との関わりにおいて論じ、さらに存在そのものの意味を時間に見出そうとしました。これに対し、和辻は異論を唱えます。人間存在は時間性だけではとらえられないからです。人が単に個人として生き、また死ぬのではありません。人は個人的とともに社会的な存在であり、他者とかかわり合う空間の中で、生の時間を生きています。それゆえ、人間の存在は、時間性とともに空間性からもとらえねばなりません。時間性とは歴史的、空間性とは風土的ということです。そこで、和辻は人間存在の考察のために、風土の研究を行いました。その成果が、昭和10年(1935)に刊行された『風土―人間学的考察』です。
和辻がいう風土とは、客観的な自然環境のことではありません。風土は主体的な人間存在の表現であり、人間の自己了解の仕方です。例えば、寒気は、我々の外にあって、我々に迫ってくるのではなく、我々が寒さを感ずるのであり、そこに寒気を見出すのです。また、我々は、他者とともに同じ寒さを感じ、日常の挨拶に用います。寒さの感じ方自体が、間柄的で共同存在的です。「だから」と和辻は述べます。「寒さにおいて己れを見出すのは、根源的には間柄としての我々なのである」「すなわち我々は『風土』において我々自身を、間柄としての我々自身を、見出すのである」と。
さて、「人間の存在は歴史的・風土的なる特殊構造を持っている。この特殊性は風土の有限性による風土的類型によって顕著に示される」と和辻は述べます。そして、海外を旅した自身の体験に基づいて、風土をモンスーン、沙漠、牧場の3類型に分けます。さらに、東アジア、南アジア、西アジア、ヨーロッパの風土的特性と民族・文化・社会の伝統的特質の関係について考察します。
和辻は、日本の風土をモンスーンの特殊形態であるとします。モンスーン型は、インドから東アジア一帯に見られるもので、暑さを素直に受け入れる受容的な性格と、大雨による災害にもじっと耐える忍従的な性格を特徴とします。その中で、日本の風土は、規則的でありつつ、同時に変化にもまれています。日本はユーラシア大陸と太平洋の間にあり、極めて変化に富む季節風が吹き、夏は突発的で猛烈な台風が来て大雨をもたらし、冬は大雪をもたらします。言い換えると、日本の風土は、熱帯的とともに寒帯的であり、また季節的でありつつ突発的であるという二重の性格をもっています。こうした気候の影響により、日本人の国民性には、モンスーンの受容性・忍従性に、熱帯のあきらめ、寒帯の辛抱強さなどが加わっていると和辻は考えます。そして、次のように述べます。
「日本の人間の特殊な存在の仕方は、豊かに流露する感情が、変化においてひそかに持久しつつ、その持久的変化の各瞬間に突発性を含むこと、及びこの活発なる感情が、反抗においてあきらめに沈み、突発的な昂揚の裏に俄然たるあきらめの静かさを蔵すること、において規定せられる。それは、“しめやかな激情”“戦闘的な恬淡”である。これが日本の国民的性格にほかならない」と。
同じようにして、和辻は様々な民族について、風土的特性との関係を考察します。これは、風土と文明の関係を論じ、文明の中核である精神と風土の関係を明らかにしようとしたものともいえます。
さて、和辻によれば、人間存在は時間的と同時に空間的存在であり、歴史的・風土的な特殊構造を持っています。それゆえ、地球上の地理的条件による風土の多様性が、諸文明の多様性の基礎となっています。これを抽象的な普遍思想によって一元化しようとするのは、無理があります。政治的には、「諸国民間の人倫的組織としての世界国家」をめざすとともに、文化的には多様なものの共存調和を図るべき所以の一つが、風土と文明の関係に求められるのです。
和辻の名著『風土』は、人間学的生態学的な風土論の先駆として不朽の価値をもっています。また、日本学・日本人論に大きな影響を与えています。それと同時に、倫理学に基づいて、風土と文明の関係を考察した本ともいえるのです。
参考資料
・和辻哲郎著『風土――人間学的考察』(岩波文庫)
次回に続く。
************* 著書のご案内 ****************
『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1
『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
『細川一彦著作集(CD)』(細川一彦事務所)
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若き和辻はハイデッガーの著書『存在と時間』に衝撃を受けました。20世紀を代表する哲学者ハイデッガーは「存在とは何か」という問いのもとに、現存在つまり人間の存在を分析しました。その哲学は存在論とか実存哲学として有名です。
人は漠然とではありますが、存在について理解を持っています。そして、自分に過去と未来があり、いつか死ぬことを知っています。ハイデッガーは、そうした現存在を時間との関わりにおいて論じ、さらに存在そのものの意味を時間に見出そうとしました。これに対し、和辻は異論を唱えます。人間存在は時間性だけではとらえられないからです。人が単に個人として生き、また死ぬのではありません。人は個人的とともに社会的な存在であり、他者とかかわり合う空間の中で、生の時間を生きています。それゆえ、人間の存在は、時間性とともに空間性からもとらえねばなりません。時間性とは歴史的、空間性とは風土的ということです。そこで、和辻は人間存在の考察のために、風土の研究を行いました。その成果が、昭和10年(1935)に刊行された『風土―人間学的考察』です。
和辻がいう風土とは、客観的な自然環境のことではありません。風土は主体的な人間存在の表現であり、人間の自己了解の仕方です。例えば、寒気は、我々の外にあって、我々に迫ってくるのではなく、我々が寒さを感ずるのであり、そこに寒気を見出すのです。また、我々は、他者とともに同じ寒さを感じ、日常の挨拶に用います。寒さの感じ方自体が、間柄的で共同存在的です。「だから」と和辻は述べます。「寒さにおいて己れを見出すのは、根源的には間柄としての我々なのである」「すなわち我々は『風土』において我々自身を、間柄としての我々自身を、見出すのである」と。
さて、「人間の存在は歴史的・風土的なる特殊構造を持っている。この特殊性は風土の有限性による風土的類型によって顕著に示される」と和辻は述べます。そして、海外を旅した自身の体験に基づいて、風土をモンスーン、沙漠、牧場の3類型に分けます。さらに、東アジア、南アジア、西アジア、ヨーロッパの風土的特性と民族・文化・社会の伝統的特質の関係について考察します。
和辻は、日本の風土をモンスーンの特殊形態であるとします。モンスーン型は、インドから東アジア一帯に見られるもので、暑さを素直に受け入れる受容的な性格と、大雨による災害にもじっと耐える忍従的な性格を特徴とします。その中で、日本の風土は、規則的でありつつ、同時に変化にもまれています。日本はユーラシア大陸と太平洋の間にあり、極めて変化に富む季節風が吹き、夏は突発的で猛烈な台風が来て大雨をもたらし、冬は大雪をもたらします。言い換えると、日本の風土は、熱帯的とともに寒帯的であり、また季節的でありつつ突発的であるという二重の性格をもっています。こうした気候の影響により、日本人の国民性には、モンスーンの受容性・忍従性に、熱帯のあきらめ、寒帯の辛抱強さなどが加わっていると和辻は考えます。そして、次のように述べます。
「日本の人間の特殊な存在の仕方は、豊かに流露する感情が、変化においてひそかに持久しつつ、その持久的変化の各瞬間に突発性を含むこと、及びこの活発なる感情が、反抗においてあきらめに沈み、突発的な昂揚の裏に俄然たるあきらめの静かさを蔵すること、において規定せられる。それは、“しめやかな激情”“戦闘的な恬淡”である。これが日本の国民的性格にほかならない」と。
同じようにして、和辻は様々な民族について、風土的特性との関係を考察します。これは、風土と文明の関係を論じ、文明の中核である精神と風土の関係を明らかにしようとしたものともいえます。
さて、和辻によれば、人間存在は時間的と同時に空間的存在であり、歴史的・風土的な特殊構造を持っています。それゆえ、地球上の地理的条件による風土の多様性が、諸文明の多様性の基礎となっています。これを抽象的な普遍思想によって一元化しようとするのは、無理があります。政治的には、「諸国民間の人倫的組織としての世界国家」をめざすとともに、文化的には多様なものの共存調和を図るべき所以の一つが、風土と文明の関係に求められるのです。
和辻の名著『風土』は、人間学的生態学的な風土論の先駆として不朽の価値をもっています。また、日本学・日本人論に大きな影響を与えています。それと同時に、倫理学に基づいて、風土と文明の関係を考察した本ともいえるのです。
参考資料
・和辻哲郎著『風土――人間学的考察』(岩波文庫)
次回に続く。
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『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1
『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
『細川一彦著作集(CD)』(細川一彦事務所)
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