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江之浦測候所奇譚

2024年04月22日 | アートエッセイ

 春うららの中、小田原にある「江之浦測候所」に行ってきました。

 

 4月初め家内の大学時代からの友人であるアメリカ人女性が息子さんを伴って来日。一週間日本に滞在し、その間ほぼ毎日彼らを夫婦でアテンドしていました。

 東京を案内した後、親子を一泊で箱根に案内したのですが、途中の小田原付近で寄ったのがタイトルにある「江之浦測候所」です。測候所と言えば天気の観測をするところですが、ここは私が大好きな偉大なるアーティストであり、様々な顔を持つ

 杉本博司が海辺の丘に作り上げた広大なるサイトで、現代美術や古代の世界の観察ができます。江之浦測候所入口では、満開のさくらが迎えてくれました。

 杉本博司の名前を知らない方のほうが多いと思いますので、簡単に説明しようと思うのですが、一口ではとても説明できないスケールの大きな人物です。

 

 彼が世間一般に名を知られだしたのは、写真家としてニューヨークで活躍し始めたころです。その後彼のキャリアをキーワードで示しますと、現代美術作家、骨董収集家、建築家、演出家、文化功労者、日本芸術院会員などなど。多芸多才すぎて、ますますわかりまませんので、ウィキペディアの説明文を付けます。

 「杉本は1948年生まれ。1980年代、写真を素材とした現代美術作家としてキャリアをスタートさせ、独自の徹底したコンセプトを立て、飛び抜けて高い技術で写真を芸術の域に高めたことで、美術史にその名が刻まれる作家である。 2000年以降は建築にも活動の領域を広げ、さらに古美術と自作を組み合わせたさまざまな展示によって、新しい境地を切り開いてきた。」と言う具合です。

 

 その上、彼は一流の骨董品収集家でもあり、古美術のコレクションは美術館が開けるほどです。カンブリア紀の三葉虫の化石や空からの隕石まで収集して大事な物は古い倉庫小屋に展示してあります。


 三葉虫の化石の石板の下には黒い隕石があります。そして天井付近には「落石注意」の看板がジョークとして掲げられています。

 我々がアメリカから来た二人を「江之浦測候所」に連れて行った理由は、我々が新しいマンションに引っ越したとき、引っ越し記念にこの友人から送られたのが、杉本博司の名を世界に知らしめた海景写真のシリーズのうちの、「Sea of Japan」の1枚の写真だったからです。

 今回彼女を家に招待した時、玄関に飾られた杉本の「海景」を見て、とても喜んでくれました。「海景」の写真はアートとしての価値を上げ続け、最も大きな作品は海外オークションで30万ドルを超える価格で落札されています。それらと同等の大きな世界各地の海景写真が、江之浦測候所のギャラリー内に何枚も飾られています。うちの玄関の小さな海景写真はもちろんそれとは別物の横幅30㎝程度の小さな写真です。

 江之浦は小田原市内から真鶴方面に海岸沿いに30分ほど行った景勝地にあります。その地を大変気に入った杉本は、そこに壮大なスケールの開発を行い、自身の世界観を具体的サイトとして作り上げています。HPの説明を引用しますと、

 

「江之浦測候所の各施設は、美術品鑑賞の為のギャラリー棟、石舞台、光学硝子舞台、茶室、庭園、門、待合棟などから構成される。また財団の各建築物は、我が国の建築様式、及び工法の、各時代の特徴を取り入れてそれを再現し、日本建築史を通観するものとして機能する。よって現在では継承が困難になりつつある伝統工法をここに再現し、将来に伝える使命を、この建築群は有する。」

というように杉本流の小難しい世界観の説明で、何を彼が重視しているかが示されています。HPには杉本自身が建設現場に立って説明をしている動画もあります。

HP; https://www.odawara-af.com/ja/enoura/

 茶色くさびた橋はその中も歩けるブリッジで、右側には厚いガラス板を組み合わせた舞台があります。私はその舞台を見るための半円形の石作りのスタンドから写真を撮影しました。実は薄くもやった海景こそ、彼の写真シリーズの海景そものでした。冬至には鉄のブリッジの正面から太陽が昇るそうです。

 

 私が毎週見ているNHKの番組に「日曜美術館」があります。この4月から装いを新たにして司会者に坂本美雨を招き、そのお披露目番組が3月末に放映されました。彼女は先ごろ亡くなった坂本龍一の娘で芸術に対する理解が深く、司会役にはうってつけです。お披露目番組で江之浦測候所を訪ね、杉本自身から全体のコンセプトや各展示物の説明を受けていました。私はその番組を見てから初めて訪れたのですが、広大な敷地の中であらかじめ行きたい場所の見当をつけることができました。

 といいながらもせっかくなので実はほぼ全部の場所を回ったというほうが適切かもしれません。杉本を理解する友人親子もしかり。年に一度冬至に太陽が昇る時間にしか見ることができない、まるでストーンヘンジのような仕掛けを持つトンネルの中まで、興味深く観察していました。鉄サビ色のトンネルの入り口から海に向かって写真を撮りました。冬至に日の出を見られる仕掛けです。

 この測候所を見学するにはあらかじめ予約が必要で、かなり広い敷地ではあるものの見学者の人数を制限しています。もともとミカン畑であったためかなりの傾斜地に作られていて、一回りするだけでも2時間ほどの山道ハイキングになります。

 訪れた日はとても天気のよい日で、山道の両側には菜の花畑があり、そこに桜の木がたくさん植わっているため、黄色とピンクのコントラストを楽しむことができました。

 園内唯一の小さな屋外カフェでは、そこで採れたキヨミミカンをベースにしたジュースがあり、三浦半島から真鶴半島までを見通せる海景の中で味わうのは格別でした。園内の竹林はちょうどタケノコのシーズンに当たっていたため、掘り起こした跡がたくさんありました。

 

 杉本博司の世界は瀬戸内海随一のアート・サイトである直島でも見ることができます。ですがアメリカからの旅行客を直島に連れて行くのは難しいため、次の機会に譲ることにしました。直島は3年に一度開かれる「瀬戸内国際芸術祭」のメイン会場のため、その時をとらえてアートに造形の深い彼女を連れて行きたいと思っています。

 

 以上、サイト全体がまさに「奇譚」と呼べる「江之浦測候所」でした。興味のある方は是非一度訪れてみてください。

 

 

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「本阿弥光悦の大宇宙」展

2024年03月08日 | アートエッセイ

 毎日のようにガザ地区でのイスラエルの残虐な殺りくや、ウクライナでのロシアによる一般市民の住む住宅への爆撃など、目を覆いたくなるようなニュースが続いていますね。

 そんな中、一服の清涼剤を得ようと上野に行きました。「本阿弥光悦の大宇宙」と名付けられた展覧会です。本阿弥光悦はその後の日本の芸術文化の源流を作り出した人物で多芸多才、芸術の総合プロデューサーとも称されます。

 

 茶道具や書画骨董をお好きな方であれば、本阿弥光悦の名声はよくご存じでしょう。そうでない方にはなじみのない名前かもしれません。私が日本で最も好きな芸術家の一人です。その不思議な響きを持つ名前に初めて出会ったのは小学校6年生の夏でした。

 友人のお姉さんが吉川英治作「宮本武蔵」、全六巻という大作を読んでいたのですが、その本を見て、読みたいと母親にせがみ買ってもらいました。小学生で何故そのような大部の本を読みたがったかと申しますと、二刀流の剣術使いに憧れたからで、私の子供の頃は近所の悪ガキと毎日のようにチャンバラごっこをしていたからです。元々新聞に連載されていたため、本になっても見開きで必ず挿絵があったのも、読手の助けになったのだと思います。

 小学校時代に、やっと六巻を一度読み終え、その後中学・高校時代、そして大学時代にも読んでいます。ストリーをすべて記憶していてもなお面白さを感じる本でした。その中で武蔵は本阿弥光悦と出会い、それが光悦を知るきっかけになりました。

 本の中での光悦と武蔵の出会いは、京都にあって天下にその名を轟かせていた剣術道場、吉岡一門との決闘直後、野点をしていた光悦と偶然に出会ったという設定でした。戦を終えて血なまぐさいままの武芸者とは正反対の芸術家に出会い、光悦は彼のその後の人生に大きな影響を与えることになりました。この出会いの場面は、吉川英治の創作と言う説が有力です。

 武蔵は晩年になると多くの水墨画を描き残しています。中でも有名なのは重要文化財となっている掛け軸「枯木鳴鵙図(こぼくめいげきず )」で、細く長い枯れ木の上にモズがとまっているだけの図柄ですが、一筆で一気に書いたと思われるその枯れ木の鋭さが、私には真剣で見事に空を切り裂いた跡ように見えるのです。

 彼は晩年を肥後細川家で過ごしています。その関係でしょう、細川家の家宝を収蔵する「永青文庫」にはいまだに彼の書画が多く残されていて、拝観することができます。今回も永青文庫からは数多く出展されています。

 

 次に私と光悦が出会ったのは、芸術雑誌の芸術新潮誌上です。JALに就職してすぐ、トレーニーとしてフランクフルト支店にいた時代に出会った方が芸術新潮で仕事をされていて、日本に帰ってからも交流が続き、芸術好きの私に毎月月刊誌を送ってくれたのです。その中に本阿弥光悦の特集号がありました。学生時代に読んだ本に出てきた本阿弥光悦の芸術作品に初めて写真で出会い、特に茶碗の造形にいたく感動しました。今さらながらですが、私は若いうちからやけに老人趣味だったのです。それまでは父親の趣味とドイツにいたことも影響し、ヨーロッパの音楽と絵画に傾倒していたのですが、芸術新潮のおかげで日本の芸術文化にも目覚めることができました。友人に感謝です。

 本阿弥光悦の陶芸の代表作には、国宝の白楽茶碗「不二山」や、私が大好きな赤楽茶碗「乙御前(おとごぜ)」。黒楽茶碗「雨雲」などがあり、それらも展覧会に出展されていました。展示された茶碗の前に立つと、その瞬間、いつも鳥肌が立ちます。

 

 また今回展覧会のポスターにもなっている代表作のひとつが、装飾的な国宝の硯箱「船橋蒔絵硯箱(ふなばしまきえすずりばこ)」です。硯箱といいながら実にユニークな造形美を持つ漆工芸の傑作として国宝にも指定され、代表作の一つとして知られています。

光悦展のHP;https://koetsu2024.jp/

 今回のもう一つの目玉作品が本阿弥光悦筆、俵屋宗達下絵「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」です。俵屋宗達と言えば、琳派を代表する絵描きですが、その絵を下絵として上に筆で和歌を書くという大胆不敵なことをしています。それもそのはず、俵屋宗達は若い時に光悦に見いだされ、鷹峯に移り住んだ一人なのです。そのまき絵、上下34㎝、幅13m半に及ぶ大作です。琳派の始祖は尾形光琳ではなく実は光悦と宗達の二人であると言われています。

 

 そもそも光悦は京都の洛北、鷹峯(たかがみね)に徳川家康から9万坪もの土地を拝領し、そこに工芸家集団を集めた芸術村を作りあげました。絵描きでは後の琳派の俵屋宗達、尾形光琳の祖父宗伯、陶芸家では楽家一族も居を構え、光悦とともに作陶に励みました。そのためか光悦の茶碗はほとんどが楽茶碗です。

 面白かった展示物に、「茶碗のための土をおくれ」という、光悦が楽長次郎宛に書いた走り書きがありました。お隣さんに「ちょっとしょうゆをおくれ」と言っているようで笑えます。一帯は光悦村とも呼ばれ、現在も光悦寺が存在しています。そして京都市は最近「新光悦村」という工芸村の開発を鷹峯付近で始めていて、土地の分譲をしています。さすが伝統工芸都市京都、成功を祈ります。

 本阿弥家の本職は刀の研ぎと目利きです。刀の鑑定は刀身だけでなく、鞘や鍔などのしつらえを見る目も必要で、金工・木工・漆芸・蒔絵・螺鈿(らでん)など様々な工芸の専門知識が必要です。今回の展示にも光悦のお墨付きを得た名刀の数々がしつらえとともに展示されていました。彼は本阿弥家の後継ぎとして幼いころから厳しく仕込まれたと言われています。それが後年の活躍にも存分に生かされたにちがいないのです。そうした力は彼をいわば芸術の総合プロデューサーの地位にまで押し上げました。

 

 以上、私が最も好きな芸術家の一人、本阿弥光悦とその展覧会でした。

 

 内外で不穏なニュースばかりが多い中、わたしにとっては一服の清涼剤となりました。

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芸術の秋だ、 もっくんどうもありがとう!

2022年10月08日 | アートエッセイ

  先日NHKのBS番組で、とても素晴らしい番組を見ました。

  私の参加しているサイバーサロンのメンバーでもある本木雅弘さんが主人公となって日本画・琳派の世界を案内し、実演するというアートの番組です。

番組名;「アート疾走 X 本木雅弘」、

副題; 金と黒の本木雅弘

 

  ただ古い絵画を見せて、それを論評するだけの番組ではなく、琳派を深く勉強できたし、それに感化されて絵を描いたり、踊りを振りつけたりするもっくんの技も見ることができました。

  琳派の代表作として取り上げられていた尾形光琳の紅白梅図屏風や、MOA美術館にある尾形光琳屋敷の金屏風なども専門家の解説で見ることができました。MOAは何度も行っているのに、あの屋敷には行ったことがありませんでした。

  そして一番驚いたのは、もっくんの毛筆の技です。家内が、もっくんに子供ができた時、命名書きを実際に毛筆で書いたのを見ていて、「すごく達筆で驚いた」と言っていましたが、それから年月を経て一層磨きがかかったにちがいありません。

  番組では、もっくんが画家の教えに従い、墨のたらし込み画法で描いた絵の上に毛筆で文を書いていましたが、その筆使いの見事さには本当に驚きました。とてもシロウト技ではありませんね。まるで俵屋宗達の鶴の群れの絵の上に本阿弥光悦が和歌を毛筆で書いた有名な合作のように思えました。

 

  そしてもう一つ。私が嬉しかったのは、久々に大好きな日本画家である鴻池朋子氏が出演し、もっくんと彼女の作品を見ながら対談していた部分です。

  彼女は、現役の日本画家としては3本指に入る私のお気に入りです。彼女がもっくんに投げかけた問いは、「琳派の画家が一枚のキャンバスとも言うべき用紙に絵を描くのではなく、真ん中が割れてしまっている2枚ものの屏風や、枠が邪魔する襖になぜ描くのか」という疑問で、彼女がその理由を説明していました。

  彼女は真ん中が割れている屏風の割れ目にこだわっていました。それは邪魔者ではなく、屏風に作られている内部の異世界への入口だというのです。それを聞いて私が思い出したのは2009年にオペラシティーで行われた彼女の展覧会です。

  私がこれまでに見た多くの展覧会で、勝手ながら最も高い評価をしている展覧会で「インタートラベラー 神話と遊ぶ人」と名付けられたストーリー性を持った展覧会です。

 

  一般的にある特定アーティストの展覧会といえば、その作家の作品を時系列に並べて展示するものがほとんどです。しかしこの展覧会はそうしたものとは全く異なり、彼女の持つ世界観が会場全体を使って表されていて、一方通行の会場を進むにつれてどんどん引き込まれていくストーリー展示でした。

 初めに巨大な襖絵があり、その襖絵が開かれていて、その入口を入るというところから始まり、さまざまな作品を見て歩くうちに、どんどん彼女の世界に引きずり込まれ、最後には真っ暗な地球の核にまで到達するという展開が待っていました。その地球の核にあったのは、怒った顔をした巨大な金属でできた子供の頭で、アース・ベイビーと名付けられていました。

 今を去る13年も前の展覧会ですが、ネットで検索してみるとその一端を見ることのできるサイトがありましたので、URLを貼っておきます。

https://www.operacity.jp/ag/exh108/

 

  ついつい鴻池朋子の話に逸れてしまいましたが、今一度もっくんに戻します。

  今回の番組構成は実に秀逸で、単なる芸術談義の域を超え、もっくんは絵画に合わせたダンスを振付け自ら踊り、絵画の技法を学びながら実際に描き、さらにお得意であろう書をその絵の上に書いて見せる。彼の素晴らしいマルチタレントぶりを存分に見ることができ、大満足の一時間でした。

  芸術の秋にふさわしい番組でした。

もっくん、どうもありがとうございました!

 

 

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そうだ、展覧会に行こう!

2021年11月28日 | アートエッセイ

  オランダでは過去最多のコロナ感染者が出ている中、全土でデモ隊と警官隊が激しい衝突を繰り返し、大変なことになっています。あんなに穏やかなオランダ人が何故コロナの感染抑制策に命を懸けてまで反対するのか、理解に苦しみます。

   オランダは欧州大陸でも極めつけの自由な国ですから、国民が規制を嫌うのはわかるのですが、コロナにかかって他人にうつしてもよい自由などないはずです。自由が大事でも人殺しの自由などありえないのとコロナの規制は同じだと私は思っています。こうした規制反対運動はフランスでもドイツでも同様です。

  一方、今回南アフリカで発見された新たなオミクロン株はNYダウ平均を1,000ドル下落させるほど強烈なインパクトを持っていて、このところ欧米のニュースはオミクロン株一色になっています。

 

  さて、デモで揺れるオランダから素晴らしい絵画が東京に来ていて、久々に展覧会らしい展覧会を見ることができました。コロナは人が集まるのを妨げる邪魔者ですが、ゴッホ展はちょうど日本でコロナが収まっている時期に当たり比較的安心して見に行くことができました。

  今回のゴッホの絵画は彼の生まれたオランダから、それも個人コレクションによるクレラ―・ミュラー美術館から来ています。とにかく日本人のゴッホ好きは筋金入りと言っていいかもしれません。私もそのご多分に漏れず、ゴッホが大好きです。彼の描き方が常人とは異なるエネルギーを感じさせるものだからです。当然展覧会は予約制で、混雑を避けるようになっています。

 

  1853年生まれのゴッホは、1880年27歳くらいから絵を描き始め、1890年に亡くなるまでのわずか10年に860点あまりの油彩画を描いています。そして我々が知る主要作品の多くは1886年以降のフランス時代、特に南仏プロバンスにアルルとサン=レミでの療養時代のたった5年の間に制作されています。2005年に我々夫婦はプロバンスを10日間ほど、印象派絵画の旅を計画し、アルルの街やサンレミの療養院なども訪れました。

  芸術の国フランスは中でも自国発というべき印象派の画家と絵画を大事にしていて、どの絵はどこで描かれたかの調査が進んでいます。例えばアルルの街を歩いているとゴッホが「夜のカフェ」を描いた場所がそのままになっていて、石の土台の上に金属版の絵のレプリカが置かれています。今でも存在するカフェは内部などが黄色に塗られていて、昼間から夜のライトで照らされたように目立つ黄色になっています。

  他の画家達の絵も同じで、例えばエクサンプロバンス郊外の丘の上には、セザンヌがサントヴィクトワール山の連作を描いた場所にも、彼がまさにキャンバスを置いていて描いた場所に金属板のレプリカが何枚も置かれていて、絵と山を同時に見比べられるよう工夫され、観光客を楽しませてくれます。

 

  印象派の画家たちの中でもゴッホが評価を得るまでにはかなりの時間を要しました。ヘレーネ・クレラ―・ミュラー夫人はいち早く1908年にゴッホの絵を集め始め、生涯に90点あまりの油彩画と約180点の素描・版画を収集しました。まだほとんど誰も注目をしていない画家の絵を集めるのは、よほど気に入ったからに違いありません。

  鉄鋼業と海運業で財を成した夫とともにそれらを展示する美術館を建てて、1938年には一般公開してくれました。今回はそのうち28点の油彩画を中心に展示されています。有名な絵では、夜空に星と月がきらめく糸杉の絵やアルルの跳ね橋、ゴッホが晩年に入所したサンレミの療養院の庭の絵などが展示されていました。それらとともに夫妻が集めたミレー、ルノワール、スーラなどの絵も展示されていて、印象派を満喫することができました。

  ゴッホの絵を一番集めているのはもちろんアムステルダムの国立ゴッホ美術館です。私はアムステルダムには3回ほど行っているのでこの美術館には足を運んだのですが、クレラ―・ミュラー美術館はアムステルダムから80㎞ほど離れているため訪れたことがなく、今回は待望の展覧会でした。

 

  この展覧会がコロナの束の間の収束期間にならないことを祈ります。オミクロン株を克服して本格的収束に至るには、愚かな規制反対派のデモが収まることが必要でしょう。

 

  

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オンラインコンサートについて

2020年06月08日 | アートエッセイ

  私のようなクラッシックファンにとって、コロナ感染の影響でコンサートが制限されてしまうのはとても残念です。ライブハウスと違い、観客が立ち上がってみんなで一緒に歌ったり叫び声を上げることはないのですが、それでも隣や前後の方との距離はかなり接近していますので、制限を受けていました。そのかわり芸大の澤和樹学長などをはじめ、日本や世界の多くの演奏家たちがオンラインでコンサートを行い配信されています。私も澤学長のコンサートをはじめ、機会あるごとに視聴しています。

 

  私と家内が行く予定にしていた4月2日のピアニスト反田恭平のコンサートは8月に延期されることが3月は中に発表されました。すると彼はすかさず4月1日にサックス奏者の上野耕平など総勢8人でオンライン有料コンサートを企画。我々もモノは試しと視聴してみました。視聴料は千円、クレジットカードで前払いでした。

 

  当日の配信画面にはカウンターがあって、視聴者数が出るようになっていました。反田恭平のコンサートは今日本で一番入手困難なコンサートと言われていて、いったい何人くらいが視聴するのか、興味を持って見ていたのですが、一番多かった時間でも2千人弱程度で、金額的には2百万円という結果でした。サントリーの大ホールは2千人のホールですから人数的にはまあまあだったのですが、主催者である反田恭平氏としてはちょっと期待外れだったかもしれません。

 

  では実際にPC画面での実況はどうだったか。予想通りではありますが、正直申し上げて期待外れでした。問題はもちろん音質と画質。それとオンラインのライブ実況にありがちな動画の一時停止です。停止問題の在りかが発信側にあるのか、受信側にあるのかはわかりませんが、画像の中断は視聴者には残念でした。

  クラシックのファンは音には非常に敏感です。どんなにいいステレオ装置よりも、やはりホールでの生演奏だし、PCでの視聴より大型テレビです。PC画面をテレビにつないで見ることはできるのですが、中断は阻止できません。

  だからといって今後も私たちファンは彼をはじめ演奏家への支援を続けたいと思っていますので、またオンラインのライブ演奏があれば、視聴するつもりです。

 

  そのリベンジではありませんが、5月18日のNHKBSプレミアムで「反田恭平オールショパン」という番組を見ることができました。彼のソロコンサートですが、どうもスタジオ録画ではなさそうな場所での画像が配信されたのです。ピアノの置いてある舞台の奥がガラス張りで、小ぶりの石庭があるのです。興味津々で調べてみると、そのホールは立川市にある「CHABOHIBA」、チャボヒバという不思議な名前のホールでした。HPから説明を引用します。

 

   「CHABOHIBA HALLは優れた音響効果を持つ約100席の小さなホールです。」

ここにはかつて広い庭があり、蚕の住む大きな家屋がありました。 ホールの名の由来となった樹齢130年を越えるチャボヒバの木は 今も中庭に聳え立ち、歴史を見守っています。

そしてホール内にはベーゼンドルファーのグランドピアノが静かに佇み、 皆さまをお迎えします。身近で文化・芸術を楽しめる場として、 多くのみなさまに愛されるホールを目指しております。

 

以下のHPでチャボヒバという不思議な形の木をはじめ、多くの写真を見ることができます。

http://chabohiba.jp/

 

  反田恭平については以前も何度か投稿しています。朝日ホールで3晩連続コンサートをこなし、その時の使用ピアノはなんと巨匠ホロヴィッツが愛していた古いスタインウェイ、CD75 だったとか、子供のころの先生はテレビアニメ「ピアノの森」だったとか、父親はいまだに「ピアニストなんか」と彼をバカにしているというようなことを書きました。彼は今ベースをワルシャワ音楽院に置き、ショパンコンクールを目指していますが、今年予定されていた5年に一度のショパンコンクールは残念ながら延期されてしまいました。

  

  NHKBSプレミアムの話に戻ります。チャボヒバホールのHPにはコンサート用にベーゼンドルファーのピアノが用意されていますと書いてあります。ベーゼンドルファーもプロがコンサートで使用する世界的メーカーのピアノです。ところが番組で彼が使用したのはみなさんがあまりご存じないイタリアのFAZIOLIというピアノでした。

  世界のホールで使用されているコンサートグランドのほとんどはスタインウェイなのですが、最近はヤマハもけっこう頑張ってはいます。それでもスタインウェイの牙城は崩せません。ところがFAZIOLIというメーカーは、その牙城を崩そうとしている新興メーカーで、私も注目しています。

 

  脱線が長くなりそうなので、今回はここまでにします。

 

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