ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

人権232~世界人権宣言による人権の世界化

2015-11-30 08:51:07 | 人権
●世界人権宣言による人権の世界化

 「世界人権宣言(the Universal Declaration of Human Rights)」は、1946年(昭和21年)、人権委員会のなかに、起草委員会がつくられ、約1年半の準備を経て、48年12月10日に、第3回国連総会で採択された。
 世界人権宣言は、「連合国憲章=国連憲章」を受けて、人権を規定した。世界人権宣言は、「憲章」あっての宣言であり、また「宣言」によって「憲章」にいう人権がより具体化された。
 世界人権宣言の和訳文が、わが国の外務省のサイトに掲載されている。65年も前に採択された宣言なのに、外務省が公開しているのは、「仮訳文」である。政府として公定訳を完成させていないのは、不思議なことである。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/udhr/1b_001.html
 世界人権宣言は、次のような前文で始まる。

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 人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎であるので、
 人権の無視及び軽侮が、人類の良心を踏みにじった野蛮行為をもたらし、言論及び信仰の自由が受けられ、恐怖及び欠乏のない世界の到来が、一般の人々の最高の願望として宣言されたので、
 人間が専制と圧迫とに対する最後の手段として反逆に訴えることがないようにするためには、法の支配によって人権を保護することが肝要であるので、
 諸国間の友好関係の発展を促進することが、肝要であるので、
 国際連合の諸国民は、国際連合憲章において、基本的人権、人間の尊厳及び価値並びに男女の同権についての信念を再確認し、かつ、一層大きな自由のうちで社会的進歩と生活水準の向上とを促進することを決意したので、
 加盟国は、国際連合と協力して、人権及び基本的自由の普遍的な尊重及び遵守の促進を達成することを誓約したので、
 これらの権利及び自由に対する共通の理解は、この誓約を完全にするためにもっとも重要であるので、
 よって、ここに、国際連合総会は、
 社会の各個人及び各機関が、この世界人権宣言を常に念頭に置きながら、加盟国自身の人民の間にも、また、加盟国の管轄下にある地域の人民の間にも、これらの権利と自由との尊重を指導及び教育によって促進すること並びにそれらの普遍的かつ効果的な承認と遵守とを国内的及び国際的な漸進的措置によって確保することに努力するように、すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準として、この世界人権宣言を公布する。
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 2度にわたる悲惨な世界大戦の後、連合国の国民は、世界人権宣言の前文を、次のように始めた。「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳及び平等で奪い得ない権利を認めることが世界における自由、正義及び平和の基礎をなすものである」と。
 続いて、「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準として、この世界人権宣言を公布する」と宣言した。ここに近代西洋文明で発達した人権の思想は、世界的な宣言という形で表現された。

●世界人権宣言の起草の事情

 ここで宣言の起草過程について述べると、国連人権委員会の議長は、F・D・ルーズベルト米大統領夫人のエレノア・ルーズベルトが務めた。彼女のもとで、フランスの法学者ルネ・カッサン、カナダの法学者ジョン・P・ハンフリーが中心となり、ロシア人、シナ人、中東のキリスト教徒、ヒンズー教徒、ラテン・アメリカ人、イスラム教徒等の欧米以外の代表やマルクス主義者も加わって、人権宣言が起草された。
 1947年2月、ルーズベルト夫人が起草委員会を初めて招集した時、シナ人の儒家とレバノンのトマス主義者が、権利の哲学的かつ形而上学的な基礎をめぐって議論を始め、互いに一歩も引かなかった。ルーズベルト夫人は、議論を先に進めるには、西洋と東洋とでは意見が一致しないということで意見を一致させるしかない、という結論に達した。起草委員たちは、自分たちの任務は西洋的な思想を宣言としてまとめればよいのではなく、多様な宗教的・政治的・民族的・哲学的背景を踏まえて、ある限られた範囲での道徳上の普遍を定義しようと試みることだ、と明確に理解していた。それゆえ、世界人権宣言の前文は、権利の根拠として、アメリカ独立宣言の「造物主」やフランス人権宣言の「至高の存在」のような西洋的な宗教的概念を揚げていない。世界人権宣言は人権の普遍性を説明する根拠を述べることなく、人権を宣言し、権利の詳細を述べていく。それは、委員たちの間の見解の違いを越えて、最大公約的な合意が追及されたためだと理解できる。
 とはいえ、宣言のもとになったのは、イギリスの権利章典、フランスの人権宣言、アメリカの連邦憲法等、欧米で制度的に発達してきた人権の思想であることに変わりはない。実際、西洋の法学者が宣言の起草で主導的な役割意を果たした。だが、それでもなお、この第2次世界大戦終了直後の時点で、幅広い合意がなされたということは、西洋発の人権の思想には、文明や文化、宗教や思想の違いを越えて、一定の範囲で合意を形成しうる要素があったことを意味している。

 次回に続く。

■追記
 本項を含む拙稿「人権――その起源と目標」第3部は、下記に掲示しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i-3.htm