ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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ユダヤ64~第1次世界大戦と国際連盟の設立

2017-06-18 08:50:54 | ユダヤ的価値観
第1次世界大戦と国際連盟の設立
 
 19世紀末から資本主義は帝国主義の時代に入った。帝国主義諸国は資源と市場を求めて争い合い、1914年遂に人類史上初の世界大戦の勃発に至った。アメリカ連邦準備制度の実現の翌年だった。
 第1次世界大戦は、英仏対独の戦いを主軸とした。この戦いの帰趨で決定的だったのは、アメリカの参戦である。アメリカは強力な工業力と軍事力を発揮して、英仏をドイツに勝利せしめた。大戦後、戦いで疲弊した西欧諸国は、アメリカの経済力に頼らざるを得なくなった。イギリスの支配集団は、こうしたアメリカを金融的・政治的・外交的にコントロールすることで、英米の連携による覇権の維持を画策した。アングロ・サクソン=ユダヤ連合による覇権の強化と言うことができるだろう。
 グリフィンは、エドワード・マンデル・ハウスについて「第1次世界大戦の際には、アメリカ人の中で誰よりイギリス側に立ってアメリカの参戦に尽力し、それによってモルガン商会の英仏に対する巨額債権を救った」と書いている。
 ウィルソンは平和主義者として知られ、1914年7月の第1次大戦勃発時、「それはわれわれと何ら関係のない戦争であり、その原因もわれわれには関わりがない」と参戦しない方針を打ち出して、国民に支持されていた。そして、アメリカは中立国の立場を利用して交戦国双方と通商を行って大きな利益を上げていた。
 アメリカは、ドイツが無制限潜水艦作戦を行ったことに対して、1917年4月にドイツに宣戦布告した。アメリカは受動的で、やむをえず参戦したかに見える。しかし、実は以前から、ウィルソン政権は参戦を計画していた。16年、ウィルソンが2期目の当選を果たす10ヶ月前、ウィルソンの代理としてハウスが、アメリカが連合国側に味方して参戦する方向で英仏と秘密協定を結ぶ交渉を始めた。ウィルソンはその密約をもとに、参戦の機会をうかがっていたのである。
 グリフィンによると、「ハウスとウィルソンの最も強い絆は世界政府という共通の夢だった。どちらも、アメリカ人はよほどのことがない限り世界政府という考え方を受け入れるはずがないと承知していた。そこで、長期にわたる血なまぐさい戦争が起これば、そして戦争に永久的に終止符を打つためだということなら、国家主権が失われてもやむをえないとアメリカ人は納得するだろう、それしかないと考えた」と書いている。世界政府の実現とは、ロスチャイルド家の目標である。
 ロスチャイルド家のもくろみは、世界政府を実現するために、戦争を利用し、戦争が長引き、諸国民に厭戦気分が高まったところで、世界政府の構想を打ち出すという計画だったと見られる。
 第1次大戦は、誰もの予想に反して長期化した。その間に、ロシアでは1917年10月に共産革命が起こった。ロシア革命の成功は、巨大国際金融資本家が共産主義者を支援しなければ、不可能だった。この点については、後にロシアの項目に書く。
 大戦は消耗の果てに、ようやく18年11月に終結した。ウィルソン米大統領は、講和会議で国際連盟の構想を打ち出した。
 第1次大戦の戦後処理のために、パリ講和会議が行われた。ウィルソンは、ハウスを中心とする代表団を連れて会議に臨んだ。議員は一人もつれず、代表団は彼の取り巻きや銀行家で占められていた。講和会議にはフランスのエドモン・ド・ロスチャイルド男爵が参加し、会議の展開を方向付けようとした。これに対し、ウィルソンは、秘密外交の廃止や軍備縮小、民族自決、国際連盟の設立などを唱えた「14か条の平和原則」を提案した。14か条は、ハウスが中心となって策定した。講和会議の期間、「ハウスは英米両国の円卓会議グループのホストを務めた」とグリフィンは書いている。ハウスは、英仏等の代表に14か条を受け入れさせるために行動した。しかし、英仏はドイツへの報復を主張し、平和原則は実現を阻まれた。講和会議で採用されたのは、国際連盟の設立のみだった。しかもそれは、巨大国際金融資本家たちの思い通りには、いかなかった。
 国際連盟の構想は、ハウスが中心になって立案し、ウィルソンが講和会議で提案した。国際連盟の設立の根本に、恒久平和のために、各国が主権の一部を委譲して世界政府を作るという構想があった。その構想は、ロスチャイルド家等の国際金融資本家が望むものだった。もしウィルソンの構想どおり実現すれば、英米のアングロ・サクソン=ユダヤ連合が中心となって、国際秩序を管理する組織が、ここに誕生したかもしれない。
 しかし、アメリカは、国際連盟に加盟しなかった。アメリカ国民の間では、伝統的なアイソレイショニズム(不干渉主義)が根強かった。議会はウィルソンの提案を退け、ヴェルサイユ条約の批准も、国際連盟の加盟も否決した。このため、国際連盟構想は失敗した。当時、アメリカは、世界随一の存在になっていた。アメリカを欠く国際組織は、基盤が脆弱だった。
 世界政府の構想は、遅くとも1910年代に英米の支配集団に芽生えた。起源をどこまでさかのぼり得るかわからないが、共産主義の思想は、理論的にプロレタリア独裁による世界政府の樹立が導き出される。それに対抗するには、ブルジョワジーによる世界政府の樹立が構想される。むしろ、共産主義の統制主義国家群を取り込む形で、この資本主義世界政府が企画されたのだろう。企画実現を主導するのは、英米である。その構想の第一歩となったのが、国際連盟と考えられる。しかし、国際連盟はアメリカの不加盟によってつまずいた。そこで、英米主導で世界政府を目指す新たな動きが続けられることになった。

 次回に続く。