ほそかわ・かずひこの BLOG

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人権352~タミールのリベラル・ナショナリズム

2016-09-13 09:29:53 | 人権
タミールはリベラル・ナショナリズムの旗を掲げて広域機構を説く

 リベラル・ナショナリズムという言葉が定着したのは、イスラエルの政治哲学者ヤエル・タミールの著書『リベラルなナショナリズムとは』による。そこでタミールについても触れておきたい。タミールは、キムリッカとは異なる視点から、ネイション間の協調のための理論を説いている。
 先の書でタミールは、大意次のように説く。リベラリズムは個人の自立・反省・選択を尊重し、ナショナリズムは所属・忠誠・連帯を強調するから、互いに排他的だという見方が広まっている。だが、実はこれらの潮流は相互に包摂し合える関係にある。リベラリストは、所属・成員性・文化的な帰属の重要性とそれらに由来する道徳的義務の重要性を認めつつ、リベラリストであり続けることができる。また、ナショナリストは、個人の自立・自由・権利の尊さを認めつつ、ナショナリストであり、また国民内部と諸国民間における社会正義に関与し続けることができる、と。
 タミールによると、ナショナリズムとリベラリズムは、自由で合理的かつ自律的な人間は自らの生き方について完全な責任能力を持つという見解を共有する。また、自己支配・自己実現・自己開発を達成する人間の能力への信仰も共有する。ところが、ナショナリズムとリベラリズムは、こうした人間の特質について極端なほど相違する解釈を展開してきた。リベラリズムは「原子的な自己」、ナショナリズムは「状況づけられた自己」という対照的な人間観を示す。これに対し、タミールは「文脈づけられた個人」(contextual individual)という人間観を対置する。この人間観は、人間の個人性と社会性を等しく真正かつ重要な特徴として結びつける。それによってリベラリズムとナショナリズムの諸理念を相互に近寄せるという。
 このような主張はリベラル・ナショナリズムの思想であり、実際、タミールは一般にリベラル・ナショナリストと見なされている。これに加えて彼女は、ナショナリズム(国家主義・国民主義・民族主義)を踏まえたリージョナリズム(広域機構主義)というべき提案をしている。この点が独自のところである。
 タミールは、「ナショナルな運動は、単に国家権力を掌握したいという欲求ではなく、個別の共同体の存続や繁栄を確保したいという要求や、その共同体の文化、伝統、言語を保存したいという欲求によって動機づけられている」と述べる。そして、各々のネイションが国民国家よりも上位の統治主体に参加し、平等に文化的自治権を付与されることにより、独立国家への願望を、地方自治や連邦的・連合的な協定といったより穏健な解決策に置き換えることが可能になると考える。
 そして、タミールは、次のように述べる。「主権国家を持ちたいという要求は、領土や住民を巡って相互に競合する。しかし、どのネイションの主張を取り上げるべきかという選択を不要にして、多くの国籍、文化的伝統、また文化集団を包摂するトランスナショナルな共同体を作り、そこにおける政治権威の配分を調整できるようにすれば、さらに、そのような配分の選択がある種の補完性原理により導かれるのであれば、ネイション相互の二者択一性は大きく緩和される。つまり一者のアイデンティティが必然的に他者のアイデンティティの犠牲の上で承認される、という状況は解消されるだろう」と。
 この主張は、ネイションの自己決定を絶対的な原則とするものではない。トランスナショナル(国家横断的)な広域機構を作り、その中で複数のネイションが共存することを提案するものである。彼女は、次のように述べている。「国民国家は経済・戦略・エコロジーに関する決定権力を広域機構に譲渡し、文化政策を構築する権力をローカルなネイションに譲渡するのである。広域的な傘に保護されることで、すべてのネイションはその規模・資源・地理的条件・経済的持続可能性にかかわりなく、文化的・政治的な自治を達成できる」と。
 こうしたタミールの主張は、ネイションの価値を再評価するリベラル・ナショナリズムの枠組みを越え、ネイションの文化的・政治的な自治能力を保持し得るようなトランスナショナルな広域共同体を志向する。
 広域機構において各ネイションが平等に文化的自治を達成できるようにするためには、機構内部における財の配分が適正に円滑になされなければならないが、タミールは配分の原理については何も説いていいない。タミールは、ネイションにおける配分的正義を論じる時は、構成員の間に社会的文化的特質に基づく「関係性の感情」が不可欠であると述べているのだが、広域機構における「関係性の感情」の醸成については、何も触れていない。これでは、各ネイションが広域機構に参加するに当たって、自治権は担保されないおそれがある。
 タミールは、どこの地域でトランスナショナルな共同体を築こうとしているのか。誰しもまずヨーロッパ連合(EU)を連想するだろうが、タミールはヨーロッパ人ではない。タミールはユダヤ人であり、イスラエル国民である。また単なる学者ではなく、同国労働党の著名な政治家でもある。中道主義のカディマの党首オルメルトを首班とする連立政権で教育大臣も務めたことがある。このような背景を持つタミールがリベラル・ナショナリズムをもとに提案するのは、中東における広域的な国際機構の創出である。
 タミールは、消極的自由と積極的自由の区別を説いたアイザイア・バーリンの弟子である。バーリンはラトビア生まれのユダヤ人哲学者である。イスラエルには帰化せず、主にイギリスで活動した。バーリンは、私的領域の不可侵性を守ろうとする消極的自由主義を唱えるとともに、排他的・攻撃的なナショナリズムを批判しつつ、ナショナル・アイデンティティのもとになる文化的ナショナリズムを提唱した。タミールは、こうしたバーリンの思想を継承し、これを政治理論として発展させている。
 タミールはバーリンとともに、パレスチナとの平和共存を目指す運動を行うイスラエルのNGO「ピースナウ」に関わってきた。「ピースナウ」は、イスラエル政府による入植政策には反対しているが、イスラエルというシオニスト国家そのものは肯定している。ユダヤ人かつイスラエル国民として、パレスチナ人との平和共存を説く点を私は評価できるが、またそれゆえに、タミールはイスラエルの右派から批判を受け、また世界のシオニズム反対者からも批判を受ける立場にある。タミールの主張は、国際的正義の議論にイスラエルとパレスチナの関係という難問を浮かび上がらせている。
 リベラル・ナショナリズムの論者として、ミラー、キムリッカ、タミールについて書いた。彼らはどの国にも当てはまる理論を目指しているが、ミラーには旧大英帝国と旧植民地の関係が、キムリッカにはカナダにおける英語文化圏と仏語文化圏の関係が、タミールにはイスラエルとパレスチナの関係が、それぞれ深く影を投じている。人権と正義の議論は、こうした具体的な事情の検討を行いながら議論を深めなければ、抽象論、理想論、観念論に陥る。

 次回に続く。

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