中国のバブルに関して前回のお話しをおさらいしますと、
①中国でバブルを形成しつつある金融商品には銀行の扱う理財商品と信託銀行の扱う信託商品の2種類がある
②両者の合計規模はGDPの35%に達する
③高金利によって不良化する可能性がより強いのは信託商品で、平均利回りは8.8%に達する
④それらの投資先は地方の企業やインフラ、不動産である
⑤日本のバブルと比較すれば不良債権の推定規模はGDP対比で2割と日本のケースの2倍程度はある
ということで、単純に考えると不良債権が暴発した時には中国国内でのインパクトは日本の2倍くらいを覚悟する必要があります。
両者とも救いは対外債務がほとんどないことです。
大きな違いは、政府債務(地方政府込み)が日本の場合は不良債権が深刻化した90年代終わりですでにGDPの130%近くあり、その後現在は240%にまでなっていますが、中国は今でも中央政府の債務はGDP比24%程度、地方政府の35%を入れてもGDPの6割だという部分です。その分、若干インパクトは緩和されるかもしれません。
では株式市場のバブルはどうか。日本と中国の株式市場のバブルを比較してみましょう。
日本の株式バブルピークは89年年末、崩壊直後のボトムは2年半後の92年8月で下落率62%です。その後、長期にわたり低迷を続けリーマンショック後一時8千円を割り込み、現在は15,000円前後です。
対する上海総合指数のピークは、実は意外なことに今を去ること7年前の07年10月に5,905をつけ、ボトムは翌年08年11月、たった1年で70%の下落です。その後も低迷が続き現在も2,000前後とピークの3分の1くらいで推移しています。まとめますと、
日経平均株価 ピーク89年末 その後のボトム92年8月 下落率
38,915 14,309 ▲62%
上海総合指数 ピーク07年10月 その後のボトム08年11月 下落率
5,905 1,747 ▲70%
日本のバブルは、株式が先行してはじけた後1年半後くらいから不動産が大暴落をはじめ、不動産を中心とした銀行の不良債権がGDPの10%に達しました。
一方、中国のケースでは株式市場は遥か昔にバブルが崩壊し、その数年後に不動産が変調をきたし始めています。この違いを生んだ原因を私は市場の自由度の違いによると見ています。中国の場合、株式市場はかなり自由に取引され、バブルの生成も崩壊も市場次第でかなりのスピードで起こりますが、不動産は大都市の一部を除くと国家と地方政府に相当程度コントロールされながら、株式市場よりは緩慢にバブルを生成さています。
地方では地方政府が民間の土地や農地(厳密には私有は認められていないので土地の使用権)をいわば収奪し、それを開発業者に売って役人が懐に入れてしまうという野蛮な行為を行ったり、その開発業者が投機的需要を見越して高級住宅を建設し、膨大な空き家が積み上がったりしています。
この開発業者に資金を出資・貸出しているのが主に信託商品や違法に発行された社債です。理財商品もその信託商品に投資をしているので、間接的な資金提供者です。
そして開発業者の多くは地方で利権を持った役人とその関係者が多いのです。そのため役人は莫大な資産を作っていますが、それをまた次の投機に使うという典型的なバブルのパターンにはまりこんでいます。
これが中国バブルの形成過程と主な配役です。
つづく
①中国でバブルを形成しつつある金融商品には銀行の扱う理財商品と信託銀行の扱う信託商品の2種類がある
②両者の合計規模はGDPの35%に達する
③高金利によって不良化する可能性がより強いのは信託商品で、平均利回りは8.8%に達する
④それらの投資先は地方の企業やインフラ、不動産である
⑤日本のバブルと比較すれば不良債権の推定規模はGDP対比で2割と日本のケースの2倍程度はある
ということで、単純に考えると不良債権が暴発した時には中国国内でのインパクトは日本の2倍くらいを覚悟する必要があります。
両者とも救いは対外債務がほとんどないことです。
大きな違いは、政府債務(地方政府込み)が日本の場合は不良債権が深刻化した90年代終わりですでにGDPの130%近くあり、その後現在は240%にまでなっていますが、中国は今でも中央政府の債務はGDP比24%程度、地方政府の35%を入れてもGDPの6割だという部分です。その分、若干インパクトは緩和されるかもしれません。
では株式市場のバブルはどうか。日本と中国の株式市場のバブルを比較してみましょう。
日本の株式バブルピークは89年年末、崩壊直後のボトムは2年半後の92年8月で下落率62%です。その後、長期にわたり低迷を続けリーマンショック後一時8千円を割り込み、現在は15,000円前後です。
対する上海総合指数のピークは、実は意外なことに今を去ること7年前の07年10月に5,905をつけ、ボトムは翌年08年11月、たった1年で70%の下落です。その後も低迷が続き現在も2,000前後とピークの3分の1くらいで推移しています。まとめますと、
日経平均株価 ピーク89年末 その後のボトム92年8月 下落率
38,915 14,309 ▲62%
上海総合指数 ピーク07年10月 その後のボトム08年11月 下落率
5,905 1,747 ▲70%
日本のバブルは、株式が先行してはじけた後1年半後くらいから不動産が大暴落をはじめ、不動産を中心とした銀行の不良債権がGDPの10%に達しました。
一方、中国のケースでは株式市場は遥か昔にバブルが崩壊し、その数年後に不動産が変調をきたし始めています。この違いを生んだ原因を私は市場の自由度の違いによると見ています。中国の場合、株式市場はかなり自由に取引され、バブルの生成も崩壊も市場次第でかなりのスピードで起こりますが、不動産は大都市の一部を除くと国家と地方政府に相当程度コントロールされながら、株式市場よりは緩慢にバブルを生成さています。
地方では地方政府が民間の土地や農地(厳密には私有は認められていないので土地の使用権)をいわば収奪し、それを開発業者に売って役人が懐に入れてしまうという野蛮な行為を行ったり、その開発業者が投機的需要を見越して高級住宅を建設し、膨大な空き家が積み上がったりしています。
この開発業者に資金を出資・貸出しているのが主に信託商品や違法に発行された社債です。理財商品もその信託商品に投資をしているので、間接的な資金提供者です。
そして開発業者の多くは地方で利権を持った役人とその関係者が多いのです。そのため役人は莫大な資産を作っていますが、それをまた次の投機に使うという典型的なバブルのパターンにはまりこんでいます。
これが中国バブルの形成過程と主な配役です。
つづく