●総供給方程式は無理な決め付け
丹羽氏のルーカス批判の第二は、総供給方程式に対してである。ルーカスは、自ら創案した「ルーカス型総供給方程式」に基づいて「ケインズ的な財政・金融政策による有効需要政策は無効だ」とする「定理」を導き出したとされる。
丹羽氏によると、ルーカス型総供給方程式の理論においては「市場経済では、『自然失業率』に対応した水準のところで、経済は成長しえなくなり、上にも下にも行けない、にっちもさっちもいかない状態になってしまって、総需要が増えただけ、物価が上がるにすぎないという『定理』になっている」。(「政府紙幣 発行問題の大論争を総括する 」)
自然失業率とは、経済の中で自然に発生する失業率のことで、長期的に失業率が落ち着くとされる失業率のことである。労働市場の需給均衡下における摩擦的失業率を意味する。丹羽氏によると、「ルーカスの理論では、有効需要が増やされても生産や雇用が増えて経済が実質タームで成長するようなことは無いとして、その意味で、ケインズ的な有効需要の原理は妥当しないのだと決め付けられており、したがって、財政政策によるものであろうと、金融政策によるものであろうと、有効需要拡大政策などは無効だと強調されるにいたった」。(「サッチャー、レーガン伝説とフリードマンのマネタリズム」)
ルーカスはこの決め付けをもって、理論的「証明」だとしており、この「証明」は、「ケインズ革命そのものの全面的な否認という、人類史的にまさに衝撃的な意味合いを内含していた」と丹羽氏は言う。(「ケインズ主義の復活なくして日本の復活なし-いまこそ新古典派経済学のニヒリズムを打ち砕け-」)
ルーカスの理論は、有効需要の変動に諸商品の生産・供給は適応しえないのだと決め付けているという意味で、供給面からの「有効需要の原理」の否定論だった。フリードマンが、恒常所得仮説によって需要面から「有効需要の原理」の否定論を説いたのと相俟って、両面からケインズの「有効需要の原理」を否定しようとしたものである。
●消費者主権の原理を否認
丹羽氏によると、ルーカスの理論に立脚すれば、おかしな話になる。「政府によるケインズ的財政・金融政策などとは関係なしに、純粋に民間の経済活力の高まりで民間投資が盛り上がって総需要が増えたような場合であっても、同様な論理で、マクロ的には経済が成長することはないというシニカルな結論になってしまう」。もしも、本当にそのようなことであれば、「そもそも、市場経済システムのもとでは経済の成長や発展などが全く望めないという、奇妙な結論に」なってしまう。ルーカスの理論は、需要に対して生産・供給が適応しないものと決め付けてしまうものである。このように決め付けるならば、「資本主義的な市場経済システムの特徴とされてきた『消費者主権の原理』」をも、「根源的に否認」することになってしまう。
消費者主権の原理とは、どのような商品がどれだけ生産・供給されるかは、究極的な最終需要支出にほかならないところの民間ならびに政府の消費支出によって決まることをいう。ところが、丹羽氏によると、ルーカスの理論は、この「市場経済システム最大のメリット」を否定するものである。丹羽氏は、「ルーカスたち新古典派のエコノミスト・グループは、従来からマルクス主義陣営からなされてきた『消費者主権の原理』を否定・否認しようとする資本主義批判論に、いっそうラジカルな形で荷担しているものにほかならない」と言う。(「サッチャー、レーガン伝説とフリードマンのマネタリズム」)
新自由主義の経済理論が資本主義批判論に荷担するとはあり得ない話だが、ルーカスの理論は、無理な「定理」を立てたことで、結果として資本主義批判論に荷担する始末になっており、全く破綻しているわけである。
「消費者主権の原理」については、新古典派全般に関する項目で、より具体的に述べる。
次回に続く。
丹羽氏のルーカス批判の第二は、総供給方程式に対してである。ルーカスは、自ら創案した「ルーカス型総供給方程式」に基づいて「ケインズ的な財政・金融政策による有効需要政策は無効だ」とする「定理」を導き出したとされる。
丹羽氏によると、ルーカス型総供給方程式の理論においては「市場経済では、『自然失業率』に対応した水準のところで、経済は成長しえなくなり、上にも下にも行けない、にっちもさっちもいかない状態になってしまって、総需要が増えただけ、物価が上がるにすぎないという『定理』になっている」。(「政府紙幣 発行問題の大論争を総括する 」)
自然失業率とは、経済の中で自然に発生する失業率のことで、長期的に失業率が落ち着くとされる失業率のことである。労働市場の需給均衡下における摩擦的失業率を意味する。丹羽氏によると、「ルーカスの理論では、有効需要が増やされても生産や雇用が増えて経済が実質タームで成長するようなことは無いとして、その意味で、ケインズ的な有効需要の原理は妥当しないのだと決め付けられており、したがって、財政政策によるものであろうと、金融政策によるものであろうと、有効需要拡大政策などは無効だと強調されるにいたった」。(「サッチャー、レーガン伝説とフリードマンのマネタリズム」)
ルーカスはこの決め付けをもって、理論的「証明」だとしており、この「証明」は、「ケインズ革命そのものの全面的な否認という、人類史的にまさに衝撃的な意味合いを内含していた」と丹羽氏は言う。(「ケインズ主義の復活なくして日本の復活なし-いまこそ新古典派経済学のニヒリズムを打ち砕け-」)
ルーカスの理論は、有効需要の変動に諸商品の生産・供給は適応しえないのだと決め付けているという意味で、供給面からの「有効需要の原理」の否定論だった。フリードマンが、恒常所得仮説によって需要面から「有効需要の原理」の否定論を説いたのと相俟って、両面からケインズの「有効需要の原理」を否定しようとしたものである。
●消費者主権の原理を否認
丹羽氏によると、ルーカスの理論に立脚すれば、おかしな話になる。「政府によるケインズ的財政・金融政策などとは関係なしに、純粋に民間の経済活力の高まりで民間投資が盛り上がって総需要が増えたような場合であっても、同様な論理で、マクロ的には経済が成長することはないというシニカルな結論になってしまう」。もしも、本当にそのようなことであれば、「そもそも、市場経済システムのもとでは経済の成長や発展などが全く望めないという、奇妙な結論に」なってしまう。ルーカスの理論は、需要に対して生産・供給が適応しないものと決め付けてしまうものである。このように決め付けるならば、「資本主義的な市場経済システムの特徴とされてきた『消費者主権の原理』」をも、「根源的に否認」することになってしまう。
消費者主権の原理とは、どのような商品がどれだけ生産・供給されるかは、究極的な最終需要支出にほかならないところの民間ならびに政府の消費支出によって決まることをいう。ところが、丹羽氏によると、ルーカスの理論は、この「市場経済システム最大のメリット」を否定するものである。丹羽氏は、「ルーカスたち新古典派のエコノミスト・グループは、従来からマルクス主義陣営からなされてきた『消費者主権の原理』を否定・否認しようとする資本主義批判論に、いっそうラジカルな形で荷担しているものにほかならない」と言う。(「サッチャー、レーガン伝説とフリードマンのマネタリズム」)
新自由主義の経済理論が資本主義批判論に荷担するとはあり得ない話だが、ルーカスの理論は、無理な「定理」を立てたことで、結果として資本主義批判論に荷担する始末になっており、全く破綻しているわけである。
「消費者主権の原理」については、新古典派全般に関する項目で、より具体的に述べる。
次回に続く。
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