ほそかわ・かずひこの BLOG

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人権76~西欧における暴政・圧政

2013-12-29 08:35:39 | 人権
●西欧における暴政・圧政の宗教的な理由

 主権とは統治権であり、統治権とは統治する権利である。権利には協同的権利と闘争的権利があり、権力にも協同的権力と闘争的権力がある。家族的権力が発達した氏族的・部族的権力は本来、協調的だった。それゆえ、統治権にも協同性と闘争性がある。だが、近代西欧に発達した国家主権は、闘争的権利であり、闘争的権力である点に特徴がある。
 西欧では、16~18世紀の絶対王政期に、諸国の国王が主権を保有して無制約の権力を振るい、専制を行った。宗教宗派を弾圧したり、信教を押し付けたり、重税を課したりした。諸国の国王は、王権神授説を援用して王権を強化した。国王は神の代理人にして王権は神授のものとする説の根拠は、ユダヤ=キリスト教の教義である。国王の専制は、ユダヤ=キリスト教の神を模倣するものである。私はそこに地上における神の代理人を自認する諸国の国王が暴政・圧政を行うことになった宗教的な理由があると考える。
 ところで、西欧の近代化は、魔女狩りと有色人種の奴隷化の上に進展した。これらを正当化したのは、キリスト教である。魔女狩りは非キリスト教的なものを排除する社会現象だった。魔女狩りは、ルネッサンス期に嵐のように吹き荒れたが、その最盛期は、宗教改革時代と共に訪れ、1600年を中心とした1世紀がピークだった。魔女狩りはカトリック信者だけでなく、プロテスタントも行った。ドイツのプロテスタントも、アメリカのピューリタンも、魔女狩りに熱狂した。これは、プロテスタンティズムの倫理の暗黒面であり、ユダヤ=キリスト教自体の持つ暗黒面でもある。
 中世の西欧は、農奴制で奴隷は無かった。ところが非西欧を征服・支配した西欧白人種は有色人種を奴隷化・家畜化した。新大陸と呼ばれる北米、南米、そしてアフリカでは、非キリスト教徒である有色人種は、人間とみなされなかった。植民帝国の国王は、その大陸間帝国の頂点にあって、有色人種の奴隷を持つ専制君主だった。カトリック教会は、非キリスト教徒である有色人種を奴隷とすることを、教義的に正当化した。イエス=キリストの教えは、隣人愛を説く。使徒パウロは、神は愛であると説いた。しかし、キリスト教徒の愛は、異教徒には及ばされなかった。
むしろ、ユダヤ教の神の専制性と選民思想が、キリスト教の教義を突き破って、近代西欧に現れたというべきだろう。この構造は、主権の形式にも貫かれている。
 魔女狩りと有色人種の奴隷化を正当化するキリスト教のもとに、西欧の近代主権国家は出現した。主権国家の最初の形態が絶対王政国家である。絶対王政の君主は、しばしば暴政・圧政を行った。その理由の一つは、ユダヤ=キリスト教の神は、「戦う神」「裁く神」であり、「嫉む神」「復讐の神」であることにある。旧約聖書に書かれているヤーウェは、自らと契約する民をのみ守護する。その民に服従を求め、従わねば厳しく罰し、時に大量に滅ぼしさえする。王権神授説に依る西欧の絶対君主は、その地上における神の代理人である。「戦う神」「裁く神」「妬む神」「復讐の神」から無制約の権力を与えられていると考える国王は、権力を恣にすることになるだろう。
 近代西欧において、権利と権力の根源はユダヤ=キリスト教の神に求めた。主権の思想は、ユダヤ=キリスト教が基盤にある。主権の闘争性は、神(ヤーウェ)に発する。西欧諸国における国王は、この神の地上における代理人として、専制を行い、しばしば暴政・圧政を行った。そして、暴政・圧政は、宗教的に正当化された。これへの激しい反発として、市民革命が起こった。専制的な王権の権力を、貴族・市民階級が闘争によって共有または奪取した。主権は君主の主権から君民共有の主権または国民所有の主権へと移行した。そして、人権は、この過程で、国王の主権に対抗するものとして唱えられ、主権に参画した国民の権利として、確保・拡大されてきた。中世以降の西洋の歴史については、次の章で改めて概観する。

 次回に続く。

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