ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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人権227~人権が現代世界の中心思想に

2015-11-19 10:02:25 | 人権
●人権が現代世界の中心思想に

 第2次世界大戦後、人権は現代世界の中心思想の一つになった。近代西欧に生まれた人権の思想が、文明や宗教等の違いを超えて、一見普遍的な思想として世界に広がった。そのようになる前は、西洋文明諸国によるラテン・アメリカ、アフリカ、アジアの植民地支配の時代が、15世紀末から20世紀中半まで400年以上続いた。もしすべての人間が人間として生まれながらに持つ権利が人権だとすれば、この数世紀は、有色人種が歴史上最も人権を蹂躙されていた時代だった。一方、西洋文明諸国における権利の拡大は、非西洋文明の諸民族の権利に対する侵害と並行していた。周辺部の支配あっての中核部における自由と権利の拡大だった。
 第1次世界大戦後、欧米で人権の国際的保障の萌芽が現れた。先に書いた少数民族保護条約、国際労働機関の設立、不戦条約等が挙げられる。だが、それらは欧米中心のものだった。第2次世界大戦を通じて、国際的な人権保障が大きな課題となった。ナチス・ドイツの暴虐によって、人権を各国の国内法で保障するだけでは不十分であり、国際的に保障する必要性が認識された。1941年(昭和16年)8月に英米により発表された大西洋憲章は、「恐怖及び欠乏からの解放」と「生命を全うすることを保障するような平和の確立」を掲げて、人権の尊重を戦争目的に掲げた。人権の国際的保障の整備は、連合国の欧米諸国民及び欧米各地に居住するユダヤ人の権利の確保を主に進められた。国際的人権保障の制度的な仕組みが飛躍的に整備された。その一方、ソ連及びソ連が侵攻・支配した東欧諸国の国民の権利は、共産主義政権によって逆に抑圧状態に置かれた。
 第2次大戦は、連合国によって、連合国と枢軸国の戦い、デモクラシー諸国と全体主義諸国の戦いとされたが、西洋白人帝国主義に対するアジア解放の戦いという側面があった。イギリス、オランダ、フランス等の植民地では、大戦の最中から有色人種が独立を求める運動を起こし、大戦後、次々に独立を勝ち取っていった。
 有色人種が白人種の支配から解放され、独立を獲得する過程は、国民国家という組織体制が、近代西洋文明から諸大陸の文明に伝播する過程でもあった。そして、欧米が作った国際社会に、有色人種が欧米由来の独立主権国家を作って参入し、1960年代には多数のアジア・アフリカの新興国が国際連合に加盟し、世界人権宣言に賛同した。それによって非西欧社会が、西欧的な「人間は生まれながらに自由で、平等の権利を持つ」という思想を受け入れてきた。それによって、人権の思想が非西洋文明の諸社会に伝播することになった。
 独立解放後も、アジア、アフリカ、ラテン・アメリカの諸国民・諸民族は、依然として西洋文明の圧倒的な影響下にある。非西洋文明の多くの文明は西洋文明の周辺文明と化しつつある。思想的にも、合理主義・個人主義・自由主義・デモクラシー(民衆政治参加制度)・ナショナリズム(国民主義・民族主義・国家主義)などが、広く非西洋文明の諸社会に浸透している。その中の一つとして人権の思想がある。そして、現代世界の中心思想の一つとなってきている。
 だが、そもそもアジア、アフリカ、ラテン・アメリカの有色人種は、新たな権利を取得したというより、白色人種によって権利を侵害・剥奪され、家畜同然の奴隷状態に置かれていた状態から、もともと持っていた権利を回復したのである。そのことに注意する必要がある。彼らはこの回復した権利を、近代西欧発の人権思想を援用して理解しているのである。

 次回に続く。