ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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ユダヤ150~神道に潜む人類への貢献可能性

2018-01-11 08:54:04 | ユダヤ的価値観
●神道に潜む人類への貢献可能性

 日本文明は、その宗教的中核として神道を持つ。このことが、日本文明に重要な特徴を与えている。
 私は先にセム系一神教は脱皮すべき時にあると書いた。その一神教の世界観の問い直しは、単に多神教の世界観への転換で済むことではない。伝統的な一神教と多神教という対立の片方の項目から、他方に移るだけで、問題が解決するのではない。
 多神教という概念は、一神教を基準にした概念であり、ユダヤ=キリスト教を優位に置き、多数の神格を持つ宗教を劣位に置く発想が根底にある。だが、多神教の中には、神々や霊的存在が単に多元的・並列的ではなく、本質において「一」であるものが、現象において「多」であるという「一即多、多即一」の構造を示すものがある。私は、神道は、これだと考える。宗教学では、こうした哲学的な考察がされずに、現象的な「一」の側面を見て一神教、「多」の側面を見て多神教と分けている。だが、宗教の研究を深めていくと、一神教と多神教は全く別のものではなく、根本に「一即多、多即一」という立体的な構造があって、そこから様々な宗教が差異化したと考えることが可能である。そして、私はこうした「一即多、多即一」の立体構造の中に、一神教と多神教を包摂し、融合・進化し得る可能性を見出す者である。
 もっともその融合・進化は、様々な宗教が排他的教義と闘争的な思想を固守する限り、なされ得ない。特にユダヤ教は、排他性と闘争性が強い。ユダヤ教が他の宗教や思想と共存調和できるものへと、その内部から改革されていかないと、ユダヤ教と他宗教、ユダヤ民族と他の民族、及びイスラエルと他の国々が協調・融和することが、できるようにはならないだろう。伝統的な神道が担い得るのは、そうしたユダヤ教の内部からの改革を促進することにとどまる。これは、他のセム系一神教に関しても同様である。
 ユダヤ教と神道の類似点と相違点については、第1章ユダヤ教の概要の項目に書いたが、類似点はいくつかあるが、相違点はそれよりはるかに重要である。
 一神教社会では、宗教紛争・宗教戦争が多く繰り返されてきた。これに対し、日本では、こうした宗教紛争・宗教戦争がない。日本には、古代にシナ文明から儒教・道教・仏教が伝来した。それら外来の宗教のうち儒教・道教は日本固有の神道の中に取り込まれた。また神道と仏教は共存し、混交して、日本独自の宗教を形成した。
 21世紀の世界で対立を強めている西洋文明、イスラーム文明、シナ文明、東方正教文明には、大陸の影響を受けて発生した宗教――キリスト教、イスラーム教、儒教、道教等――が影響を与えている。西洋文明、東方正教文明の周辺文明であるユダヤ文明も同様である。これに比べ、神道は、海洋の影響を受けて発生した宗教であり、セム系一神教にも、神道以外の多神教にも見られない独自の特徴を示している。大陸的な宗教が陰の性格を持つのに対し、海洋的な宗教である神道は陽の性格を持つ。明るく開放的で、また調和的・受容的である。これは、四方を世界最大の海・太平洋をはじめとする海洋に囲まれた日本の自然が人間の心理に影響を与えているものと思う。
 多神教であるうえに海洋的であることが、神道の共存調和性のもとになっている。そうした神道が、日本文明に海洋的な性格すなわち明るく開放的で、また調和的・受容的な性格を与えている。そして日本文明のユニークな性格が、文明間の摩擦を和らげ、文明の衝突を回避して、大いなる調和を促す働きをすることを私は期待する。
 文明の衝突を回避して、大いなる調和を促すには、現代世界で支配的な影響力を振るっている近代西洋文明の弊害を解決していかなければならない。その取り組みにおいて、本稿はユダヤ的価値観からの脱却を課題としている。私は、日本文明には、ほかの文明にない独自の特徴を発揮し、ユダヤ的価値観からの脱却を推進し得る潜在能力があると考える。

 次回に続く。

関連掲示
・拙稿「日本文明の宗教的中核としての神道」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion09l.htm

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