赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼焼け跡から生まれた憲法草案

2007年05月07日 | ■政治的なあまりに政治的な弁証法
<1945.09.27 マッカーサーを訪問した昭和天皇>

昨日は、一日雨だった。夜になりNHK・TVで『焼け跡からうまれた憲法草案』という番組を見て感銘を深めた。

われわれは、現行の新憲法はGHQから一方的に押し付けられたものとして教えられてきたが、かならずしもそうではないようだ。

すでに終戦直後より、焼け跡に生き残った憲法学者の鈴木安蔵以下、自由主義的な学者やジャーナリストたちによって憲法制定委員会なるものが創設され新しい憲法を案出するための研究が進められていた。

マッカーサーのGHQとしても、できるだけ日本人自身の手によって新憲法が作られるように、影になり日向になりして、彼ら憲法制定委員会を支援していたことが判明した。

GHQが憲法案を出してきたのは、すでに議論も終盤にさしかかっていた頃である。いくつかの政党、団体、そして学者らによって憲法案が提出されてきた。新聞も連日、これらの案を紹介していたのである。国民的議論があったのである。終盤に至り政府案も出されてきたが政府案は天皇条項をはじめ、いくつかの点でGHQは承服できがたかったらしい。

そこでGHQとしては政府案に対抗するように、憲法制定委員会案などを下敷きにして、ほぼ現行に至る新憲法案を政府に持ち出してきた。政府は三日三晩の徹夜で日本語訳を作成し、これを議会に上程したのである。この翻訳作業に白洲次郎もかかわっていた。さらに、GHQ案をたたき台として、国会審議の過程で、いくつかの重要な条項が付け加えられたという。国民は文化的最低限の生活が保障されるとある生存権などは、GHQ案にはなかったと聞く。

言うまでもなく新憲法の制定が急がれたのは、旧憲法をただちに破棄する必要があったからである。議論が難航したのは、当然ながら旧憲法の柱であり国体の中心的概念であった天皇の存在をどうするか、またはどのように叙述するかにかかっていた。

天皇の存在論的規定の解決こそ新憲法制定の要諦だった。旧憲法では「神聖にしておかすべからず」と謳われていた宗教的存在を、である。

GHQ案に「シンボル」とあって、それをたんに「象徴」という言葉に訳しただけだったのか。それは知らない。いずれにしても天皇をして「象徴」という言葉で叙述した条文こそ、ある意味第9条の平和条項以上に日本という一国のその後の政治総体と歴史にとって、今日に至ってもなお大きな価値と、深い意味が存在しているように思われる。

象徴天皇の一語こそ、戦後日本の国民に安寧と幸福をもたらしてくれた根本基底だったと申しても過言ではないだろう。もうひとつ、断じて新憲法は日本人自身の手で作られたものであると強調しておきたい。昨日の番組から、そんなことを思った。

「終戦時の感想」(昭和20年)
爆撃に倒れゆく民の上をおもひ いくさとめけり身はいかならむとも

「新憲法施行」(昭和22年)
うれしくも国の掟のさだまりて あけゆく空のごとくもあるかな

「千鳥ケ渕戦没者墓苑」(昭和34年)
国のため命ささげし人々の ことを思へば胸せまりくる

「晴」(昭和64年)
空晴れてふりさけみれば那須岳は さやけくそびゆ高原のうへ

「昭和天皇の和歌」1997.12.15 創樹社


http://www.book-navi.com/book/syoseki/shouwa.html

<1510字>
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1 コメント

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これ皆、マスコミの受け売りと違うの? (泥炭)
2007-06-10 21:45:34
 新聞やTVや本から得た知識を基に議論するとて人を嘲笑していたかもめさんがマスコミの受け売りをしているって可笑しくない?

 自分が何しているか、何書いているか全く分かっていないんだね。

 この投稿の目的は、このサイトの構造を知るためです。悪しからず!
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