昨日の彷徨さんのコメントへの返答で、一つ訂正があります。
>3%のインフレも30%のインフレの予行演習かもしれません
と私は書いていますが、アベクロコンビの目標インフレは2%でしたね。お詫びして訂正いたします。
さてこのところ、米国金利が上昇しています。
昨日の米国債10年物の金利レベルは、2.9%に近い2.8%台でした。そして為替は97円台くらいです。米国債を買おうとされている方には、チャンスが来ているといってよいでしょう。もちろんさらに円高と米国債金利高が昂進することはありえると思います。
このレベルで何故私が米国債金利と円レートに注目したかと申しますと、3カ月ほど前の5月と比べますと、金利は1%も高いのにドル高になっていないからです。5月の米国債10年物金利は1.7%前後でした。そして為替は100円台でした。投資家サイドからみれば、為替で3%、金利の1%は10年では10%強、合計13%強のプラスリターンを得られます。
為替のアナリストの人達が、日米の2年物金利差が為替レートを説明している、とさんざん言っていたのをご記憶の方もいらっしゃるかもしれません。今はそのトレンドとは全くはなれてしまい、アナリストも黙ってしまいました。
米国債金利について、2-3か月前にななしさんと私の対話を覚えていらっしゃる方がいるかもしれません。私は通常米国金利が高いとドル高円安となるが、現在の為替レートはかなりの程度日本株投資とカップリングしているので、「株価の下げがあると為替が円高に振れ、米国債投資によいタイミングが来るかも」という主旨の説明をしました。
どうやら5月に比べるとはるかによいタイミングになっていると思われます。
さて、日本株の話に戻ります。
先々週までの投資家別売買動向で、外人が1千億円の売りに回った、と数値をお示ししました。そしてそれ以前の2週間も、そうした兆候が始まっている可能性があるとの見解を示していました。どうやら外人投資家も短期の投資家はアベノミクスに対する失望から売りに回ってきた感があります。
では先々をどう見るか。まず現状のレベルを把握しておきます。昨年11月に始まったアベノミクス相場は原点が8,600円台ですから、現状の13,000円台でも5割以上の上昇幅が確保されています。予想PERは現在ちょうど15倍です。
ここまでの相場は一方的に外人が引っ張り、日本の個人・法人が売り向かっていました。日本勢は一部の個人が「提灯を点ける」ことはしていても、基本的には「やれやれ」の売り物を出し続け、それは留まる事を知りませんでした。
つづく
>3%のインフレも30%のインフレの予行演習かもしれません
と私は書いていますが、アベクロコンビの目標インフレは2%でしたね。お詫びして訂正いたします。
さてこのところ、米国金利が上昇しています。
昨日の米国債10年物の金利レベルは、2.9%に近い2.8%台でした。そして為替は97円台くらいです。米国債を買おうとされている方には、チャンスが来ているといってよいでしょう。もちろんさらに円高と米国債金利高が昂進することはありえると思います。
このレベルで何故私が米国債金利と円レートに注目したかと申しますと、3カ月ほど前の5月と比べますと、金利は1%も高いのにドル高になっていないからです。5月の米国債10年物金利は1.7%前後でした。そして為替は100円台でした。投資家サイドからみれば、為替で3%、金利の1%は10年では10%強、合計13%強のプラスリターンを得られます。
為替のアナリストの人達が、日米の2年物金利差が為替レートを説明している、とさんざん言っていたのをご記憶の方もいらっしゃるかもしれません。今はそのトレンドとは全くはなれてしまい、アナリストも黙ってしまいました。
米国債金利について、2-3か月前にななしさんと私の対話を覚えていらっしゃる方がいるかもしれません。私は通常米国金利が高いとドル高円安となるが、現在の為替レートはかなりの程度日本株投資とカップリングしているので、「株価の下げがあると為替が円高に振れ、米国債投資によいタイミングが来るかも」という主旨の説明をしました。
どうやら5月に比べるとはるかによいタイミングになっていると思われます。
さて、日本株の話に戻ります。
先々週までの投資家別売買動向で、外人が1千億円の売りに回った、と数値をお示ししました。そしてそれ以前の2週間も、そうした兆候が始まっている可能性があるとの見解を示していました。どうやら外人投資家も短期の投資家はアベノミクスに対する失望から売りに回ってきた感があります。
では先々をどう見るか。まず現状のレベルを把握しておきます。昨年11月に始まったアベノミクス相場は原点が8,600円台ですから、現状の13,000円台でも5割以上の上昇幅が確保されています。予想PERは現在ちょうど15倍です。
ここまでの相場は一方的に外人が引っ張り、日本の個人・法人が売り向かっていました。日本勢は一部の個人が「提灯を点ける」ことはしていても、基本的には「やれやれ」の売り物を出し続け、それは留まる事を知りませんでした。
つづく