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珠玉のゴルフ場、パサージュ琴海アイランドゴルフクラブ

2023年09月10日 | ゴルフ

 今週末日本女子プロ選手権が開催されているパサージュ琴海(きんかい)アイランドゴルフクラブは、私が日本でも有数の素晴らしいリゾート・ゴルフ場と思うコースです。

 リゾート・ゴルフ・コースの一般的定義があるわけではないのですが、少なくとも宿泊できるホテルが併設されていて、食事を含めたリゾートライフが楽しめるゴルフ場ということにしましょう。

 何故ここが日本有数の素晴らしいリゾート・ゴルフ場かともうしますと、まずはアクセスが船だということからはじまります。私は友人ご夫婦と一緒にまず長崎空港まで飛行機で行き、そこからホテルまでなんと小さなクルーザーでいくという経験をしました。長崎空港自体もともと大村湾に人工島を作った海上空港なのですが、対岸にあるこのゴルフ場までも小さなクルーザーで行くというおしゃれな嗜好が待っていました。ホテルのピアにはドアマンが待っていてゴルフバッグも一緒に運んでくれます。

 そして海辺のリゾートにふさわしい真っ白な建物が雰囲気を盛り上げてくれます。着いた日はゆっくりとテラスでお茶をして、あとはホテルご自慢のディナーを楽しみました。

 私の趣味はゴルフをプレーするだけでなく、日本各地のここぞというコースでプレーを経験することです。これまでに日本では約340コースをプレーしています。海外では比較的多いリゾート・ゴルフ場ですが、日本ではここぞというリゾートゴルフ場はとても少なく、数えるほどです。筆頭は川奈ホテルとそのゴルフ場でしょう。1936年、昭和11年に大倉財閥の総帥大蔵喜七郎が作り、ホテル・オークラが運営していました。しかし母体企業の経営不振により売却。2006年にプリンスホテルが引き継いでいます。コースは昔のままですが、ちょっと残念なのは食事です。オークラホテル時代とは異なる内容になったため、私を含め昔を懐かしむ人が多いようです。

 パサージュ琴海の売りは懐石料理のフルコース。海に面したレストランのテーブルには、新鮮でおいしい海の幸が次から次へと出てきて、これほどの和食を提供してくれるゴルフ場を私は知りません。この食事をするだけでも価値があると思います。

 ゴルフコースはどうかと申しますと、日本でも世界でも並ぶもののないユニークな地形を利用した素晴らしいコースです。設計したのは特に九州では有名だった「玄海の荒法師」と呼ばれたプロゴルファー、藤井義将氏です。

 大村湾付近はいわゆるリアス式海岸が続いていて、陸と海がとても入り組んだ地形です。そのためなんと海越えのホールが3つもあるという大変ユニークなコースに仕上がっています。コース・レイアウトを簡単に表現するなら、手のひらを拡げた地形で、ひらの部分に多くのホールがあるのですが、指の部分も利用していて、例えば親指から人差し指に海を越えたり、人差し指から中指に海を越えて、そのあとも海沿いの際どいホールがつながっているところをプレーするのです。

 アメリカ西海岸の世界的リゾートコースであるペブルビーチ・ゴルフ・リンクスも海沿いの際どいホールが多いのですが、海越えと言えるのは8番ホールくらいで、そこも迂回可能です。

 日本にも谷越え、川越え、池越えのホールがあるコースはいくらでもありますが、海越えは極めてユニーク。しかも迂回はできません。リアス式ということは陸上も小山が続いていて、ゴルフ場もその地形をなるべくそのままに設計したため、フェアウェイも起伏だらけの難しいコースです。

 

 玄海の荒法師と呼ばれた藤井氏は福岡県の出身で、私が福岡に赴任していた時によくプレーした玄海ゴルフ倶楽部に所属していて、ニックネームはそこからきたものです。彼は小柄ながらプレーぶりは小気味よく、日本オープンにも優勝しています。ゴルフは赤星四郎というアマながら日本のゴルフ界草分けのゴルファーに師事していたとのこと。赤星四郎は弟の六郎とともにゴルフ場の設計も手掛けていましたので、藤井氏はゴルフ場設計に関しても彼の薫陶を得たのかもしれません。私の勝手な推測です。

 

 この珠玉のゴルフ場で開催されている、今年の日本女子プロ選手権の覇者は誰になるのでしょうか。もうすぐ決まります。

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世紀の泥仕合 LIV対PGA

2022年09月01日 | ゴルフ

  今アメリカやヨーロッパのプロゴルフ界はLIVゴルフの話題で持ちきりです。LIVゴルフとはサウジアラビアの政府系ファンドがスポンサーになり、オーストラリアのプロゴルファー、グレッグ・ノーマンがCEOとなって去年立ちあげた新しいツアーです。

  何故それほど話題になっているかと申しますと、LIVツアーがアメリカを中心に展開しているPGAツアーに対抗する勢力を目指し、有力プレーヤーをカネの力で1本釣りしているからです。

  どの程度のエサが撒かれているか。例えばすでに参加したフィル・ミケルソンは本年度8試合の参加に、前払い金として38億円を受け取ったと伝えられています。主催しているグレッグ・ノーマンはさらに驚くべきオファーをタイガー・ウッズに出しましたが、断られたとのこと。その額なんと1,000億円前後。この額を蹴るのは「さすがタイガー」と評価を受けています。

  そんな中参加を表明しているのはフィル・ミケルソンをはじめ、やはりメジャーチャンピオンのダスティン・ジョンソン、ブライソン・デシャンボー、ブルックス・ケプカといった米国勢や、セルヒオ・ガルシア、ヘンリク・ステンソンなどの欧州勢、オーストラリア人で7月の全英オープン優勝者キャメロン・スミスなど。日本人プロもすでに知られているだけで谷原秀人、木下稜介、香妻陣一朗、稲森佑貴の4名がすでに参加しています。

 

  そのLIVツアーの規模は、年間14試合で賞金総額550億円で1試合平均39億円。通常1試合4日間72ホールのところを3日間54ホールだけで予選なし。参加者は最下位でも1,600万円と破格の賞金を稼げます。ちなみに先週末日本で行われた九州、芥屋ゴルフでの男子トーナメントは、賞金総額1億円、優勝賞金2,000万円でしたから、LIVだと最下位でもそれに近い賞金を得られるのです。賞金総額はLIVの39分の1です。

  一方のアメリカPGAツアーの年間賞金総額は560億円とほぼLIVと拮抗しています。対抗心からかさらにボーナスも用意しています。そしてPGAはLIVゴルフに参加したプロはPGA主催のトーナメントへの参加拒否を表明。これで戦いの火ぶたが切られました。参加表明した選手たちは「PGAはその力を利用し、独禁法に違反している」と訴訟を起こしています。

 

  一方、誘いを蹴ったタイガーは以下のような発言をしています。

「LIVを選択してプレーすることには、賛同できない。彼らを今のポジションにたどり着かせてくれたPGAに背を向けている。ジャック(・ニクラス)やアーノルド(・パーマー)がしてきたことを私は理解している。その上予選落ちはなく賞金が保証されている。稼ぐために泥まみれになって練習するモチベーションはあるのか?大金を前払いしてもらい、いくつかの大会に出場し、54ホールをプレーするだけ。大音量の音楽が流れ、雰囲気も違う」とLIVゴルフを真っ向から批判しています。

 

  この戦いはアメリカ国内ではさらにエスカレートし、ファンやマスコミからは批判の嵐となっています。それはかなり政治色もあり、たとえば「サウジは911の首謀者を出し、トルコのサウジ大使館内で反政府ジャーナリストのカショギ氏を暗殺した国で、女性の権利を認めず、フェアープレーを重んじるスポーツを主催する資格はない」、「スポンサーの政府系ファンドの黒幕はカショギ氏暗殺の黒幕でもあるムハンマド王子だ」、「彼はトランプの仲良しで、来年のLIVツアー最終戦をトランプ所有のゴルフコースで行う。アメリカ人ゴルファーならカネに釣られてそんな団体の試合に出るべきではない」。このようにPGAやマスコミを中心とした非難が続いています。

 

  私はもちろんカネで釣るやり方には大反対です。アメリカツアーの1回の優勝賞金はすでに2-2.5億円。最終戦はボーナスを含めなんと25億円にも達していて、それ以上カネをもらってどうするというのでしょう。

  一方、先日セントアンドリュースで行われた全英オープンに際して、これまで歴代の同コースでのオープン優勝者を招待し、ニクラウスを称えるセレモニーが行われましたが、それを主催する由緒正しきゴルフの殿堂ロイヤル・アンド・エンシェントは過去の優勝者であるグレッグ・ノーマンだけ招待しませんでした。カネより伝統と格式だというR&Aなりのメッセージなのでしょう。

 

  今後もしばらくは、芝生の上なのに「世紀の泥仕合」が続く模様です(笑)

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全英女子オープン開催のミュアフィールド訪問記

2022年08月03日 | ゴルフ

  先週、7月31日に終わった女子プロゴルフで、古江彩佳選手がスコティッシュ・オープンでの優勝を飾りました。最終日はボギーなしの10アンダーというとてつもないスコアでした。「アメリカツアー初優勝」というタイトルが飛び交っていますが、元々はスコットランドの女子オープン選手権で、アメリカツアーに組み込まれたものです。

  古江彩佳は2000年生まれの有望選手で、日本の女子ツアーでも抜群の成績を残していて、2020・21年の統合シーズンで6勝もしています。22年からアメリカツアーに参戦し、初年度ですが今回初優勝しました。その彼女も含め、今週8月4日木曜日から全英女子オープンが開催されます。コースはプロのゴルファーでもなかなかプレーできないスコットランドのミュアフィールドです。

 

  このコースはスコットランドでもプレーすることが最も難しいプライベートコースと言われています。どのようなコースなのか、Wikipediaの冒頭を以下に引用します。

 

引用

ミュアフィールド(Muirfield)は、スコットランドイースト・ロージアンにあるゴルフ場であり、名門プライベートコースとして知られている[2]

ミュアフィールドは18世紀半ば(1744年)に作られたとされるリンクスコースであり、過去に16回の全英オープンの開催実績がある。1973年にはライダーカップが開催された。2007年には全英シニアオープンも開催され、このときはトム・ワトソンが優勝した。

ミュアフィールドは開場以来長らく女人禁制のポリシーを持ち、2016年5月にそのポリシー見直しのメンバー投票が行なわれたが投票総数の3分の2に2%足りず否決された。それを受け、全英オープンを主催するR&Aはミュアフィールドを全英オープンの開催コースから外した。その後、2017年3月に行われたポリシー見直しの再投票では80%が賛成し、273年目にして初めて女性会員が認められることになり、全英オープン開催コースのローテーションにも復帰した。

引用終わり

  とまあ、いわくつきのコースです。不思議なことにこのコースの名前には、ゴルフクラブだとかカントリークラブだとかがありません。英語名は

Muirfield、

The Honourable Company of Edinburgh Golfers

とだけあります。このカンパニー組織は世界で一番古いゴルフクラブと言われていています。

  私もここだけはプレーは無理だろうと思っていたのですが、投資銀行出身のゴルフ仲間から突然の誘いを受け、2015年にプレーすることができました。その時の様子を15年8月にブログにアップしましたが、今回再掲させていただきます。

 

引用 タイトル;リンクスツアー その3 あこがれのミュアフィールド

   今回のリンクス・ツアーのきっかけは、「ミュアフィールドへ行かないか」という友人Kimiさんの一言からでした。この友人は香港在住の日本人で、世界中の素晴らしいゴルフ場を2,000カ所プレーすることを目標としいて、すでに1,400カ所を達成しています。私は国内310カ所、海外90カ所くらいですので、彼の足もとにも及びません。彼のサイトはkimi golfの名で運営されていますので、興味のある方はどうぞご覧ください。

     その彼から一生に一度はプレーしてみたいと思っていたあこがれのミュアフィールドに誘われては、断るわけにはいきません。私は1997年にスコットランドに10日間ほどのリンクス・ツアーに出かけたのですが、その時はミュアフィールドをプレーすることができませんでした。

  ジャック・ニクラウスが1966年に初めて全英オープンを制したのがこのコースです。それ以来大のお気に入りで、自分の作った故郷オハイオのコースには本家から名前をもらってミュアフィールド・ビレッジと名付けたくらいです。去年松山英樹が勝ったメモリアル・トーナメントの舞台です。

   ミュアフィールドはエジンバラの東、車で40分ほどの距離にあります。その名を世界に轟かせているプライベート・クラブであるオナラブル・カンパニー・オブ・エディンバラ・ゴルファーズのホームコースです。敷居の高さもさることながら、コースの難度も世界一級であることは間違いありません。プレーをするにはゴルフ場にある高級ホテル、グレイ・ウォールズに3泊もしなければなりません。ペブルビーチやオールド・コース・ホテルは1泊すればそれぞれのコースでプレー可能だったと思います。グレイ・ウォールズ・ホテルにはシェ・ルーという名のフレンチレストランがあって、ゴルフをやらなくとも高級なオーベルジュとして楽しむことのできるホテルです。部屋数はたったの23部屋で、世界中のゴルファーが1年も前から予約を入れてその日を待つのです。我々も予約は昨年の10月に開始しました。

   このコースの印象を一言で言いますと、「気品あふれるリンクス」です。オープン開催コースにありがちな挑みかかるようなところはありませんし、フォトジェニックでもありません。しかしラウンドが始まると見方が一変します。

   我々ゲストはインコースの10番ホールからのスタートでした。10番は470ヤードもあるパー4。私のティーショットはフェアウェー左の250ヤード地点。リンクスではボールが実によくころがり、飛距離がすごく伸びたように感じます。キャディが「残りは215ヤードだけど、200ヤードくらいのクラブで十分だ」とのこと。私はグリーン左右のバンカーを意識して、そこまですら届かない7番ウッドを選択し安全を期しました。

  ショットは若干トップ気味で、途中にあるポットバンカーは越えましたが、自分の感覚としてはせいぜい170ヤードくらいしか飛んでいないだろうと思っていました。途中のバンカーの縁が盛り上がり、私にはボールの行方は見ることができませんでした。するとキャディが「Good shot!」というではありませんか。しかしグリーン方向に歩いて行くとボールがありません。キャディにどこかなと聞くと、あれだよと50ヤードも先のグリーン上のボールを指さし「バーディーチャンスだ」というのです。にわかには信じられないのですが、行ってみると確かに自分のボールでした。ティーショットも飛んでいましたが、7番ウッドのミスヒットが215ヤードも飛んで、ピンの真横4mにあるとは驚きです。そのパットを慎重に決めて、なんとミュアフィールドの最初のホールをバーディーでスタートしました。

 

  とまあ、実はすべてのショットはホールごとの詳細なマップの書いてあるコースガイド上に、使用クラブや当たり具合をしっかりとメモしてありますのでたどることができるのですが、みなさんにとってはどうでもよいことだと思いますので、以下省略します。

   最終結果を統計として記しますと、

・ティーショットのフェアーウェー・ヒット;14ホール中9ホール 64%

SWで出すような深いラフは1回だけで、あとはファーストカットか浅いラフでした。

・パーオン;3回 だけ

・パット数;34回  1パット3回、3パット1回、2パットが15回

・バンカー;4回つかまり、すべて1回で脱出成功

・スコア;バーディー1回、パー3回、ボギー10回、ダボ4回  トータル88回(パー71)

   全英オープン開催の名だたる難コースで80台のスコアは、自分としては上出来だったと思います。あこがれのミュアフィールドでのプレーは、十分に満足のいくプレーができました。

   ちなみに戦後のミュアフィールドでのオープン優勝者は、59年ゲーリー・プレーヤー、66年ジャック・ニクラウス、72年リー・トレビノ、80年トム・ワトソン、87年ニック・ファルド、02年アーニ―・エルス、13年フィル・ミケルソン。

  トレビノの勝った72年はニクラウスの絶頂期で、彼はこの年4月にマスターズに勝ち、6月に全米オープンを制し、年間グランドスラム達成かと騒がれましたが、メジャー3戦目7月の全英では1打差でトレビノに敗れました。ちょうど今年のジョーダン・スピースがマスターズと全米オープンを制し、3戦目の全英では1打差でプレーオフに進出できなかったのと同じです。

  ホテルでは最後の夜に1度だけシェ・ルーのフレンチをみんなで食べましたが、イギリスとは思えないほどの美味しいディナーだったことを付け加えます。

  このツアーに誘ってくれたkimiさんに感謝です。

引用終わり

 

  以上が私のミュアフィールド訪問記でした。

  今回初めて女子オープンを開催するミュアフィールドですが、誰が優勝するか今から楽しみです。ちなみに先週全英女子の前哨戦であるスコティッシュオープンで優勝した古江彩佳ですが、彼女のプレーしたダンドナルドリンクスは今世紀に入ってから新しいオープンしたコースです。そのためか彼女のショットはピンそばにビシビシとついていました。そのゴルフがミュアフィールドでも果たして通用するでしょうか。ガンバレ12人の日本女子ゴルファーたち。

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ゴルフの聖地、オールド・コース

2022年07月16日 | ゴルフ

  今年の全英オープンがゴルフの聖地、セントアンドリュースのオールド・コースで始まりました。何故聖地なのか、いちいち説明するのもはばったいのですが、ゴルフ発祥の地であり今年がなんと150回目であるという古い歴史からも聖地ぶりが読み取れます。

  世界のトッププロはみんなここでオープンが開催される時に優勝したいと望むのです。そしてゴルフ好きのアマは、一生に一度はここで聖地巡礼のプレーしてみたいと望んでいます。幸いなことに私はここで3回プレーすることができました。3度もプレーできたコツはたった一つ、「絶対にここでプレーするぞ」という強い意志を持ち、それを一生懸命実行したからです。自慢話そのものですが、まあここは我慢して聞いてください。

  最初にプレーしたのは1988年、ニューヨークにいた38歳の時です。ロンドンの同僚と電話で話していた時、彼が「今度セントアンドリュースに行くんだ」というのを聞きつけ、「私も行きたい、連れて行ってくれ!」と懇願し、それが実現しました。その頃はJALにいたので、ホテルとコースの予約をロンドンの同僚にお願いし、結局NYの仲間を募り、2組8人でプレーすることになりました。航空便はお得意のインターラインパス。パンナムの友人に手配してもらい、ただ。そんなことをしていたのでパンナムは3年後91年に破綻してしまったのです(笑)。

  オールド・コースでのプレーをアレンジするのは簡単ではありません。当時スタート予約を取るには2とおりあって、コース脇のオールド・コースホテルに3泊以上泊まるか、早朝スタートハウスに行って名前を書いて順番を待つかです。我々は確実にプレーするため、当時一泊日本円で5万円近いホテルを予約し、スタートを確保しました。

  初めてのオールド・コースのスタートは緊張ものです。というのも、1番ホールのティーグラウンドには常に100人ほどの見物人がいるからです。しかもプロのトーナメント並みにマイクで4人の名前を呼ばれ、「Gentlemen, Tee Up, Please!」なんです。

  私はあまり緊張しない質ですが、友人は手が震え小さなティーにボールが乗らず苦労していました。しかも衆人環視のティーショットはもっと悲惨で、ダフリ、トップ、コースアウトとバラエティに富んだショットを見ることができ、見物人には大うけなのです。ちなみに私は隣の18番最終ホールと共通の広いフェアウェイの真ん中に飛ばし、拍手をもらいました。ただしその広さはなんと100ヤードほどもあり、右に大きく曲げてコースアウトしない限り、チョロでもフェアウェイのため、過緊張さえしなければ簡単なのです。

  オールド・コースをまともにラウンドするには地元のキャディーを雇わないといけません。けちるととんでもないことになります。我々はコースガイドを手にしてセルフでラウンドしたのですが、コースガイドは実はあまり役に立たないホールが多いのです。理由はティーグラウンドからホール全体を見渡せないからです。海岸沿いの比較的フラットな場所であるリンクスなのに何故と思われるかもしれません。理由はわずか2・3mの起伏があるだけでも見えないものは見えないし、4・5mの起伏もけっこうあるためです。。

  1番ホールはグリーンまで見渡すことができるのですが、その後のホールはティーから見えるのはグリーンのフラッグだけという状況が続き、ティーショットの目標すら定めることができません。特にゴースと呼ばれる灌木の茂みが目の前にあると、視界ゼロになります。高さわずか2mほどなのですが、人間の目の高さより高いため遠方は何も見えません。2打目以降でボールがフェアウェイにあっても同じで、グリーまでに数mの起伏があるホールが多く、ピンフラッグは見えてもそこまでのコース状況が全くわからないのです。コース全体は、前半のアウトコースほぼ直線的に出ていき、後半はそれを折り返すので、およその見当はつきますが、バンカーやラフの罠がどこだかわかりません。フェアウェイには所かまわずバンカーがあり、すぐさま餌食になってしまいます。

  2度目にプレーした時はやはりオールド・コースホテルに泊まってスタートを確保。しっかりとしたベテランキャディーを付けました。スタートしてすぐの2番ホールのティーで彼が言ったのは、「ほら、はるかかなたに白い煙突が見えるだろ、あれを狙え。外れると右でも左でもバンカーにつかまる」というのです。その煙突とは何キロも先の対岸の煙突なのですが、ほかは空だけなのです。ボールを打つと彼は「OK、バンカーの横5ヤードだ」何も見えないのに、正確に位置を予測してくれます。素晴らしいベテランキャディーでした。彼はアメリカ人ですがスコットランドのゴルフ場が好きで移住し、キャディーで生計を立てているそうです。ハンディはスクラッチ。つまりゼロで、アマチュア選手権に出ていると言っていました。

  その次の日、私は早朝5時に起きてスタート表に名前を書き入れて3度目のスタートを確保したのですが、実際にプレーできたのは午後1時半過ぎで、ラッキーなことにキャディーのスティーブが前の客とのラウンドを終えて戻ってきたため、そのまま一緒に回ることができました。

  オールド・コースのバンカー数は112個。18で割ると一ホール6個なのですが、ゼロのホールもあるので、もっと多い感じをうけます。空中からコースを写した写真を見ると、まるでクレーターだらけの月面です。

  その中でも有名なバンカーは14番ホールのヘル(地獄の)バンカーです。300平米と大きいし、高さは3mと深い。バンカーに降りるための梯子がかかっているほどです。あのジャック・ニクラウスも脱出に数打を要したというエピソードが残っています。

  そしていつも最終ホールに近い17番、ロードホールにあるロードホールバンカーも有名です。3日目を終わって首位だった中島常幸があと2ホールまで来ていてこのバンカーにつかまり脱出に4打を要し、討ち死に。彼のファーストネームのトミーの名が冠せられトミーズ・バンカーと言われています。様々な劇的プレーを演出するバンカーゆえ最近はバンカー内の壁にカメラが埋め込まれていて、ショットの様子をバンカー内から見ることができます。

  私の初めてのラウンドの日は風が強く、ピンフラッグが反ってしまうほどでした。その中でスコアは89と、私としては上出来でした。その次にオールド・コースに来たのは1997年で、その時はスコットランドに10日間滞在し、ターンベリー、カーヌスティ―などのコースを含め12ラウンド。そのうちセントアンドリュース近辺ではオールド・コース以外で3ラウンドしました。中でもオールド・コースの隣にあるニューコースは素晴らしいリンクスコースです。ニューと言いながら歴史は古くすでに130年も経っています。

  そして2回目のスコアはキャディーのスティーブのおかげで86と改善。3度目は彼が70台でのラウンドを目指そうと鼓舞してくれ、必死にラウンド。16番ホールを迎えるまで6オーバーで来ました。あと3ホールをパーで終えれば70台達成です。ところが16番ホールで1mのパーパットを外してボギー。全ホールで最も難しい17番と最終ホールのどちらかでバーディーを取れば79だったのですが、それはなかなか困難です。それでも17番ホールは2打でグリーンの手前までうまく運び、寄せワンのパー。あと残るは易しい18番のみとなりました。

  有名なスウィルカン・バーン・ブリッジのそばにあるティーグラウンドからのティーショットはナイスショット。残りは160ヤードほどでしたが、スティーブのアドバイスにより短めの150ヤードを打つ7番アイアンを選択。リンクスではボールがとてもよくころがるので、ピンの手前4mにナイスオン。このショットに対してグリーンを取り囲む100人ほどの見物人が拍手をしてくれました。まるでプロのトーナメントの最終ホールをプレーしている気分にさせてくれます。

  そして衆人環視の前で最終パットに臨みました。ピン位置は全英オープンの最終日で使う右奥の高い位置にあり、登りのほぼ真っすぐの絶好のバーディーチャンスでした。絶対にショートはしないぞと思ってしっかり目に打ったボールはホールの淵で蹴られて残念ながらパー。それでも見物の人たちは惜しみない拍手をしてくれました。

 

  ゴルフの聖地オールド・コースでの私のプレーはこれにて終了。その後スコットランドには2回訪れて、オープンを開催するミュアフィールドやロイヤル・バークデール、プレストウィックなどのコースをラウンドしたのですが、オールド・コースには戻っていません。いい思い出をそのままとっておきたいので、あえて避けています。

  以上、聖地巡礼の旅でした。

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やったね、笹生優花!

2021年06月08日 | ゴルフ

  松山選手に続き、素晴らしいニュースが飛び込んできましたね。

 

  笹生優花選手、全米オープン優勝おめでとう!

  最年少優勝は本当にすごいの一言です。

 

  20年の日本ツアーデビュー直後、彼女は18歳の新人で2連勝したので、ただ者ではないとは感じていましたが、一気に世界の頂点に上り詰めるとは予想をはるかに上回りました。

 

  そしてプレーオフを戦った畑岡なさちゃん、惜しい。悔しいでしょうが、チャンスはこれからたくさんあります。

 

  男子のメジャートーナメント、マスターズを始めて日本人が制覇したばかりなのに、次いで全米女子オープンでの勝利。ゴルフファンとしては本当に嬉しいです。笹生優花は日本人のお父さんとフィリピン人のお母さんのハーフで、国籍は2重国籍ですが、アメリカでのトーナメント登録はフィリピン国籍ですので、国際的ニュースは「初のフィリピン人選手の制覇」となっています。

  でも彼女を本格的にゴルファーとして育てたのは三重県志摩にある代々木高校の吉岡徹治コーチです。この通信制高校はなんと「アスリートゴルフコース」という養成コースがあるほどの学校です。

 

  では全米女子オープンの優勝価値を見てみます。

  このトーナメントの優勝賞金は百万ドル、1.1億円。実は日本女子オープンの賞金総額とほぼ同じ額ですので、予選通過者60人分の賞金を総取りということになります。しかもこの勝利によって彼女は世界ランキングを大きく上げて、日本人ではプレーオフを争った畑岡なさに迫る見込みですが、オリンピックはフィリピン代表で出場ですので、日本の代表争いには影響はありません。

 

  全米女子オープンの「格」はどの程度でしょうか。女子にはマスターズがありませんので、私が勝手に解釈すれば圧倒的に世界最上級のトーナメント。将棋で言えば名人位です。

  渋野日向子選手には申し訳ないのですが、彼女が優勝した全英オープンとは比較になりません。何故なら女子の全英がメジャートーナメントに認定されたのはつい最近の2001年。その昔、1984年には岡本綾子が優勝していますが、メジャータイトルとは認定されていないのです。

 

  では女子のメジャーとは他になにがあるか並べますと、

 

・全米女子オープン、最古のメジャー

・全米女子プロ選手権

・クラフトナビスコ選手権

・全英女子オープン

・エビアン選手権

  みなさんにはあまりなじみのない名前が多いと思います。

 

  ついでに全米女子オープンの思い出を一つ。私がNYにいた1987年の全米女子オープンで、岡本綾子はプレーオフ3人に残りました。当時全米オープンのプレーオフは18ホールを戦うシステムだったのですが、翌日は豪雨だったので火曜日に順延され、3人で18ホールを回り、岡本は1打差でイギリスのローラ・デイビスに敗れ2位でした。会場はニューヨークの隣のニュージャージー州だったため、平日でなければ応援に行きたいと思ったのを思い出します。ちなみにその年のアメリカ女子ツアーの賞金女王は岡本綾子で、いまのところ男子を含め賞金王は彼女一人です。

 

  今後の笹生優花の活躍を期待しましょう。

 

 

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