ほそかわ・かずひこの BLOG

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宗教13~マズローの欲求段階説

2018-04-01 09:35:13 | 心と宗教
●マズローの欲求段階説

 宗教は何らかの体験に基づいているとともに、また何らかの実践を伴うものである。宗教的実践には、実践の目的とその結果がある。目的と結果には、それぞれ受動的な側面と能動的な側面がある。受動的側面とは、他者から与えられることを目的とし、またその結果、得られるものである。能動的側面とは、自ら体得することを目的とし、またその結果、得られるものである。受動的側面の目的と効果は、先に書いた宗教的な救済の内容と一致する。すなわち、精神的・身体的・家族的・社会的等の救済である。一方、能動的側面の目的と効果は、伝統的に解脱、悟り、神人合一等といわれてきたものだが、本稿では非宗教的な実践を含む広い概念として、自己実現を用いる。
 自己実現について考えるには、人間の総合的理解を深める必要がある。そのためには、心理学者アブラハム・マズローの理論を参考にすべきと私は考える。
マズローは、人間の欲求は、次の5つに大別されるという説を唱えた。

(1)生理的欲求: 動物的本能による欲求(食欲、性欲など)
(2)安全の欲求: 身の安全を求める欲求
(3)所属と愛の欲求: 社会や集団に帰属し、愛で結ばれた他人との一体感を求める欲求
(4)承認の欲求: 他人から評価され、尊敬されたいという欲求(出世欲、名誉欲など)
(5)自己実現の欲求: 個人の才能、能力、潜在性などを充分に開発、利用したいという欲求。さらに、人間がなれる可能性のある最高の存在になりたいという願望

 マズローは、このような人間の欲求が階層的な発展性を持っていることを明らかにした。生理的な欲求や安全性の欲求が満たされると、愛されたいという欲求や自己を評価されたいという欲求を抱くようになり、それも満たされると自己実現の欲求が芽生えてくるというのである。
 自己実現こそ人生の最高の目的であり、最高の価値であるとマズローは説く。そして、人間が最も人間的である所以とは、自己実現を求める願望にあると説く。自己実現の欲求は、まず個人の才能、能力、潜在性などを充分に開発、利用したいという欲求である。「ある個人にとってこの欲求は、理想的な母親たらんとする願望の形を取り、またある者には運動競技の面で表現されるかもしれない。さらに別の者には、絵を描くことや発明によって表されるかもしれない」とマズローは言う。さらに、この欲求がより高次になると、自己の本質を知ることや、宇宙の真理を理解したいという欲求となり、人間がなれる可能性のある最高の存在になりたいという願望となって、より高い目標に向かっていく。
 マズローによると、自己実現をした人とは「人生を楽しみ、堪能することを知っている人間」であり「苦痛や悩みにめげず、辛い体験から多くのものを悟ることができる人間」である。そうした人は「感情的になることが少なく、より客観的で、期待、不安、自我防衛などによって、自分の観察をゆがめることが少ない。また創造性や自発性に富み、自ら選択した課題にしっかり取り組む姿勢を持っている」。また「開かれた心を持ち、とらわれの少ない積極的存在だ」とマズローは言う。
 マズローの研究によると、自己実現の欲求は、他の欲求が満足させられたからといって必ずしも発展するとは限らない。食欲・性欲や名誉欲など、下位の欲求の段階でとまっている人が多いからである。
 マズロー以前の心理学は、研究の焦点を下位の欲求に合わせ、より高次の欲求にはあまり注目していなかった。例えば、マルクスの人間観は、19世紀の唯物論的心理学に基づき、「生理的欲求」と「安全の欲求」を中心としている。そのため、人間の幸福の実現には食物と安全が重要だとし、より高次の欲求には否定的だった。フロイトは無意識の研究を行い、それまでの人間観に画期的な変化をもたらした。彼は性の問題を通じて、より上位の欲求である「所属と愛の欲求」の研究をしたといえる。しかし、性の観点からすべてを理解しようとしたために、人間理解を狭くしてしまった。マルクスとフロイトの唯物論的人間観は、下位の欲求に焦点を合わせ、上位の欲求を軽視したものである。
 マズローの理論は、単なる欲求とその充足の理論ではなく、人格の成長・発展に関する理論と理解することができる。人間は人格的存在であり、人格を形成し、人格的に成長・発展することを欲求として潜在的に持つ。人格は、親の愛情、言語・習慣・道徳等の教育を通じて形成される。人格の基礎が出来れば、さらに成長・発展したいという欲求が働く可能性が生まれる。
自己実現の欲求は、人間に内在する人格的な欲求であり、道徳的な能力の発現である。人間には自己実現を達成する能力が潜在しており、その能力が発揮されることによって、人格の高度な成長・発展が可能となる。自己実現の欲求が働くとき、人は自己実現を目指して、自らの人格を成長・発展させようとする。この欲求は、基本的には下位の欲求が充足された後に追及されるが、人によっては、下位の欲求の充足如何に関わらず、自己実現の欲求の実現を求める。例えば、宗教的修行者、賢者等にそれが見られる。
 自己実現には、具体的な人格的目標が必要である。父母、祖父母、教育者、集団の指導者等が目標となり得る身近な存在である。また、しばしば釈迦、孔子、プラトン、イエス、ムハンマド等の精神的な指導者が目標とされる。それらの指導者への感動、敬服、憧憬等の感情を通じて人格的感化を受ける。人格的感化は、近代西欧的な理性の働きだけでなく、感性の働きによるものであり、相互間の共感の能力によるところが大きいと考えられる。
 マズローの事例研究によると、自己実現を成し遂げた人は、しばしば、さらに自己超越を求めるようになる。自己超越の欲求とは、自己を超え、もっと包括的なものを求める欲求である。そして、他の多くの人々のために尽くしたり、より大きなものと一体になりたいと願ったりする。自己超越とは、自己が個人という枠を超えて、超個人的(トランスパーソナル)な存在に成長しようという欲求である。それは、悟り、宇宙との一体感、宇宙的な真理や永遠なるもの、社会の進化や人類の幸福などの、より高い目標である。古今東西の宗教や道徳でめざすべき精神の状態とされてきたものである。
 マズローは、自己実現の心理学から、自己超越の方向に進み、個を超える、より高次の心理学を提唱した。これがトランスパーソナル心理学である。マズローは、「トランスパーソナル」とは「個体性を超え、個人としての発達を超えて、個人よりもっと包括的な何かを目指すことを指す」と規定している。
 人間には、こうした自己実現を経て自己超越に向かう人格的な欲求が生得的に内在している。その欲求は、アニミズム・シャーマニズム等の宗教の原初的な形態にもさまざまな形で表れている。人類史に現れた諸文明は、原初宗教から発達した高度宗教をその中核に持ち、その多くの宗教は死後も人間は霊的な存在として存続することを説いている。
マズロー以後、トランスパーソナル心理学は、心理学という枠組みを超え、さまざまな学問を統合するものとなり、包括的な視点に立って人間のあり方を模索する学際的な運動となっている。これをトランスパーソナル学と呼ぶ。トランスパーソナル学では、人間は霊性を持つ存在であることを認めている。霊性は心霊性と同義である。人間に生死を超えた心霊性を認めてこそ、人間観は身体的な局所性を超えて、真に時空に開かれたものになる。死をもって消滅するものは、真の人格とは言えない。
 21世紀に確立されるべき新しい人間観は、19世紀以来の唯物論的人間観を脱却し、こうした霊的な存続可能性を持つ人格を中心にすえた心霊論的人間観でなければならない。(註 2)

 次回に続く。

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