昨年10月のショパンコンクール準優勝で大きな話題になって以来、彼のコンサートチケットはプラチナどころか、当たりの宝くじ並みになってしまいました。数年前から日本で一番チケットの取れないアーティストと言われていましたが、それに輪がかかったのです。
今回は家内がネットで抽選に応募し、それが見事にヒット。2人で聴きに行くことができました。彼は去年のショパンコンクールの時のサムライへアーからスタイルを一新、ザンバラでちょっとカールを入れたラフなスタイルになっていました。
会場は新宿のオペラシティーコンサートホールで、クラシックファンの方ならよくご存じの「題名のない音楽会」の収録ホールです。内部はすべて木製で中規模のため、ピアノソロにはうってつけです。我々の席は2階のバルコニー席、初めて座る席です。それも正面に向かって右サイドで、彼の表情がよく見え、わずか20mほどの至近距離のため、ピアノの音がとても大きく響いてきました。
プログラムは凱旋コンサートというべきかショパンの曲がメインで、マズルカが数曲、彼がワルシャワの公園のベンチで聞いて思いついたというラルゴ。そして圧巻は彼をはじめ多くのコンテスト参加者が弾いた「英雄ポロネーズ」でした。この選曲、実はショパンコンクールの第3次予選の彼の選曲とほぼ同じです。コンクールではソナタ葬送が入っていましたが、それがバラード2番になっているだけの差です。
コンクールでの演奏は審査員ウケを狙った演奏のためか、若干硬さもあったのですが、今回はそうしたくびきから一切解放され、彼らしく自由奔放に思い切り楽しんで演奏していました。これぞ反田恭平という見事な演奏で、アンコールも30分近くに及ぶ大サービスで、我々も大満足でした。
コンクールの選曲の中で一番気になっていたのは、とても短い曲「ラルゴ」です。普段の演奏会では全く聞いたことがなく、何故取り上げたのか気になっていたのですが、コンクールの後放映された密着取材の番組で彼自身がこう解説していました。「この曲は僕が勉強のため何年も過ごしたワルシャワの公園のベンチから聞こえてくる曲で、とても印象に残っているから入れてみました」。
「ベンチから聞こえる」という言葉もまた気になり調べてみたのですが、ポーランドの紹介サイトに写真とともに以下の記述が見つかりました。
「ショパン生誕200年にあたる2010年、ワルシャワには「ショパンのベンチ (Ławeczki Chopina – ワヴェチキ・ショぺナ)」なるものが作られました。これはショパンにゆかりのある場所の前に設置されていて、ボタンを押すとショパンの名曲が流れます。ボタンを押すと音が流れるため特に子供たちに人気です。」
そういうことだったんですね。でもベンチは市内に15か所あり、それぞれ別の曲が流れるのですが、何故あまり有名ではない、しかもわずか2分の短いこの曲がショパンベンチに選ばれているのか。疑問に思いさらに調べてみると、この曲はショパンの遺作で、楽譜は死後約一世紀たったのちパリで発見され、「神よ、ポーランドをお守りください」という副題がつけられているということを知りました。
きっと戦乱が続くポーランドを長きにわたり離れたショパンが、病気がちの自らの死期を悟り、国を思い作曲したのでしょう。これでこの知られていない曲が15か所のベンチの一曲に選ばれ、そして反田恭平がコンクールで選曲した理由が納得できました。その曲を今回また演奏してくれた彼に感謝します。ラルゴとは楽譜上の「ゆっくりと」という用語でもありますが、まさにそれに沿いゆっくりとそして情感のこもった演奏でした。
演奏会の当日、我々は会場に早めに着いたのでオペラシティの書店に立ち寄りました。すると反田恭平の新刊本が平積みになっていて、「自筆サインつき」とあるではないですか。手に取る間もなくすぐに買い求めました。タイトルは「終止符の無い人生」。その本の中身の多くがショパンコンクール最中の心の動きを隠すことなく赤裸々につづられている部分で占められています。
本の中で彼は特に3次予選についてパージを割いていて、心の動揺が描かれていました。ショパンコンクールのワルシャワ本選では選抜された80人あまりが参加し、1・2・3次と予選が進み、最後の10人が最終審査でワルシャワフィルとコンチェルトを弾くことになります。その10人に残ることがピアニストとしての生涯を決めると言っても過言ではありません。それに至る経緯が以下のように書かれています。
そもそも彼はすでに世界でも一流ピアニストの仲間入りを果たしていて、かつ若手オーケストラメンバーで構成される株式会社Japan National Orchestraの社長です。その彼がショパンコンクールの予選段階で落ちたとなれば、大きなバッ点がつくことになります。コンクールに出るべきかどうか、迷いに迷った末、彼は出場という大きな賭けに出ました。ところがこの3次予選で本人は落選したと思い込み、ふさぎ込んでしまったのです。重圧から「手が震え動かなくなった」と回顧していました。
しかしあにはからんや結果は極めて良好で、なかでも祖国ポーランドを思うショパンの遺作ラルゴが意外な評判を呼んだのです。審査員の中には「この曲は知らない」という人まで現れ、事務局から彼に「この選曲は何かの間違いではないか」とまで確認が来たとのこと。公園のベンチから聞こえたショパンの知られざる曲が彼を救ったのかもしれません。
彼は20代にして自らのオーケストラを株式会社として創業し、ピアニストだけでなく、指揮者として活躍を始めていています。またNEXSUSという若手音楽家を世に出すマネージメント会社も運営しています。普通のピアニストであれば将来の夢を、将来ではなく現実のビジネスとしてスタートさせてしまうことに本当に驚かされます。
これからも世界に大きく羽ばたくにちがいありません。それを予感させる以下の言葉が本のカバーの裏に書いてありました。
「夢をかなえた瞬間、すべてが始まる。」