ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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キリスト教の運命~終末的完成か発展的解消か1

2018-01-25 09:34:53 | 心と宗教
●はじめに

 私は、現代の世界を覆っている近代西洋文明には、ユダヤ人・ユダヤ教・ユダヤ文明の影響が大きいことを認識し、その影響の考察と対処のために、拙稿「ユダヤ的価値観の超克~新文明創造のために」を書いた。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-4.htm
 私は、ヨーロッパ文明が北米にも広がったものを西洋文明と呼ぶ。ヨーロッパ文明は、古代ギリシャ=ローマ文明、ユダヤ=キリスト教、ゲルマン民族の文化という三つの要素が融合してその骨格が出来上がった。それらのうち、ユダヤ=キリスト教が文明の宗教的な中核になっている。ここで、ユダヤ=キリスト教と書くのは、キリスト教におけるユダヤ教の影響を強調するためである。ヨーロッパ文明及び近代西洋文明の中核となったキリスト教には、ユダヤ教に基づく価値観が深く浸透しており、そのため、ユダヤ的価値観が近代西洋文明を強く性格づけており、近代西洋文明の欠陥・弊害のかなりの部分はユダヤ的価値観によっている、と私は考える。
 ユダヤ的価値観とは、ユダヤ教の教えに基づいて発達した価値観であり、近代西洋文明に浸透し、全世界的に普及しつつある物質中心・金銭中心の考え方、自己中心的な態度、対立・闘争の論理、自然の管理・支配の思想である。人類が未曾有の危機を乗り越えて、この地球に物心調和・共存共栄の新文明を創造するには、ユダヤ的価値観の超克が必要不可欠の課題である。
 ユダヤ的価値観の超克については、先の拙稿に書いた。本稿では、その超克という課題のもとに、ユダヤ教から派生して世界に広がり、またそれによってユダヤ的価値観の浸透・普及をもたらしているキリスト教について主題的に考察する。ユダヤ的価値観の超克という課題は、キリスト教に浸透したユダヤ的価値観の超克を伴う課題である。
 人類は、21世紀において飛躍的な発展を遂げる段階に近づいている。その段階までの歴史を人類の前史と呼ぶならば、キリスト教は人類の前史を導いてきた世界諸宗教のうち最大のものである。キリスト教は終末論を説く宗教である。通説によると、世の終わりにイエス・キリストが再臨し、最後の審判が行われる際、イエスが創建した教会が完成するという。これを「終末的完成」という。果たして、イエス自身が実際に再臨するのか、再臨は壮大な誤報だったのか、人類はその問いの答えを待っている。
 私は、イエス自身の再臨を信じる者ではない。人類が物心調和・共存共栄の文明を実現するためには、キリスト教はキリスト教を超えたものに融合して発展的解消すべき段階にある、と考えている。また、新文明の創造のために、日本の精神文化が果たす役割が大きい、と私は考えている。日本の精神文化が世界に広まる過程は、キリスト教の発展的解消が日本から促進される過程となるだろう。本稿は、キリスト教の概要を記し、その歴史と現在を考察し、この21世紀にキリスト教は終末的完成に至るのか、それとも発展的解消を遂げるのか、その将来を予測することを目的とする。
 なお、本稿における聖書の引用は、日本聖書協会の新共同訳による。

●宗教の定義

 最初に、宗教とは何かについて簡単に述べる。
 宗教とは、人間の力や自然の力を超えた力や存在に対する信仰と、それに伴う教義、儀礼、制度、組織が発達したものをいう。宗教の中心となるのは、人間を超えたもの、霊、神、仏、理法、原理等の超越的な力や存在の観念である。その観念をもとにした思想や集団的な感情や体験が、教義や儀礼で表現され、また生活の中で確認・再現・追体験されるのが、宗教的な活動である。宗教は、社会を統合する機能を持ち、集団に規範を与えるとともに、個人を人格的成長に導き、心霊的救済を与える。宗教は、また社会を発展させる駆動力ともなる。国家の形成や拡張を促進し、諸民族・諸国家にまたがる文明の中核ともなる。
 今日宗教と呼ばれるものの多くは、古代に発生し、幾千年の年月に渡って継承され、発展してきたものである。それらの宗教には、その宗教を生み出した社会の持つ習俗・神話・道徳・法が含まれている。
 わが国を代表する宗教学者の一人、岸本英夫は、宗教を「神を立てる宗教」と「神を立てない宗教」に分ける。「神を立てる宗教」とは、神観念を中心概念とする宗教である。ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教、ヒンドゥー教、神道等は、これに属する。そのうち神に関する考え方によって、一神教、多神教、汎神教等に分けられる。「神を立てない宗教」とは、神観念を中心概念とはしない宗教である。マナイズムやいわゆる原始宗教・根本仏教などがこれに属する。私は、「神を立てる宗教」を有神教、「神を立てない宗教」を無神教と呼ぶ。

●キリスト教の宗教学的位置づけ

 キリスト教は、約2000年前、パレスチナでナザレのイエスが始めた教えである。ユダヤ教から派生した宗教だが、ユダヤ教から分かれて、イエスを救世主(キリスト)を信じる別個の宗教として発展した。だが、キリスト教は、ユダヤ民族の神ヤーウェを信仰対象とする一神教であり、ユダヤ教の聖書を旧約聖書として共有している。そのことによって、キリスト教は、ユダヤ民族の習俗、神話、道徳、法を基本的に継承している。さらにユダヤ教の教義、組織、信仰、生活についても一部継承している。また、ユダヤ教の実在観、世界観、人間観は、キリスト教の実在観、世界観、人間観のもとになっている。
 それゆえ、キリスト教の宗教学的及び文明学的位置づけは、ユダヤ教のそれを踏まえたものでなければならない。ユダヤ教の宗教学的及び文明学的位置づけは、拙稿「ユダヤ的価値観の超克~新文明創造のために」に書いた。
 ユダヤ教は「神を立てる宗教」すなわち有神教であり、そのうちの一神教である。一神教は、一つの神のみを祀る宗教である。これには、単一神教、拝一神教、唯一神教がある。ユダヤ教は唯一神教の元祖であり、唯一の神のみを神とし、自己の集団においても他の集団においても、一切他の神格を認めない。唯一神教は、地理学的・環境学的には、砂漠に現れた宗教という特徴を持つ。砂漠の自然が人間の心理に影響したものと考えられる。
 ユダヤ教は、唯一神教であるとともに、その唯一の神の啓示を受けたとする啓示宗教、神と結んだという契約による契約宗教、また神の言葉を記したとする啓典を持つ啓典宗教である。創唱者を持たない自然宗教であり、ユダヤ民族の民族宗教である。また、ユダヤ民族という集団を救う集団救済の宗教である。こうした性格のうち、キリスト教は、啓示宗教、契約宗教、啓典宗教である点を、ユダヤ教から継承している。その反面、キリスト教は、ナザレのイエスによる創唱宗教である点が大きく異なる。また、ユダヤ民族だけでなく、その教えを信じる者を救うという点で個人救済の宗教であり、また民族の違いに関わらずそれを信じる者を救う脱民族的な集団宗教でもある。
 キリスト教は、ユダヤ教を母体とすることによって、古代ユダヤ民族の神話と歴史を継承している。ユダヤ民族は、宇宙を無から創造した神が人間を創造したとし、最初の人間をアダムと呼ぶ。その子孫であり大洪水で生存したノアには、セム・ハム・ヤペテの三人の子があったとする。長子セムは、アッシリア人、アラム人、ヘブライ人、アラブ人の祖先とされている。言語学では、セム語族という言語系統の集団があるとする。セム語族には、アッカド語、バビロニア語、フェニキア語、アッシリア語、アラビア語などが所属する。ユダヤ民族は、セム語系のヘブライ語を話す。
 ユダヤ民族は、セムの子孫であるアブラハムをユダヤ民族の始祖とする。そしてアブラハムが契約した神ヤーウェを信仰している。そのユダヤ民族の信仰がユダヤ教である。キリスト教は、ユダヤ教から派生し、神ヤーウェの信仰を継承している。イスラーム教は、ユダヤ教、キリスト教の影響を受けて発生した。そこで私は、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教を、総称してセム系唯一神教、略してセム系一神教と呼んでいる。この場合のセム系は、言語学的な系統ではなく、そのもとになった観念的な民族の系統を表す。キリスト教は、このセム系一神教の一つであり、そのうちの最大のものである。

 次回に続く。

関連掲示
・本稿は、私の宗教論の第5作となる。既に書いたものは、発表順に次の通りである。

 「日本文明の宗教的中核としての神道」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion09l.htm
 「イスラームの宗教と文明~その過去・現在・将来」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-2.htm
 「宗教、そして神とは何か」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion11d.htm
 「ユダヤ的価値観の超克~新文明創造のために」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-4.htm

■追記

 本項を含む拙著「キリスト教の運命~終末的完成か発展的解消か」の全文は、下記に掲示しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-5.htm

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