ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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人権229~国際連合の創設

2015-11-23 08:49:43 | 人権
●国際連合の創設

 次に国際機構について述べる。人権が現代世界で中心思想の一つとなり、人権に係る法制度が発達してきたことにおいて、国際連合が果たしている役割は大きい。
 わが国の多くの人は、国連は国際社会の平和な秩序を維持するための人道主義的機構だ、というイメージを持っているようである。現実の国連に、あるべき理想を投影している人が多いのではないか。日本人はまず国連とは何かをしっかり理解する必要がある。
 国際連合は、わが国では国際連合と訳されているが、もともと第2次大戦における「連合国」のことに他ならない。第2次大戦の連合国が、発展的に国際機構になったものが、いわゆる国際連合である。英語では、一貫して the United Nations であり、実体は同一である。中国では、戦後も the United Nations を「聯合国」と表記している。連合国である。しかし、わが国では敗戦後、連合国を「国際連合」と訳すようになった。ここには明らかな自己欺瞞がある。
 「国際連合=連合国」は、1941年(昭和16年)8月に英米により発表された大西洋憲章に萌芽を見る。大西洋憲章には、戦後の平和維持体制や国際連合の基礎となる国際秩序の構想が盛り込まれた。この憲章の基本原理を取り入れて、42年1月に連合国共同宣言が出された。
 戦争の大勢が決した43年(昭和18年)以降、動きが加速した。この年、モスクワで開かれた米英ソ外相会談で平和機構設立が宣言された。これに中華民国(当時の中国)も署名した。米英ソ中の代表は、44年(昭和19年)8月ワシントン郊外で開催されたダンバートン・オークス会議にて、国際連盟に代えて国際連合を設立することを決めた。そして「国際連合憲章=連合国憲章(Charter of the United Nations)」の草案が作成された。
 注目すべきことは、「憲章」の作成過程において、1945年(昭和20年)2月、ヤルタ会談が行われたことである。この会談は、米英ソの三巨頭、F・D・ルーズベルト、チャーチル、スターリンが行った秘密会談である。会談では、まず敗北が決定的となっていたドイツの戦後管理が話し合われた。首脳は、米英仏ソ4カ国による共同管理、戦犯処罰、非武装化を決めた。日本に対しては、対日参戦秘密協定が結ばれた。米英首脳は、スターリンに対日参戦を求め、見返りとして千島列島と南樺太の奪取を認めた。大西洋憲章は領土不拡大を宣言していたので、これを曲げる密約だった。また連合国を発展させた国際機構をもって戦後世界を管理する体制に大枠合意し、その機構を創設する会議を同年4月に催すこととした。こうして、米英ソの間で秘密協定が結ばれた。
 ヤルタ密約の4か月後、「国際連合=連合国」の憲章が採択された。1945年(昭和20年)6月のサンフランシスコ会議においてである。この時は、日本がまだ米国等と戦っている最中だった。51カ国が「国連憲章=連合国憲章」に調印した。「憲章」は、枢軸国と戦う連合国の憲章だった。
 日本の敗北による大戦の終結の後、45年10月に原加盟国51カ国で、国際機構としての「国際連合=連合国」が改めて発足した。この時点では国際連盟は存続していた。国際連合は国際連盟が発展してできた組織ではない。まったく別に立ち上がった機構である。国際連盟の設立の経緯、国際連盟と国際連合の違いは、拙稿「現代の眺望と人類の課題」に詳細を書いたが、国際連盟は、第1次世界大戦後、国際平和を実現するために設立された組織である。勝者と敗者を等しく包含し、すべての加盟国が平等だった。大国に拒否権を認める制度はなかった。これに対し、国際連合は、第2次世界大戦において、戦争に勝利するために締結された軍事同盟が国際機構に発展したものである。連合国は、日独伊枢軸に対抗するため、米英ソ等がイデオロギーの本質的な違いを無視した合従連衡によって提携した。国際連合の創設は、1945年10月24日。国際連盟が解散したのは、その翌年の46年4月19日。二つの機構は、約半年間は共存していたわけである。
 アメリカは議会の反対により、国際連盟には加盟していなかった。連盟とは別に、新たにF・D・ルーズベルト大統領の構想によって、アメリカが主導的に創設を進めたのが、国際連合である。それゆえ、国連は、アメリカの国益を実現するために創設されたという側面がある。「国連本部=連合国本部」は、アメリカ・ニューヨークにある。国連本部の土地は、ロックフェラーが寄付した。
 国連は、アメリカを中心とする戦勝国の論理で作り上げられた世界支配のための機構である。勝者による秩序の固定化が目的である。戦争に勝利するための軍事同盟の延長であって、もとは恒久平和をめざす思想によって作られたものではない。大戦で戦勝国は密約や国際法違反の行為によって、敗戦国から領土や権利を奪った。これは戦争犯罪である。だが国連憲章は、第17章第107条に、それらはいかなることがあっても返す必要がないと規定した。
 国連の本質は、当初から今日まで一貫して軍事同盟である。そのことを示す事実を三点指摘したい。
 第1点は、ソ連の加盟である。ソ連は第2次大戦前には、共産主義革命を輸出する危険な国家とみなされていた。多くの国が対ソ反共政策を取った。大戦の初期、ソ連はフィンランド侵攻の非により、国際連盟から除名された。ところが、米英は、大戦の途中から、日独と戦うためにソ連と手を結んだ。国際連盟から追放された国が、平和を愛好する国家の一員に成り代わった。アングロ=サクソン流の原理原則なき外交が、ソ連を飛躍的に成長させた。そうしたソ連が国際社会で発言力、影響力を増していった。ここで作られたのが、第2次大戦は「民主主義対ファシズムの戦い」という虚偽の構図である。ソ連は「民主主義」の国家とされたが、実態は全体主義である。全体主義のソ連と自由主義の米英が提携したのは、戦争に勝つために結んだ軍事同盟だったからである。
 第2点は、旧敵国条項である。「国際連合憲章=連合国憲章」は、旧敵国である枢軸国に対し、旧敵国条項を定めている。旧敵国条項とは、第2次大戦中に連合国の敵国であった国々に対し、地域的機関などが、安全保障理事会の許可がなくとも強制行動を取り得ること等が記載されている条項である。第53条と第107条である。条文には明記されていないが、旧敵国とは、日本、ドイツ、イタリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、フィンランドの7か国を指すと考えられてきた。旧敵国条項は、今も削除されていない。そこに、国連とは第2次大戦時の連合国であり、「旧敵国」と戦うための軍事同盟であることが、明らかに示されている。
 第3点は、永世中立国のスイスが半世紀以上、国連に加盟していなかったことである。2002年(平成14年)になって初めて国連に加盟した。それまで加盟していなかった理由は、国際連盟と違って、国連は武力行使を手段として用い、戦争行為を是認する機構だからだった。もっとも国際連盟は、まさにその武力の裏づけがないことによって、機能麻痺に陥り、諸国家の闘争に対してほとんど無力に終わった。スイスは、国際情勢に応じて自国の方針を変えて、国連に加盟した。
 以上の三点は、国連の本質が軍事同盟にあることを示している。そして、国連による人権の国際的保障は、この軍事同盟による「力の秩序」を前提としたものである。武力による国家間の権利と権力の関係の維持の上に、個人の自由と権利の保障が進められたのである。

 次回に続く。