ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

日本の心158~木のいのち、人の心:西岡常一

2022-08-16 10:08:15 | 日本精神
 日本の文化は木の文化であり、欧州の文化は石の文化であるといわれます。欧州人が石の建物に住むのに対し、日本人は木の家に住んできました。木にはいのちがあり、日本人はその木のいのちに包まれて、生活してきました。そこには、自然との深い融合がありました。今日の日本人は、そういう伝統の中にある心を忘れているのではないでしょうか。
 西岡常一氏ほどそのことを強く感じさせてくれる人は居ません。氏は、法隆寺の近くの宮大工の家に生まれました。昭和9年(1934)から始まった「昭和の大修理」で、氏は、現存する世界最古の木造建築である法隆寺の金堂や五重塔の解体修理を手がけました。平成7年、86歳で亡くなっています。
 西岡氏には、宮大工棟梁としての経験から語った数冊の著書があります。法隆寺は1300年もの間、立ち続けてきましたが、その材木について、氏は次のように語っています。
 「……ただ建っているといふんやないんでっせ。五重塔の軒を見られたらわかりますけど、きちんと天に向って一直線になっていますのや。千三百年たってもその姿に乱れがないんです。おんぼろになって建っているというんやないですからな。
 しかもこれらの千年を過ぎた木がまだ生きているんです。塔の瓦をはずして下の土を除きますと、しだいに屋根の反りが戻ってきますし、鉋(かんな)をかければ今でも品のいい檜の香りがしますのや。これが檜の命の長さです」
 「こうした木ですから、この寿命をまっとうするだけ生かすのが大工の役目ですわ。(樹齢が)千年の木やったら、(用材として)少なくとも千年生きるやうにせな、木に申し訳がたちませんわ」
 樹齢千年の桧(ひのき)なら千年以上もつ建造物ができる、と西岡氏は述べています。氏によると、千年ももつ建物を建てるためには、使う木の生育状況を見て、適材適所の使い方をしなければなりません。木は人間と同じで一本ずつみな違い、それぞれの木の癖を見抜いて、それに合った使い方をする必要があります。日の当たる場所に立つ木、当たらない場所に立つ木など、場所によって様々な木があるためです。そこで、宮大工は木を買うのではなく「山を買え」と言います。切り倒した後の木ではなく、山ごと買うことによって、一本一本の木の特性を見極めなければならないからです。また、一本の木についても日向側と日陰側によって用途が違ってきます。だから、木について知り抜いていなければ、宮大工は、まともな仕事はできないと西岡氏はいいます。
 西岡氏によると、昔の日本の大工は、ただ木を材料と見、道具として使っていたのではありませんでした。木の持ついのちにふれ、そのいのちに心を通わして、木を用いてきたのです。
 「木は物やありません。生きものです。人間もまた生きものですな。木も人も自然の分身ですがな。この物いわぬ木とよう話し合って、生命ある建物にかえてやるのが大工の仕事ですわ。木のいのちと人間のいのちの合作が本当の建築でっせ」
 そして、氏は、続いて建築の際に行う伝統的な儀式のこころを語ります。
 「わたしたちはお堂やお宮を建てるとき、『祝詞(のりと)』を天地の神々に申し上げます。その中で、『土に生え育った樹々のいのちをいただいて、ここに運んでまいりました。これからは、この樹々たちの新しいいのちが、この建物に芽生え育って、これまで以上に生き続けることを祈りあげます』という意味のことを、神々に申し上げるのが、わたしたちのならわしです」
 太古の昔から木を用いてきた日本人が、代々受け継いできた経験と知恵を、西岡氏は語ってくれます。その言葉には、自然に学び、自然と共に生きてきた日本人の精神を感じ取ることができるでしょう。

参考資料
・西岡常一著『木のいのち 木のこころ 天』(草思社)
・西岡常一・小原二郎共著『法隆寺を支えた木』(NHKブックス)

 次回に続く。

************* 著書のご案内 ****************

 『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1
 『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
 『細川一彦著作集(CD)』(細川一彦事務所)

************************************