赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼銀河氏との憲法9条談義

2023年08月15日 | ■政治的なあまりに政治的な弁証法

以下、これまた20年近く前の記事にて、読者各位には申し訳ない。

 

銀河様におかれましては、「一条、一項も変えさせない」と語調も強く主張なされておられまするが、以下の現行憲法の条文は、銀河様の言とは、矛盾するようにも思われまするが、いかが?つまり手続きさえ、憲法にのっとっているなばら、改正するも民主主義のうちとは申せないでしょうか。むしろ、銀河様のおっしゃるように、「一行一句変えさせない」とするほうが、よほど独善的なファッショ的態度に見えてくる今日この頃のワンカップです。

第九十六条【憲法改正の手続】

1 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを>発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の>国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を>必要とする。

さっそくあなたは次のように切り替えしてきた。

だがイラクでは交戦する。それでいいのか。交戦権を否定している 日本国家なのに交戦してよいのか。

交戦したのですか。交戦するつもりなのですか。私が耳にしたところによれば、自衛隊は、もっぱら道路工事や学校つくりに精を出していると聞いていますよ。よって暫定的な政府や地元民からは大いに喜ばれていると聞く。派遣されてから、すでに二年近くたつが、この間、イラク人に向けては、まだ一発も発砲していないのではないですか。まさに世界に誇る平和の部隊じゃないか。憲法9条のもとにある部隊であることは自衛隊員たちこそ誰よりも一番よく知っているのだ。

自衛隊は違憲であることをはっきり言うべきだろう。

何度も言うが、銀河さんの言っていることは、改憲論者と同じなのだよ。自衛隊が軍隊であることを認めるならば、さっさと、そのように憲法を変えればよい・・・それだけの話だ。なにを悩んでいるのかね。

「自衛隊」そのものが陸海空軍その他の戦力を保持している軍隊ではないか。

だったら、憲法を変えるしかないだろう。

サマワの自衛隊が攻撃されれば反撃するに違いないが、それは交戦ではないのか。

交戦といえば、交戦だ。小競り合いといえば小競り合いだ。予断を膨らませれば、なんとでも言えるさ。拳銃をぶらさげた警察官を100人ほど、行列させてみろと、申したはずだ。それで軍隊が出来上がるだろう。条文を守れることが平和なのか。現実を守ることが平和なのか、そこのところをよく考えてろと申しているのだ。彼らから、拳銃を取り上げれば平和が来るのか。それはマンガだ。被支配に徹する奴隷根性だ。 サマワに置かれた自衛隊の諸君もそうだが、彼らこそ平和と戦争のハザマにおかれて哲学的に悩んでいるのだ。彼らこそ憲法の申し子だ。君ら口先だけの童話モードの、なまくらな机上の平和論などよりは、よほど体を張って平和を守る最前線に立っているということを、思いやりたまえ。安穏として屁をこいているだけの、なまくらな、君たちの代わりに、できるだけ発砲しないように、体を張って思考しているのだ。平和の最前線では、引き金を引くかどうかが問題なのだ。口先だけでは間に合わないのだよ。

国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 と9条にある。

それは戦後一貫して守られてきたように思われますよ。この条項を身をもって体を張って守ってきたのが、他ならぬ「自衛隊」の諸君だというように、私は思っておりまする。さらに9条は続けて・・・ 陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 と書かれているが、これもこの60年間、基本的に守られてきたように思います。自衛隊という軍隊に近いものはありながらも、他国と交戦したことはありません。しばらくは今後とも他国と交戦するような事態にはいたらないでしょうし、政府も自衛隊も、そのつもりはないでしょう。専守防衛に徹するという理念は弁明じみてもいるが、結局、このお墨付きが守られていることは事実でしょう。自衛隊の存在があってはじめて平和が守られていると、そのように思っているほどです。彼らには感謝してもしきれません。

公然とした憲法違反を国家が行っていることに対してかもめ氏は容認しているのですか。

 ふ~む、違反しているのか、していないのか。解釈の違いだと思いますよ。いつだって現実のすべてが教義教条に一致しているということはない。また解釈を厳密にするか、緩やかにするかによっても、現実は大違いとなる場合もあるでしょう。銀河さんも私に同世代のようですが、戦後60年、一応、日本という国家は平和憲法があったがゆえかどうかはしらないが、直接、戦争に参加した形跡はないといわれている。だが、そうした耳あたりのよい言説ですら、厳密に検証してみるならば、まったく違う様相を呈してくるということもある。 小競り合い程度の戦闘なら、幾度もあった。二年ほどたちますか。日本海の領海内で無国籍の漁船に偽装された武装船舶を海上保安庁の船が追いかけたことがある。

けっこう激しいドンパチを遣り合っていたではありませんか。その戦闘の様子が、TVのニュースで流れておりました。今後、そんなことはありえないとは申せますまい。軍隊はともかく、どの程度に武装しておくのか、という問題がある。自衛隊も、最初は警察予備隊として発足しました。警察官は、拳銃をぶら下げている。彼らを100人ほど集めれば、結構な軍隊になるのではありませんか。では、彼らから拳銃を取り上げれば憲法の精神は守られるのですか。 私は、現行憲法に反対しているのではないのです。むしろ、あの能天気に歌を歌っているような前文や9条の文言は大好きですよ。したがって私の結論は、仮に自衛隊の武装がさらに進化するようなことがあり、ますます頻繁に海外派遣などがおこなわれるようになったとしても、9条だけは残しておいていただければ、神棚にでも飾っておきましょうという態度です。こうなっては反古同然ですが、教条なんてものは、歌っていられれば、それでよいのです。

せいぜい努力目標ぐらいを内実とする歴史的美文として飾っておくもの、生活の知恵というものかもしれません。 現実と憲法の文意をどうしても同調させておかなければ納得できないと考える左右の教条主義者(銀河さんのような)たちが、員数の上で勝れば、憲法は早晩改正されるでしょう。 それから、これは原理的な話ですが、私はどのような政府がつくられようと、国家を完全に武装解除することは不可能だと思いますよ。たとえ共産党の政府ができようと、憲法がどうであろうと、軍隊は必然的に作られ、社会的発展に応じて武装進化すると思っております。それが良いことか悪いことかは知りませんが、すくなくても右であれ左であれ時の政府は、言うでしょう・・・・軍隊がなければ国は守られない。軍隊があってこそ国家の平和は守られると。 これを否定する理屈というものを私は知りません。あなたが知っているなら教えてください。国家が完全に武装解除して、それで平和が守られる道というものがあるのでしょうか。 それが発見できれば憲法9条は、ますます輝きを増すことでしょう。

<2005.09.15 記>

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