ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

人権87~ドイツ30年戦争とユダヤ人

2014-03-15 09:25:38 | 人権
●ドイツ30年戦争とユダヤ人

 1618年、ドイツ30年戦争が勃発した。きっかけは皇帝フェルディナント2世が、カトリック教会と結んで、皇帝権の再建を図り、絶対主義体制を構築しようとしたことである。これに対し、皇帝独裁を許すな、と諸侯が反発した。戦いは、皇帝の家系でカトリック擁護のハプスブルグ家と、プロテスタント支持の諸侯の対立で始まった。この帝国の内戦に、周辺の新教国・旧教国が参戦し、皇帝・教会・諸侯・諸王が入り乱れて争う大戦争となった。
 戦争の展開過程は、ボヘミア戦争、デンマーク戦争、スウェーデン戦争、フランス戦争と呼ばれる。戦争は拡大また長期化し、ドイツを主たる戦場とするヨーロッパ大陸戦争となった。最終段階では、フランスが介入し、ハプスブルグ家対ブルボン家という宿敵同士が激突した。しかし決着はつかず、泥沼の戦いが続いた。
 ドイツ30年戦争は、ユダヤ人の関与なくしては、これほどの規模と期間の戦争とはなりえなかった。ここで、人権の発達において、見逃すことのできないユダヤ人について触れておきたい。
 ユダヤ人とは、ユダヤ教を信じる少数民族である。ユダヤ人は、ユダヤ人の母親から生まれた者をユダヤ人ともしている。中世のヨーロッパでは、キリスト教に改宗しないユダヤ人は異教徒として差別され、市民権を与えられず、職業は金貸し、税の集金等に限定された。12世紀から西欧のユダヤ人には銀行業や商業で成功する者も出たが、社会的地位は低かった。13世紀までには、ユダヤ人はイエス磔刑に処し、死に至らしめた罪により、永久に隷属的地位に置かれるべきだという教えが、カトリック教会で確立された。イギリス・フランス・ドイツ等多くの国でユダヤ人は追放された。
 宗教改革の指導者ルターは、ユダヤ人について、「彼らの財産を没収し、この有害で毒気のある蛆虫どもを強制労働に駆り出し、額に汗して自分の食べるパンを稼ぎ出させるべきだ。そして最終的には永遠に追放すべきだ」と説いた。一方、反宗教改革のために創設されたイエズス会は、ユダヤ人に改宗を強力に迫る運動を繰り広げた。1555年、教皇パウロ4世は、ローマとイタリア国内の教皇領のユダヤ人をゲットー内に隔離することを命じた。
 キリスト教社会で差別と迫害を受けるユダヤ人が、自らの地位を高めていったのは、類まれな経済的能力による。14~15世紀にはイタリア諸都市やスペイン、ポルトガルの繁栄に貢献した。ユダヤ人は商業・貿易・金融の知識を持ち、国際的なネットワークを持つ。彼らはある土地で追放されると、他の土地へ移り、そこで能力を発揮した。神聖ローマ帝国でも同様だった。
 1577年、ハプスブルク家の皇帝ルドルフ2世は、ユダヤ人に特権を与える勅許状を出した。ユダヤ人の財務能力が有益だと考えたからである。彼は大商人マルクス・マイゼルを最初の宮廷ユダヤ人として迎え入れた。以後、多くのユダヤ人が諸邦の宮廷に財務官あるいは財政顧問として入り、その後他の分野にまで関係していった。中欧のほとんどの国でユダヤ人は政府の財政を支配し、その影響力は1914年まで続くことになる。
 ドイツ30年戦争では、神聖ローマ帝国の皇帝やドイツの諸侯は莫大な戦費を必要とした。ユダヤ商人はその需要に応じることができた。ユダヤ人から資金の提供を受けなければ、戦争はできなかった。資金と引き換えに居住許可が乱発された。30年戦争は、ユダヤ人の国家財政と軍事物資の供給への大々的な関与の始まりとなった。その後のユダヤ人の歴史については、後に市民革命の章で触れることとする。

 次回に続く。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿