ストレスフリーの資産運用 by 林敬一(債券投資の専門家)

新刊「投資は米国債が一番」幻冬舎刊
「証券会社が売りたがらない米国債を買え」ダイヤモンド社刊
電子版も販売中

 さよならノスタルジック渋谷

2023年02月10日 | エッセイ

  先日渋谷の東急百貨店本店が閉鎖されました。生まれてこのかた大半を目黒と世田谷にしか住んでいなかったので、子供のころからデパートといえば渋谷駅上の東横百貨店でした。それが渋谷駅と周辺の超大型改造により取り壊され、そこに行けば感じられたノスタルジーを失ったように思っています。

  子供の頃の記憶で一番残っているのは、ハチ公前広場から地下鉄銀座線へと昇る階段の広めの踊り場に、白い装束の傷痍軍人がいて、白い犬と小さな篭を横に置き、小銭をもらっていた姿です。その人の他に何も持たず黙って座っていた元軍人と、アコーディオンを弾いて目立つ軍人がいました。今考えると、3人でローテーションを組んでいたのかもしれません。雨にも濡れず人通りの多い最高の場所ですからね。ご存じない方のために、、、地下鉄銀座線の渋谷駅は東横デパートの上の階にありますので、今でも地上から地下鉄には階段を登っていきます。渋谷は谷の底なのです。

  今回閉店となったのは駅から500mほど離れた東急本店です。そこは高級ブランド店とデパートらしい高級品ばかり売っているため、ほとんど買い物をしたことがありません(笑)。そのかわり併設されている「文化村」には足しげく通いました。BUNKAMURAザ・ミュージアムとコンサートホールのオーチャード・ホール、そして芸術関係専門の本屋さん、パリのカフェ、ドゥマーゴです。

  閉鎖される寸前の1月末、最後に鑑賞したのはバレエ公演でした。森下洋子と松山バレエ団による「白鳥の湖」です。彼女は74歳と私より年上のバレリーナですが、その年齢でプリマを演ずるのは本当に驚きです。彼女の演技で常に光っているのは指先までしなやかな手と腕、しっかりとした体幹を中心としたバランス感覚です。もちろん若いダンサーのキビキビとした動きはありませんが、観客の目を惹きつけるには十分な演技でした。カーテンコールも10回を超え、オーチャード・ホールの最後を飾るにふさわしい、ノスタルジーもたっぷりと感じさせてくれる公演でした。

 

  私はクラシック音楽ほどバレエに詳しくありません。バレエという芸術は、もともとはイタリア発祥だそうですが、フランスのルイ王朝で発展し、その後はロシア帝国のロマノフ王朝のへと引き継がれてきました。ロシアはバレエ音楽の作曲家も、プロコフィエフ、ストラビンスキー、そしてチャイコフスキーなど多くを輩出してきました。バレエ団も同じで、モスクワのボリショイバレエ団、サンクトペテルブルクのマリインスキーバレエ団。そしてウクライナがロシア領時代だった時から続くキエフバレエ団などがいまでも世界的に活躍しています。

 

 バレエ通とは決して言えませんが、そうしたロシアのバレエ団の公演を鑑賞するチャンスに恵まれました。それもボリショイとマリインスキーは現地、つまりモスクワとサンクトペテルブルクで鑑賞することができました。

 

  むかしむかしそのむかし、1977年12月厳冬のモスクワ、サンクトペテルブルクを、寒さにもめげすドイツから訪れたのです。バレエの季節は真冬なのです。当時はJALに入社して間もなく、トレーニーとしてフランクフルトに駐在していました。JALは海外拠点で駐在員をしている日本人顧客向けサービスとして、現地発のツアーを作っていました。その一環としてドイツでは旧ソ連を訪れ、バレエや美術館を鑑賞するツアーを恒例としていたのです。

  もう一つの理由は、当時の成田=フランクフルト線にはモスクワ経由があり、冬場はモスクワの乗降客がほとんどなくなりガラガラだったので、それを埋めると言う裏の目的もありました。週1便ですから、帰りの便を待つためロシアには1週間滞在することになります。私はハンブルグの支店長を団長とする20名ほどのグループのツアーコンダクター役に選ばれ、旧ソ連時代のモスクワとサンクトペテルブルクを訪れる貴重な機会に恵まれたのです。

  モスクワではボリショイ歌劇場でオペラとバレエを鑑賞。バレエの出し物はストラビンスキーの火の鳥で、新たな演出とのことでした。そして昼間は一度見たら決して忘れることのできない名画、その名も「忘れ得ぬ女(ひと)」をトレチャコフ美術館で鑑賞。馬車の上から貴婦人が少し振り返る瞬間を捉えたあの名画です。もちろん赤の広場やレーニン廟も訪れ、蝋人形のレーニンも見ました。何も売り物がない名ばかりの百貨店内も見物。たしかソ連崩壊後、そこはマクドナルドになっていたと思われます。

  モスクワからサンクトペテルブルクへは夜行の寝台列車で行きました。一等寝台だったためとても居心地のよい二人部屋で、ベッドも広くテーブルもあり、コンシェルジュもいて、いつでもカモミールティーを用意してくれました。列車は翌朝到着するために途中駅で停車を繰り返しますが、一直線の線路を走るため、横揺れもなく快適に眠れました。朝食も普通のホテル並みで、ロシアンティーもおいしかったのですが、パンだけはダメだったのを覚えています。

 

  サンクトペテルブルクは到着した日マイナス20度。凍り付くネヴァ川の景色は壮観でしたが、薄青色の壁に白い柱の冬の宮殿エルミタージュは、雪景色の中でこそ見るべき宮殿だと思いました。昼は美術館・博物館巡り、夜はマリインスキー劇場でコンサートにバレエ鑑賞。出し物は白鳥の湖。その後も何度か見た白鳥の湖ですが、胸が震えるほどの感動を今でも覚えています。

 

  渋谷からバレエ、そしてモスクワからサンクトペテルブルクへと話が拡がってしまいましたが、それらをつなぐものは私のノスタルジーでした。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« どうするクロちゃん? | トップ | よくぞ引いた貧乏クジ »

コメントを投稿

エッセイ」カテゴリの最新記事