格下げがあると、国でも企業でもついつい格付機関を非難します。でもそれは得策とは思えません。いわば審判のジャッジに文句をつけるのと同じだからです。それは最近のように権威に陰りがでてきていても同じです。「泣く子と地頭と、格付機関には勝てぬ」、というのが私の意見です。
その理由は「火のないところに煙は立たない」からです。債券の発行体の業績、信用状況や市場環境が変化していないのに、突然格下げをすることはありません。明らかな因果関係が必ずあります。だいたいはその程度問題です。米国債しかり、日本国債しかり。投資家はそうした材料に判断をつけてほしいのです。
米国債の格下げにオバマ大統領は、「AAAに何の陰りもない」と反論しました。私が尊敬するウォーレンバフェット氏も、「米国はAAAAだ!」と反論しました。両者とも、「まー、ひとこと言っておこう」と言う程度で、どこかに提訴するというほどではありませんでした。
オリンピックの審判なら提訴する先があるのですが、格付にはそうした先はなく、裁判をやっても文句を言う側が勝てないことを知って言っているのです。格付発表の資料には必ず、「これは我々が正しいと信ずる情報により判断した一つの意見に過ぎない」という但し書きがついています。
じゃ、国にしろ企業にしろ、発行体は指を咥えて見ているだけかといいますと、そうではありません。国は格付を格付機関に依頼していませんが、格付機関は国との対話窓口を開いています。企業は格付を依頼していますから、もちろん格付機関と対話を重ねます。取得する時だけでなく、債券が存続し格付が存続する限り対話は継続され、発行体は一般への情報開示より踏み込んだ情報を提供しているのです。そうした対話をきめ細かくすることで、自分をよく見せる以外のやり方はありません。
今日はここまでです。