ストレスフリーの資産運用 by 林敬一(債券投資の専門家)

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7月20日、反田恭平のピアノリサイタルに行ってきました

2022年07月29日 | クラシック音楽

  昨年10月のショパンコンクール準優勝で大きな話題になって以来、彼のコンサートチケットはプラチナどころか、当たりの宝くじ並みになってしまいました。数年前から日本で一番チケットの取れないアーティストと言われていましたが、それに輪がかかったのです。

  今回は家内がネットで抽選に応募し、それが見事にヒット。2人で聴きに行くことができました。彼は去年のショパンコンクールの時のサムライへアーからスタイルを一新、ザンバラでちょっとカールを入れたラフなスタイルになっていました。

 

  会場は新宿のオペラシティーコンサートホールで、クラシックファンの方ならよくご存じの「題名のない音楽会」の収録ホールです。内部はすべて木製で中規模のため、ピアノソロにはうってつけです。我々の席は2階のバルコニー席、初めて座る席です。それも正面に向かって右サイドで、彼の表情がよく見え、わずか20mほどの至近距離のため、ピアノの音がとても大きく響いてきました。

  プログラムは凱旋コンサートというべきかショパンの曲がメインで、マズルカが数曲、彼がワルシャワの公園のベンチで聞いて思いついたというラルゴ。そして圧巻は彼をはじめ多くのコンテスト参加者が弾いた「英雄ポロネーズ」でした。この選曲、実はショパンコンクールの第3次予選の彼の選曲とほぼ同じです。コンクールではソナタ葬送が入っていましたが、それがバラード2番になっているだけの差です。

  コンクールでの演奏は審査員ウケを狙った演奏のためか、若干硬さもあったのですが、今回はそうしたくびきから一切解放され、彼らしく自由奔放に思い切り楽しんで演奏していました。これぞ反田恭平という見事な演奏で、アンコールも30分近くに及ぶ大サービスで、我々も大満足でした。

 

  コンクールの選曲の中で一番気になっていたのは、とても短い曲「ラルゴ」です。普段の演奏会では全く聞いたことがなく、何故取り上げたのか気になっていたのですが、コンクールの後放映された密着取材の番組で彼自身がこう解説していました。「この曲は僕が勉強のため何年も過ごしたワルシャワの公園のベンチから聞こえてくる曲で、とても印象に残っているから入れてみました」。

「ベンチから聞こえる」という言葉もまた気になり調べてみたのですが、ポーランドの紹介サイトに写真とともに以下の記述が見つかりました。

 

「ショパン生誕200年にあたる2010年、ワルシャワには「ショパンのベンチ (Ławeczki Chopina – ワヴェチキ・ショぺナ)」なるものが作られました。これはショパンにゆかりのある場所の前に設置されていて、ボタンを押すとショパンの名曲が流れます。ボタンを押すと音が流れるため特に子供たちに人気です。」

 

  そういうことだったんですね。でもベンチは市内に15か所あり、それぞれ別の曲が流れるのですが、何故あまり有名ではない、しかもわずか2分の短いこの曲がショパンベンチに選ばれているのか。疑問に思いさらに調べてみると、この曲はショパンの遺作で、楽譜は死後約一世紀たったのちパリで発見され、「神よ、ポーランドをお守りください」という副題がつけられているということを知りました。

  きっと戦乱が続くポーランドを長きにわたり離れたショパンが、病気がちの自らの死期を悟り、国を思い作曲したのでしょう。これでこの知られていない曲が15か所のベンチの一曲に選ばれ、そして反田恭平がコンクールで選曲した理由が納得できました。その曲を今回また演奏してくれた彼に感謝します。ラルゴとは楽譜上の「ゆっくりと」という用語でもありますが、まさにそれに沿いゆっくりとそして情感のこもった演奏でした。

 

  演奏会の当日、我々は会場に早めに着いたのでオペラシティの書店に立ち寄りました。すると反田恭平の新刊本が平積みになっていて、「自筆サインつき」とあるではないですか。手に取る間もなくすぐに買い求めました。タイトルは「終止符の無い人生」。その本の中身の多くがショパンコンクール最中の心の動きを隠すことなく赤裸々につづられている部分で占められています。

 

  本の中で彼は特に3次予選についてパージを割いていて、心の動揺が描かれていました。ショパンコンクールのワルシャワ本選では選抜された80人あまりが参加し、1・2・3次と予選が進み、最後の10人が最終審査でワルシャワフィルとコンチェルトを弾くことになります。その10人に残ることがピアニストとしての生涯を決めると言っても過言ではありません。それに至る経緯が以下のように書かれています。

  そもそも彼はすでに世界でも一流ピアニストの仲間入りを果たしていて、かつ若手オーケストラメンバーで構成される株式会社Japan National Orchestraの社長です。その彼がショパンコンクールの予選段階で落ちたとなれば、大きなバッ点がつくことになります。コンクールに出るべきかどうか、迷いに迷った末、彼は出場という大きな賭けに出ました。ところがこの3次予選で本人は落選したと思い込み、ふさぎ込んでしまったのです。重圧から「手が震え動かなくなった」と回顧していました。

 

  しかしあにはからんや結果は極めて良好で、なかでも祖国ポーランドを思うショパンの遺作ラルゴが意外な評判を呼んだのです。審査員の中には「この曲は知らない」という人まで現れ、事務局から彼に「この選曲は何かの間違いではないか」とまで確認が来たとのこと。公園のベンチから聞こえたショパンの知られざる曲が彼を救ったのかもしれません。

 

  彼は20代にして自らのオーケストラを株式会社として創業し、ピアニストだけでなく、指揮者として活躍を始めていています。またNEXSUSという若手音楽家を世に出すマネージメント会社も運営しています。普通のピアニストであれば将来の夢を、将来ではなく現実のビジネスとしてスタートさせてしまうことに本当に驚かされます。

  これからも世界に大きく羽ばたくにちがいありません。それを予感させる以下の言葉が本のカバーの裏に書いてありました。

 

「夢をかなえた瞬間、すべてが始まる。」

 

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ゴルフの聖地、オールド・コース

2022年07月16日 | ゴルフ

  今年の全英オープンがゴルフの聖地、セントアンドリュースのオールド・コースで始まりました。何故聖地なのか、いちいち説明するのもはばったいのですが、ゴルフ発祥の地であり今年がなんと150回目であるという古い歴史からも聖地ぶりが読み取れます。

  世界のトッププロはみんなここでオープンが開催される時に優勝したいと望むのです。そしてゴルフ好きのアマは、一生に一度はここで聖地巡礼のプレーしてみたいと望んでいます。幸いなことに私はここで3回プレーすることができました。3度もプレーできたコツはたった一つ、「絶対にここでプレーするぞ」という強い意志を持ち、それを一生懸命実行したからです。自慢話そのものですが、まあここは我慢して聞いてください。

  最初にプレーしたのは1988年、ニューヨークにいた38歳の時です。ロンドンの同僚と電話で話していた時、彼が「今度セントアンドリュースに行くんだ」というのを聞きつけ、「私も行きたい、連れて行ってくれ!」と懇願し、それが実現しました。その頃はJALにいたので、ホテルとコースの予約をロンドンの同僚にお願いし、結局NYの仲間を募り、2組8人でプレーすることになりました。航空便はお得意のインターラインパス。パンナムの友人に手配してもらい、ただ。そんなことをしていたのでパンナムは3年後91年に破綻してしまったのです(笑)。

  オールド・コースでのプレーをアレンジするのは簡単ではありません。当時スタート予約を取るには2とおりあって、コース脇のオールド・コースホテルに3泊以上泊まるか、早朝スタートハウスに行って名前を書いて順番を待つかです。我々は確実にプレーするため、当時一泊日本円で5万円近いホテルを予約し、スタートを確保しました。

  初めてのオールド・コースのスタートは緊張ものです。というのも、1番ホールのティーグラウンドには常に100人ほどの見物人がいるからです。しかもプロのトーナメント並みにマイクで4人の名前を呼ばれ、「Gentlemen, Tee Up, Please!」なんです。

  私はあまり緊張しない質ですが、友人は手が震え小さなティーにボールが乗らず苦労していました。しかも衆人環視のティーショットはもっと悲惨で、ダフリ、トップ、コースアウトとバラエティに富んだショットを見ることができ、見物人には大うけなのです。ちなみに私は隣の18番最終ホールと共通の広いフェアウェイの真ん中に飛ばし、拍手をもらいました。ただしその広さはなんと100ヤードほどもあり、右に大きく曲げてコースアウトしない限り、チョロでもフェアウェイのため、過緊張さえしなければ簡単なのです。

  オールド・コースをまともにラウンドするには地元のキャディーを雇わないといけません。けちるととんでもないことになります。我々はコースガイドを手にしてセルフでラウンドしたのですが、コースガイドは実はあまり役に立たないホールが多いのです。理由はティーグラウンドからホール全体を見渡せないからです。海岸沿いの比較的フラットな場所であるリンクスなのに何故と思われるかもしれません。理由はわずか2・3mの起伏があるだけでも見えないものは見えないし、4・5mの起伏もけっこうあるためです。。

  1番ホールはグリーンまで見渡すことができるのですが、その後のホールはティーから見えるのはグリーンのフラッグだけという状況が続き、ティーショットの目標すら定めることができません。特にゴースと呼ばれる灌木の茂みが目の前にあると、視界ゼロになります。高さわずか2mほどなのですが、人間の目の高さより高いため遠方は何も見えません。2打目以降でボールがフェアウェイにあっても同じで、グリーまでに数mの起伏があるホールが多く、ピンフラッグは見えてもそこまでのコース状況が全くわからないのです。コース全体は、前半のアウトコースほぼ直線的に出ていき、後半はそれを折り返すので、およその見当はつきますが、バンカーやラフの罠がどこだかわかりません。フェアウェイには所かまわずバンカーがあり、すぐさま餌食になってしまいます。

  2度目にプレーした時はやはりオールド・コースホテルに泊まってスタートを確保。しっかりとしたベテランキャディーを付けました。スタートしてすぐの2番ホールのティーで彼が言ったのは、「ほら、はるかかなたに白い煙突が見えるだろ、あれを狙え。外れると右でも左でもバンカーにつかまる」というのです。その煙突とは何キロも先の対岸の煙突なのですが、ほかは空だけなのです。ボールを打つと彼は「OK、バンカーの横5ヤードだ」何も見えないのに、正確に位置を予測してくれます。素晴らしいベテランキャディーでした。彼はアメリカ人ですがスコットランドのゴルフ場が好きで移住し、キャディーで生計を立てているそうです。ハンディはスクラッチ。つまりゼロで、アマチュア選手権に出ていると言っていました。

  その次の日、私は早朝5時に起きてスタート表に名前を書き入れて3度目のスタートを確保したのですが、実際にプレーできたのは午後1時半過ぎで、ラッキーなことにキャディーのスティーブが前の客とのラウンドを終えて戻ってきたため、そのまま一緒に回ることができました。

  オールド・コースのバンカー数は112個。18で割ると一ホール6個なのですが、ゼロのホールもあるので、もっと多い感じをうけます。空中からコースを写した写真を見ると、まるでクレーターだらけの月面です。

  その中でも有名なバンカーは14番ホールのヘル(地獄の)バンカーです。300平米と大きいし、高さは3mと深い。バンカーに降りるための梯子がかかっているほどです。あのジャック・ニクラウスも脱出に数打を要したというエピソードが残っています。

  そしていつも最終ホールに近い17番、ロードホールにあるロードホールバンカーも有名です。3日目を終わって首位だった中島常幸があと2ホールまで来ていてこのバンカーにつかまり脱出に4打を要し、討ち死に。彼のファーストネームのトミーの名が冠せられトミーズ・バンカーと言われています。様々な劇的プレーを演出するバンカーゆえ最近はバンカー内の壁にカメラが埋め込まれていて、ショットの様子をバンカー内から見ることができます。

  私の初めてのラウンドの日は風が強く、ピンフラッグが反ってしまうほどでした。その中でスコアは89と、私としては上出来でした。その次にオールド・コースに来たのは1997年で、その時はスコットランドに10日間滞在し、ターンベリー、カーヌスティ―などのコースを含め12ラウンド。そのうちセントアンドリュース近辺ではオールド・コース以外で3ラウンドしました。中でもオールド・コースの隣にあるニューコースは素晴らしいリンクスコースです。ニューと言いながら歴史は古くすでに130年も経っています。

  そして2回目のスコアはキャディーのスティーブのおかげで86と改善。3度目は彼が70台でのラウンドを目指そうと鼓舞してくれ、必死にラウンド。16番ホールを迎えるまで6オーバーで来ました。あと3ホールをパーで終えれば70台達成です。ところが16番ホールで1mのパーパットを外してボギー。全ホールで最も難しい17番と最終ホールのどちらかでバーディーを取れば79だったのですが、それはなかなか困難です。それでも17番ホールは2打でグリーンの手前までうまく運び、寄せワンのパー。あと残るは易しい18番のみとなりました。

  有名なスウィルカン・バーン・ブリッジのそばにあるティーグラウンドからのティーショットはナイスショット。残りは160ヤードほどでしたが、スティーブのアドバイスにより短めの150ヤードを打つ7番アイアンを選択。リンクスではボールがとてもよくころがるので、ピンの手前4mにナイスオン。このショットに対してグリーンを取り囲む100人ほどの見物人が拍手をしてくれました。まるでプロのトーナメントの最終ホールをプレーしている気分にさせてくれます。

  そして衆人環視の前で最終パットに臨みました。ピン位置は全英オープンの最終日で使う右奥の高い位置にあり、登りのほぼ真っすぐの絶好のバーディーチャンスでした。絶対にショートはしないぞと思ってしっかり目に打ったボールはホールの淵で蹴られて残念ながらパー。それでも見物の人たちは惜しみない拍手をしてくれました。

 

  ゴルフの聖地オールド・コースでの私のプレーはこれにて終了。その後スコットランドには2回訪れて、オープンを開催するミュアフィールドやロイヤル・バークデール、プレストウィックなどのコースをラウンドしたのですが、オールド・コースには戻っていません。いい思い出をそのままとっておきたいので、あえて避けています。

  以上、聖地巡礼の旅でした。

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アベノミクス評価

2022年07月11日 | 日本の金融政策

  今の日本でVIPが凶弾に倒れるとは、思ってもみない出来事でした。あってはならないことで、安倍さんとご家族には心からお悔やみ申し上げます。

 

安倍氏の評価を政治面から行っても議論百出。あまり実りはないと思われますので、私は経済面、それも数字で推し量れる事実関係のみに焦点を当てた評価を試みます。

 

  安倍総理の在任は12年12月から20年9月の8年あまりでした。ではまずその間に日本はどれだけ成長したか、GDPで計ってみましょう。

 

  12年名目GDP500兆円

  20年 同GDP538兆円   8年間の合計成長率は7.6%。

 

しかしこれを年率に直すとわずか0.92%と1%に満たない数字です。アベノミクスの目標成長率は3%でしたから、実態はその3分の1に満たない数字でした。

 

しかも就任してすぐ年明けの13年4月には日銀総裁を黒田氏に替え、日本中にオカネがいきわたるハズの超緩和策を導入しています。そして黒田氏はいまだにその政策を続けています。その間に日銀が国債を買いまくった総量は400兆円とGDP全体に近い莫大な数字です。その結果いい気になった政府の累積赤字は昨年度末で1,212兆円に上っています。GDPの2倍を超えました。それだけ投じても我々の手元にオカネは届かず、日本は成長できなかったというのが日本経済の実態です。

 

一方、日銀は株も買いまくっています。その総量は50兆円、その他にGPIFと言われる我々の年金基金を使った日本株投資金額は推定25兆円。日銀とGPIFで75兆円です。

 

ではその結果、株価はどうなったか。日経平均株価を見てみます。

12年12月末;1万 400円程度

22年 6月末;2万6,400円程度  254%と非常に伸びています。

 

その間のドル円レートはどうだったか、

12年12月末 86円

22年 6月末137円   59%の円安

 

では総括すると、「株価だけが突出して伸びたものの、成長はほとんど誤差程度で、円はかなり安くなった」、ということになります。という数字だけの比較であれば誰でも簡単にできる総括です。しかしもちろん私の分析はここからです。

 

いつも申し上げているように、世界の投資基準も評価基準もベースはドル建てです。たとえば一人当たりGDPの比較でも世界との比較はドル建てですから、次のようになります。

 

 12年名目GDP500兆円  ・・・ドルでは5.8兆ドル @86円

 20年 同GDP538兆円  ・・・ドルでは3.9兆ドル @137円

 

率に直すとなんと33%もの縮小です。一人当たりGDPで韓国に抜かれるわけです。

 

一方株価も同様にドル建てで計算すると、

12年12月末;1万 400円程度 ドル建てでは121ドル

22年 6月末;2万6,400円程度 ドル建てでは190ドル

 

円建てでは254%の上昇でしたが、ドル建てでは57%の上昇です。といってもこれも日銀と年金が株価つり上げのため買いまくった結果で、クリーンな株価上昇とは言えません。もちろん他の国でこんなおバカな中央銀行も政府もいません。

 

どうです、国際標準で見るとすっかり景色は違って見えますよね。

 

アベノミクスは海外投資家に対して次のような言葉で開始されました。

「Buy My Abenomics!」

 

開始当初は海外投資家が大いに日本株を買いまくりました。初年度はなんと15兆円もの買い越しでした。海外投資家の保有比率を見ますと、12年末が28%でスタートし、14年末には34%まで上昇、しかし現在は30%と、アベノミクス開始前とさほど変わらないレベルまで低下しています。その間、海外投資家の年間投資額は初年度の15兆円分をどんどん売り越していったということになります。

ということで円だけの狭い見方ですとアベノミクスは成功したように見えるのですが、世界標準の見方では成功などしていません。むしろこの政策のツケとして残された日銀のバランスシートにため込まれた日本国債が今後いつ爆発するか、海外投資家はかたずをのんで見守っています。

 

では日本の家計はアベノミクスをどう評価したか。もちろん最初から最後まで冷ややかに見ています。その何よりの証拠が家計にため込まれた金融資産2,000兆円です。しかもそのうちの半分1,000兆円が現預金で、海外投資家のようにアベノミクスに踊らされることもなく、ひたすら危うい政策をさめた目で「見てるだけー」でした。

 

ほんの一部の賢い方が私のお勧めに乗って米国債に投資し、大いに儲かっています。(笑)

 

そうでない方の円資産は、ドルの世界から見ると6割も減っています。それを決して忘れないように。

 

日本は貿易赤字が当たり前になり、経常収支でさえ赤字が近づいています。財政赤字と経常収支赤字は相乗効果をもって日本全体を襲うことになるので、みなさんも是非指をくわえて見てるだけでなく、金利を稼げる米国債をしっかりと買って、ストレスフリーの世界で寝て暮らしましょう(笑)

 

林 敬一

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大丈夫か、バイデンのアメリカ

2022年07月05日 | アメリカアップデート

  バイデンの支持率が下がりっぱなしで、一向に改善しませんね。

  私がトランプ大統領時代いつも引用していた世論調査のおまとめサイト、RealClear Politicsの最新調査では、平均支持率38%、不支持率57%と、不人気だったトランプの大統領と同じような数字です。政権スタート時に56対36だったものが、去年8月のアフガニスタンからの撤退で一気に不人気化し、8月22日は不支持率が支持率とクロス。あとは徐々にその差が拡がる一方となり、発足当初とは逆の数字になってしまいました。このまま11月の中間選挙を迎えると、民主党は上下両院で過半数を割るとまで予想されています。

  日本の場合、内閣支持率が3割を下回ると、政権交代が起ると言われていますが、アメリカは誰もそうは思っていません。大統領が直接選挙で選ばれているため、4年間を全うするのが当たり前だからです。しかし中間選挙での敗北は大統領の残りの2年のレームダック化を予想させます。レームダックとは足の悪いアヒルを指しますが、最近は差別用語であるとして使用を控えることも多くなりました。

  バイデンの不人気のきっかけは昨年8月のアフガン撤退問題でしたが、最近は何といってもインフレの高進が最大の要因です。先月発表の5月の数値は前年比8.6%ですから、かなりの高率です。その最大の原因はガソリン価格で、なんと48.7%上昇。そして食料品が10.1%でした。あいかわらず車社会のアメリカでは、ガソリン価格は消費者の懐を直撃します。それに加えて実はサービス価格が上昇率をプッシュしています。サービス価格は人件費と直結していて、雇用情勢が依然としてタイトであることから、当分この傾向は続くと見られています。

 

  ではバイデンの再選予想はどうか。それを見るにはまずは相手となりそうなトランプを見てみましょう。同じくおまとめサイトの最新の情報では、トランプが好ましいは44%、好ましくないは52%で、全国での人気は決してよくはありません。別の要素で見ると、共和党内だけのことですが、中間選挙の議員候補を選ぶ共和党予備選で、トランプが支持している候補が勝った勝率は9割に達していて、党内では影響力を依然として保持しています。

 

  しかし彼にはアキレス腱があります。それは去年1月6日のトランプ支持者による議会乱入を指令したという教唆疑惑です。現在その直接の被害者となった議会で公聴会が開かれていて、続々と新しい証言が集まりつつあり、全米ではゴールデンタイムにライブ中継され、注目の的となっています。

  下院の公聴会ではディック・チェイニー元副大統領の娘で共和党下院議員のリズ・チェイニー氏が副議長を務め、トランプによる乱入教唆を証明しようとやっきになっています。再度言いますが、彼女は共和党議員であるにもかかわらずです。

 

  すでに何人もが証言台に立ち、トランプが「議会へ行進しよう。われわれは強さを示さなければならない」などと檄を飛ばした事実があきらかになっていますが、さらに当日トランプが自分も議事堂に行くと言い張り、運転手からハンドルを奪い取ろうともみ合ったとか、ホワイトハウスにいろ、と側近から言われながら「どうしても行く」と言って側近に食べ物を投げつけたとか、トランプの狂乱ぶりが補佐官などの元側近から暴露されています。

 

  しかし公聴会はトランプ訴追の権限を持たず、司法省が持っているため結果の予想はつきません。もし訴追となれば、彼は大統領選に出馬はできません。

 

  ではバイデンに戻ります。世論調査だけでなく、民主党内ではバイデンの年齢が大統領再選時に82歳となるため、不安視されていることも大きな問題となっています。

  ところで副大統領カマラ・ハリスはいったいどうしているのでしょうか。就任時は年老いたバイデンの次の大統領候補だろうとまで言われていましたが、移民問題を担当させられ問題解決にはほど遠いためか支持率を落としています。同じ世論調査のおまとめサイトでは、ハリス支持39%、不支持53%とバイデン同様の体たらくです。

 

  中間選挙の結果予想は、インフレがこのままで推移し、ウクライナ戦争で膠着状態、あるいはロシアの優位が続くと、民主党の負けがほぼ決まりそうです。本来なら政権与党の敗北は経済に悪影響を及ぼしそうですが、アメリカ経済が秋の中間選挙により左右されるという論調は少ないのです。実際に敗北したとしても、株価は大きく反応するとは思えません。一つは共和党が経済・金融界寄りであること、そして相場はすでに織り込み済みということでしょう。

  従って、ドルの強さも当分大きな変化はなさそうと見ておくのが無難でしょう。

  ということは、アメリカ経済はバイデンに関わらず、大丈夫。政治の影響は受けづらいというのが結論です。

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