ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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人権346~グローバル・ミニマムとしての基本的人権

2016-09-01 09:21:20 | 人権
グローバル・ミニマムとしての基本的人権の正当化を図る

 ミラーは、ネイションとしての責任の概念をもとに国際的な正義、彼の言うところのグローバルな正義を考察する。人権は正義の核心をなすものだとして、グローバル・ミニマムを定めることを提案する。
 ミラーは、ネイションとして負う責任がどの程度あるのかを決めるためには、「グローバル・ミニマムという観念を用いる必要がある」と説く。「それは、どのような場所やいかなる状況にある人であっても保障されなければならない一連の基本的人権である。これらの人権は基本的なものであり、いわば人間らしい生活が成り立つための条件に対応するものである」と述べている。ここから本稿の主題である人権に関するミラーの意見を見ていこう。
 ミラーは、基本的人権とは人権と呼ばれる諸権利の「中核をなすもの」だとする。基本的人権は「非常に強く抗しがたい道徳的要求」である点で他の諸権利と区別される、という。自分が基本的人権の理論を目指す目的は、「どこに暮らす人であろうと正義の問題としてその付与を認められるべきグローバル・ミニマムを特定でき、それゆえ特に、豊かなネイションに義務を課すことができるであろう権利の一覧を明らかにすることである」とする。
 ミラーは、最低限の人権である基本的人権と、人権に含まれることのある「シティズンシップの諸権利」とを区別し、前者に限ってグローバルに擁護すべきという考えである。ミラーのいう「シティズンシップの諸権利」は市民権・公民権より広く、私のいう「国民の権利」に近い。基本的人権はすべての人に保障すべきものであり、シティズンシップの諸権利はそれぞれの国民国家で政府・国民が保障すべきものと理解される。
 グローバル・ミニマムとしての基本的人権は、どのような方法で正当化することができるか。ミラーは、これまで人権一般の正当化に用いられてきた戦略を三つに分類して比較・検討する。
 第一の戦略は、「実践に基づく戦略」である。ミラーによると、この戦略は、人権の深遠な哲学的基礎を探求する必要はないと主張する。そのかわり、人権の実践、すなわちさまざまな公的な宣言や協定及び国際法、あるいは諸政府の外交政策、人権諸機関の日常活動において実施されてきたことに直接に目を向けるべきであり、そうした実践から人権理論を抽出すべきだとする。だが、この戦略は、人権について「概ねリベラルな問題関心の表明に過ぎないと見なす非西洋の批判者に対して、真に解答となり得るものではない」とミラーはいう。何が人権と見なされるべきであり、何がそうでないかという「根本問題」をあらかじめ回避しているために、どの人権が確定的なものであるかに関する「高度の実際的合意」が欠けている。それでは、基本的人権の正当化という要求に応えることができないとして、ミラーは実践に基づく戦略を斥ける。
 第二の戦略は、「重なり合う合意の探求」である。ロールズの「重なり合う合意」の手法を人権に応用したものだろう。ミラーによると、この戦略は、主な世界宗教、あるいは重要な非宗教的世界観に順次目を向けることを通じて、またこれらがそれぞれ人権の共通の一覧を支持することを示すことを通じて、人権の多様な基礎を発見できるとする。また、人権は哲学的基礎を持つだろうが、その基礎は多様な基本的価値に依拠することになり、支持する人々によって異なるものとなるだろうと想定する。ミラーはこの戦略について、「近年、イスラーム教やユダヤ教、儒教、仏教などで人権はいかに根拠づけられるのかを示すことに多くの努力がされてきた」と言う。センが仏教や儒教について言及していることを想起させる。だが、ミラーは「これらの解釈の努力は、本当にイスラーム教や儒教全体から出発しているわけではなく、こうした文化の最善の読み方が人権の承認や尊重を包含するか否かを問うているわけでもないのであって、人権は何らかの既存の一覧から出発し、その人権の一覧かあるいはその一部を根拠づけるために利用し得る当該文化内の要素を求めているのである」と言う。そして、次のように述べて、この戦略も斥ける。「人権の文化横断支持を示そうとして工夫された解釈実践の政治的重要性は私も認める。けれども正当化そのものを求めるのであれば、とりわけデモクラシーや法の下の平等に対する人権があるかどうかといった論争的な問題の解決につながるかもしれない正当化を求めるのであれば、重なり合う合意戦略は役に立たないであろう」と。
 第三の戦略は、「人道主義的戦略」である。この戦略は「人間の基本的なニーズを見出そうとするもの」である。ミラーによると、この戦略は、「宗教的もしくは世俗的世界観がどうであれ、どこに暮らす人々にとっても道徳的に説得力があると認識されるに違いない」と考えるものである。ミラーは、「人権は、人間の基本的ニーズの充足に必要な条件を整えることを示すことによって正当化される」とし、この戦略を擁護する。ミラーは、人道主義的戦略について、「人権の基礎として役立ち得る人類の普遍的特徴に依拠し、人権を確定し、正当化するもの」と言う。そして、「人権は一種の根源的道徳であるーーすなわち他の道徳的要求は弱い義務を課すか、あるいはいかなる義務も課さないかであるが、人権の保障は道徳的命令であるーーと想定されるので、人権は人間的な生命・生活の本質的特徴を参照することによって正当化されるべきである」と述べる。基本的ニーズはこの種の道徳的切迫性を有しているとし、「人権とは全人類に共通の基本的ニーズという観念を通じて最もよく理解され正当化される」とミラーは主張している。
 ここでミラーは、人権は「根源的道徳」であり、その保障は「道徳的命令」と想定されると言っている。この発言は、これまで触れてきた彼の人道主義的義務と関係するものである。この発言は人権の根拠に人類普遍的な道徳を想定するものであり、またその道徳的命令はカントの定言命法のような性格を持つものと理解される。ミラーは、ここで明示的に論じてはいないが、彼のいう人道主義的義務は、カント主義的な普遍的義務と考えられる。「全人類に共通の基本的ニーズ」を実現することが、その普遍的義務の実行であり、それは「根源的道徳」に基づく「命令」であるという理解が成り立つ。私は、世界人権宣言にはロック=カント的人間観の影響があると見ているが、人類は宣言を通じて、近代西欧発の普遍主義的かつ個人主義的な道徳哲学に広く合意しているわけではない。それゆえ、ミラーの主張は厳密にいうと、ミラー個人の信条を述べたものと言わざるを得ない。
 人道主義的義務は、道徳に関するゆるやかな国際常識と先に書いたが、それを常識と感じる人と感じない人がおり、常識と認める人たちと認めない人たちがいる。人道主義的戦略を擁護するには、人道主義とは何かが問われねばならない。その問いはまた人間とは何かという問いにつながる。ミラーは「人類の普遍的特徴」「人間的な生命・生活の本質的特徴」の理解が人権を確定し正当化するというが、その特徴を具体的に考察することが、人間とは何かという問いの答えの追求となり、また人道主義とは何かという問いの答えの追求となる。だが、ミラーは、その特徴を具体的に考察することなく、またこれらの問いに直接答えることなく、「全人類に共通の基本的ニーズ」を挙げる。その点が、ミラーの理論の大きな弱点である。

 次回に続く。

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