2015.05.22 川崎市
とある書店の書棚を見れば私好みの本ばかりが並んでいたので、カメラを向けた。中ほどにある「江藤淳と大江健三郎」はひと月ほど前に読んだのだが、江藤淳への批判と大江健三郎への賛辞が極端すぎて失望した。後半にさしかかる途上に「小林秀雄のような馬鹿者」うんぬんの一文を目にし、それ以上読み進めることが不能となって頁を閉じた。なにしろ小林秀雄をもって現代日本文学の最高峰と盲信してはばからない拙者にとっては、小林秀雄に対する悪罵を聞きつけるやいなや耳をふさぎたくなってしまうのである。
書棚にも、小林秀雄関係の本が二冊並んでいた。「学生との対話」はすでに読んでいる。もう一冊の前田英樹氏の「底本小林秀雄」を読んでみたいと思い手にしたのだが値の張る本で、拙者ごときの安給料で間尺に合うかどうかが問題なのだ。そうだ、図書館という手があった。この本は図書館で探すことにしよう。
そうは言っても一冊ぐらいは自腹を切って購入し読書ざんまいにふけりたい。そこで、給料が出たあかつきには林望氏の「平家物語」を購入しようと心したところである。林望氏については、先に、「源氏物語」の現代語訳を刊行し終えている。源氏物語の現代語訳は、数多かれど、わたしが完読できたのは、林望訳の「謹訳源氏物語」だけである。明治以来、与謝野訳をはじめ谷崎訳その他たくさんあることは知っていて、わたしも、それらのうちの何種かを手に取り、いざ読まんと挑戦してみたのが、いずれも読みきれなかった。昨年のこと、林氏の訳をもって源氏物語を完読した感激は我ながらひとかたならむものがあった。
源氏物語の師匠が蜻蛉日記。
愛は蜻蛉。
三宿あたり。合掌。