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私の中の小澤征爾さん

2024年02月11日 | クラシック音楽

 先月他界された元妻江戸京子さんの後を追うようにして、小澤征爾さんが亡くなりましたね。米寿という年齢を考えると、私は残念とは思いません。私の父親はいつも「米寿を越えたら誰が死んでも「残念だ」なんて言うな。よくぞ生きた、オメデトウと言え」と言っていました。不謹慎と言われるかもしれませんが、私も「よくぞ長生きをしてくれてありがとう、そしてオメデトウございます」と言うことにします。そう言っていた父親は92歳まで生きていました。私のクラシック好きはオーディオにも凝っていた父親譲りです。

 これを機に、「私の中の小澤征爾」を心に焼き付けるために、この文を書き残すことにしました。

 

 小澤征爾さんと私は中学と高校が同じ成城学園だったため、私の中高時代から折に触れて縁を持つことになりました。クラシック好きな私としては、どのエピソードもかけがえのないものです。

 まず初めは60年代、中学・高校時代です。彼は毎年冬になるとオーケストラとともに成城学園に来て、次の演奏会のリハーサルを見せてくれたのです。ほとんどがたぶん新日本フィルと一緒だったと思います、N饗とは犬猿の仲でしたから。彼は後輩たちに、曲の紹介や解釈をじっくりと説明してくれました。

 しかしそのリハーサルの最中、私が最も印象に残ったのは、演奏とは全く関係のない着替えです。彼はとても激しい指揮をするため大汗をかき、何度も休憩を取り、そのたびにトックリのセーターを着替えて出てくるのです。黒いセーターの後は白いセーターというように。「暑いならトックリはやめればいいのに。でもなんてオシャレなんだろう」とみんなで話しました。若き小澤さんの熱血指揮ぶりがいまでも目に浮かびます。

 次に彼と直接出会ったのは77年の西ベルリンです。私は当時JALでフランクフルト支店にトレーニーとして赴任していました。その当時のベルリン営業所長が大のクラシック好きで、私も好きであることを聞きつけて、「林君、今度小澤がベルリンフィルを振るので、聞きにおいで。チケットは用意するから」と電話をくれたのです。ルフトハンザに航空券をもらい、いそいそと出かけました。航空会社社員の役得ですね。その人のクラシック好きは度を超えていて、家には1千枚を超えるLPレコードがあり、ある時その重みで床が抜け落ちるという珍事が語り草になっている人物です。

 JALは彼、西村氏をベルリンに営業所長として派遣しました。というのは、ベルリンは音楽家やオーケストラの出入りが多く、彼はその需要を掴み取るために、専門家と渡り合うことのできる稀有な人材だったからです。おかげで私は後に彼の手配してくれたカラヤン指揮のベルリンフィルのコンサートまで聴くことができました。

 夕方西ベルリンに到着し、翌日は東ベルリン見物の後に小澤さんとベルリンフィルの公演を見る手はずになっていました。夕食を日本食レストランで食べ始めたら、なんとそこに小澤さんがひょっこり現れ、「よー西村君、久しぶり。一緒に食おうよ」と誘ってくれたのです。私はあまりのことに驚きながら一緒の席に移りました。すると西村さんは私を「この若者はフランクフルトからさっき着いたJALのトレーニーで、クラシック好きなんです。夏には夫婦で一週間もザルツブルグ音楽祭を聞きに行ったほどです」と紹介してくれました。私はすかさず自己紹介し、「私も中高が小澤さんと一緒の成城で、毎年小澤さんのリハーサルを母校のホールで聞いていました」と言うと、彼はとても喜んでくれました。

 それから先は二人の専門家の会話となり私の出る幕なし。その中で西村さんの言った次の話がいまだに印象に残っています。

「今回も(会場の)フィルハーモニアは満席で、オケはきっとフルメンバーですよね。日本人で満席にできるのは小沢さんだけですから。だいたいベルリンの人たちはカラヤン中心。外からの指揮者を本気で聞きに来るのは小澤さんだけ。ウィーンからベームが来たって満席にならないほどのシビアな人たちなんですよ」とのこと。

 西村さんによるとオーケストラがフルメンバーかどうかを一目で見分けるには、コントラバスを数えれば簡単にわかるとのこと。8本ならフル、6本ならまあまあだそうで、大きなコントラバスは遠目でもすぐ数がわかるからとのことでした。

 その後も小澤さんと二人で、ベルリンフィルとウィーンフィルの古い楽器や音の差など、微に入り細にわたる専門的話に終始していました。私はただただ一緒の席にいることだけで感激し続けていました。

 

 3つ目に印象に残ったエピソードは、以前にも紹介したことのあるニューヨークのカーネギーホールでの出来事です。私は90年にJALからソロモン・ブラザーズに転職し、ニューヨークで半年近く研修を受けていたのですが、その時小澤さんがボストンフィルを連れてマルタ・アルゲリッチとピアノ協奏曲で共演するとの情報を得ました。早速チケットを手に入れて聴きに行ったときのことです。第一楽章が始まってしばらくすると、「ブン」という大きな音とともにアルゲリッチが両手を上げて席を立ちあがり演奏をストップ。小澤さんに「ピアノ線が切れた」と言ったのです。そうしたことは、なくはないのですが、それからの二人の行動がとても面白かったのです。

 二人は舞台正面の端まで来て足を下に投げ出して座ると、すぐそばの聴衆を交えて話をし出したのです。私は10列目くらいだったので、話を聞き取ることができました。話の内容は例えば「カーネギーは素晴らしいホールだけど、静かになると地下鉄の音が聞こえるのよね。それとニューヨークらしいのは、救急車のサイレンよね。ヨーロッパだとそんなことはないのに・・・」。というようなたわいもない話なのですが、とにかく人気絶頂の二人の話です、聴衆はこんな経験は2度とできないので、待つ間も時々拍手をするくらい大盛り上がりでした。

 ピアノ線を張替え、調律を終えるまで待つこと30分。この上なく楽しく貴重な時間を過ごすことができました。切れたピアノ線に感謝です。もちろん演奏の再開はまた最初からでした。彼女のピアノと小澤ボストンによるベートーベンのピアノ協奏曲第4番は、私にとって忘れがたい演奏となりました。それ以降、有名な5番の「皇帝」より、おだやかな4番の協奏曲をこよなく愛することになりました。

 

 最後のエピソードは私の娘とサイトウ・キネン・オーケストラのことです。今この文章を書きながら私は小澤の指揮するサイトウ・キネン・オーケストラの2枚のCDを聴いています。1枚目は軽快な2曲が入っています。チャイコフスキーの弦楽セレナーデとモーツァルトのアイネ・クライネ・ナハト・ムジーク。2枚目はちょっと重たいブラームスの交響曲1番、ライブ収録の1曲でCD1枚分です。

 

 何故小澤さんの話に娘が出てくるかと申しますと、彼女はピアノを小澤さんのいた桐朋学園で学んだ経験を持つクラシック好きで、数年前にコンサル系の会社を辞め、その後毎年夏に松本市で行われる「サイトウ・キネン・オーケストラ、松本フェスティバル」の手伝いをしているのです。

 サイトウ・キネン・オーケストラとは、小澤さんが桐朋学園で指揮を学んだ恩師、斎藤秀雄氏を記念して桐朋の卒業生らがオーケストラを編成し、折に触れて小澤さんとともに世界で演奏活動をして、松本でもフェスティバルを行っています。

 「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」は、1992年から毎年8月、9月に渡り長野県松本市で行われる日本随一の音楽祭です。2015年から名称を「セイジ・オザワ 松本フェスティバル」に変更しました。プログラムは大編成のオーケストラ・コンサートからオペラ、小さなコンサートまで多岐にわたります。ちなみに23年のプログラムはこちらです。

https://www.ozawa-festival.com/programs/2023/

 

 小澤さんは体調が思わしくなくなってからも毎年この時期だけは涼しい松本に来て、総監督を務め指揮もしていました。昨年の夏もずっと松本に来ていたそうです。

 小澤さんはセイジ・オザワ松本フェスティバルと名付けられた演奏会の本番であっても、体調の悪さから数年前を最後に指揮台には上がっていませんでした。

 しかし彼こそ日本人音楽家として初めて世界の超一流音楽家の仲間入りを果たした稀有な人材です。私の心の中には彼が指揮する姿やオーケストラに指示を与える大きな声が鮮やかに焼き付いています。今もCD聞いているので、彼が長い白髪をなびかせながら鋭いまなざしでオーケストラの指揮をする姿が目に浮かんでいます。

我ながら、なんという幸せな思い出でしょう。

ありがとう、征爾さん。

 以上、「私の中の小澤征爾さん」でした。

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ショパンコンクールの優勝ピアノ、FAZIOLIが来た

2023年04月16日 | クラシック音楽

  一昨日は友人の主催する自動車ショー、Automobile Council 2023を見に、幕張メッセに出かけました。今年のテーマは、いつものクルマだけでなく、「Auto meets Music」と名付けられ、3日間にわたり会場内でコンサートが開かれます。

  初日は、一昨年のショパンコンクールで優勝者のブルース・リュウが使用したFAZIOLIのピアノをわざわざ日本まで運び、演奏を聞かせてくれるという趣向でした。それに惹かれて友人からチケットをいただき、いそいそと幕張まで出かけました。

  会場は例年どおりクラシックカーから新車、試作車までマニアックな車が百台近く並べられ、目を楽しませてくれました。一通り見終わり歩き疲れて会場中央にしつらえられたFAZIOLIピアノの前のベンチで休み、演奏を待ちまました。

  すると友人がFAZIOLIの日本代表をされているイタリア人の方を紹介してくれ、演奏までの間にピアノの話をたっぷりと聞かせてもらいました。私はピアノは弾けないけどクラシック、それも特にピアノが大好きですと自己紹介し、話が始まりました。

  私から彼にまず質問したのは、優勝ピアノのサイズです。一般的なコンサートグランドは280㎝ほどです。しかしこのピアノ、FAZIOLIのフラッグシップである308㎝のコンサートグランドでした。販売されているピアノでは世界最大のサイズです。

  普通コンサートホールはグランドピアノをステージに上げるために、多くはステージの真ん中にせり出し装置があって、大きすぎるものは上げられません。「ワルシャワのコンクール会場では出し入れは大丈夫だったのですか」とうかがうと、問題なかったとのこと。次の質問は「前々回までのショパンコンクールでFAZIOLIピアノの調律をしていた日本人の調律師、越智さんは今回も担当したのですか?」、答えはノーでした。今回はFAZIOLIのイタリア本社から派遣しました」とのこと。ちょっと残念ですが、ともかく「優勝、おめでとうございます」と言うと、満面の笑みで「ありがとうございます」と返事をされていました。

  今回FAZIOLIを選んだピアニストは8人と前々回の2人に比べ大きく増えたのですが、私はその理由を勝手に、「最近ユーチューブで世界的に著名なピアニストがFAZIOLIを演奏している動画が数多く流れていて、影響したのでしょうか?」と聞くと、それもあるかもしれませんが、「コンクール前のピアノ選定で試弾して気に入ったのでしょう」とのこと。それはそうですよね、実際に弾く機会はあまりないのですから。

  とにかく非常に高価なピアノのため、日本のコンサートホールでFAZIOLIをそろえているのは立川にあるチャボヒバ・ホールくらいしか私は知りません。今回2位になった反田恭平はコンクールより前にチャボヒバのFAZIOLIでショパンを弾いていたのだから、選んでもよいはずでしたが、好みではなかったのかもしれませんが、リスクを取らなかったのかもしれません。

   しかしとにかく1980年くらいに創業した新興メーカーのピアノが優勝した衝撃は大きく、きっと今後参加者はスタインウェイ、ヤマハ、カワイばかりでなく、FAZIOLIを選ぶことが多くなると思われます。

 

  そもそもピアノ市場は縮小しつつあって競争が激しいのですが、FAZIOLIの奮闘ぶりには目を見張るものがあります。今回の優勝により、世界の老舗メーカーを打ち破り、今後FAZIOLIが勢力を増すことになる可能性は大きいと思われます。

 会場にはクラシックカーも含め多くのスーパーカーが並んでいて販売もされていたのですが、FAZIOLI308はどの車よりも高価なピアノです。

 

  ではその音はいかに?

  お聞かせできないのが残念ですが、「素晴らしい」の一言に尽きます。広いメッセ会場にもかかわらず、音は華やかさをもって響き渡り、しかも柔らかさも兼ね備えていて、約1時間半、夢心地を味わうことのできる音色でした。とにもかくにもショパンコンクールで優勝をさらうとは、だれも予想していませんでしたので、常勝スタインウェイも心中穏やかではないと思われます。

  今後、コンサートでFAZIOLIを聞くのが楽しみですが、その前にたくさん売れることを期待しなくてはなりませんね。

 

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7月20日、反田恭平のピアノリサイタルに行ってきました

2022年07月29日 | クラシック音楽

  昨年10月のショパンコンクール準優勝で大きな話題になって以来、彼のコンサートチケットはプラチナどころか、当たりの宝くじ並みになってしまいました。数年前から日本で一番チケットの取れないアーティストと言われていましたが、それに輪がかかったのです。

  今回は家内がネットで抽選に応募し、それが見事にヒット。2人で聴きに行くことができました。彼は去年のショパンコンクールの時のサムライへアーからスタイルを一新、ザンバラでちょっとカールを入れたラフなスタイルになっていました。

 

  会場は新宿のオペラシティーコンサートホールで、クラシックファンの方ならよくご存じの「題名のない音楽会」の収録ホールです。内部はすべて木製で中規模のため、ピアノソロにはうってつけです。我々の席は2階のバルコニー席、初めて座る席です。それも正面に向かって右サイドで、彼の表情がよく見え、わずか20mほどの至近距離のため、ピアノの音がとても大きく響いてきました。

  プログラムは凱旋コンサートというべきかショパンの曲がメインで、マズルカが数曲、彼がワルシャワの公園のベンチで聞いて思いついたというラルゴ。そして圧巻は彼をはじめ多くのコンテスト参加者が弾いた「英雄ポロネーズ」でした。この選曲、実はショパンコンクールの第3次予選の彼の選曲とほぼ同じです。コンクールではソナタ葬送が入っていましたが、それがバラード2番になっているだけの差です。

  コンクールでの演奏は審査員ウケを狙った演奏のためか、若干硬さもあったのですが、今回はそうしたくびきから一切解放され、彼らしく自由奔放に思い切り楽しんで演奏していました。これぞ反田恭平という見事な演奏で、アンコールも30分近くに及ぶ大サービスで、我々も大満足でした。

 

  コンクールの選曲の中で一番気になっていたのは、とても短い曲「ラルゴ」です。普段の演奏会では全く聞いたことがなく、何故取り上げたのか気になっていたのですが、コンクールの後放映された密着取材の番組で彼自身がこう解説していました。「この曲は僕が勉強のため何年も過ごしたワルシャワの公園のベンチから聞こえてくる曲で、とても印象に残っているから入れてみました」。

「ベンチから聞こえる」という言葉もまた気になり調べてみたのですが、ポーランドの紹介サイトに写真とともに以下の記述が見つかりました。

 

「ショパン生誕200年にあたる2010年、ワルシャワには「ショパンのベンチ (Ławeczki Chopina – ワヴェチキ・ショぺナ)」なるものが作られました。これはショパンにゆかりのある場所の前に設置されていて、ボタンを押すとショパンの名曲が流れます。ボタンを押すと音が流れるため特に子供たちに人気です。」

 

  そういうことだったんですね。でもベンチは市内に15か所あり、それぞれ別の曲が流れるのですが、何故あまり有名ではない、しかもわずか2分の短いこの曲がショパンベンチに選ばれているのか。疑問に思いさらに調べてみると、この曲はショパンの遺作で、楽譜は死後約一世紀たったのちパリで発見され、「神よ、ポーランドをお守りください」という副題がつけられているということを知りました。

  きっと戦乱が続くポーランドを長きにわたり離れたショパンが、病気がちの自らの死期を悟り、国を思い作曲したのでしょう。これでこの知られていない曲が15か所のベンチの一曲に選ばれ、そして反田恭平がコンクールで選曲した理由が納得できました。その曲を今回また演奏してくれた彼に感謝します。ラルゴとは楽譜上の「ゆっくりと」という用語でもありますが、まさにそれに沿いゆっくりとそして情感のこもった演奏でした。

 

  演奏会の当日、我々は会場に早めに着いたのでオペラシティの書店に立ち寄りました。すると反田恭平の新刊本が平積みになっていて、「自筆サインつき」とあるではないですか。手に取る間もなくすぐに買い求めました。タイトルは「終止符の無い人生」。その本の中身の多くがショパンコンクール最中の心の動きを隠すことなく赤裸々につづられている部分で占められています。

 

  本の中で彼は特に3次予選についてパージを割いていて、心の動揺が描かれていました。ショパンコンクールのワルシャワ本選では選抜された80人あまりが参加し、1・2・3次と予選が進み、最後の10人が最終審査でワルシャワフィルとコンチェルトを弾くことになります。その10人に残ることがピアニストとしての生涯を決めると言っても過言ではありません。それに至る経緯が以下のように書かれています。

  そもそも彼はすでに世界でも一流ピアニストの仲間入りを果たしていて、かつ若手オーケストラメンバーで構成される株式会社Japan National Orchestraの社長です。その彼がショパンコンクールの予選段階で落ちたとなれば、大きなバッ点がつくことになります。コンクールに出るべきかどうか、迷いに迷った末、彼は出場という大きな賭けに出ました。ところがこの3次予選で本人は落選したと思い込み、ふさぎ込んでしまったのです。重圧から「手が震え動かなくなった」と回顧していました。

 

  しかしあにはからんや結果は極めて良好で、なかでも祖国ポーランドを思うショパンの遺作ラルゴが意外な評判を呼んだのです。審査員の中には「この曲は知らない」という人まで現れ、事務局から彼に「この選曲は何かの間違いではないか」とまで確認が来たとのこと。公園のベンチから聞こえたショパンの知られざる曲が彼を救ったのかもしれません。

 

  彼は20代にして自らのオーケストラを株式会社として創業し、ピアニストだけでなく、指揮者として活躍を始めていています。またNEXSUSという若手音楽家を世に出すマネージメント会社も運営しています。普通のピアニストであれば将来の夢を、将来ではなく現実のビジネスとしてスタートさせてしまうことに本当に驚かされます。

  これからも世界に大きく羽ばたくにちがいありません。それを予感させる以下の言葉が本のカバーの裏に書いてありました。

 

「夢をかなえた瞬間、すべてが始まる。」

 

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よくやった、反田恭平!

2021年10月19日 | クラシック音楽

  反田恭平君のファイナルコンサートが終わりました。ファイナルのコンサートは進出した12人のファイナリストが4名ずつに分れ、それぞれ4人ずつ3日間に渡って行われます。反田君は1日目の3人目、日本時間では19日の早朝でした。

  ファイナルはワルシャワフィルとピアノコンチェルトを共演すると決まっていて、ショパンのコンチェルトはたった2曲ですので、どちらかを演奏します。初日は全員が1番を演奏していました。

 

  4人の演奏を聞いて私は反田恭平の出来が抜群だったと感じました。ミスのないことはもちろん、とても余裕がありました。彼は独奏者として指揮者を見て合わせるだけでなく、その他の演奏者を見渡しながら全員とチームプレーを楽しんでいました。

  このところ彼はピアノ協奏曲を演奏するだけでなく、指揮をしながら演奏もするということを時々行っています。そのせいか、演奏中に自分の手に余裕が出ると楽員に対して指揮をするしぐさがわずかですが出てしまっていました。これはちょっとやり過ぎかもしれません。

 

  個人的確信を裏付けるのに、3つのポイントを上げます。まず最初は簡単な比較です。それは演奏後の聴衆の反応です。意外なことにショパンコンクールの拍手はルール違反がまかり通ります。それは演奏家が最後の音を出し、普通は音の余韻がなくなってから拍手が始まるのですが、このコンクールに限り最後の音を弾くか弾かないうちに拍手や歓声が始まってしまうのです。何故だかはわかりませんが、素晴らし演奏だったということを思い切り表現するためにフライイングするのでしょう。そのフライイングの程度と何分拍手が続くかで、少なくとも地元の聴衆の反応がすぐにわかるのです。なにせ何度も何度もコンクールを聴き続けているベテランの聴衆ですから、聞く耳は確かです。

 

  ちなみに3次予選ではそれが明らかな差となって現れました。3次予選のプレー順位が反田恭平君のすぐあとに角野隼人君でした。反田君の拍手は楽屋に入ってからも延々と続き、驚くほど長かったのです。角野君もいい演奏ではあったと思うのですが、長さが3分の1程度で、これは他の演奏者とほぼ同じでした。ワルシャワの聴衆の耳を信用するなら、3次予選ですでに尋常ならぬ聴衆の反応を見たと思いました。そして今回のファイナルも反応は同様で、驚くほどの激しい拍手が沸き起こっていました。

 

  ポイントその2は反田恭平君自身の演奏後の反応です。舞台から降りた演奏者をライブで部屋に入るまでテレビが追い続けるのですが、彼は舞台から階段を降りながら楽屋のカメラに向いVサインを出したのです。慎重な彼としては、驚くべき所作です。

  実は3次予選直後のインタビューで彼が言ったのは、「3次予選は恐いものです。自分に負けたので、悔しい」と正直な感想をもらしていました。「でも伝えたいことは伝えられたかなと思っています」。私は正直これを聴いたときは、もしや・・・と思いましたが、反面自分に対して厳しすぎる恭平なので、最後の言葉に救われました。

 

  そしてポイント3つ目。ファイナルの演奏直後のインタビューで言った言葉、これがなんと「演奏は大満足で、ほっとしています」だったのです。自分に超厳しい恭平のVサインと「大満足」と言う言葉は、私には勝利宣言に聞こえました。これらにワルシャワの聴衆の反応、これ以上何が必要でしょう。

  さらに彼は一緒にファイナルに進んだ小林愛実さんに対して「小林さんのサポートに感謝します」とし、演奏が終わった自分はこれから小林さんのサポートに回るとの言葉を残しています。実はこの二人、12歳ころからの友人だったとのこと。お互いの友情もどうやら大きな味方だったようです。

  小林愛実さんの演奏は最終日、現地時間21日の最初です。そしてそれが終わり優勝者・入賞者の発表が行われ、1・2位の凱旋コンサートが翌日行われます。

 

  果たして誰が優勝するか、期待は一段と高まります。

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ショパンコンクール、ファイナリストに日本人2人!

2021年10月17日 | クラシック音楽
今朝、嬉しい知らせが入りました。
 
3次予選まで残っていた日本の反田恭平君と前回ファイナリストの小林愛実さんの二人が、日本時間月曜日深夜から行われるファイナルに勝ち残りました。
 
ファナリスㇳ12名の中に日本人二人が残るのは快挙と言えます。
 
私の勝手なイチオシ反田恭平君、是非初の優勝者になって欲しいし、小林愛実さんも是非前回を超える6位までの入賞を果たして欲しいです。
 
コロナ禍の今年は、ゴルフのマスターズで夢としか思えなかった優勝を松山英樹が果たし、
これまた夢としか思えなかったメジャーリーグで大谷翔平が大活躍、MVP有力候補です。
 
その上ショパンコンクールで日本人が勝てば言うことなし、最高の一年です。
 
あと一歩、頑張れ恭平!
 
 
 
 
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