ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

ユダヤ69~幕末・維新期のわが国とユダヤ人資本家との関係

2017-06-30 09:38:54 | ユダヤ的価値観
●幕末・維新期のわが国とユダヤ人資本家との関係

 ところで、わが国とユダヤ人金融資本家との関係は、日露戦争の時に突然生じたものではない。そのことを振り返っておこう。
 ロスチャイルド家は、イギリスやフランス等のアジア進出とともに、インド・シナ・東南アジアへと業務を広げた。その系列の銀行・商社が貿易・金融等を行った。19世紀後半、欧米列強は極東の日本にも触手を伸ばし、幕藩体制下で鎖国政策を取るわが国にも進出しようとした。
 この時、活発に活動したイギリスの貿易商社が、ジャーディン=マセソン商会である。同社は、1832年にシナのマカオで設立された。共同出資者は、ともにスコットランド出身のユダヤ人であるウィリアム・ジャーディンとジェームズ・マセソンだった。同社は、茶や生糸の買い付け、アヘンの密貿易などに従事し、イギリス・インド・シナを結ぶ三角貿易で大きな利益を得た。先に触れたサッスーン財閥とはライバル関係にあった。
 1834年に東インド会社のシナ貿易独占権が廃止されると、同社は民間の商社として急速に活動範囲を広げた。船舶を所有して運輸業を行い、建設や銀行業にも進出した。日本が開国に向かうと、1859年(安政6年)に横浜に支店を設立した。日本に進出した外資第1号だった。この年、トーマス・ブレーク・グラバーが、同社の長崎代理店として、グラバー商会を設立した。
 グラバーは、土佐の坂本龍馬、岩崎弥太郎、薩摩の五代友厚等の若者を積極的に支援した。龍馬は、グラバーを通じて、ジャーディン=マセソン商会から討幕派の薩摩藩や長州藩が銃や軍艦等を購入することに協力した。同時に、幕府にもアームストロング砲などの武器を提供して利益を上げた。龍馬の亀山社中は、後に海援隊に改称された。五代は商都大阪の発展に貢献した。岩崎は政商として活躍し、一代で三菱財閥を築いた。
 1863年(文久3年)に、長州藩は、井上聞多(馨)、伊藤博文ら長州五傑をロンドンに留学させた。グラバーが仲介し、ジャーディン=マセソン商会が渡航の船を提供した。英国滞在中は、ジェームズの甥で同商会のロンドン社長であるヒュー・マセソンが世話した。
 イギリス人がこれほど日本人を厚遇したのは、日本人の中にイギリスに忠誠を誓う者を作り出し、彼らを使って日本を支配しようとする企図があったと思われる。
 幕末の日本は、黒船で来航したアメリカのペリー提督に開国を迫られ、1854年(嘉永7年)に日米和親条約を結んだ。それが開国の第一歩となり、以後、ロシア・オランダ等とも和親条約を結んだ。植民政策に巧みなイギリスは薩摩藩や長州藩に武器・機械等を売った。フランスは幕府に武器・機械等を売った。国内を分裂させて有色人種同士を戦わせ、その隙を突いて、支配力を及ぼそうとするのは、欧米白人種の常套手段である。その先兵となっていたのが、ユダヤ人である。欧米列強は、それぞれの国益を追求して行動するが、ロスチャイルド家等のユダヤ人資本家は国家の枠組みを超えてつながっている。貿易であれ、戦争であれ、融資であれ、すべてもうけを得る手段となる。こちらが普通の商売のつもりで深入りすると、侵入を許すことになる。
 だが、幕末の日本人は、アヘン戦争に敗れたシナが欧米列強の半植民地にされたのを見て、白人種の支配下に置かれることのないよう強い危機感と熱い民族意識を持って対応した。長州には吉田松陰、薩摩には西郷隆盛という偉大な人物がいた。坂本龍馬は、藩の枠を超え出て、日本という国のために行動した。松陰の弟子である桂小五郎(木戸孝允)と西郷隆盛の間に立ち、両藩の遺恨を超えて薩長同盟を実現させた。これによって、討幕勢力の結集ができた。龍馬は、朝廷に政権を返上する大政奉還を推進した。志半ばで暗殺されたが、大調和の日本精神を発揮して、民族存亡の危機を乗り越えるべく、天皇を中心とした国家の建設に献身した。
 1867年(慶応3年)、王政復古の大号令が発せられ、明治維新が開始された。翌年討幕軍の西郷隆盛は、幕府方の勝海舟と話し合い、江戸無血開城を成し遂げた。日本民族の内部で相争って、江戸が戦火の海になると、白人種の支配を許してしまう。それを避けるための合意だった。ここにも大調和の日本精神が現れている。
 明治政府による近代国家建設は、欧米金融資本の資金力・技術力・情報力等を利用して進めたものである。明治政府と最初に関係を深めたのは、やはりロスチャイルド家だった。当時、欧米の銀行・商社・製造者等は、ロスチャイルド系かまたはそれに連なものが圧倒的に多かった。独立後の日本をロスチャイルド家等の欧米資本は、武器・機械等の先端技術による商品を売ることで支配下に置こうとした。維新の元勲はその策に飲まれないようにしながら、欧米の文物を購入することで、文明開化・富国強兵・殖産興業を成し遂げた。
 政府は、江戸時代から続く商家・三井家を重用した。長州藩出身の内務卿、井上馨がロスチャイルド家と三井家を結びつける窓口を担った。井上は三井の番頭といわれた。だが、井上には実務能力がなく、彼に代わって実務を取り仕切ったのが、大蔵省時代の渋沢栄一だった。
 渋沢は、1867年パリ万博の時にフランスに渡り、フリュリ・エラールから銀行業、近代の金融業を学んでいた。エラールは、フランス・ロスチャイルド家の総帥、アルフォンス・ド・ロスチャイルド伯爵に仕える銀行家だった。渋沢は、そこで得た知識と人脈を使って、野に下ると、日本初の国立銀行を作り、約500の企業の創設に関わった。それによって「日本資本主義の父」と呼ばれる。渋沢の偉業は彼の個人的な実力だけではなく、背後にロスチャイルド家の支援があったからと考えられる。
 三菱の岩崎弥太郎は、西南戦争をきっかけに、アメリカのロックフェラー家と手を組んだ。こうして、わが国ではロスチャイルド=三井系とロックフェラー=三菱系という二大財閥グループが対抗する構図が生まれた。
 日本は、帝国議会の開設、憲法の制定、産業の重工業化を進めた。こうしてアジア初の近代国家として国際社会に参入した日本に、最初に立ちふさがったのが、シナの清国だった。わが国は、1894年(明治27年)の日清戦争で清国を破り、朝鮮半島における権益を獲得し、また台湾の割譲を受けた。
 こうして欧米資本の資金力・技術力・情報力を利用しながら成長を続ける日本にとって、どうしても矛を交えねばならない相手があった。ロシアである。日本は、開国からわずか半世紀の後には、大国ロシアを撃破するほどの国力を蓄えていたのである。

 次回に続く。