ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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人権392~例外的状況の人間への対応

2016-12-23 08:46:13 | 人権
●例外的状況の人間への対応

 私は、最低限保障を目指すべき「人間的な権利」について、各国で国民に保障するとともに、諸国家間でその保障を支援し合うべきものであると考える。また、例外的な状況にある人間に対して、諸国家が一定の条件のもとに恩恵として付与すべきものと考える。
 例外的状況とは、奴隷状態にある者、難民、無国籍者、国内避難民、国内被迫害者、人身売買・誘拐等の被害者等に係る状況である。
 第1の例は、奴隷状態にある者である。古代ギリシャやローマの奴隷制社会には奴隷がいた。その多くは征服・支配された異民族と考えられる。また、15世紀末以降、西欧諸国が非西欧社会に進出して、白色人種が有色人種を奴隷とした。これは征服・支配による。奴隷には、支配集団の成員と同じ権利はない。それは、奴隷にされる前の集団における権利を剥奪された状態である。アメリカでは、南北戦争後、憲法修正第13条で奴隷解放の布告が明文化され、奴隷制度が廃止された。それによって、奴隷に普遍的・生得的な人権を認めた。だが、正しくは、もともとの集団的な権利の回復を図るという論理で行うべきものだった。奴隷にされる前の状態に戻せば、元の集団における権利を回復し得る。普遍的・生得的な権利を「人間の権利」として認めるのではなく、集団の権利、及びその成員の権利を回復することが、奴隷解放である。
 今日の世界では、イスラーム教スンナ派過激組織ISIL(自称「イスラーム国」)が、奴隷制の復活を唱え、異教徒を奴隷としている。許しがたい蛮行である。それを宗教の教義の恣意的な解釈によって正当化することは、その宗教内において厳しく糾弾・是正すべきことである。また、奴隷とされている異教徒の所属国及び国際社会は、その救出・解法に努めねばならない。
 第2の例は、難民である。難民条約(1951年)は、難民について、第1条A(2)に「1951年1月1日前に生じた事件の結果として、かつ、人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの」と規定している。
 要約すると、難民の要件は、迫害、国籍国の外にあること、及び国籍国の保護の喪失の3つである。国籍国とは、自分が国籍を持つ国をいう。迫害の理由は、人種、宗教、国籍、特定の社会集団または政治的意見の5つとされる。こうした要件を満たす者を、狭義の難民という。条約難民とも呼ばれる。
 国内にとどまっている者は、難民条約がいう難民ではない。戦争や内乱、自然災害によって国を追われる者も、難民条約がいう難民ではない。また、たとえ、難民条約に照らして、難民と認定されても、国家は当該難民を受け入れる義務を負うわけではない。受け入れるかどうかは、各国が領域国として独自に主権的判断に基づいて決定し得る事項とされている。
 これに対し、外国からの軍隊の侵攻や内戦、食糧危機などにより生じた国内避難民、人道上の難民等を、広義の難民という。国内避難民とは、武力紛争や内乱、自然災害、大規模な人権侵害等によって、移動を強いられているものの、国境を越えていないために難民と分類されない者をいう。国籍国の保護を期待できないという点では、国外に出た難民と同じ境遇にある。私は、迫害・戦争・内乱・政府崩壊・災害等によって、国籍を剥奪されたり、喪失したりした無国籍者を難民に加えるべきと考える。
 人道上の難民は、何を以て「人道」また「人道的」というかによって、基準が大きく異なる。「人道主義」は、英語であれば humanitarianism の訳であり、近代西洋思想に現れる humanism (人間主義、人間中心主義)とは区別される。「人道的」は humanitarian の訳であり、humanitarian aid は「人道援助」と訳す。humanitarian は「人道主義的」と訳され、「人間として為すべき」「人間としてあるべき」という道徳的な意味を含む。これらの概念の中核には、human という形容詞がある。ロングマンの英語辞典は、human について「belonging to or relating to people, especially as opposed to animals or machines」と説明する。すなわち「動物や機械ではなく、人間に所属すること、または人間に関すること」である。だが、human には、価値の概念が含まれている。何を以て、human というかについては、何を以て「人間的な」「人間らしい」とするかという価値的な基準と関係する。それゆえ、先に書いた「人間とは何か」「人間らしい生活とはどういう生活か」という問いにどう答えるか、と human 及び humanitarian の意味は、深く関係している。
 難民条約の規定によると、人種、宗教、国籍、特定の社会集団または政治的意見により、国内で迫害を受けている者は、難民ではない。多くの場合、国内において大規模な迫害が行われている結果、国外に逃亡する者が出るのだが、国内にいる限り、難民とはみなされない。例えば、中国において弾圧を受けているチベット族・ウイグル族、北朝鮮で政治的犯罪によって収容施設に収容されている者は、難民ではない。私は、国内被迫害者と呼ぶ。これは、例外的状況の第3の例となる。
 第4の例は、人身売買されて他者の所有物として拘束されている国籍不明の人間、外国に誘拐された身元不明の子供等を挙げることができる。彼らは、国籍国や所属する集団から切り離されている点で、難民とはまた異なる状況にある。その多くは、無国籍者である。
 難民の集団は、もともと集団としての権利を持っていた。難民の権利を擁護することは、「人間が生まれながらに平等に持つ権利」の擁護ではなく、集団の権利及び集団の成員の権利の擁護である。
 所属していた集団が解体または消滅しているか、もしくは集団から全く孤立している状態にある個人にも、人間として生きる能力はある。動物でも機械でもなく、人間として持つ欲求を実現する潜在能力を持ってはいる。だが、能力の行使を承認し、それを擁護する他者や集団との関わりを欠いた状態では、生きる能力を権利として発揮し得ない。能力は、能力の行使を承認する人間がいて、初めて権利となる。人間として生きる能力の承認を受けたとき、その個人は生きる能力を権利として持つ。誰かが例外的な個人に権利を認めると主張したとき、その人が承認した権利を相手は持つ。ただし、この権利付与が私人間にとどまれば、安定的な権利とならない。これを公的に承認して保障し得るものは、特定の国家の政府である。その政府がその個人を難民とか亡命希望者として受け入れた場合、一時的に一定程度の権利を保障する。この場合、多くは元の集団で権利を回復できるように支援する。それが不可能な場合で、またその国家の定める一定の条件を満たす場合は、その国家の政府の判断で、継続的な保護または国籍を与えることができる。その個人に国籍を付与するならば、それと同時に国民の権利を与えることになる。その権利は、普遍的・生得的な人権ではなく、その国の国民の権利、国民の特権を与えたものである。「人間の権利」を保障するのではなく、「国民の権利」を与えるのである。逆に、その国家の判断として「国民の権利」を与えないという自由もある。それは、その国家を形成する人々が集団として持つ権利であり、他の集団及び個人によって、尊重されなければならない。

 次回に続く。

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