ストレスフリーの資産運用 by 林敬一(債券投資の専門家)

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金利上昇の衝撃度

2023年11月19日 | 住宅ローンはどうするか

 10月31日の日銀によるYCCの変更は実質的に長期金利を上昇させるものだと前回の投稿で書きました。その後、利上げのインパクトとして出てきた注目すべきニュースは、三菱UFJ銀行による定期預金金利の100倍に上る引き上げでした。100倍にしていったいいくらか?10年間預金を拘束されても年利たった0.1%にすぎません。ということは、引き上げ以前の金利は0.001%だったということです。

 定期預金に預けると、銀行が破綻しても預金保険機構による保護はないので、たった0.001%あるいは0.1%のために銀行のデフォルトリスクを丸取りすることになります。もちろん普通預金はもっと低金利なのに金利が付くため保護はありません。リスクとリターンが全く見合わない、あり得ない運用の選択です。

 

 唐突ですが、このところマンションの大規模修繕のための積立金不足が世間では大きなニュースとして取り上げられています。実は金利問題とこの積立金不足問題は大いに関係があります。マンションの規模が大きければ、積立金の額は億単位になるほどだと思います。不足の原因の多くは大規模修繕に伴う資材や人件費の高騰だということになっています。もちろんそうではあるのですが、実は低金利もかなり大きな問題なのです。もし定期預金金利、あるいは日本国債での運用金利が当り前のレベルであれば、費用増のかなりを金利収入で補填できるからです。

 バブル期には10年の定期預金金利が一瞬10%に乗ったことがあります。そこまでいかなくとも、3-5%は当たり前の時代が長く続きました。日本国債の10年物の先物取引は、金利が6%であるという前提で取引されているのをご存知でしょうか。それが当り前の時代に設定されたからです。現在の国債金利は0.8%程度のため価格レベルはなんと140前後という異常に高い価格で先物取引が行われています。債券価格のまともなレベルは100前後です。

 金利がまともなレベルであれば、マンションの積立金が1億円あると、5%の金利で毎年税引き前で500万円稼ぐことができます。金利は本来おおむねインフレのレベルと似たり寄ったりですから、10数年に一度の大規模修繕ではかなりの額の金利収入が見込め、インフレの心配はさほど大きくないというのが当り前な世界だったのです。超緩和策の長期化がこうした問題を引き起こしています。

 私は現在住んでいるマンションを新築で購入しました。72戸のマンションです。07年のことですからすでに16年経過しています。その間、2年任期の理事を2回勤め、そのうち3年間で理事長を務めました。最初に理事長になったのは08年のことで、購入時にすでに組合が保有していた千万円単位の預金で国債を買う決断をして理事会と総会に諮り、承認を得ました。当時の金利は2%弱だったと記憶しています。

 新築入居時に積立金は販売価格に上乗せされ積立てられていたため、すでに数千万円あったと思います。そのため毎年の金利収入は100万円を超えていました。その後米国債への投資も提案はしましたが、却下されました(笑)。実行しておけばその後の積立金の値上げなどせずに済んだのにね。

 その後クロちゃんによって国債金利もメチャクチャな低金利となり、当たり前に得られるはずの金利収入は途絶え、ほぼゼロになってしまいました。

 ゼロ金利政策が、実はマンションの修繕積立金の不足に拍車を掛けているということを、指摘している人はいません。当たり前の金利を異常なレベルにすると、こういう悪影響が及ぶという例をお示ししました。

 

 今回の主題は打って変わって「金利上昇の衝撃」です。金利が上昇して当たり前のレベルになると、これまで継続不可能な低金利を享受していた企業金融は大きな転機を迎えることになります。それだけでなく、個人が抱える住宅ローンにも衝撃が走ります。というのも、個人の住宅ローンの残高は日本全体で22年に220兆円を超えていて、そのうち8割が変動金利を選択しているからです。

 日銀のYCC政策の変更は長期金利のレベルを上昇させました。それにより個人で長期固定ローンを借りている人へのインパクトはありませんが、今後長期の固定金利で借りようとする人には影響がおよびます。さらに来年度の賃金上昇率が見えてきた段階では、日銀本来の政策金利である翌日物政策金利が上昇する恐れがあります。すると変動の住宅ローン金利も即応して上昇するリスクがあるのです。

 そうなると変動ローンの借り手は上昇幅が大きくなくとも、変動金利から固定金利へ変更しようとして一気に銀行に押し寄せる可能性があります。低金利に慣れ切った日本人は、大パニックを起こすに違いない。その変更ラッシュは長期金利上昇にさらに拍車を掛けます。コロナ時のパンデミック同様、当然トイレットペーパーも売り場からなくなるでしょう(笑)。

 問題はそうした借り手である個人のパニックに限りません。大口の借り手である企業もパニックに陥り、金利の低い短期変動金利調達から、長期固定調達へ切り替えようとします。すると長期の社債発行金利も上昇し、国債金利も当然上昇することになります。

 そもそも貸し手の銀行は短期の低い金利で調達し、長期の高い貸出金利で稼ぐのが本来の貸出業務です。短期調達のソースは金利ゼロ同然の普通預金と、やっと金利が付いた定期預金です。そのうち定期預金金利が100倍の0.2%にはなりましたが、貸出金利に比べればまだまだ安全圏です。しかし先ほど記したように今後そうした銀行の調達金利が日銀の政策金利変更により上昇することになった場合、貸し手は調達コストが上昇するため、対企業・個人を含めすべての貸出金利を上昇させざるを得ません。

 

 あまり見たくないパニックですが、超低金利を長期にわたり強引に実行していたため、マグニチュードは大きくならざるを得ないと私は思っています。そうした新世界に対する備えをみなさんもしっかりしておきましょう。

 

追加のコメント;変動金利を固定金利に変更するのは実際には金利スワップ市場で行われます。しかしスワップに踏み込むと、金融の専門家以外の方には理解不能となるため、ここではそれは省略します。

 

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反省しない黒田前日銀総裁

2023年11月10日 | 日本の金融政策

 10月31日の日銀によるYCC=長期金利政策の再調整はドル円相場に円安のインパクトを与えました。今回の政策変更は7月に次いで2回目ですが、いわゆる一般的に言われる政策金利の調整ではありません。一般的政策金利とは翌日物の短期金利のことで、昔の呼び名公定歩合に近いものです。

 日銀は世界の金融界の一般常識に反して、長期金利まで自分の力でねじ伏せようとするYCC=イールドカーブ・コントロールを実施しています。イールドカーブとは、翌日物の金利から3か月物、1年物・・・・10年物などの長期の金利レベルを順にグラフに書くと、金利レベルがカーブを描くのでそう呼びます。中でも日銀のYCCは長期金利の指標となる10年物国債金利を主要なターゲットとしてそれを抑え込もうとしています。

 

 11月6日に植田総裁はYCCを調整した理由を、「副作用が生じるのを和らげるため」と説明しました。この官僚言葉を普通の日本語にすると、「副作用が生じているので、やむなく金利を上方修正した」となります。

 景気をよくするために長期金利まで下げるには、膨大な量の国債を買い続ける必要があります。何故なら日本は財政赤字が巨額なため、常に国債を発行し続けているからです。しかもこの数十年黒字になったことがないため、過去の国債が償還を迎えると、その償還のために借換国債を発行する必要があり、それがまた大量発行に拍車を掛け、日銀がそれを買う。発行体である国が一心同体である日銀に国債を買わせて、まさに自転車操業を行っているのが実態です。

 今年度予算は歳出が史上最高の114兆円。税収とその他収入見込みが79兆円、赤字国債発行が35兆円です。ところが過去に発行された国債を償還するための借換債発行額が160兆円もあるため、実際の国債発行総額は約200兆円にもなります。収入の2倍以上の国債を発行するという異常な予算が毎年常態化しているのです。赤字国債発行額の35兆円など、うそっぱちもいいところであることをみなさんは是非認識しておきましょう。誰がなんと言い訳しようが、年間の国債発行額は200兆円です!

 

 このところ岸田総理が言っている税収増加の還元とは、見込みよりわずか6兆円増えたから大盤振る舞いをすると言っているのです。毎年200兆円も借金をするのに、さらに支出をするとは言語道断。借金を返すべきです。しかしそれを糾弾する声は野党を含めほとんど聞かれません。だれもがその恩恵に浴しそうなので、本気では批判しないのでしょう。国会の論戦で200兆円の国債発行を糾弾する声など皆無です。国会議員ですら国債発行額は新規赤字の35兆円だと思っているからにちがいない。しかたないので私が叫びます。

「国債発行額は毎年の税収の2倍以上、今年も200兆円だ!」

  気の毒なのは将来借金のツケをいつか払わされる若い世代のみなさんです。そのツケを回した張本人はもちろん黒田前総裁です。

 

  日経新聞今月の「私の履歴書」は黒田前日銀総裁です。普段私は社長を退任した方の履歴書などあまり面白くないので読まないのですが、今回は楽しんで読んでいます。いったいあの異次元緩和を黒田氏自身がどう評価しているか知りたいのです。その第一回目で彼はこう言い切ったのです。

 「日銀の同僚と総力を挙げた大幅な金融緩和で「デフレではない」経済は実現した。

 よく言うよ!

 一体就任演説で高らかに歌い上げた「2年で達成する」という約束はどうしたんだ。彼は10年在任し、しかも彼が在任中に国債買い上げのために使ったオカネはなんと500兆円。一人でそんな莫大な額を使ったのは、歴史上黒田氏だけでしょう。

 だいたい今のインフレは10年続けた日銀の緩和策によるものではなく、ロシアのウクライナ侵攻に始まる国際商品価格の高騰と円安による外的要因によることは、誰の目にも明らかです。履歴書の初回からここまで平気で自画自賛するとは、私もあきれ返っています。

 

 こうした彼の自信がいったいどこから出ているのか、その一端が11月7日、7回目の投稿に見られるので引用しながら説明します。

 それは彼が大蔵省からロンドンのケンブリッジに留学した時代にヒックス教授から受けた授業によると書いてありました。ヒックス教授とはノーベル賞を受賞した高名な経済学者で、私も大学時代にゼミで経済政策を専攻したので、彼の著書を読んだ覚えがあります。ケインズ理論を進化させたIS=LM理論の構築者です。ヒックス教授の言葉として黒田氏が書いている内容を以下そのまま引用します。

 

ヒックス教授が述べたのは、「イングランド銀行(日銀にあたる中央銀行)が公定歩合をわずか0.5%上げただけで景気過熱が止まり、物価上昇が収まる。そこには中央銀行の決意が示されているからだろう」。金融政策でのコミットメントの重要性を述べた指摘は、半世紀後に、はからずも日銀総裁となった私にとって、これほど有益なものになるとは思いもしなかった。

 

 私はこのパラグラフで彼の頭の中の大半がどうなっているかをだいぶ理解できたと思いました。就任時の公約「資金供給を2倍にすることで、2年で2%の物価上昇を達成する」とプラカードを使って公約を掲げました。多分彼は日銀総裁が強力にコミットしさえすれば、ヒックス教授から得た「決意だけで経済はどうにでもなる」と信じていたに違いない。

 常に無謬性を誇る元大蔵官僚の自画自賛、そしてオールマイティー幻想。その思い込みのために今後500兆円のツケを払わされることになる若い世代の方々が本当に気の毒です。

 

 一方で私は先ごろアメリカの連銀=FRB議長でリーマンショックを作ってしまったグリーンスパン元議長のことを書きました。彼は非常に長期にわたり議長を務めてマエストロと称賛されました。退任直後の回顧録で自画自賛して見せたのですが、すぐに世界的大ショックとなった金融危機が起こってしまったため、「このバブルを作ってしまったのは私です。ごめんなさい。」と回顧録の補足版を有料で出版しました。

 それを知っているに違いない黒田氏は回顧録を書けるだろうか。2年のコミットが10年もかかっても実現できず、結局外的要因でインフレになり、500兆円のツケを後世代に残した責任を感じていれば、自画自賛の出版などできるとは思えません。日経新聞私の履歴書に書くのがせいぜいでしょう。

 

 最後にとどめを刺します。それはみなさんもあまり感じてはいない円資産の目減りです。彼が日銀総裁になった13年4月のはじめのドル円レートは、95円でした。それが今や150円ですから、

150円÷95円=1.58・・・つまり円資産は約6割も目減りしているのです。もし円をドルにして米国債を買っておけば、金利分も加算されます。

 この目減りは円の預貯金・株式・債券ばかりでなく、ヘッジは難しいですが給与や年金もそうだし、不動産の価値も同じく安くなっているのです。

 彼の就任直後に「この緩和はヤバイ、ドルにしておこう」と思ってドルヘッジをした方は、きっと人知れずほくそ笑んでいることでしょう。

 今からでも遅くはありません。しっかりとご自分の円資産のヘッジを行っていきましょう。

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イスラエルという国のかたち

2023年11月02日 | 旅行

 

 パレスチナでは毎日のように子供たちが爆撃を受け、灰だらけになり血まみれになっている様子は見るに堪えません。前にも述べたように、ハマスの第一撃はテロ行為以外のなにものでもない。しかしそれに対するイスラエル正規軍の百倍返しもテロ同然あるいはそれ以上だと私は思っています。

 共同通信によれば、「パレスチナ自治区ガザではイスラエル軍の攻撃による死者が8,800人ほどになったと発表された。イスラエル側の1,400人と合わせ死者は1万人以上。そのうちパレスチナの子供が3,000人以上いる」とのこと。あまりにもひどい数字です。イスラエルを表立って支持してきたアメリカ国内でも、さすがにここに至って世論に変化が出てきています。

 もともとアメリカ人に占めるユダヤ人はわずか2.4%で、バイデン大統領はその支持を得ようとしているのではなく、人口の3割を占めると言われるキリスト教原理主義とも言える福音派の票の多さを気にしてイスラエルを支持しているのです。しかしそれではトランプも同じ。というよりトランプは福音派の支持によって当選したのです。だったらバイデンはその票を捨て、今アメリカで大きなうねりとなりつつある人道的配慮をすべきだという多くの人たちの票の獲得を優先すべきだと私は思っています。でないとトランプを支持する愚かな熱狂的支持者はくつがえるはずもなく、支持など絶対に得られない。そして国際社会も圧倒的にイスラエルを批判しはじめ、パレスチナ救済へ大きく傾いています。

 それに加え最近発表されたイスラエル国内の世論調査でも、5割程度の人がパレスチナへの非人道的攻撃は停止すべきだとなっていて、ハマスの最初の攻撃直後の反撃賛成が7割だった時から大幅に後退しています。非人道的であろうがなかろうが、それを一顧だにせず皆殺しにすればハマスは退治できると考えるのがイスラエルという国のかたちなのだと思います。それについて私のイスラエル旅行での経験談をお話します。

 

 私は2010年の年末にイスラエルとヨルダンを訪れました。きっかけは同じマンションにお住いの友人がイスラエル大使館に赴任され、奥様から在任中に是非遊びにいらしてくださいと言われたことでした。なかなか訪れる機会はなさそうな国のため、この機会に夫婦で旅行をしようとなったのです。時期は年末のクリスマスにかけてでした。せっかくなのでイスラエルの歴史やユダヤ人の歴史もある程度勉強し、ついでに隣のヨルダンも訪れることにしました。と言ってもヨルダンは映画インディージョーンズで有名になった世界遺産、ペトラ遺跡に行ってみたかったのです。

 

 イスラエルでは大使館のあるテルアビブの他、もちろん聖地エルサレムを訪問しました。ご存知のようにエルサレムはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教という3大宗教の聖地がすぐ隣り合わせになっていてそれだけでも驚きなのですが、どの宗教の信者も実に平穏に巡礼していたのが印象に残っています。もちろんキリスト終焉の地「ゴルゴタの丘」やキリストの墓のある「聖墳墓教会」、ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」を訪れましたが、イスラムの聖地「岩のドーム」だけはテロの危険があるとして立ち入りが禁止されていました。

 訪れたのがクリスマス時期だったため、世界中から巡礼者のグループが来ていて、ホテルでの朝食にも分厚いマニュアルのような書類を持ったグループが来ていました。その人たちとはゴルゴタの丘に登るための坂道、ヴィア・ドロローサでも出会ったのですが、一部の人たちはキリストのように十字架を背負って歩いていました。道端をよく見ると、軽い板でできた十字架がたくさん置いてあり、どうぞご自由にとなっていたのには驚きました。もちろんキリスト教徒ではない我々は担がずにただ歩いただけです。

 エルサレムではもう一つ必ず行くべき場所があります。それはユダヤ教・キリスト教のもっとも古い経典である「死海文書」を見ることのできるイスラエル博物館です。死海文書は、旧約聖書の原典とも言われ、1947年になって洞窟から発見された膨大な文書で、紀元前250年から70年に書かれたものと推定されています。現在その多くはエルサレムにあるイスラエル博物館の聖書館に置かれ、一般公開されています。実際には温度・湿度と明るさが厳密にコントロールされているため、肉眼で見るだけでも苦労するほどの古い文書です。

 

 エルサレムからはレンタカーを借りて旅をつづけました。まずは死海へ。エルサレムが高度800mで、そこから一直線の道をひたすら海抜マイナス400mの死海へ1200mも下ります。死海に出てからは沿岸をひたすら南へドライブし、アカバ湾に面するエラートの街を目指しました。イスラエルの最南端、そこがヨルダンへの入口です。ドライブ中はほとんど砂漠の荒涼とした景色が続きますが、何か所かでいわゆるキブツと呼ばれる入植地がありました。

 途中死海のほとりのリゾートの街で一泊し、砂漠とはいえ寒い季節なのにホテル前の死海の海岸で水浴。どうしても死海で浮いてみたかったのです(笑)。海水の10倍の塩分で本当に浮遊する感じを楽しむことができました。ホテル内はまるでロシア人植民地のようで、ロシア語しか聞こえてきませんでした。ホテル内に温水プールがあり、そこも死海同様浮いたままで本を読んでいる人がたくさんいました。私も冷えた体をプールで温めながら、浮いたままうたた寝をしました。

 

 その次に訪れたのが今回のメインの話の場所です。死海を望む丘の上にある世界遺産、「マサダの遺跡」です。そこはイスラエル人の誰もが子供の時に小学校の遠足で訪れ、誓いを立てる場所として有名なところです。なんの誓いかともうしますと、「つぎに侵略を受けても、二度と負けないぞ」という誓いです。紀元66年にローマの迫害を受けたユダヤ人1,000人が400mの岩山のてっぺんの城塞に立てこもったのですが、2年の攻防を経てローマの軍団に負け、ほぼ全員が自決するという悲惨な出来事があった場所です。

 遺跡にはロープウェイで行けるのですが、子供たちは絶壁の道を徒歩で登ってきていました。頂上には博物館を兼ねた施設があり、スクリーンに映し出された動画で歴史を勉強できるようになっています。ローマとの戦いの様子や、自決の場面、そして最後には先ほど書いた言葉が映し出され「つぎに侵略を受けても、二度と負けないぞ」とみんなで誓い、説明が終わるのです。

 彼らは高校卒業とともに徴兵制度で兵役に就きます。男3年、女2年で厳しい訓練を受け、いつでも戦場に立てるようにします。私たちはテルアビブからエルサレムまで1時間半ほどを乗り合いバスで行ったのですが、クリスマス休暇を前に帰省客で非常に混みあっていて、我々の座席のそばには男女の新兵たちが大勢機関銃を持って立ったまま乗り込んできました。彼らにどこに行くのと聞くと、休暇で家に帰るとのこと。機関銃を持ったまま帰るのかと思うと、彼らの置かれている厳しい状況がよくわかりました。でも時々銃口が私の肩に当たるため、それを手で払いのける必要があり、恐ろしさも感じました。

 その上エルサレムに着くとバスターミナル前でバスは停止したままで降りられず。何かなと思っていると、「ターミナル内の怪しい荷物を処理するため、しばらく降車できない」とアナウンスされました。そうか、ここはいつ爆弾テロに遭うかわからない場所なのだとあらためて思い知らされました。

 「二度と負けないぞ」という子供のころからの教育が、イスラエル人の中には染みついているのでしょう。みんな黙って待っていました。

 しかし再度言います。

「パレスチナはその名のとおり、パレスチナ人の地だ!」

  我々はそのままアカバ湾に向かってドライブを続け、イスラエル最南端の港町エイラートへ到着。そこもロシア人だらけのリゾート地でした。そして翌朝早朝にバスのワンデー・ツアーでペトラ遺跡に向かいました。

 ペトラではインディージョーンズが馬車で逃げた狭い峡谷を歩いて抜け、想像以上のすごい自然の造形に驚き、その後突然広い場所に出ると岩山に掘られた神殿が現れます。その劇的な出現はまるで映画の場面のようでした。1812年にスイス人の探検家が発見した時の驚きを、我々も同じように感じることができました。神殿や墓地を見た後はラクダに乗りながらのんびりと見物しました。

 イスラエルで感じた緊張のすべてはほぐれ、最後はのんびりとした旅行を楽しむことができました。

 

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