赤いハンカチ

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▼祖母のことなど

2013年10月17日 | ■風評加害の露店犯

いまから八年前ほどになるか。

NHKテレビで「奇跡の詩人」と題されたドキュメンタリ番組が放映された。

幸いなことに、わたしは何一つ予備知識もないまま、その番組に感動した

まま見終えた。当事、インターネットが普及してまもなくのころであり、

2ちゃんねるなる掲示板は隆盛を極めていた。当サイトを見れば、

この番組を根本的に否定する一群の輩たちが、大騒ぎをしていたのである。

番組は足も手も思うようには動かせない、12歳になる重度の障碍を得た少

年が、母や父やの協力を得て、このたび本を刊行するという。その手法が

独特だった。

少年は、発声できないのである。

よって、母親が少年をひざに抱き、後ろから少年の眼前に「あいうえお」が

配列された文字盤をかかげ、片方の手で少年の手をささえ、一文字づつ、

少年が書き綴る手差しを、母親がまた、読み取って口承するのである。

これが少年と家族が獲得した言葉の全面的方法だった。

すぐ、そばに父親がいて、母親が一文字づつ読み上げる「文」をワードプ

ロセッサーに入力しているのである。

番組は、少年が繰り出す作文が本になる過程を追っていた。

それだけのことである。

ネットでは、これは嘘だと、そんなはずはないという者たちが大威張り。

こんな虚偽がテレビでまかり通させてはなるものかと勇んでくる専門家も

多かった。その双璧が滝本太郎弁護士と自称ジャーナリストの有田芳生氏で

あった。

わたしは、彼らを相手に、その主張がいかに間違っているかを力説するのが、

面白かった。

 

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どのように豊かな脳が存在していても、手だてがなければ決して言葉は

外には出てこない。

脳波を読みとるだけで明確な文章というものが構築できる可能性がある

というような研究もなされているとは聞くが、私の実感から申せば言葉と

は、脳の存在論的な機能よりは、むしろ道具に付随して、たゆみ無く連続

的に生み出されてくるような気がする。

私の場合など、パソコンといつも使っている仕様の入力装置(キーボード、

モニター等)がなければ、おそらく一頁どころか三行たりとて、まともな文章

は書けないと思うのである。

その他筆記道具があるなら、ある程度は可能だろうが、この10年来、文章

を書くと言えばパソコンでしたから鉛筆をわたされて、さあ書けと言われても

ノートや原稿用紙に向かったまま頭をかかえてしまうに違いない。

さらに筆記するための道具が一切ない場合。

頭の中だけで、人は文章を書けるだろうか。

一行づつなんとか思い描きつつ辻褄をあわせながらも次の文章を考えてい

るうちに、事前に記憶しておいた一行は忘却してしまうのである。

道具がなければ、よほど特殊な能力のある人でなければ、一頁たりともまとも

な文章は構築できない。

このことを流奈少年にあてはめていけば、放送で見られたように少年の場合も、

道具があってこそ文章も書け、それをさらに推敲し、編集し、本にもなるのであ

る。

流奈さんの場合は、文字盤と母親と、ワープロを打つ父親が三人一組がセットに

なって言葉を繰り出し、出版にもこぎつけたのである。

いずれにしても、脳の存在のみで、道具(喉、声なども道具)がなければ、人間、

たいした言葉は生成されて来るはずはないのである。

ここで私が言いたいことは、その人が普段つかっている道具(方言なども広義に

いえば道具である)を取りあげたり、変えたりしてから、その人の言語能力を計る

ことはできないということだ。

出来たとしても能力の一面が結果として出てきているにすぎないということである。

私の祖母は無筆の人だったが非常におしゃべりが好きだった。

お話が上手で興に乗れば、それこそ落語家のように1時間でも二時間でもぶっ続

けで話をしてくれた。

それも起承転結のけじめのある一編の物語りのようにである。

この祖母に筆記試験を与えてみて彼女の言語能力のなにが分かるだろう。

答案は白紙のまま提出されるだろう。

おそらく祖母は、言語能力ゼロと「烙印」を押されて世間に広言されるのが落ちである。

朝から晩まで四六時中くっちゃべって暮らしているわけでは、もちろんない。

気持ちが乗っているとき、彼女が話をするのは周囲に気に入った人がほんの二三人

いるときに限られていた。

話が上手だからといって多勢の聴衆を前にして演壇に座らせ、さあ時間はたっぷりあ

るから好きなことをしゃべれなどと、命じられては、かえって一言もしゃべれずに泣き

出してしまうのではないだろうか。

こうした様を見ただけでは、彼女の中には優れた言語能力があるなどと誰が分かる

でしょうや。

かような環境が日々続いていたとなれば、祖母はいっさいしゃべることをやめてしま

うだろう。しゃべることに、罪を感じてしまうからである。

彼女は、黙して語らなくなるに違いない。

言葉には、こうした側面があるということです。

祖母の場合など、聞き手でさえ道具なのです。

いつかTVで見たのですが、30歳になる自閉症の息子さんの様子が写され

ていた。

視聴者のわれわれには息子さんの言葉の意味がほとんど分からないのです。

失礼な言い方だが、ただ、わめいているようにしか聞こえない。

でも30年間連れ添って愛情をかけて育ててきたお父さんとお母さんにだけは、

彼の発語の意味が逐一明瞭に伝わっていた。こうしたお父さん、お母さんには、

いろいろな意味から自然と頭が下がる。

 

<2004.02.20 記>

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