ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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イスラーム20~エジプトとイスラエルの和平、印パ対立

2016-02-25 09:26:04 | イスラーム
●エジプトとイスラエルの和平

 第4次中東戦争後、アラブ諸国の内部に大きな変化が現れた。4度にわたる中東戦争で最も人的・物的損害を被ったエジプトが、イスラエルとの共存の道を模索し始めたのである。
 サダト大統領は、ナーセルを継いだ後、最初は社会主義的経済政策を継承していたが、第4次中東戦争後の1974年(昭和49年)から政策を転換した。外資の導入、輸入の自由化、公共部門の民営化等の自由主義的な政策の採用である。サダトは、これによってアメリカへの接近を図った。そして、アメリカを通じてイスラエルに圧力をかけることで、失地の平和的回復を目指したのである。
 サダトはイスラエルとの間に兵力引き離し協定を結び、77年11月19日にイスラエルを訪問した。これを機会に、エジプトとイスラエルの和平交渉が開始された。
 当時、米国は、カーター政権だった。カーター政権は、ニクソン=フォード両政権におけるキッシンジャーの現実主義的な外交からの転換を図り、アメリカ的価値観を掲げた理想主義的な人権外交を打ち出した。78年9月、カーター大統領の仲介で、サダトとイスラエルのベギン首相が米国のキャンプ・デイヴィッドで会見し、和平合意に達した。翌79年(昭和54年)3月、エジプト・イスラエルの抗争を収拾するための「中東和平会議」が開催された。カーターはみずから中東を訪問し、交渉に当たった。もし決裂すれば、第3次世界大戦へと発展しかねない危険な状況であった。和平交渉は暗礁に乗り上げ、3月10日、11日、12日と難航を続けたが、13日交渉は奇跡的といえる成立を見た。そして26日、エジプト・イスラエル間で平和条約が調印された。歴史的和解と賞賛された。
 中東の国際関係が難しいのは、すべての人民が平和を望んでいるのではないことである。サダトはイスラエルとの融和路線に反対する者によって、81年に暗殺されてしまう。だがエジプトは、サダトの後を継いだムバーラク大統領の下で、念願だったシナイ半島の回復を果たした。領土問題は一応の決着に達した。
 イスラエルとアラブ諸国、ユダヤ人とパレスチナ住民は、4度の戦争を経て、ようやく和平への道を歩みだしたかに見えた。しかし、なおその道は遠く、軍による攻撃とテロの応酬が今日も日常的に繰り返されている。

●アメリカの関与で、中東情勢は一層深刻に

 私は、超大国アメリカの果たすべき役割は、イスラエルとアラブ諸国の対話を促し、中東に和平を実現することにあると思う。そういう試みもされてはきたが、むしろ両者の対立を強める結果を生む動きのほうが多い。ケネディ大統領は、イスラエルが核開発をすることを認めなかった。しかし、彼が暗殺された後、アメリカはイスラエルの核保有を黙認するようになった。1960年代から、イスラエルはアメリカの政界・議会へのロビー活動を活発に行い、アメリカ指導層をイスラエル支持に固めていった。
 カーター大統領の時期には、アメリカはイスラエルとエジプトの和平に努力した。しかし、再び対立的な方向に戻り、今やアメリカの指導層は、イスラエル政府の外交政策を支持する親イスラエル派やシオニストが主流を占めている。アメリカのキリスト教保守派の多くは、イスラエルを守るべき国とし、キリスト教とユダヤ教の結びつきは強化されていく。そのこともユダヤ=キリスト教系諸文明とイスラーム文明の対立を激化させる要因となる。
 イギリスの三枚舌外交が生んだ中東の対立構造は、アメリカの関与によって一層深刻になり、そこに石油資源の獲得競争が加わって、中東は世界で最も危険な地域になっている。

●インドとパキスタン・バングラデシュの文明間的関係

 第2次世界大戦後、イスラーム文明と他の文明の間で緊張が高まったのは、中東だけではない。西アジアでもインドを中心に緊張が高まった。
 インド文明にイスラーム教が浸透したのは、13世紀以降である。16世紀に始まるムガル帝国時代にイスラーム教への改宗が進んだ。19世紀からはイギリスの植民地となっていたが、第2次大戦後の1947年(昭和22年)8月、イギリスからインドとパキスタンが分離独立した。ヒンズー教徒の多いインドに対し、イスラーム教徒が多数派を占める地域がパキスタンとなったものである。1971年には、同じくイスラーム教徒が多い地域がバングラデシュとして独立した。
 パキスタンは世界第2位となる約1億9千万人のイスラーム人口を有する。バングラデシュにも約1億4千万人のイスラーム教徒がいる。インドのヒンズー教の社会にも、約1億6千万人のイスラーム教徒がおり、世界第3位のイスラーム人口となっている。約12億2千万のインド人口の約13%を占める。実にこれら3国で5億人近くのイスラーム教徒がいる。この地域は、世界のイスラーム人口の3分の1弱の信徒を有するのである。
 インドとパキスタンは、分離独立後、1947年10月にカシミールの帰属をめぐり、第1次印パ戦争を行った。以後、65年9月に第2次、71年12月に第3次印パ戦争が起こった。インドのジャンム・カシミール州では、州人口の90%以上を占めるイスラーム教徒が、1990年(平成2年)以来、分離独立運動を起こし、反印闘争を展開している。
 多神教のヒンズー教と一神教で偶像崇拝を否定するイスラーム教という宗教対立が根底にあるインドとパキスタンの対立は根深い。1998年(平成10年)5月には両国が相次いで核実験を実施した。対立する双方が核兵器を持っているという点では、中東のイスラエルとイスラーム教諸国の関係よりも、インドとパキスタンの対立は深刻になっている。

 次回に続く。

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