赤いハンカチ

てぇへんだ てぇへんだ この秋はスズメがいねぇトンボもいねぇ・・・何か変だよ

▼詩人の誕生<中野重治>

2008年09月12日 | ■芸能的なあまりに芸能的な弁証法
高等学校(旧制)へ来てみるとまわりはことごとく文学少年たちであった・・・私は若山牧水を読み、伊藤左千夫を読み、尾山篤二郎を読み、斉藤茂吉を読み、長塚節を読み、正岡子規を読み、木下利玄を読み、北原白秋を読んだ。また茂吉の「短歌私抄」などから発して源実朝を読み、平賀元義を読み、僧良寛を読んだ。同時にはじめて室生犀星の詩を読んだ。それは出水のようなものであった。ある日、私は「カラマーゾフの兄弟」を買ってきて読みはじめた。そして飯を食って読み、寝床へはいって読み、あくる日起きて読み、朝飯を食って読み、昼飯を食って読み、こうして新潮社の三冊本を読み終えるとその足で「罪と罰」を買ってきて同じ手順で読み、それがすむとまたその足で「賭博者」を買ってきて読んだ。そういうなかで室生犀星の「抒情小曲集」を読んだのであった。それは実に不思議な本であった。

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても
帰るところにあるまじや・・・


上は、中野重治の「日本詩歌の思い出」という題を持つ自分が若いころに影響を受けた日本の詩歌のことを書いている文章の一節である。もちろん詩としての作品ではなく、エッセイとしての文章なのだが、上の文章など、まるで詩になっている。わたしは、中野のこうした文章が好きなのである。都会的ではないのだが、古風な勢いがあって、言葉が、十分に歌われている。読んだ読んだと畳み掛けるような語呂並べは、韻が踏まれている。

同様の手法は、中野の書いた別の文章でも見たことがある。そこでは木の名前がずらずらと並べられていた。自分は田舎で育ったが、さほど木の名前を知らないと断りがあったと思ったら、次の行から、いきなり、杉、松、桜にひのきにかえでやえのきに始まって二十も三十もの木の名前が勢いよく並べられていた。そこだけ取れば、それだけでも詩になっていた。

ただし、この文章には、中野特有のいくつかの思想的な問題がありそうなのである。文学というものは、読者として自分が好きなら、問題はなにもない、というわけにもいかない。私の感動も時とともに流動している。歴史とともに時間とともに感動はもろもろの条件が介入されてきて、感動も単純には諒解できずらくなる。だが、中野の文章に問題があると、わたしがそう言っても、それは、かならずしも作品の欠点をあげつらうということではないだろう。たしかに問題がありそうだと気がついたが、私にはまだ何も明確にはなっていないのだ。

うっすらと感じることは、上記の文章には感傷があるということだ。センチメンタルなのである。中野重治に特有の、詩歌や文学や知識というものに対する、ある種の感傷的なこだわりが、しのばれてくるのである。それ以上のことは、今のわたしには言えない。

繰り返すが、そうした疑念があるにもかかわらず、私は中野重治の上のような文章が好きでならないのである。このエッセイは次のような、これまた感傷的言辞をもって閉じられている。

(こうして)私は針で刺されるような思いで「詩を書きたい!」と思うのであった。

<2007.07.08>
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