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タイガーウッズの82勝目と習志野カントリークラブの大改造

2019年10月31日 | ゴルフ

   アメリカPGAの公式トーナメントが初めて日本で開催されました。先週の大雨で大被害を受けた千葉県での開催でしたが、大雨当日に1日順延となっただけで、月曜日までの4日間競技として成立しました。勝ったのは82勝目をあげた43歳のタイガー・ウッズ。サム・スニードの持つ史上最多勝利記録に並びました。

   しかし私の思うタイガーのすごさは勝利数より勝率です。96年のデビュー以来の勝率はなんと22.8%。出た試合の5回に1回以上勝っているのです。そしてメジャーでの優勝回数は15回。ニクラウスの18回まであと3つと迫っています。

 

歴代プレーヤーの優勝回数と勝率の記録を並べてみましょう。ゴルフダイジェストのサイトからの引用です。

 

優勝回数 】
82  タイガー・ウッズ、サム・スニード 
73勝  ジャック・ニクラウス
64勝  ベン・ホーガン

62勝  アーノルド・パーマー
52勝  バイロン・ネルソン
44勝  フィル・ミケルソン

【勝率】
22.8%  タイガー・ウッズ(359戦82勝)
21.3%   ベン・ホーガン(300戦64勝)
18.1%   バイロン・ネルソン(287戦52勝)
14.0%   サム・スニード(585戦82勝)
12.9%   ヘンリー・ピカード(201戦26勝)
12.2%   ジャック・ニクラウス595戦73勝)

【メジャー勝利数】
18勝  ジャック・ニクラウス
15勝  タイガー・ウッズ
11勝  ウォルター・ヘーゲン
9勝    ベン・ホーガン、ゲーリー・プレーヤー
8勝   トム・ワトソン
7勝    ボビー・ジョーンズ、アーノルド・パーマー、サム・スニード、ハリー・バードン、ジーン・サラゼン

   こうして並べると勝利数と勝率で首位のタイガーと、メジャー勝利数最多のニクラウスがどのランキングでも顔を出していて、やはり目立ちます。いずれタイガーはメジャーの勝利数でもニクラウスに並ぶのではないでしょうか。

   しかしタイガーでも絶対に越えられない記録があります。リストにはありませんが、それは連勝記録です。日本ではジャンボ尾崎などの3連勝が最多ですが、アメリカではなんと11連勝です。達成者はバイロン・ネルソンで、上記では2つのランキングに顔を出しています。11連勝の年の年間勝利数18勝も、今後は絶対に無理でしょう。ちなみにタイガーの年間プレー数は近年20回程度です。しかし11連勝と18勝にはちょっとしたワケがあります。バイロン・ネルソンが記録を作ったのは1945年。つまり第2次大戦終戦の年で、多くのゴルフプレーヤーも戦争に召集されていたそうです。それを差し引いても、11連勝はすごい記録です。

 

  今回のトーナメント会場は「アコーディア習志野カントリークラブ、キングコース」。その昔はただの「習志野カントリークラブ、キングコース」でしたが、オーナーの日東興業が絵にかいたようにバブルにまみれて倒産。傘下の20余りのコースをバルクセールし、勝ち取ったのがハゲタカ、あるいは墓場のダンサーと言われた米系のアコーディアゴルフでした。と言っても私はアコーディアやPGMは日本のゴルフ場の救世主だと思っています。いまそれぞれ国内で130か所程度を保有し、実に見事にマネージしています。

   今回コースが大きく改造され、見違えるほど素晴らしいコースになっていました。その昔私のいた会社は習志野CCの法人会員だったので、何度もプレーしました。その頃は日本ツアーのサントリーオープンなどを開催していたのですが、コースはとても単調で印象に残らず、私はあまり評価していませんでした。しかし今回テレビで見たコースは全く違っていました。アメリカ人のデザイナー、トム・ファジオ氏が改造したとTVで言っていましたが、見事な改造だと思います。

   今回のトーナメント・スポンサーのZOZOは、元オーナー社長の前沢氏がすでにYAHOOに売却していますが、会社として4年間のスポンサーシップを得ているので、ZOZOトーナメントはあと3年は続くようです。しかもタイガーなど海外の超一流プレーヤーを呼んでのトーナメントが続けば、低迷続く日本の男子ゴルフ界にはよい刺激になりそうです。

 

  「オリンピックもこのコースでやればいいのに」、というのが私の偽らざる心境です。その心は、オリンピックが開催される霞ヶ関カンツリー東コースはつまらんのです。メンバーの方には申し訳ありませんが、コースとしてはオールドファッションすぎてスリルも醍醐味もないのです。

   実は10月10日にオリンピックの下見プレーをしてきました(笑)。コースはオリンピックも見据えて改造されたというのですが、正直言って「どこを改造したの?」でした。まあ、2グリーンという日本独特の妙な形式が国際標準の1グリーンになったということは評価できるのですが、それ以外あまり目立った改造ポイントは見当たりませんでした。その時に一緒した友人プレーヤーも同じ意見を持っていました。

   さらに言えば、私は国内ゴルフ場330コース、海外コース80コースを巡っていますが、世界で1300コースをプレーしていて私が足元にも及ばない友人がいるのですが、彼も全く同じ意見であることも申し添えます。彼は世界のゴルフ場ベスト100の選定委員でもあり、選定眼は確かです。スコットランドのリンクスなどを巡る時一緒に行ったりしますが、どんなコースでも予約を取ってくれるありがたい友人です。

 

  以上、今回のトーナメントを見て、つれずれなるままに書いてみました。

 

 

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台風と千葉

2019年10月21日 | エッセイ

  ラグビー日本代表の試合は終わってしまいましたね。負けたのは残念ですが、なにかとてもすがすがしい気持ちです。予選リーグで全勝したんですから。それもスコットランドやアイルランドというラグビー強豪国を破ってのことです。わくわくするようなゲームを5試合も見せてくれて、ありがとう!

  せっかくラグビーの試合の見方を勉強したのですから、このあとも優勝戦まで試合を見続けることにします。

 

  さて巨大台風が過ぎ去って10日ちかくになるのに、ニュースやニュースショーでは依然として時間の半分近くが台風のことで占められています。私も台風以外のことを話題にしようと思うのですが、家族や友人と話をするたびに台風被害のことになりがちで、そこから抜け出ることができません。

  東京でも身近な多摩川の氾濫により、多くの昔話がよみがえってきています。先日の「岸辺のアルバム」もそうですが、例えばゴルフ仲間の友人の洪水エピソードもあります。友人はうちからさほど遠くない同じ区内に住んでいるのですが、彼の家は多摩川と野川の中州といってもよい場所にあります。たしか05年の野川の氾濫で水害にあっています。家の半地下部分にあったガレージで車が水没し、使えなくなりました。その時家はすれすれでしたが床下浸水で済んでいます。

  その彼がいまどうしているかといいますと、同じ場所にそのまま住み続け、ガレージも半地下のままで、車を置いています。「なんで?」と聞くと彼は、「今度台風が来たら、車を高台に移動するから大丈夫だよ」と言っていました。今回の台風の後にふたたび彼に聞いてみると、「車は移動しなかったよ。野川が大改修されて安全になったからね」と言っていました。

  確かにかなり大掛かりな改修工事で、完成まで数年かかっていました。それでも私ならその改修を信頼せずに、いち早く車も人間も避難していたと思います。なにせあれだけの台風だったのですから。多摩川が氾濫し、野川に逆流することもおおいにありえます。人間は自分自身の生き方や住かを変えるのはとても難しい動物なんでしょうね。

   都会人でもそうなんですから、土地に依存して農業を営んだり先祖の地を守り伝えながら住んでいる地方の人々にとっては、簡単に引っ越すことなど考えられないのだと、あらためて思いました。東日本大震災と津波を経験しても、相当な割合の方々がその地に住み続けています。

 

  今回の台風でもう一つとても心配だったのは応援旅行を含め今年2回旅行した千葉のことでした。ブルーシートだらけの家々があの台風に耐えられるとはとても思えないからです。19号台風の接近以来、千葉県のことはほとんど報道されなくなってしまい事情がわからなかったのですが、台風から数日たってやっと報道されるようになりました。やはり心配したとおりブルーシートが飛ばされ豪雨にさらされた家々が多く、2次的被害を受けているというものでした。弱り目にたたり目とはこのことです。

   何故私がこうも千葉にこだわるのか。それにはわけがあります。話せば長いことですが手短に。私は両親とも東京育ちで、そのまた親も東京のため田舎が一切ありません。それを不憫に思い、小学校時代の友人の親が、息子たちと一緒に私を田舎の千葉に毎年連れて行ってくれたのです。男ばかりの3人兄弟で、妹しかいなかった私はいつも3兄弟となかよく遊んでいました。彼らの母方の田舎は房総半島の突端の千倉にあって、お婆さんは農協の職員でした。夏休みや冬休みには1週間から2週間くらい大きな田舎家で過ごしました。毎日の暮らしは近くの海から始まります。早朝に磯でツブ貝を広い、魚を釣ります。それを朝ごはんのおかずにするのです。そして家に帰ると鳥小屋のモミわらの中からタマゴをさがし、家の畑からトマトやキュウリをもぎってきて食べます。

   お米や肉は買ったものですが、野菜と魚介類の大半は菜園や海で採れたものでした。食べるための物を採取するのは、虫取りや魚釣り同様、都会の子供にとって本当に楽しいことだったのです。しかも男の子4人はみんなそれぞれペットを飼っていました。友人たちのペットはカエルやトカゲ。私は30㎝ほどのカナヘビとメジロでした。ヘビはエサ取りが大変で、生きたハエやクモなどをつかみ取りして与える必要があります。その点、鳥のエサは簡単で、ミカンやカキなどの果物や穀類をあげれば済みます。メジロは地元の子供からもらったもので、彼らはトリモチで簡単に鳥を捕まえていましたが、我々都会の子はいくらやってもダメでした。

   千葉での田舎暮らしは、私にとっては貴重な田舎暮らしの経験であり、大切な思い出なのです。一日も早く千葉のみなさんの暮らしが元に戻ることを祈っています。

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台風一過の多摩川

2019年10月14日 | ニュース・コメント

  台風の悪いニュースがいっぱいのとき、うれしいニュースを流してくれました。 やりましたね、ニッポン!

  相手が死に物狂いで来る試合で見事に勝利。これであと何度かニッポンの試合を見ることができるのは、本当にうれしいかぎりです。ガンバレ、ニッポン!

 

今回も台風のお話です。

   台風の前の記事で私はこう書いていました。「きっと大型台風のため、思わぬところで思わぬ大災害になるのではないかと懸念されます」。どうやら今回それは台風の進路では全くない長野県の千曲川で起こったようです。私は毎年長野の野沢温泉スキー場に行くのですが、そのたびに千曲川沿いを運転します。千曲川はとても大きな川で、そのまま新潟県に入ると日本で一番大きな信濃川になります。千曲川では堤防が何か所も決壊し、激流が川沿いの家の下をえぐり、家が崩れ落ちる様子が映像でとらえられていました。この映像が私にはデジャブに思えました。それは昔多摩川で流された家々のことです。

   今回の台風で久々に東京と川崎の間を流れる多摩川が氾濫しました。1974年に多摩川沿いの狛江市の家が19軒も流された狛江洪水と呼ばれる洪水がありました。「岸辺のアルバム」というテレビドラマのネタになった洪水です。この時は家々が次々と流される様子やピアノなどの家具が流される映像がニュースで何度も流れ、今でも鮮明な記憶として残っています。その時不思議だったのは、多摩川のこんなに近くに家が立ち並ぶ場所があったのかということでした。

   最近私は多摩川沿いをニコタマから京王多摩川に向かってよくサイクリングするのですが、途中小田急線の和泉多摩川の鉄橋の手前あたりを通過する時に、「多摩川決壊の碑」と言うのを見つけました。そうかあの決壊箇所はここだったのかと思いをはせました。今は堤防の位置や住宅の位置が変わってしまったようですが、このモニュメントがその位置を特定してくれています。ドラマ「岸辺のアルバム」は、洪水で写真アルバムを無くして悲しむ人の家族が、その後崩壊していく過程を描いた悲しい話でした。

   今回の二子橋付近の氾濫では世田谷区側は、家屋やマンションや病院の床下や地下に浸水した程度でしたが、川崎市側は道路面から3mほど上まで浸水し、マンションの1階に住む人が亡くなっています。台風の翌朝気になったので家を出てまっすぐ多摩川方面に自転車で行ってみると、驚きの光景がありました。それは、多摩川自体はすでにだいぶ水位が低下しているのに、多摩川に合流する野川に多摩川の流れがいまだに逆流しているのです。ということは、前の日には大逆流が起こっていたことになります。中小河川が合流する地点にはもちろん堤防がないため、大きな河川の逆流は非常に危険だと思います。去年の岡山の真備町の大水害はその例でした。

  数年前この野川と多摩川の合流地点で大規模な河川改修工事をやっていましたが、それがきっと奏功して災害を防いだのだと思います。多摩川など一級河川にはすでにスーパー堤防が整備されつつありますが、中小河川の堤防は甘いと思われます。川崎市側の水害も小さな川のそばかもしれません。今後はそうした個所の補強が必要なのではないでしょうか。いや、その前にできれば河川の近くには住まないことが一番でしょうね。

 

  大型台風の影響は関東から東北地方への舞台を移して、今後まだまだ被害が拡がりそうでとても心配です。私が一週間前に行った千葉県の様子は、停電しているという以外、ニュースとしてはほとんど流れませんでした。でもそれはきっと「ニュースがないのはいいニュース」と考えることにします。

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千葉県応援旅行記

2019年10月11日 | 旅行

  いよいよ超大型台風が近づいてきましたね。みなさん準備は大丈夫ですか。

  台風15号で大きな被害を受けた千葉県鋸南町に、応援旅行に行ってきました。被害は予想を超えるもので、ブルーシートのかかった家々だけでなく、全壊家屋の多さにも驚きました。

   初日のランチは、夕食のボリュームが多いことを予想して、簡単におそばを食べようと思いそば屋を探したところ、宿泊予定の海岸から20分ほど山奥に入った手打ちそばやをネットで見つけて行ってきました。道すがら、テレビの映像では見ることのなかった山津波の跡のような場所が何か所かあって、驚きの連続でした。ある場所では数十本に及ぶ杉や檜が風でなぎ倒されていて、その道路わきでは後始末の作業が続いていました。そしてかなり古いと思われる家々は屋根が飛んでいたり全壊していて、手のつけようもなく放置されていました。

   そば屋さんで被害はどうだったかを聞いてみると、

「いやーひどかったです。とにかく9月9日の台風当日から11日間、電気と水を絶たれてしまいました。道も塞がってしまったので、山を下りて情報を得ることもできず、家でじっとしている以外になかったです。いつまで停電と断水が続くのかわからなかったので、とても不安でしたよ。数日後に道が通れるようになって、やっと山を下りて水をもらいに行きましたが、もらい水も車で15分もかかるので、とても大変でした。家も瓦が飛んでしまって、いまでもブルーシートがかかったままです。瓦職人の不足で、いつになったら修理できるのか、見当もつきません。次の台風で風雨が強まらないでほしいです。」

   そして我々はその晩、鋸南町のリゾートホテル「ゆうみ」に泊まることになっていると話すと、「きのう、ゆうみのオーナーさんがそばを食べに来ました。とてもそば好きで、しょっちゅう来てくれるんですよ」とのこと。でも「ゆうみはすぐ再開できたけど、紀伊之国屋本館と別邸などはまだ閉じたままですよ」というのです。このグループは4か所の温泉旅館・ホテルを経営しているそうですが、やはり海岸線にある旅館の被害はひどいようです。

 

  私たち夫婦が結婚記念日を兼ねて宿泊したゆうみは元気に営業していました。ここの売りは食事で、HPやパンフレットのタイトルも「美食温泉紀行」です。その名のとおり都会で食べたら2万円では食べられないほどの美味しい懐石料理を、宿泊費込みで食べられます。結婚記念日でもあったので、プチ贅沢をしました。食材はすべて地元のもので、オーナーは漁港の魚市場で直接買い付けられるライセンスを持っていて仕入れているとのこと。そして個室の露天風呂もいくつかあるので、晩も朝も温泉を楽しむことができました。

   ゆうみから車で5分ほどの金谷港には「The Fish」というシーサイドレストラン兼海産物販売店があります。真っ白な鉄筋作りの大きな建物で、今回も海産物を買うために立ち寄ったのですが、階上の景色の良いレストランは営業開始が11月1日予定となっていて、いまだにクローズされていました。やはり被害はひどかったようで、被害と復旧工事の写真パネルがおいてありました。

   千葉県はいまだにブルーシートだらけで今回の超大型台風を迎えることになります。砂袋で留めたくらいでシートが大丈夫だとは思えないのですが、これ以上被害が上乗せされないことを祈ります。きっと大型台風のため、思わぬところで思わぬ大被害になるのではないかと懸念されますが、お互いに少しでもしっかりと準備体制を整えましょう。

   千葉県応援旅行記でした。

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