東京裁判は、正確には極東国際軍事裁判といいます。大東亜戦争の終戦後、昭和21年5月3日に開廷され、2年半を経て、23年11月4日から12日に判決が下されました。その判決によって、A級戦犯とされた7人の日本人が絞首刑とされ、BC級戦犯とされた人々、1061名が処刑されました。
一体、東京裁判は、公平で公正なものだったのでしょうか。そして、その判決は、日本人が唯々諾々と従うべき、正当な内容だったのでしょうか。
東京裁判で日本の弁護を命じられたアメリカ人弁護人たちは、当初、なぜ自分たちが、敵国の日本の戦争指導者たちの弁護をしなければならないのか、と考えました。しかし、彼らは、裁判の準備のために、大東亜戦争(米国の言う太平洋戦争)について調べるにつれ、それまで持っていた戦争観が変わっていきました。彼らは、戦争の原因が単純なものではなく、日本には日本の立場があり、連合国の戦争責任を免罪することはできないことを理解するようになっていきました。そして、法の精神に基づいて、裁判の不公平を追及しました。
ブレイクニー、ローガン、スミス、ファーネス、ラザラス等、彼らは、対日戦争では自国のために戦った愛国的な米国軍人でした。
ブレイクニー弁護人が米国の原爆投下を批判する弁論を行なったときには、途中から日本語への同時通訳はストップされ日本語の裁判記録にも残されませんでした。
彼は次のように語りました。「キッド提督の死が真珠湾爆撃による殺人罪になるならば、我々は広島に原爆を投下したものの名を挙げる事ができる。投下を計画した参謀長の名も承知している。その国の元首の名前も我々は承知している。………原爆を投下した者がいる! この投下を計画し、その実行を命じこれを黙認した者がいる! その者達が裁いているのだ!」
この件りは日本語の速記録には「(以下通訳なし)」となって長らく日本人の目から隠されていました。 もし日本語に通訳されていれば、法廷の日本人傍聴者の耳に入り、そのうわさはたちまち広がっていったでしょう。そして、原爆投下による非戦闘員の無差別大量殺戮という非人道的行為を行ったアメリカの戦争責任と、当裁判所の非合法性に対して、批判が沸き上がったでしょう。
ローガン弁護人は、最終弁論において、アメリカの対日経済制裁と戦争挑発政策を批判し、 大東亜戦争は「不当の挑発に起因した、国家存立のための自衛戦争」であったと論じ、真珠湾攻撃については「この日本の攻撃が自衛手段でないと記録することは実に歴史に一汚点を残すものであります」と述べ、アメリカの戦争責任を徹底的に追及しました。
スミス弁護人は、判決後「東京法廷は、真の国際法廷ではない。 あれはマッカーサー元帥個人の裁判所である」と、アメリカ連邦最高裁で激しく批判しました。
その他のこうしたアメリカ人弁護人たちも、 みな自国と自国民を裏切って日本を弁護したのではありません。 彼らに一貫しているのは、 法の精神に基づいて、自国のことも他国のことも、是は是、 非は非とするフェアーな態度です。
実は東京裁判には、当初から根本的な批判があがっていました。イギリスから厳しい批判がぶつけられるとともに、米国政府や連邦議会からも、マッカーサーの側近や部下などGHQの中からも、批判があがっていたのです。政治的な策略に与せず、堂々と法と正義を説いたアメリカ人弁護人たちは、真の自由と民主主義の精神を貫いたといえましょう。
戦後日本人が学ぶべき民主主義とは、彼ら東京裁判米国人弁護人たちが示した、真の自由と民主主義の精神だったのではないでしょうか。
次回に続く。
************* 著書のご案内 ****************
『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1
『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
『細川一彦著作集(CD)』(細川一彦事務所)
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一体、東京裁判は、公平で公正なものだったのでしょうか。そして、その判決は、日本人が唯々諾々と従うべき、正当な内容だったのでしょうか。
東京裁判で日本の弁護を命じられたアメリカ人弁護人たちは、当初、なぜ自分たちが、敵国の日本の戦争指導者たちの弁護をしなければならないのか、と考えました。しかし、彼らは、裁判の準備のために、大東亜戦争(米国の言う太平洋戦争)について調べるにつれ、それまで持っていた戦争観が変わっていきました。彼らは、戦争の原因が単純なものではなく、日本には日本の立場があり、連合国の戦争責任を免罪することはできないことを理解するようになっていきました。そして、法の精神に基づいて、裁判の不公平を追及しました。
ブレイクニー、ローガン、スミス、ファーネス、ラザラス等、彼らは、対日戦争では自国のために戦った愛国的な米国軍人でした。
ブレイクニー弁護人が米国の原爆投下を批判する弁論を行なったときには、途中から日本語への同時通訳はストップされ日本語の裁判記録にも残されませんでした。
彼は次のように語りました。「キッド提督の死が真珠湾爆撃による殺人罪になるならば、我々は広島に原爆を投下したものの名を挙げる事ができる。投下を計画した参謀長の名も承知している。その国の元首の名前も我々は承知している。………原爆を投下した者がいる! この投下を計画し、その実行を命じこれを黙認した者がいる! その者達が裁いているのだ!」
この件りは日本語の速記録には「(以下通訳なし)」となって長らく日本人の目から隠されていました。 もし日本語に通訳されていれば、法廷の日本人傍聴者の耳に入り、そのうわさはたちまち広がっていったでしょう。そして、原爆投下による非戦闘員の無差別大量殺戮という非人道的行為を行ったアメリカの戦争責任と、当裁判所の非合法性に対して、批判が沸き上がったでしょう。
ローガン弁護人は、最終弁論において、アメリカの対日経済制裁と戦争挑発政策を批判し、 大東亜戦争は「不当の挑発に起因した、国家存立のための自衛戦争」であったと論じ、真珠湾攻撃については「この日本の攻撃が自衛手段でないと記録することは実に歴史に一汚点を残すものであります」と述べ、アメリカの戦争責任を徹底的に追及しました。
スミス弁護人は、判決後「東京法廷は、真の国際法廷ではない。 あれはマッカーサー元帥個人の裁判所である」と、アメリカ連邦最高裁で激しく批判しました。
その他のこうしたアメリカ人弁護人たちも、 みな自国と自国民を裏切って日本を弁護したのではありません。 彼らに一貫しているのは、 法の精神に基づいて、自国のことも他国のことも、是は是、 非は非とするフェアーな態度です。
実は東京裁判には、当初から根本的な批判があがっていました。イギリスから厳しい批判がぶつけられるとともに、米国政府や連邦議会からも、マッカーサーの側近や部下などGHQの中からも、批判があがっていたのです。政治的な策略に与せず、堂々と法と正義を説いたアメリカ人弁護人たちは、真の自由と民主主義の精神を貫いたといえましょう。
戦後日本人が学ぶべき民主主義とは、彼ら東京裁判米国人弁護人たちが示した、真の自由と民主主義の精神だったのではないでしょうか。
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