ストレスフリーの資産運用 by 林敬一(債券投資の専門家)

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私の3.11

2023年03月10日 | エッセイ

  今年も3月11日がやってきますね。みなさんはあの日あの時、何をされていましたか。私は初めての出版を間近に控え、文芸書籍が得意の大手出版社との最終編集段階にありました。

  地震が起こった瞬間は買い物中で、大きな揺れとともに棚から商品が落ち始めたため、瞬間的に「ヤバイ、ついに関東大震災が来たか」と思いました。2階にある比較的広い売り場から階段を駆け下り、広い歩道に出て揺れが収まるのを待ちました。そばには高齢の女性がうずくまっていました。その方に声をかけ大丈夫であることを確認して駐車場の車に戻りました。

  途中、余震と思われる大きな揺れを感じることはありましたが道路は問題なく走れました。自宅は15階建てマンションの11階にあり、エレベータは停止したままでしたが階段を上り自宅に帰ることができました。部屋の内部はかなりひどい状態で、開かないはずの構造になっている食器棚の扉が開き、食器類がフローリングの床に落ちて割れガラスが散乱し、リビングボードの上にあったスピーカーボックスも床に落下。絵画も壁から落ちるほどのひどさでした。

  のちに聞いた話では、近所の一軒家に住む方が、うちのマンションの揺れが大きかったため倒壊するのではないかと思ったほどだそうです。しかし新築4年目だったためか柔構造のマンションの構造には全く被害はありませんでした。そして2階に住んでいる方は物が落ちるようなこともなく、大きな揺れを感じただけだとのこと、階によって差が大きいことがわかりました。ちなみにうちのフラットテレビは倒れることはなかったのですが、最上階のお宅ではテレビが倒れ画面が散乱してしまったとのことでした。

  しかしそれからが大変でした。家内はそのころ外資系金融企業にいて、東京駅前に建て替えられた新丸ビルの高層階にオフィスがあり、最近映像がよく流れる長周期振動に見舞われ、20分もゆらゆらと揺られ続けたそうです。子供のころから車酔いする質のため気分が悪く、とても一人では帰宅できないとショートメールが入りました。電車はすべて停止していため車で迎えに行くことにしました。渋滞で時間がかかることは分かっていましたが、ほかに選択肢はありませんでした。世田谷から出て都心に着くまでに2時間、7時くらいになっていました。娘が日比谷で働いていることを思い出し、メールも通じなかったので直接会いに行きましたが、会えず。同僚の人から、「家に帰るのを諦め、他の同僚たちと食事に出たとのこと」。結果的にはこれが正解で、12時過ぎまで飲み食いしていたら電車が動いて帰れたとのこと。

 娘はあきらめ家内を迎えに丸の内に行き、ショートメールのおかげで無事会うことができました。しかしどこもかしこも車は大渋滞のためすぐの帰宅はあきらめ、八重洲で見つけた居酒屋で食事をとって時間を調整。帰宅したのは深夜1時を回ってからでした。

  翌日のニュースで多くの帰宅困難者が出ていたことや、道路を何時間も歩いて帰宅した人々の苦労話がテレビで流れていました。

 

  さて、話を出版に戻します。すでに最終原稿を出版社に提出していた私に、編集長から驚きの電話がかかってきました。それはなんと「一週間で原稿を大幅に書き直せ」というものでした。理由は「あんたが言うほどアメリカという国も米国債も安全なんかじゃない」。08年のリーマンショックを乗り越えているのに、アメリカの債券市場でまた大暴落が起るというのです。なので、アメリカは安全だという部分をすべて削れとまで言いました。あれから12年を経過してもう時効になったと思われるので、この際すべてを披露します。

  私はただただびっくりし、「リーマンショックでは世界の金融商品で米国債だけが買われたのに、誰が売ると言うのですか」と聞くと、「米国債よりまずは住宅抵当証券市場や学生ローンの証券化商品が崩れるのがきっかけだ。それが全世界に波及し、アメリカにも失われた10年が来る」というのです。そのネタは「あんたよりベテランの著名インベストメント・バンカーから聞いた」のだそうです。

  私はもちろん書き直しを断固拒否しました。「この本の価値はアメリカ国家が世界で一番安全な国で、米国債は世界に激震を走らせた金融ショック時でも買われたことにある」と反論しました。

  電話で2時間、その後直接の面会で2時間。数字を示して説得を試みましたが、成功しませんでした。そんなに危険な債券だったら「そもそもこの本は出版しなければいいのに」とまで言ったのですが、それもダメだというのです。理由はたった一つ。来月のトーハンの枠に穴をあけてしまうことはできない、というのです。トーハンとは出版社と書店を結ぶ取次商社で、ニッパンとともに出版界に絶対的な力を持っています。そしてあげくの果てに、「あんたのようなシロウトが大手出版社の編集長に反抗するとは何事だ、言うことを聞け」とまですごまれました。

  シロウトであるがゆえに怖いものなしの私は書き直しを拒否し、決裂。出版を諦めました。

 

  そこで始めたのがブログです。つまりこの3月で12年になるということです。投稿開始以来の記録を編集ページで見てみると、記事数合計1,122件、アクセス数451万回。割り算すると平均で年に100回弱の投稿。1つの記事あたり平均で4千アクセスということになります。もちろん初期のアクセスは数件しかなかったため、最近のアクセス数は平均で2倍近い7千件くらいになっています。

  話を出版に戻します。大手出版会社の横暴に驚きながらも出版を諦められず、何の伝手もないダイヤモンド社にいきなり原稿をメールで送りつけてみました。すると2つ返事で「出版します」とのこと。最初の出版社も2つ返事で決まったのですが、2社目がこんなに簡単に決まるとは思いもよりませんでした。話は早く、早速本社に行き担当者と課長さんに面会すると、「うちの場合原稿を部員全員が読みます。内容は気に入りました。しかも誰もが米国債を買うぞと言っています」というのです。本当に買っていたら、今頃ホクホクでしょう(笑)。さすが金融・経済専門誌です。内容をしっかり咀嚼し、手直しもほぼないとのこと。5月に初めて原稿を提出し、8月に出版の運びとなりました。私は7月中旬に原稿を最終化し、家内と行くことになっていたアメリカの友人に会うため旅行に出発しようとしていました。

 ところが好事魔多し。「アメリカ国債がデフォルトする可能性あり」とのニュースが飛び込んできました。私はあり得ないと思っていたのですが、そのことに触れないわけにはいかず、大急ぎで2ページあまりを書き加えました。それも実際に書いたのは飛行機の中で、到着時に現地空港のキンコーズに駆け込み、日本にファックスを送り旅行も無事予定通りにはこびました。

  付け足した内容は、「アメリカ国債はデフォルトなど起こさない。現在の騒ぎは政争の具にされているからだ。それでもデフォルトが起ったとしたら、それはボクシングの試合で言えばスリップダウンで、最後の判定には影響しない」というものです。その後もこのデフォルト騒ぎは何度か「財政の崖」問題として取り上げられ、23年の現在も同じような状態にあります。もちろん、「またオオカミ少年が騒いでいるな」と笑ってやり過ごしましょう。

 

  ということで、3.11についてはみなさんも様々な体験談をお持ちだと思います。よかったらコメント欄でご披露ください。この節目に私の「初出版の記」をついでに書いてみました。大手出版社の編集長、きっとその後は自分の見通しの甘さに気づき、枠に穴をあけたことでほぞをかんでいるに違いないとおもいます(笑)。

 

そして最後にお知らせです。

  だいぶ遅れてしまいましたが、いよいよ2冊目の出版原稿が最終段階になっています。あくまで予定ですが、5月中の出版を目指し今回は意外にも「幻冬舎」さんと作業を進めていることをみなさんにお伝えします。経済誌とは違った幻冬舎というユニークな視点からの新たな書籍となりますので、是非ご期待ください。

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