ほそかわ・かずひこの BLOG

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人権185~トマス・ペインの『コモン・センス』

2015-08-08 08:48:21 | 人権
●アメリカ独立革命を成功に導いたトマス・ペイン

 啓蒙主義は、イギリスの植民地アメリカでも展開された。特にロックの思想が強い影響を与えた。ロックの思想は、アメリカにおいて、専制君主の圧制への抵抗の根拠となっただけでなく、イギリス王政からの独立と共和政の実現をめざす運動へと急進化された。急進化は、キリスト教の聖書に基づいて自由と平等を求めるもので、ピューリタン革命期の水平派の思想に通じるものがある。啓蒙主義は、アメリカにおいては、キリスト教への批判に向かうのではなく、キリスト教の信仰と結合した。フランスでは、カトリック批判から理性崇拝・唯物論・無神論が登場したのとは、対照的である。
 アメリカ独立革命の過程において、決定的な影響を与えた書物がある。トマス・ペインの『コモン・センス』(1776年)である。独立宣言には、ロックの思想とともに『コモン・センス』が反映している。『コモン・センス』の思想は、ペインという人物の行動と深くかかわっているので、ペインの生涯を概観する中で、その内容を述べたいと思う。
 ペインは、1737年生まれのイギリス人だが、74年ロンドンに来ていたフランクリンに勧められてアメリカに渡った。雑誌の編集を仕事にしていたが、75年4月レキシントンの戦いで植民地人がイギリス軍と衝突し、独立戦争が始まった。
 ジョージ・ワシントンが総司令官に選ばれ、本国との戦いが繰り広げられた。だが、なお植民地人の間には国王への忠誠心や英国人意識が強かった。イギリス本国政府は議会主権の発想に基づいて、議会の意思によって「古き良き権利」を否定できるという新たな統治理念を植民地に押し付けてきた。これに対し、植民地人は、最初は、イギリス臣民としての伝統的な権利・自由と財産の不可侵を主張する旧来の理念をもって抵抗した。
 世論が一挙に独立に傾いたのは、76年1月、トマス・ペインが刊行した『コモン・センス』による。この小さなパンフレットは、わずか3ヶ月で12万部を売り上げたと推測され、世論を臣民としての抵抗から本国からの独立へと決定的に転換させた。苦戦を強いられていた独立派に勇気と展望を与え、勝利に導く大きな力となった。 ワシントンやジェファーソンらの大陸会議の指導者にも読まれた。7月に出された独立宣言にもその思想が取り入れられた。起草にも参加した。
 ニューヨーク付近の戦いでワシントンの率いる独立軍が大敗して危機に直面すると、ペインは『アメリカの危機』(1776年)を発行し、「今こそ、人の魂が試されるときだ」と訴えて独立軍を鼓舞し、勝利に貢献した。それによって、ペインは独立戦争の英雄の一人に数えられた。

●『コモン・センス』の思想

 『コモン・センス』は、キリスト教の聖書に基づいて、人間の自由・平等を説き、植民地人の権利を守らないイギリスの支配から脱し、アメリカが独立するという考えは「Common sense」(常識)であると説いた。
 ペインは、植民地人がジョージ3世の臣民であろうとする限り、自由は勝ち取れない、専制君主の奴隷となるか独立するかのどちらかしかなく、独立によってのみ自由になれる、と主張した。
 ペインは、イギリスの立憲君主政を「古代における二つの暴政の汚い遺物と新しい共和政的要素とが混合」したものだと批判した。二つの遺物とは、「国王という君主専制政治の遺物」と「上院という貴族専制政治の遺物」だという。これらに対し、下院つまり庶民院が共和的な要素であるが、国王が下院を支配している。世襲制は神が人間に等しく与えた権利にそむいている。イギリスの国王は、ノルマン・コンクェストでイギリスを征服したウィリアムの子孫に過ぎないと論じた。イギリスでは、広く国民に受け入れられる思想ではないが、植民地アメリカでは、世論を動かした。
 ペインは、イギリスがアメリカを支配することは、不自然で不合理であると説いた。「自衛力のない小さな島なら、政府が面倒を見るのにふさわしい。しかし大陸が永久に島におって統治されるというのは、いささかばかげている。自然は決して、衛星を惑星よりも大きくつくらなかった。イギリスとアメリカとの相互関係は一般的な自然の秩序に反しているので、明らかに両者は異なった組織に属すべきである。すなわちイギリスはヨーロッパに、そしてアメリカはアメリカ自身に属すべきだ」とペインは書いている。本国からの離脱が経済に悪影響を与えるとの懸念に対しては、独立によって自由貿易を採用すれば、より合衆国経済は繁栄すると説いた。
 ペインは、ロックの著書を読んでいないとされている。しかし、『コモン・センス』は、ロックの政治理論の要点を理解し、社会契約論に立っている。そのうえで、共和主義の立場から、イギリスの政体と植民地支配を批判するものとなっている。ただし、その主張の根拠は聖書であり、キリスト教原理主義とでもいうべき思想がつづられている。ペインは、ピューリタン革命で活躍したにミルトンの影響を受けたと見られる。また、ミルトンを通じて間接的に水平派の影響を受けたと考えられる。水平派は、人間はすべて神の前では平等であり、階級や貧富の差が存在することは聖書に反すると主張した。ノルマン人の征服を非難して、アングロ・サクソン時代の自由を回復すべきであると訴えた。ペインもまた聖書に基づいて、自由・平等を主張するとともに、ウィリアム征服王による統治権の強奪を非難した。ただし、ペインが水平派と異なるのは、富の平等を要求しなかったことである。

 次回に続く。

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