この冬の「大寒」は連日の暖か陽気、「白鳥の湖」三郎堤は昨年暮れから凍り始めていたがポカポカ陽気の大寒で折角の氷がすっかり溶けてしまった。羽を休める数百の白鳥も北帰行に向けてソワソワしているようだ。 所々に雪の残る裏庭には、なんとフキノトウが、もう春の味を楽しめそう・・季節の移り変わり、従来の感覚ではおいつけなっくなっている。
「文通」(ぶんつう)、メールやラインに慣れた若い人たちにはご存知ないだろうが、昔「文通」というものがあった。
雑誌などに友達募集として載せてもらい同じ趣味や郷土の自慢ばなしを手紙でやり取りする、現代の即返事の来る時代ではない、手紙を出してから10日くらいしてようやく返事が来る、待ってる楽しみもあったかもしれない。
中にはそう遠くない県内とか市内同士とかの文通もあって、何回かの手紙のやり取りのあと「逢ってみませんか?」とデートの誘いしたカップルも・・・だが結婚まで至ったのは一組だけしか知らない。
彼らは山登りを共通の趣味として文通していたが高校2年か3年の夏「一緒に山登りしましょう」と言いうことになった。
文通相手と初めてのデート、照れ屋の彼は「一人では恥ずかしいから・・一緒に・・」と誘われた。初デートのいわば立会人を頼まれた。
彼女はこちらが二人とは思ってもいなかったんだろう、山登りの休憩のたびに出てくる、おやつは二人分だけ。随分と居心地の悪い思いをしたことがある。
その後も二人の交際は続き数年後、ついに結婚することになり「実は・・・」と「なりそめを知ってる君に結婚式の司会を是非・・・」・・日頃内気な自分が大勢の前で話すなんて・・それも100人を超す招待客だという・・が、断り切れずに全くの初体験だったが何とか切り抜けた、今でも冷や汗の出そうな思い出がある。
二人は結婚してから3人のお子さんに恵まれ、いずれも大学を出てみんな教師をしている。
彼は、同じく山の好きだったお兄さんを尊敬していたがお兄さんは若くしてエベレストで遭難死した。病を得た彼は上高地に行けば「兄貴と会えるような気がする・・」と病身をおして、何回か上高地を訪ねたが70才目前に病死した。
彼亡きあと、奥さんは一人で大きな家を守っていたが、年初、いつもの達筆の年賀状が届かない・・・昨年の秋ごろ、自転車で転んで首を痛めてしまい、今は娘さんの介護で・・・と、苦労して書いただろう、はがきが届いた。
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